13-11
作戦は、こうだ。
ひそかに、そして大胆にユリアを王城に連れてくる。
意味深に感じられる程度の時間をグレーテルの部屋で潰した後は、連れてきた時と同様ひそかに、そして大胆に帰ってもらう。
以上だ。
実にシンプルでいい。
特に私が気に入ったのは費用対効果だ。
この作戦は敵が餌に食いついてくれない場合は全くの無駄骨になってしまうが、そもそもこちらの持ち出しはほとんどない。ただユリアに屋敷と王城の往復をさせるだけでいいのだ。襲撃に備えて伏せておく戦力は全て私の手勢なので、普段の給料をいつも通り支払うだけだ。
一応成功報酬として特別手当は考えているが、成功報酬なので失敗した場合は必要ない。
「──馬鹿なんじゃありませんの?」
しかし、作戦を説明したところユリアからそうバッサリ言われてしまった。
「この囮作戦がうまくいくかどうかは、全て敵にかかっています。それも、敵が愚かであることを前提とした作戦ですわ。
敵の愚かさを頼みにした作戦など、とても作戦とは呼べませんわよ」
なるほど、一理ある。
まったく、誰がこんな単純な作戦を考えたのか。
私がそう考えて口を尖らせると。
「……いや、ボスがいいって言ったんじゃないか」
部屋のどこからかそう声がし、ユールヒェンがきょろきょろと辺りを見回している。
今のは部屋の隅に潜んでいる『死神』の声だ。ユールヒェンや他の皆には見えていないようだが、私の目には部屋の角にピッタリと嵌って身動きをしない『死神』の姿が見えている。はじめは気付かなかったが、そこだけ魔素の流れが不自然な気がしたのですぐに見つけられた。ちなみに部屋の反対側の隅には同じようにした『悪魔』がいる。
不満げな私の顔を見てつい言ってしまったのだろう。
しかし、『死神』の言う通りである。
この作戦を提案したのは彼らだが、許可を出したのは上司である私だ。
ならば責任は私にあるし、そのフォローもしてやらねばなるまい。
「元より、失敗しても構わない作戦です。損はありませんし。もし失敗しても別の作戦か、あるいは同じ作戦を繰り返してやればいいだけです」
「失敗するということは、囮と看破されたということです。何度繰り返そうとも、囮と知れた相手を襲う馬鹿なんているはずがありませんでしょう」
まあそれは確かに。
しかしその論理はあくまで囮が無価値なカカシであった場合の話である。
今回の囮はそうではなく、侯爵令嬢ユールヒェン・タベルナリウス本人だ。囮とはいえ、侯爵家の令嬢が実際に王城に来ている事実が変わるわけではない。
警戒すべき令嬢が王城と侯爵邸を何度も往復していれば、そこで重要な情報のやり取りがなされていると考えるのが普通だ。というか、仮に囮と看破されて見逃されているのなら実際にそうしてしまえばいい。
黒幕が王家をたばかって侯爵を失脚させようとしているならば、王家と侯爵が近づくのはそれがどんな理由であれ避けたいはずだ。
そうなれば、例え罠だとわかっていても妨害せずにはいられないだろう。
「と言いますか、囮とバレて襲われないとおっしゃるのなら、もう侯爵閣下ご本人を王城に連れてきてしまえばよろしいのでは」
そうすれば話が早い。襲撃や妨害が無いのであれば、侯爵を王城に連れてくるなど造作もない。
「何を言ってますの。父は登城禁止を言い渡されておりますのよ。来られるはずがないでしょう。それに、私は囮として見逃されたとしても、さすがに父が屋敷から出るとなれば放ってはおかないはずですわ」
「変装すればよろしいのでは。ご安心ください。そういうのは得意です」
事も無げに私がそう言うと、ユールヒェンは何を言われたのかわからないといった表情で固まった。
「私はタベルナリウス侯爵閣下を一度しかお見かけしておりませんが、お髭などはありましたでしょうか」
「……ええ、一応は」
「まあそれは剃ればよろしいです。あと、確かずいぶんとふくよかでいらっしゃった」
「……そう、ですわね。平均よりは、まあ……」
「でしたら、ぴったりの装いがございますよ。と申しますのは──」
私は侯爵にさせようと思い付いた仮装、もとい変装について説明した。
しかし、残念ながら誰にもわかってはもらえなかった。
「馬鹿なんじゃありませんの!? 馬鹿なんじゃありませんの!?」
「いや、さすがに私も擁護できないわ。それはないわよ」
「ミセリア様、そういう装いというのは、それが許される者とそうでない者というのがあるのですよ。ああ、似合う似合わないという意味ではなく、立場的な意味でもですが」
「仮に変装したとして、もし間違って侯爵様が癖にでもなってしまったら、責任とか取れませんよね」
ユリアを筆頭に、グレーテルだけでなくジジやドゥドゥにまで反対されてしまった。
そして、父親にそんな格好をさせるくらいなら囮役など何度でもやってやると、結果的に当初の囮作戦はユリアに快諾されたのだった。
怒っていたようにも見えたが、ものすごい勢いで囮をやると言っていたので、あれは快諾だったということにしておこう。
それからしばらくの間、ユリアに色々と小言を言われながら時間を潰し、ちょうどよいところで屋敷へ帰す事にした。
もちろん、気配を消した──と本人たちは主張している──『死神』と『悪魔』もひそかに付けておく。
さらに天井に目をやり、そこに人知れず張り付いていたアマンダにも合図をする。
アマンダは音もなく下りてくると、去りざまに私に耳打ちをして出て行った。
「──私はさっきのアナタの策、悪くないと思ったけど」
やはり、分かる人には分かるのだ。
とりあえずひとりでも理解者がいた事に満足した私も、一気に人が少なくなったグレーテルの部屋を辞する事にした。
「あら。貴女も帰るの?」
「いえ、少々お手洗いに。ディー、ジジとドゥドゥに付いてあげて下さい。お手洗いくらい、1人でいけますから」
◇◇◇
王女の私室を出たユールヒェンは、来た道を辿って再び裏門を通り、屋敷への帰路についた。
往路とは違い1人きりだが、ミセリアの言葉が真実ならばどこかから彼女の手の者に見守られているはずだ。
礼儀や性格はともかく、ミセリアの人柄と能力についてはそれなりに信頼している。そのミセリアが守ると言い切ったのだから、この身が不逞の輩に害される事などないだろう。
ユールヒェンはそう考え、往路と同じく堂々と歩いていた。
それにしても、と先ほどの話を思い出す。
まさか、あの父に女の装いをさせようなどと言い出すとは。
ユールヒェンは自分自身を美しいと思っている。
学園の第一クラスの美しさ偏差値は桁が違っているので自信が揺らぎがちになるが、ひとたびパーティなどに出かけていけば、ユールヒェンの隣に立てるような令嬢も貴公子もそうそう見つからないほどだ。
まあそれも、クラスの偏差値を無駄に引き上げている者たちは誰もパーティなどに参加しないからであるが。
そんなユールヒェンの美しさは、実は母譲りのものではない。
髪の色や目の色など、一部は確かに母の家系の由来のものもあるが、目鼻立ちなど造形の主だった部分はおそらく父の系譜に連なるものだろう。
おそらく、といったのは今の父の姿からはそれらの特徴が感じられないからだ。あの贅肉をもっと減らせばそうでもないのかもしれないが、その贅肉が全てを台無しにしている。
それさえなければ、きっと父も自分のように美しく──
いや、それ以上考えてはいけない。
危なくミセリアの企みに乗ってしまうところだった。
あの娘には、おそらくその異常なまでの見目の麗しさのせいだろうが、こちらがちょっと油断すると何でもかんでも言うことを聞いてしまいたくなる危険な魅力がある。
それは常日頃からミセリアに対して苦言を呈しているユールヒェン相手でも例外ではない。
予てからユールヒェンと親交の深かったエーファやヘレーネでさえ、気がついたら陥落していたほどだ。
今日久しぶりに会って感じたことだが、その魅力の威力は戦争による長期休みの間にさらに強烈になっていたようだった。
これからはこれまで以上に心を強く持たなければ、最悪の場合は自らの父を女装させる事になりかねない。
クラスメイトに見惚れてしまったせいで自分の父親を女装させる事になるとかちょっと意味がわからないが、事実そうなのだから始末が悪い。
「……まったく、実に恐ろしい娘ですわね。ミセリア・マルゴー……」
アブラハムデラックス爆誕ならず。




