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大干潮の夜のみ現れる道とやらが消えてしばらくしてから、先行調査隊が帰ってきた。
当然のように私には報告書は回ってこなかったが、バレンシアに聞けば一発だ。
バレンシアも私には余計なことは言わないようフリッツや父に言い含められていたようだが、バレンシアは兄や父より私を選んだらしく、こっそり一通り教えてくれた。
自分自身の目で確認した内容とバレンシアからの報告で、北の山脈の向こうの状況はおおよそ把握した。
そちらの方に拠点を作って船か何かで海を渡ろうとする可能性はないではないが、そうでもなければ動くとしても一年後だろう。
また一年後に北の魔大陸から再び獣人たちがやってくる可能性を考えれば、山脈の向こうにあまり派手な拠点を作成するのは憚られるはずだ。
獣人たちとのファーストコンタクトが友好的なものになるかどうかが不透明だからだ。
バレンシアの話では、獣人たちはこの大陸に人間が住んでいる事を知らないのだという。
それどころか、世の中に知的生命体は獣人しかいないと考えている節まである。だから南大陸には魔物しかいないと考えているらしい。
今回バレンシアたちがこちらに来たのは魔王級の魔物を倒すためだったらしいが、何のためにそんな事をしたのかははっきりとしていない。
バレンシアは瘴気を増やすためとか言っていたが、成熟した魔王は周囲に瘴気を拡散するため、瘴気を増やしたいのなら放っておいた方がいい。特に魔大陸からすれば魔王がいるのは海の向こうなので、極めて安全に恩恵だけを得ることが出来る。
魔王誕生の過程で確かに一時的に瘴気は消費されることになるが、長い目で見れば倒してしまうのは悪手だ。
ただそれは遠い北の地の話であって、地域柄魔王が生まれやすいマルゴーでは魔王が成長して瘴気が増えてしまうのは迷惑である。
父の命で研究所がやっている研究はまさにその瘴気の効率的な低減を目標にしているものだ。魔王を任意で生み出し、成熟して瘴気を撒き散らすようになる前に間引きするという方針がとられている。
現在はなぜか二号が生まれないので研究が滞ってしまっているが、軌道に乗れば北の魔大陸も含めて周辺一帯の瘴気濃度が低下し、魔物の発生が抑えられることになる。
これらのことから考えると、瘴気が必要で尚且つこちらを交渉可能な知的生命体だと考えていない獣人たちとの間に友好的な関係を築くのは難しいと言わざるを得ない。
そんな彼らを刺激するような派手な拠点は建てるべきではない。
父や兄からは何も聞いていないが、山脈の向こうに簡単な監視所くらいは用意するかもしれないが、大きな動きがあるとしたら一年後と見て間違いない。
いずれにしても、私にとってはそんな先の話よりも学園の第2学年が始まるほうが重要だ。
バレンシア以外の獣人にはちょっと後ろ髪を引かれる思いもあるが、まさか転移で魔大陸まで飛んでいくわけにもいかない。私はまだ獣人たちの言語を習得していないので。
◇
登校のため王都に出立する日がやってきた。
馬車にはグレーテルも同乗している。
常識的な速度で走らなければならないので馬車を曳くサクラにはストレスになるかもしれないが、私たちだけ急いでもマルゴーまでグレーテルが乗ってきた馬車が付いてこられないため仕方がない。そちらの馬車にはグレーテルの身の回りの世話をする側仕えの人たちが乗っている。
なお、今回母は同道していない。
父が割と自由に行動できるようになったので、領地の中ではあるが色々なところに2人で行ってみるのだそうだ。へえそうですか。
「──え、ゲルハルト閣下はもう卒業なさったんですか?」
「そりゃそうよ。最高学年だったし。次の生徒会長は誰だったかしら。どこかの公爵家の人だったと思うのだけど、会ったこともない人だったわ」
「でしたら、またご挨拶に向かわないといけませんね」
「兄に?」
「いえ、新しい生徒会長閣下に。ご卒業なされたのなら、ゲルハルト殿下にご挨拶をする理由もありませんし」
「……一応名目上は臣下なのだから、挨拶する理由が無いってことはないと思うのだけど……。まあいいわ。
新生徒会長に挨拶に行くのなら私も同行するわ。私も挨拶したことないし」
ゲルハルトが学園を卒業したのなら、本来の身分は関係ないという学園のルールは適用されなくなる。
そうなると彼の身分は王太子の第一子ということになり、私にとっては父の主の血縁者だ。
そういう意味では確かにグレーテルの言う通り、私が挨拶に行く理由は十分ではある。
しかし別に挨拶に行きたいわけではないし、そもそも私は正式に社交界デビューもしていないので、父や兄ならともかく私が単身挨拶に行くのは違うだろうと思う。
共に社交界デビューをしておらず、しかも学生である私やグレーテルにとっては、重要度では生徒会長の方が遥かに高い。
「卒業式とか、そういう式典はなかったのですね」
「あったわよ。タイミング的に戦勝式典とかと連続して開催されてたわ。王都に貴族たちが集まることになったし、ちょうどよかったんじゃないかしら。ああ、マルゴー家だけは誰も来ていなかったけど」
「でしょうね」
招待状すら来なかったようだし。
「だから私がマルゴーまで行ってあげたんだけど」
「でしたね」
別に頼んでなかったが。
まあ、目の保養になったのは良かった。
◇
「ごきげんよう、ミセリア様」
「あらごきげんよう、ジジ、ドゥドゥ。変わりはないかしら」
いつものように早めに登校し、第2学年の教室でグレーテルと雑談をしていると、やがて見知った顔がやってきた。
今は亡き西の王国、オキデンスの元王子の2人だ。
従兄弟同士でありながら双子のように瓜二つのこの元王子たちは、今は正真正銘双子の令嬢としてこの学園に通っている。いや正真正銘でも何でもないが。
後見はマルゴー辺境伯家ということになっているので、王都での彼女たちの住処を用意したのは私だ。
身の回りの世話や護衛にはマルゴーに駐在していた領軍の一部を割り当てていたが、彼らが戦争に連れて行かれてしまってからは別の者たちに頼んでいた。
領軍などよりはるかに礼儀正しく、慎ましやかで、女性らしくよく気がつく者たち。それでいて、力仕事もお手の物。そこらの魔物やごろつきなど素手で畳んでしまうだろう。
そう、元『恋人』であるアマンダ・マンティス率いる工作員たちである。
ジジたちとアマンダたちの境遇は非常に似通っており、お互いにすぐに打ち解けたようで、護衛の任も問題なく引き受けてくれた。
ぽやぽやした雰囲気のドゥドゥはともかく、ジジは始めのうちこそ緊張のせいか常に疲れたような顔をしていたが、そのうちそういうこともなくなった。
慣れたのか、どうでも良くなったのかのどちらかだろう。
「ええ。おかげさまで。長期休み中、実に快適に過ごすことが出来ましたわ」
私がマルゴーに帰るに際し、王都に彼女たちだけを残していくのは不安ではあったが、この様子では問題なかったようだ。
報告だけは受け取っていたが、実際に本人の顔を見て私も安心した。
以前はどこかぎこちなかったジジの話し方も、令嬢として違和感のないものになっている。
アマンダはそのあたりの所作には厳しいので、きっと休みの間に教育を受けたのだろう。
ジジは通り一遍の挨拶を済ませると、すいっと私の耳に口を寄せた。
「……オキデンスに続きメリディエスまで抑えてしまうとは。インテリオラ、いえマルゴーは大陸を制覇でもするおつもりなのかしら」
「……何のお話をされているのか、全くわかりません。メリディエスを押し返したのは、国境の新たな守護神、アングルス辺境伯家の嫡男でしょう? 我が家は関係ありませんよ」
「ふふ。貴女がそうおっしゃるのなら、そういうことにしておきましょう」
いや、本当に何の話かわからない。
確かに王都にいた部隊を伯母に預けて救援には行かせたし、伯母はメリディエスの国王の喉元に剣を突きつけてやったとか戯言を言っていたが、別にマルゴー家の部隊だけでそれが出来たわけではあるまい。送ったのはたった2個小隊だし、それだけの人数で趨勢を決められるほど戦争とは簡単なものではない。
ジジは私の保護を受ける事になる前も、従兄弟を廃して自分が王になるとかいう妄想に取り憑かれていたようだったし、ちょっと夢見がちな子なのだろうか。だとすると、こういう「貴女の目論見はわかっていますよ」というポジションの大物感を出すごっこ遊びとかがしたいお年頃なのかもしれない。
付き合ってやってもいいのだが、そういうごっこ遊びを真剣にやるのはちょっと年齢的にキツいものがある。
隣のグレーテルもこちらを半眼で見ているし、きっと呆れているに違いない。
さらにしばらく待てば、続々とクラスメイトたちが登校してくる。
ところが、教師のフランツが教室にやってくる時間になっても、姦しいあの3人が教室に姿を見せることはなかった。




