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さる大貴族の使い、と名乗る怪しげな二人組がタベルナリウス侯爵家に訪れたのは、配下の文官が謂れなき横領の罪で首を切られた数日後の事であった。
アブラハム・タベルナリウス侯爵としても、この大変な時期にそんな詐欺師まがいの男たちの相手などする余裕はなかった。
しかし、男たちの身なりは詐欺師と言うには整いすぎていた。
服装や装飾品だけなら、詐欺師と断じて相手にしなかっただろう。しかし男たちはその顔や爪に、男性用の化粧をうっすらと施していた。これがアブラハムの心を迷わせた。
通常、詐欺師であればそこまで気を使う事はない。
カモを騙すためだとしても、なけなしの金で服や装飾品など、後で売り払える小道具を揃えておしまいだ。
化粧品は使ってしまえば後で売る事も出来ないし、そもそも下級貴族や貧乏貴族では日常的にそんなものを使うことなど出来はしない。とりわけ男性用の化粧品ともなれば、詐欺師も存在すら知らない事が多い。
アブラハムは自ら商会を経営している関係上、そうした貴族の懐事情や詐欺師についてもある程度は通じていた。
それらの事から考えると、男性用の化粧を施した身なりのいい男たちが大貴族の使いと名乗ったのは、あながち詐欺とも言い切れない。
万が一「さる大貴族の使い」という言葉が真実であったとしたら、門前払いは後々まずいことになる可能性がある。
侯爵家として大変な時期ではあるが、いやそうだからこそ、正体不明の男たちの扱いは慎重にしなければならない。
◇
「ユリアの様子はどうだ」
「はい。ユールヒェン様は現在は自室でおとなしくしていらっしゃいます」
「そうか……。ならば良い」
横領の罪を着せられ失脚した配下は娘のユールヒェンもよく知る人物だった。
城勤めの文官という重要な職に就けただけあって優秀な男であり、ユールヒェンが学園に通うようになる前は空いた時間で学業を見させたりもしていた。
それだけに娘はその男によく懐いていた。
不正の報が王城よりもたらされると、口の軽い使用人からその話を聞き出したユールヒェンは何かの間違いだと騒いだ。
宥めるアブラハムの言葉も聞かず、ついには王城に乗り込まんと暴れ始めたので、仕方なく剣を取り上げ部屋に軟禁したのだ。
貴族の嗜みと剣を教えていたのが仇になった。
アブラハムが終生のライバルと目の敵にしているマルゴー辺境伯ライオネルは、当代一の剣の使い手だと有名な男だった。
アブラハム本人には剣の才能は無く、かつて通った王立学園でも剣術の成績は常に底辺で、いつも格好よく剣を振るうライオネルの姿を遠目に眺めていたものだった。
娘のユールヒェンに幼少の頃より剣を習わせたのも、もしも将来ライオネルの娘と競ったとしても自分のように惨めな思いは決してさせまいと思ってのことだったが、肝心のライオネルの娘は病弱を理由に全ての実習科目を見学で済ませているという。
その話を聞いた時、アブラハムははらわたが煮えくり返りそうだった。
見学なんてシステムがあるのなら、先に言っておいて欲しかった。
知っていさえすれば、たとえ医者にいくら積む事になったとしても全ての剣術の授業を見学にしたものを。
いや、その話はいい。
ユールヒェンを自室に閉じ込めているのは、何も彼女の暴走を恐れてという理由だけではない。
タベルナリウス家が雇っていた文官が着せられた謂れなき罪、これを何者かがタベルナリウス侯爵を陥れる目的で画策していたとしたら、ユールヒェンこそまさに侯爵のアキレス腱になりうる存在であるからだ。
少なくともアブラハムが敵であったなら、迷いなく娘を狙う。
だからこそ部屋に閉じ込め、大人しくさせているのだった。
とにかく、ユールヒェンが部屋で大人しくしているのであればいい。
そちらは引き続き侍女に任せると指示を出し、次に未だ得体の知れない客人について聞いた。
「それで、あの男たちは何を探っているのだ。目的は掴めたか」
「は。いえ……。世間話のようなものばかりで、特に何かを探っているような感じでは……」
「それではいったい、何をしに我が家へやってきたのだ、あやつらは……!」
「それが、まったく……。正直申し上げまして、食事をたかりに来ているだけとしか……。
ただ、時々どこかに出かけては、新しい服や新しい装飾品を身に着けていたりしますし、化粧も常に絶やさずにおりますので、お金が無いわけでもないのではと……」
「クソ……!」
男たちが詐欺師ではないと看破してすぐ、アブラハムは彼らは国から派遣された調査員ではないかと疑った。
タイミング的に考えればもっともなことだ。
アブラハムが雇った男が不正を働いたのだから、その証拠を探しにタベルナリウス侯爵家に調査員を派遣したとしてもおかしくはない。
事前に通達してしまえば証拠隠滅の恐れもあるため、何も言わずにそれらしい人間を派遣したのだろう。そう考えた。
しかし男たちは侯爵家の歓待を受けるばかりで特に何をするでもなく、では使用人から聞き取りでもするのかと思いきや、話す内容は世間話ばかり。
実は本当に侯爵家の歓待目当ての詐欺師だったのではと思えば、少なくとも衣服や装飾品を頻繁に変えるほどの資産はあるらしい。
まったくわけがわからなかった。
「……まあいい。これまで通り適当に歓待して、放っておけ。どうせ、何を調べられた所で困ることなど無い。やってもいない不正の証拠など、どこにもありはしないのだからな。
それより、王城に捕らえられているジャンの保釈はまだ出来ないのか。いくらなんでも、ただの横領容疑でこれほどまでに長時間拘束されるなどありえんぞ」
「はい。おっしゃる通りかと。ですので、もしかしたらこれはただ横領事件の容疑をかけられただけではないのかもしれません」
「なんだと、では一体……! ジャンは、あやつはどうなるのだ!」
「それは、まだ……」
◇◇◇
「……なるほど。少なくとも侯爵本人の認識じゃあ、横領の事実はでっち上げだって事らしいな」
「この屋敷にまったく捜査の手が伸びていないのも怪しいな。もし本当に文官とやらが不正をしていたんだったら、後見人である侯爵の屋敷も捜索されているはずだ」
「にもかかわらず俺たち以外に侯爵家に近付く存在がいない、ってことは、向こうさんにはいちいち証拠を探す必要はないってことになるな。つまり、必要な証拠はすでに揃っていると。本来なら侯爵もそのくらいは気づくはずだが……」
「俺たちをその捜査の手だと勘違いしてるみたいだからな……。そこは申し訳なかったところだ」
『死神』と『悪魔』は、侯爵と執事の会話を盗み聞いた内容からおおよその事情を察した。
彼らが話していた執務室は魔法と物理の両面から防諜対策がなされていたが、孤児から秘密結社の幹部にまで上り詰めた2人にとってはその程度の対策などあってもなくても同じだった。
「使用人たちとの世間話から、何となくこの家を疎ましく思ってる貴族にもアタリは付けられたしな」
「マルゴー家を除けば、だろ」
タベルナリウス侯爵家が目の敵にしている貴族たちの筆頭というのが、何を隠そうマルゴー家だった。
ただ、事前に──結社にいた頃に──調べていたマルゴー家のイメージからすると、あの家がタベルナリウス侯爵家を政治的に疎ましく思っていたというのは考えづらかった。
街に出て色々と聞き込みをした結果からしても、マルゴー家と敵対しているというのはタベルナリウス家が一方的に敵視しているだけで、実際はあまり相手にされていなかったのだろうと考えられる。
王都がタベルナリウス侯爵家の地元であることもあり、王都でのマルゴー家の評判はそれはもう大変なものだった。
いい意味ではもちろんない。
しかし悪い意味かと言えば微妙なところだった。特に『死神』や『悪魔』などの、暴力を生業とする者にとっては。
北の辺境に陣取るマルゴーという貴族家は、誰も彼も血も涙もない残虐な性質を持っており、本来であれば全ての貴族が馳せ参じるべき式典にさえ姿を見せないのは、血と破壊にしか興味がないからだ。
そしてそれを王家が黙認しているのはその残虐性ゆえに利用価値が高いからであり、そんなに血と破壊が好きならば北の魔物たちと存分に殺し合えと、あらゆる式典に参加しなくても良い免罪符を与えているからである。
そんな噂がまことしやかに囁かれていた。
少し前、マルゴーの当代の辺境伯が鬼の首を取り、王都にまで持ち込んで国王から褒美を賜ったという話もその噂に拍車をかけていた。
これを聞いた時、2人は「だいたい合ってるのでは」と思った。
少なくとも血と破壊に全く興味がないのなら、自分たちをあのような拷問にかけたりはすまい。あれは、およそ貴族の人間がするような内容ではなかった。
これと言って特に何も尋問されなかった事もまたキツく、一体何をどう耐えればいいのかもわからず、2人の心は早々に悲鳴を上げ、あえなく【支配】の軍門に下った。
今にして思えば、マルゴー家は拷問で得た情報には何の価値も見出していなかったのだろう。犠牲者が苦し紛れに言い放った嘘かもしれないし、それを確かめる術もない。心を折った後に【支配】して直接聞き出した方が早いし確実だ。
ただそんなマルゴー家だけに、政治的な陰謀を巡らせてタベルナリウス侯爵家を陥れるというのは考えづらかった。
本当にタベルナリウス侯爵が邪魔であるなら、そんな面倒な手順は踏まずに侯爵本人をボコボコにし、【支配】して白昼堂々大通りで痴漢行為でもさせてしまったほうが話が早い。それが可能なだけの力がマルゴー家にはある。
そうしないのは単に必要がないからで、つまりマルゴー家にとってタベルナリウス侯爵家など眼中にない事に他ならない。
「ま、とりあえず怪しい貴族にはいくつか目星は付けたが、今の段階じゃあどこのどいつって特定までは出来ねえな」
「特定したらどうする? 暗殺すればいいのか?」
「いいわけねえだろ。とりあえずボスに報告すんだよ。暗殺だの破壊工作だのは報告してからだ」
もっとも、報告したとしても認められるかはわからない。
ボスであるミセリアは「それでも構わない」と言っていたが、『恋人』はそれを諌めていた。
直接的に手を下し、下したあとで物言わぬ躯に罪を着せるやり方は「美しくない」のだそうだ。
いつもそうやってきた『死神』としては、そんなのどうでもいいだろうに、と思わないでもなかったが、しかし改めて「美しくない」と言われてしまうと何故か躊躇してしまうのも確かだった。
「何にしてもまずは特定だな。それぞれの家に潜り込んで調べてもいいんだが、時間がかかるな」
「なら、向こうに動いてもらうしかあるまい」
「ま、そうなるか。となると、囮は……」
「一応ボスの目的はご友人の現状を救うってことだから、囮に使うんだったらさすがに許可がいるな」




