13-9
自室に軟禁されていたのは、ユールヒェンだけではなかった。
その取り巻き、いや友人であるエーファとヘレーネもまた、各々の屋敷に軟禁されていた。
ただし彼女たちはユールヒェンと違い、自分が軟禁されている理由を知らない。
ゆえに、今この王都で何が起きているのか。
自らの家族が何をし、何に巻き込まれているのか。
それも全く知らないままだった。
◇◇◇
そして身柄を拘束されていたのはルイーゼも同様だった。
しかしこちらは前述の者たちとはまた違い、住居不法侵入の罪でだった。
と言っても正式に罪を訴えられ、衛兵に逮捕されたというわけではない。
始業式の朝、ルイーゼはいつも通りにタベルナリウス侯爵邸へとやってきた。
ところが、いつもならすぐにやってくるはずのユールヒェンは、一向に屋敷から出てこなかった。
おかしいな、とは思ったが、ルイーゼにとっては大した問題ではない。
敬愛するユールヒェンを待つ時間だと思えば、これも存外悪くないものだ。加えて、そうすることで出発が遅れ、結果的に退屈な授業を受ける時間が短くなるのであれば言うことはない。
しかし、いつまでも門前で待ち続けるルイーゼの姿に、もはや顔見知りとなっていた侯爵家の番兵はいたたまれなくなった。
本来であれば厳罰ものだが、それを覚悟で彼はこっそりとルイーゼにユールヒェンの状況を伝えた。伝えてしまった。
ユールヒェンが実の親によって事実上の軟禁状態にあると知ったルイーゼは、その持ち前の運動能力を遺憾なく発揮し、するりと番兵たちをすり抜けると、侯爵邸へと押し入ろうとした。
しかし玄関の扉を目前に、すんでのところで追いついた番兵によってあえなく取り押さえられ、丁重に簀巻きにされると、呼びつけられた子爵夫人に引き摺られて去っていった。
ヘロイス子爵邸に連れ戻されたルイーゼは子爵夫人にこんこんと説教をされ、頑丈な扉のある窓のない部屋に閉じ込められた。
ルイーゼだけは軟禁ではなく監禁されていた。
◇◇◇
これは曖昧な情報を忙しい父に伝えて混乱させてしまうのを避けるため。
そのために、得体の知れない男に付いていき、情報の裏を取らなければならない。
ユールヒェンはそう自分に言い聞かせ、タベルナリウス侯爵邸を抜け出した。
軟禁状態にあったユールヒェンがこっそりと抜け出すのは容易な事ではなかったが、それにはその得体の知れない男、モーリスが協力してくれた。
ユールヒェンの姿が誰にも見られないよう、屋敷の者が通りがかった時はその者に自分から声をかけ、気を引いてくれたのだ。
モーリスはすでにこの屋敷内で一定の信頼を得ているようで、彼に話しかけられた使用人は例外なく好意的な表情で話に応じ、その間、周囲への注意を疎かにしていた。
そのモーリスと使用人との会話や接し方から、モーリスが何度もタベルナリウス侯爵邸に訪れ、侯爵の客人として関係者全員と友好な関係を築いている事がうかがえた。
モーリスはさる大貴族の使いだと名乗っているようだが、今回ユールヒェンに話した内容からすれば、おそらくは王家に直接仕える間者のようなものだろう。使用人に対する気さくな様子に反して、彼の身なりは実に整っており、髪の毛から指先に至るまで一分の隙も無く磨き上げられている。
状況から察するに、やはり彼が言ったとおり、ジャンにかけられた容疑には王室でも不審な点があるのだろう。
それを調べるためにモーリスは何日もかけて侯爵邸に接近し、情報を集めていたのだ。
ならば、考えれば考えるほど優秀な間者にしか思えないモーリスが、間違えてユールヒェンの部屋に来るなどありえない。
敢えてユールヒェンのところへ訪れたのは、容疑者の1人である父に知られないよう、侯爵家の情報を得るために違いない。
危険を冒して部屋から連れ出したのも、いつ屋敷の者がやってくるかも知れない私室で尋問めいた事をするわけにはいかなかったからだろう。
ユールヒェンはこれに乗ることにした。
自分を利用しようとするのなら、それでも構わない。
ユールヒェンは恩師ジャンと父アブラハムを信じている。いくら調べられたとて、不正につながる情報など出ようがない。父は多少は後ろ暗い商いもしているようだが、それもギリギリ適法のうちだ。咎めれるようなものではない。
逆にこれを好機とし、ジャンの無実を証明してやろう。
そう決意した。
◇
モーリスに屋敷から連れ出された後、向かったのは王城だった。
タベルナリウス侯爵邸は貴族街でも一等地に建てられている。それはつまり王城により近いという事でもある。
しかし、近いとは言ってもここは王都の貴族街。
間に屋敷をひとつ挟んだだけでも、けっこうな距離になる。
普段は馬車での移動に慣れているユールヒェンにとって、徒歩で王城に向かうというのは慣れないことだった。
底の高い靴で歩き回るのは剣の鍛錬などとはまた違った疲労感をユールヒェンにもたらした。
足の痛みを堪えながら辿り着いた王城だったが、モーリスは正門には行かなかった。正門を通り過ぎ、王城の周囲を回り込むように歩いていく。
どうするつもりなのかと訝しながら付いていくと、やがて王城の裏手にユールヒェンの知らない門が現れた。
ユールヒェンも大貴族の令嬢である。
王城には父の付添いで何度も訪れたことがあるし、王妃を始めとする王室関係者が開くパーティにだって何度も出席している。
しかし、そんなユールヒェンでさえ王城にこのような出入り口があることは知らなかった。
門は小さく、しかしそれだけにことさら強固に作られているようで、ひとたび閉められてしまえば容易に破ることなど出来そうにない。それはつまり、この門が正しく王城への裏口であることを示していた。
本来であれば、これは決して余人に知られてはならない王城の秘密だ。
ユールヒェンは思わず身震いした。
これを知った以上、王室はもはや自分を生きて返すつもりなどないのではないか。
しかし、前を行くモーリスの後ろ姿からは、そのような暗い雰囲気は伝わってこない。
この人物は、見えるはずがない扉の向こうでさえ頭を下げるような律儀な男なのだ。
たとえ王城の裏口を知らされるほどに重用されている間者だとしても、その律儀さゆえに自分を不当に扱ったりはしないはずだ。
ユールヒェンはそう考えると背筋を伸ばし、ことさらに毅然とした態度で裏門をくぐった。
◇◇◇
タベルナリウス侯爵家が令嬢、ユールヒェン・タベルナリウスが堂々たる態度で裏門を通過するのを、王城内から密かに見ていた者がいた。
「──あれは、タベルナリウス侯爵家の……? このタイミングで、なぜ裏門から……。まさか、王家はすでに我らの目論見に……」
この裏門の存在自体は、常から王城に詰める者には明らかにされていた。
隠しおおせるものでもないし、当たり前である。また有事の際には避難経路のひとつとして設定されているものでもあるため、むしろ積極的に周知されていた。
だが同時に、万が一城下まで敵が接近してきた際には最後の砦たる王城の弱点になりうるものである事も確かであったので、警備はもちろん厳重にされており、周辺への立ち入りも厳しく制限されていた。
それは許し無くこの門に近づいたものには、身分を問わず罰が下されるほどだ。
そんな門を、ああも堂々とたった1人で通り抜けようとするとは、タベルナリウス侯爵令嬢はすでに王家の誰かから信を預けられているに違いなかった。
「……そうだとして、誰と通じているというのだ。学園では確か、王女と仲が良いとか言っていたか? いや、かつてはすでに卒業したゲルハルト殿下にも積極的に声をかけていたと聞いたな……」
令嬢が誰に会いに来たのかはわからないが、そこで得た情報を侯爵家に持ち帰られてはまずい。
渦中の侯爵の実の娘だ。彼女が何を訴えたとしても、それを王家がすぐに信じて行動に移すのは考えられない。
それに、もう令嬢は王城に入ってしまっている。今さらどうにかすることは出来ない。
国家に対する侯爵の背任行為についての証拠はすでに提出してある。
まさか無いとは思うが、その証拠がどういうものなのかをここで令嬢が知り、それを侯爵に伝えられてしまえば、侯爵であればその偽の証拠の性質から黒幕を看破するのも容易なはずだ。
「……彼女が王城から出次第、すぐに始末するよう手配しなければ」




