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こっそりと王都の屋敷に連れ出した2人は、渦をくぐり抜けると頭痛をこらえるように頭を何度か振り、湯浴みをしたいと言い出した。
自分の身体が汚れているのがどうにも我慢ならないらしい。
牢に繋がれていた時はそういう様子は全く見せなかったのだが、空き部屋とはいえ貴族の屋敷にやってきたことで自分たちの汚れを自覚したのかもしれない。
屋敷の使用人たちを全員眠らせて浴室に案内してやると、ただ湯を流すだけでは飽き足らず肌が赤くなってしまうほどタワシで身体を擦り始めた。潔癖症だろうか。急に。
転移のせいで精神が汚染されてしまった可能性が私の脳裏をよぎる。
しかし同行して二度も転移を経験したアマンダには変わった様子は見られない。今も手鏡を取り出し、自分の顔を色んな角度から見つめている。平常運転だ。
まあ、綺麗好きなのも自分が綺麗なのが好きなのも悪いことではない。
気にするのはやめて、彼らが湯浴みを終えるのを待つことにした。
「──様、ミセリア様、起きてよ」
「……ああ、すみません。ウトウトしていましたか」
待っている間に寝てしまったようだ。
なにせ働き者のディーも眠ってしまうほどの真夜中である。まあ彼女を眠らせた手段は置いておくとしても、本来だったら私だってとうに眠っている時間だ。
見れば、アマンダは怜悧な面差しのイケメンと口髭がダンディなオールバックの紳士を連れていた。
誰だったかなと思ったが、これがモルスとディアボルスだろう。もうオッサン仮面などとは呼べない風貌だ。
「ずいぶん綺麗になりましたね。もしよろしければ化粧品などもありますから言って下さい。男性用のものも手配できると思います」
「マジかよ。そりゃ助かるな。……なんで持ってんだ」
たまにディーが男装をする時に使っているので。いや逆だった。ディーが女装していない時に使っているものだ。
「さて、では皆さんにやってもらいたいお仕事についてお話しましょうか。夜ふかしはお肌に悪いので、普段だったらもう寝ている時間ですが──」
「待ってくれ。夜ふかしって肌に悪いのか?」
「おい、ええと、名前も知らないお嬢様よ。その話って明日では駄目なのか?」
そういえば名乗っていなかったか。
それより、お肌が気になるお年頃なのかな。
しかし言われてみれば、なぜ今日やろうと思っていたのだろう。
とりあえず使えそうな手札はドロー出来たのだから、別に今夜はターンエンドでいい。相手プレイヤーがそもそも存在するのかどうかもまだわからないものの、どうせ一晩二晩くらいでは大して盤面は動くまい。
「……そうですね。今夜は寝ます。お疲れさまでした。3人はこの客室を使って下さい。明日の朝また来ますので、私が来るまで扉は開けないように」
「待て。今日はもう休むのはいいが、『恋人』と同室というのは勘弁してくれ」
青ざめた表情で怜悧なイケメン、推定モルスが言った。
それにアマンダが憮然と返す。
「それはこっちのセリフよ」
「こっちのセリフで合ってんだよ!」
「どちらのセリフでも構いませんが、ではアマンダは一旦ジジたちの屋敷に戻りますか?」
「そうね。明日また来るわ」
◇
翌朝、何食わぬ顔で空き部屋から成人男性2人を連れ出し、とりあえずブルーノに預けた。
簡単でいいので2人に貴族の従者としての立ち居振る舞いを教えておいてくれとお願いしたのだ。
彼はたいそう驚いていたが、2人とも身なりだけはきちんとしていたので引き受けてはくれた。
ちなみに2人が着ている服は使われていない父の部屋から拝借したものだ。
父も領地を離れることが出来るようになったようなので今後は使うかも知れないが、何年も開けてすらいなかったクローゼットの中身などいちいち覚えてなどいまい。
新たな部下の教育をブルーノに任せた私は学園に向かった。
早速動きたいところだが、学生の本分は学業なので仕方がない。
放課後、グレーテルと別れて屋敷に戻る。
ジジとドゥドゥも付いてきた。手伝ってくれるらしい。
いつもだったらグレーテルも付いてきているところだが、今回は国内のデリケートな問題なので、王女が首を突っ込むとどう転んでも碌な事にならない。それをわきまえて泣く泣く王城に帰っていったのだ。
屋敷では推定モルスと推定ディアボルスがブルーノから紅茶の淹れ方を習っていた。
2人は元社会人だけあって、物覚えが非常にいいらしい。要領がいいというか、これまでの自分たちの経験を活かして、それを応用して新しいことも必要最低限の時間と労力で覚えていくようだ。
社会人というか、転職とかを繰り返した人間特有のスキルな気がする。闇が深いな。
そう思って後で聞いたら、暗殺や破壊工作のためにターゲットのコミュニティに潜入することもよくあったらしく、そのために身に着けたスキル──マジカルな意味ではない──らしい。いやそれはそれで闇が深いな。
とりあえず紅茶の淹れ方のレクチャーが終わったところを見計らい、全員を応接間に連れていく。
最初は私の部屋にしようかと思ったのだが、ディーに「貴人はみだりに私室に客を招いたりしません」と言われたのでやめた。
確かに、この屋敷の私の部屋はディーの部屋でもあるので、あまり仲良くない人間を入れるのは抵抗があるのもわかる。
応接間に推定モルス、推定ディアボルス、ジジ、ドゥドゥ、アマンダ、そしてディーと私が入る。
こうなると所詮別邸の応接間では若干手狭な印象だ。
元々屋敷全体の大きさの割に応接間は広くない。
たぶんマルゴー家では来客を応接する機会が少ないから、最初から小さい部屋が割り当てられているからだと思う。客とか来ないし。私がこの屋敷に住むようになってからグレーテル以外の客なんて来ていない。
「──で、俺たちゃ何をすりゃいいんだ」
「はい。お2人にお願いしたいのは──」
私はかいつまんで状況を説明した。
「……すまん。結局何を調べればいいんだ?」
かいつまみすぎてわからなかったのかな、と思ったが違った。
「不正の内容もわからないし、実行犯も不明。当然真偽もあやふやだし、まず御学友の実家が本当に没落しているのかもわからないのか。本当に何を調べればいいのだ」
「確かに、没落していると決まったわけではありませんでしたね。新学年から2日連続で学園を休んでいるだけでした」
4人で休んでいる以上何かしら関係があるのは確かだが、不正のせいというのはグレーテルの当てずっぽうな推理に過ぎないのだった。
「まず、その学園ってのは休んでるだけなのか? もう辞めちまってるとか、そういう事はねえのか」
「……新学年になったにもかかわらず、3人の席は空席で存在していたので、在学している事は間違いないかと。別クラスのルイーゼ様についてはわかりませんが、彼女は確かに留年で進級できていない可能性がありましたね」
最後のテストはどうだったかな。進級ラインは越えていたような気がするが、そう言えばそもそも落第とかあるのかどうかも知らなかった。
「友人の実家が大規模な不正の罪を着せられて学園を休んでいるから、その内容と犯人を特定してくれとか漠然と言われてもな……。どこに行って何を調べればいいのかさっぱりわからんぞ」
「そこは、素人の私があれこれ言うより、プロの方にお任せした方がいいかと思いまして」
丸投げとも言う。
下手の考え休むに似たりという言葉もあるし、かしこい私は余計なことは考えないのだ。
部下を信じて各々の裁量に任せるというと、なんだか有能な上司的な雰囲気が漂っている気がする。
私が一端の社会人であることはすでに証明されていたが、早くも有能な上司にランクアップしてしまったらしい。
「……確かに下手に条件を付けられるよりは動きやすいが……作戦目標から調べないといけない仕事は初めてだな……」
「……だな。あいつを殺してこいとか、あそこを破壊してこいってんなら慣れてるんだが」
「どうしてもとおっしゃるなら、そういう形でも構いませんが……」
適当に証拠を捏造してタベルナリウス侯爵の政敵になすりつけ、後で文句も言えないように口を封じてしまえば同じことである。
「いや構うでしょ。それじゃあ相手のやってることと同じじゃない。それは美しくないわよ」
そうアマンダに諭されてしまった。
確かにそのとおりだ。
こちらの都合で相手を一方的に罠に嵌めて陥れるというのは美しくないかもしれない。
いや、やり方によるか。
一分の隙も無いほどの完璧なロジックで、逃れようもない芸術的な罠にかけるとかならそれはそれで美しい気がする。先攻ワンキルとかみたいな。
「まあ、今回はそうですね。すでにこちら側の文官たちの失脚という手を打たれてしまった以上、先攻ワンキルはもう無理ですし。ここはきちんと相手の残した証拠を押さえ、その上で対応しましょう」
「……せんこうわんきる? まあいい。じゃあ、まずは状況を正確に把握することからだな。少し時間がかかると思うが……」
「それは致し方ありません。無理を言っているのは私ですし」
「わかった。そう言えば結局、お嬢さんの名前は何なんだ。俺たちはお嬢さんをなんて呼べばいい?」
「ああ、自己紹介をするのを忘れていましたね。
私はミセリアです。ミセリア・マルゴー。お2人を捕らえたマルゴー家の娘です。気軽にボスと呼んでくださいね」




