13-10
『死神』からユリアを囮に使っていいかと聞かれた。
私はとりあえず詳しく状況と囮計画について話すよう促した。
良いか悪いかで言ったら全然良くないし、元々ユリアの窮状を救うために頑張っているというのにそのユリアを危険に曝すというのは本末転倒な下策にも思えるが、まずは話を聞いてみなければ判断が出来ないと思ったからである。
私は素晴らしい上司なので、部下の献策は全て真面目に検討するのだ。
『死神』の話では、タベルナリウス侯爵が何らかの陰謀によって不正の罪を着せられたのはほぼ間違いない事だという。少なくとも侯爵家の人々や侯爵本人はそう考えているようだ。
しかも、侯爵には王城から登城禁止の指示が出されており、直接王城に出向く事が出来ない状況であるらしい。
一連の騒動を画策した人物がいるとすれば、それは王城に常時勤務している者である可能性が高い。
インテリオラ王国は中央集権だとまでは言わないが、少なくとも王都の政治中枢は王城にあるのは確かだ。
また王国全体の数割にも及ぶだろう資産を持っている貴族たちが王城を中心とした貴族街に住んでいることから、国の経済の中心も王城周辺にあると言ってもいい。
その政治と経済の中枢に深く食い込んでいたはずのタベルナリウス侯爵を陥れようとするなら、その人物もまた中枢に入り込んでいなければならないはずだ。
物流や通信手段が発達していないこの世界では、物理的な距離がそのまま影響力に直結するからだ。
その黒幕にとって最も避けたい事態が何かと言えば、ターゲットである侯爵と絶対君主である国王が接触する事だろう。
文官の失脚、及び拘束や侯爵の登城禁止を決定させたとなると、そしてそれが謂れなき罪を前提としたものであるとなると、黒幕が政府を、つまり国王を騙しているのは間違いない。
疑惑の中心にいる侯爵がどれほど騒ぎ立てたところでまともに聞き入れられるとは限らないが、それでも一抹の疑念が湧けばそこから調査が始まる可能性もある。
そうなれば黒幕は破滅だ。国王を謀ったとなれば国家反逆罪に当たる恐れがある。国家反逆罪は重罪である。場合によっては死刑もありうる。
もちろん侯爵本人については厳重な監視がされている。
登城禁止どころか自宅謹慎に近い扱いで、彼の屋敷への人の出入りは全て把握されているらしい。
監視の任についているのは王城から派遣された人間だが、その報告はおそらく王室に届く前に黒幕のところを通るのだろう。もし侯爵が動きを見せた場合、王室より先に手を打つためだ。
『死神』と『悪魔』はその警戒態勢の中、どうやったのか知らないが監視の人間の目だけを欺いて邸内に潜入し、それどころか客人として侯爵に歓待を受けてきたという。それも数日に渡って。
それもう暗殺者とかではなくただの詐欺師では。
しかし侯爵本人は警戒されていても、その娘のユリアには監視はついていないらしい。
そんなものを付けずとも、侯爵本人が娘のユリアを軟禁していたからだ。
なぜ軟禁される事になったのかは不明だが、それが続けられているのは侯爵がユリアを守ろうとしているからだろう。
ともかく、軟禁状態であるからこそ監視の目が置かれていないが、本来なら政府としてはユリアも監視したいはずだ。
そんなユリアが王城に現れたとなれば、黒幕は気が気でないに違いない。
すでに来てしまった令嬢を王城でどうにかするのは無理だとしても、帰り道では必ず仕掛けて来るはずだ。
「──つまり、いちいち首魁を探すのが面倒だから、手っ取り早く尻尾を出させるためにユリア様を王城に連れて行くと」
「そうなる。もちろん、エスコートするのは俺だ。自慢ではないが、俺はこれまで数え切れないほどの人間を暗殺してきた。同行者を狙う殺気や視線はあらかた察知出来るし、逆に自分の気配だけを殺してそいつらを油断させる事も出来る。間違ってもタベルナリウス侯爵令嬢を危険な目に遭わせる事はない」
「まあ、一応俺もバックアップに付くつもりだしな。そこは安心してもらっていい」
一軒一軒調査するより囮作戦の方がはるかに面倒そうなのだが、と思ったが、本人たちにとっては慣れた仕事なのだろう。
何であれ、ユリアの身が安全で、その上で今回の不正騒ぎの真実がわかるのであれば問題ない。
「わかりました。では、ユリア様の事は頼みますね。
ただ王城に連れて行くとしても、正門からですと囮としてちょっとあからさま過ぎるでしょうか。
裏門を使った方がいいかも知れませんね」
というか、正門とか私もほとんど通ったことがない。
裏門なら慣れているので、そっちを使ってくれたほうが何となく安心だ。
「……裏門の存在は俺も知っている。だが、あちらはある意味で正門よりも警備が厳重だぞ。俺1人ならばともかく、令嬢を連れて忍び込むのは少々厳しいものがある」
「忍び込む必要はないでしょう。正門は目立ちすぎるのでどうかと思いますが、それでも黒幕を釣り上げる事を考えればある程度は人目についてもらわなければ困ります。大丈夫です。そちらの門番さんは何度か話した事があるので、私がお願いすれば快く通してくれることでしょう。
それにユリア様も目立ちたが──ええと、誇り高い方なので、そこが例え裏門であろうとも王城に入る際にはきっと胸を張って堂々と通られることだと思います。ちょうどよい塩梅で目立ってくれるのではないでしょうか。
となると、当日は私も王城に行っておいた方がいいですね。囮とはいえ、連れてきたユリア様をそこらに置いておくわけにもいきませんし、とりあえずグレーテルの部屋で時間を潰すことにしましょう」
◇◇◇
恩師の不正と、父の関与。
それらの疑惑を払拭する手掛かりが掴めればと決死の思いで乗り込んで来たユールヒェンであったが、実際に王城に入り、王女の私室まで通されると拍子抜けしてしまった。
そこには見飽きた級友の顔があったからである。
どういうことかとモーリスを探すが、いつの間にか彼の姿はない。
ずっと自分の前を先導して歩き、この部屋に入る際もノックをしたのは彼だったはずなのだが、自分以外の誰も彼が居ない事を気にしていないようだ。まるでゴーストに化かされたかのような気分だった。
「お久しぶりですね。ユリア様。お元気そうで何よりです」
忌々しいほど整った顔の級友が声をかけてくる。
おかげで我に返ったユールヒェンは返事をした。
「貴女も。でも一言言わせていただくならば、この部屋はグレーテル殿下の私室であり、この場で最も位が高いのはグレーテル殿下なのですから、その殿下を差し置いて先に貴女が口を開くのはよろしくありませんわよ」
色々と聞きたいことや言いたいこともあったが、まず真っ先にそれが気になったユールヒェンは思わずそう口にした。
言った後で、この発言も部屋の主人を軽んじる行為だと思い当たって肝を冷やした。
しかし部屋の主人たるマルグレーテは笑うばかりで気にした様子もなかった。
「あはは! それでこそユリア嬢だわ。ご自宅に軟禁されていたと聞いて心配していたのだけど、その様子なら大丈夫そうね」
「ええ、その通りですね。ユリア様の他にそのように私を叱責してくださる方もおりませんから、大変ありがたい事です。
ここ最近はユリア様に叱られないものですから、私もちょっとたるんでしまっていたんですよ」
わかってるならしっかりしなさい、とユールヒェンは思った。
まるでこちらが悪いかのように言われても困る。
しかしまあ、分かりづらいが、ユールヒェンがいないことをミセリアなりに寂しがっているらしいことはこのやり取りからでも十分察せられた。
また、万事につけ言動が鼻につくというか、自分こそがこの世で最も美しいのだという意識が滲み出ているミセリアが、どのような形であれ他人を持ち上げるような事を言うというのは言われた当人としてはなんとも面映ゆいものであった。
思わず、ユールヒェンは顔を背ける。
「あらまあ。ユリア様のツンデレも健在なようで何よりですね」
「……つんでれ?」
ミセリアは時々訳がわからない事を言う。
そうした時は必ず自分だけ訳知り顔というか、したり顔をしていたりするので、それがまた絵画のように無駄に美しくて腹が立つのだ。
ユールヒェンはこの時も横目で見たミセリアの表情に軽く苛立ちを覚えていたが、それよりも顔を背けた際に目に入った2人の方が気になった。
この王女の私室は当然ながら、インテリオラ王国において最も厳重に管理されるべき最重要施設である。
よほど王家からの信が篤い者でなければ、立ち入るどころか近づくことさえも出来ない。
現にユールヒェンも、実際に入ったのはこの日が初めてだった。
にもかかわらず、そこには素性も定かでない自称貴族の2人の娘がいた。
「それより、ジジさんとドゥドゥさんがなぜここに?」
本来、ユールヒェンは他人をさん付けで呼ぶことはない。
同格以上の相手ならば様を付けるし、格下相手なら呼び捨てだ。
しかし前述の通りこの2人に関しては素性が知れない。ありえないとは思うが、格下と思って接した結果2人が仮に王族関係者の隠し胤とかだったりした場合は面倒な事になる。
ミセリアが2人を呼び捨てにしているのも気にかかっていた。
彼女は貴族一般の慣例とは違う、独自のルールで生きている。
彼女は格下であろうと様を付けて呼ぶのだ。呼び捨てにするのは気を許している友人だけである。
その事に多少モヤモヤしたものを感じつつ、ユールヒェンは軽く双子を睨んだ。
「今回の件に、お2人の私的な護衛をお借りする事になったからですね。ああ、今回の件というのは、ユリア様を囮にして不正疑惑のでっち上げを画策した黒幕を釣り上げる件の事です」
ミセリアはそう言い、ユールヒェンを見て微笑んだ。
その笑顔を見て思い出した。あのモーリスと名乗った男の目を。
あれは、ユールヒェンを見て美しいと感じながらも、それでも自分の方が美しいなと信じ切っている者の目だった。
これまでユールヒェンにそんな目を向けてきたのはただひとり。
忌々しくも憎みきれない、このミセリア・マルゴーだけだった。




