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【貪り喰らうもの】を発動しフリー魔素を集めてやれば、ついでに周辺の龍脈の位置も何となく分かるようになる。
魔素は大気中というかその辺のいたる所に漂っているものだが、それにもある程度の傾向のようなものがある。どうもいわゆる龍脈に近い場所には魔素が多いらしいのだ。龍脈が宇宙怪樹の一部なのだとすれば、魔素を吸収するために吸い集めているからなのか、それとも未だに魔素を吐き出し続けているからなのか、それはわからない。
全体像が全くつかめないので確かなことは言えないが、この龍脈は何らかの規則性に従ってそこらに這わされているように思える。
ただ中には都会のスクランブル交差点のように複数の龍脈が交差し密集しているような場所もあり、そういう場所には魔素が多く集まっていたりする。
瘴気にも魔素と同じような性質が残っているらしく、やはりそういった場所には集まりやすい傾向にあるようだ。
言うまでもないことかもしれないが、この近所ではマルゴー領がそれに当たる。
とにかく、渦を生み出すのに十分な魔素を集めようと思ったら、自然と私の意識の先が龍脈にも触れることになる。そこから龍脈の流れを感知してやれば、龍脈が通じている場所になら簡単に渦の出口を作り出してやる事も可能だ。
龍脈から離れれば離れるほど渦の形成と維持に余計に魔素を消費するというシステムだ。わかりやすくていい。
前回テストしたように、マルゴー領からその隣くらいまでなら龍脈のほぼ真上を通過するだけなので大したコストもかからない。
今回渦を開くのは王都なので魔素の調達は少し面倒だが、出口はマルゴーなので比較的イージーなミッションだと言える。
「……うそ……これ……。『魔術師』が研究してた魔物の……」
「あ、ご存知でしたか。マグスさんという方は存じませんが、開発したのはギーメルという彫刻ゴーストらしいですよ」
「ギーメル? 誰? あと彫刻ゴーストって何よ。
いえそんな事より、なんで何の設備も陣もなく突然こんなものを作り出せるのよ!」
場所は王都のマルゴー屋敷の空き部屋なので、当然そんな怪しい設備など無い。
アマンダは足元の絨毯をめくって床を確認しているが、陣とかいうものも無い。
私の部屋でもよかったのだが、ディーがうるさそうなので空いている部屋を使うことにした。
もちろんディーにはもう眠ってもらっている。
あいにくと対象を睡眠状態にするような魔法やスキルを私は持っていないのだが、要は意識を失いさえすればいいので、手段を選ばないならやりようはいくらでもある。
「設備や陣なんて必要なんですか? 初耳です。でもそういうのが無くても作れるので、実は元々そんなのいらなかったんじゃないでしょうか。たぶんそのマグスさんという方が格好つけるためにやってただけだと思います。そういう人たまにいますからね」
「……まあ、ミセリア様なら出来ても不思議じゃないか……。
で、屋敷の中にこんなもの作ってどうする気なの? ていうか、心当たりってもしかして魔物のこと? 魔物に諜報させるの?」
逆に諜報活動が出来る魔物なんているのか。居たとして、それを従わせる手段なんてあるのか。
それはそれでちょっと気になる話だが、今は置いておく。
「いいえ。私が言った心当たりというのは、アマンダの昔の知り合いと思われる方です。間違っていたら困るので、アマンダにも同行してもらって確認して欲しいのです。
さ、行きましょう」
「行くって何!? まさかこれに入るの!?
だ、駄目よ! これは危ないものなのよ! 入ったら魔物に変身しちゃうんだから!」
「大丈夫です。これは安全なやつですから。臨床実験も繰り返してますが、誰にも変わった様子は見られなかったので。人は人のまま。獣は獣のまま。魔物は──まあ試してませんが、たぶん魔物のままでしょう」
魔素順応型の生物を瘴気で再構築するのは問題だが、瘴気も元々は魔素から作られているはずなので、瘴気順応型の生物を魔素で再構築するのは問題ないはずだ。対象の情報を正確に再現できれば、理論上は魔物も魔物のまま転移させることが出来る。はず。
当初懸念していた精神汚染についても、ネラやビアンカ、サクラには変わった様子は全く見られなかったので問題ない。
人間で試すのは初めてだが、何事にも初めてというのはあるものだ。
何より、転移自体はこの私自身で最初に実験している。
生命の安全だけは保証できる。
「いやいやいやいや! 駄目よ! 危ないわよ!」
「大丈夫ですってば。ほらほら」
私は渦に半身だけを突っ込み、すぐに戻ってみせた。
それを何度か繰り返す。
「ミセリア様の半身が魔物に! ……なって……ないわね……。ええ……。大丈夫なの? 本当に?」
「本当です。信じて下さい。ほらほらほら、ほら」
入って出る。入って出る。入ると見せかけて入らず、やっぱり入って出る。
「ちょっとちょっとちょっと! もう! 安全なのはわかったから! もういいわよ! 心臓に悪いわ……。
わかった、わかりました。行きますよ。私が先に行くわ。ミセリア様は後から付いてきて。
……うう。本当に大丈夫なのかしらこれ……」
◇◇◇
「──……なんだ……?」
「……いつもの神官じゃ……ねえな……?」
鎖に繋がれた『死神』と『悪魔』は暗闇の中、檻の外に突然妙な気配が生まれたのに気がついた。
闇によって視界は完全に失われているが、その分他の感覚は鋭くなっている。
と言っても、聴覚や嗅覚ではない。強いて言うなら触覚に近いだろうか。肌が粟立つような、ちりちりとした威圧感を感じる。大きな力を持った者を前にした時に感じるような、そんな感覚だ。
いつもの神官ではこの感覚はありえない。
そもそも誰かが扉を開けた様子も無かったし、そこから歩いて来た気配もない。扉以外から入ってきたというのもありえない。この地下牢はそんな甘いものではない。
まさに突然、何の前触れもなくいきなり出現したのだ。
「……人じゃあねえな……。魔物か……?」
「……息遣いもしない。魔物でもないだろう……」
少しの間、警戒して謎の気配を探っていると──別に警戒しようがしまいが身動きもとれないのでどうにもならないのだが──謎の気配が突然膨らんだ。
「!?」
しかしそれも一瞬のことで、気配はすぐにしぼんで元に戻ってしまう。が、消え去るわけでもない。
現れた最初のときと同じく、ただそこに在る。
「……一体……」
と思ったら気配は再び膨れ上がり、かと思えばしぼみ、また膨れ上がった。
「な、なんだ……何が起きてやがる……」
そしてまた少しの間だけ静かになり、同じことが起きる。
今度も気配が膨れ、しぼみ、膨れ、しぼみ、膨れ──るかと思いきや膨れず、かと思えばやはり膨れてまたしぼむ。
「くそっ……心臓に悪いぜ……!」
「……新手の魔物か何かなら、いっそ一思いにやっちまってもらいたいもんだ」
しかし『死神』の期待も虚しく、それからしばらく謎の気配は沈黙を保った。
先ほどまでの奔放とも言える様子からすると、その沈黙はどこか何かをためらっているかのようにも思えた。
その沈黙の中、地下牢の中にふわりといい香りが漂っているのに気づく。
もう久しく嗅いでいないが、まるで貴族の婦人が付ける香水のような芳しい香りだ。
これはあの気配が膨れたりしぼんだりしていた時にでもやってきたのだろうか。
そうして知らぬうちに気を緩めてしまっていると、突然、気配が膨らんだ。
わずかに地下牢の風が動いたのを肌が捉える。
威圧感は先ほどより小さいが、物理的なサイズは先ほどとは比べ物にならないほど大きいらしい。
同時に、その風に乗って先ほどとはまた違った、上品ながらも繊細な、たしかに香水とわかる香りが鼻腔をくすぐった。
「……まさか、女か?」
「……罠かもしれんぞ。獲物の好む匂いを出して、おびき寄せて食う魔物がいるって話を聞いたことがある」
『死神』と『悪魔』の2人は鎖に自由を奪われたまま、慎重に様子を見る。
たとえ為すすべもなく魔物に殺されるのだとしても、一体自分たちが誰にどのようにして殺されるのかくらいは知っておきたかった。
膨らんだ気配は一歩二歩と足を進めたようだった。そこで初めて、気配が膨らんだのではなく新たに生まれたのだと気づいた。
そして声が聞こえる。
自分のものでも、相方のものでも、見知らぬ神官のものでもない、久しぶりに聞く第三者の声。
「──暗っ。あと臭いわね……」
忘れるはずもない。
というか、正確に言えばそこまではっきり覚えているわけではないし、そもそも仮面越し以外で声を聞いたこともないので知る由もないのだが、この野太さでこの口調と言えば、2人に思い当たる人物は1人だけだった。
「──やっぱり罠じゃねえか!」
「──魔物のほうがよかった! 変えてくれ!」




