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まだ、いるかもしれない、とは考えていた。
いや、少しでも考える頭があれば誰だってわかることだ。
大干潮は一年に一度。そして前回ヴァレリーたちが渡ってきてから、まだ一年は経っていない。
であれば、彼らもまだ魔界の端で待っているはずだ。魔の道が浮上するのを。
「──ふうん。あれが、魔大陸の者たちか……」
バレンシアは山を下りながら、フリードリヒたちにロイクたちの事を話した。
もちろん、ヴァレリーという青年が勇者として魔王を倒しにこの魔界までやってきた、という部分は話していない。
ただ、一年前の大干潮の折に北の大陸からマルゴーに渡ってきた者が他にもいる、という事実のみを話したのだ。
何人かの集団でこちらに渡ってきたが、不幸にも死者が出てしまったらしい、そして自分もその時に一緒に来たのだ、と言う具合だ。
具体的な人数は言わなかったので、フリードリヒたちの中では「大人数で渡ってきたが何人も死んでしまったのだろう」という事になったようだった。
バレンシア自身は彼らと面識が無いので会ったとしても特に何もない、とも言った。ヴァレリーはもう死んでいるし、バレンシアとして会ったことがないのは確かなのでこれも嘘ではない。
逆に彼らはレクタングルでは有名な大貴族の子息なのでこちらは一方的に知っているとし、ロイクたちの情報をある程度話しておいた。
「……実力的には大した連中じゃあねえな。それどころか、近所の子供より頼りなく見えるぞ?」
現在、山の北側の森の中に全員で潜み、浜辺に拠点を構築して生活するロイクたちを監視している。
バレンシアは彼らが持っている魔導具をひと通り知っている。その中には魔物感知用の魔導具もあるが、その感知範囲のギリギリ外に布陣していた。
あの魔導具は、かつてヴァレリーの事も感知していた。他の獣人は感知せず、ヴァレリーだけを感知していたことから考えると、あれは魔の気──おそらく瘴気か魔力を感知する魔導具だったのだろう。だから魔物だけでなくヴァレリーの事も誤検出してしまっていた。
いや、もしかしたら元々魔物感知用ではなくヴァレリーの監視用に持ってきていたのかもしれない。
そうであれば今のバレンシアも感知してしまうかもしれないし、魔法が使えるフリードリヒや『餓狼の牙』も感知してしまうかもしれない。
そう、マルゴーの人々は全員が例外なく魔導具なしで魔法を使うことが出来るのだ。
それを知った時は驚いたものだが、その事実もバレンシアがマルゴー家へ身を寄せる決意をした要因のひとつであった。
ミセリアはバレンシアを獣人と呼ぶが、バレンシアとしては自分はどちらかと言えば人間の方に近いのではないかと考えていた。魔導具なしで魔法を自由に使えるという事実がその考えを後押ししていた。
「……油断は禁物デス、ユージーン様。獣人たちは、専用の魔導具を使うことで魔法を操りマス。見た目通りの戦闘力ではありまセン」
「……そうだったな。それにしても、獣人か……。奴らには目立つ耳や尻尾はないようだが……」
「……? そういうものは無いのが普通でハ?」
バレンシアは確かに犬系の耳や尻尾を持っているが、これはどういうわけかイヌ鬼に似た魔王と融合してしまったからだ。
普通はそんなものは持っていない。それはこのマルゴーに住む人間たちや、レクタングルに住む獣人たちでも同じ事だ。
「……つまり、あいつらは猿系の獣人って事かな。それが普通ってことは、魔大陸には猿系獣人が多いってことか」
レクタングルは猿みたいなやつばかりだ、という意味だろうか。フリードリヒは遠目でロイクたちを観察してそう判断したらしい。
確かに、大貴族という共通点のあるフリードリヒと比べても、ロイクたちには気品のようなものが足りなかったように思える。
それは年の違いや軍学校に通っていたという環境の違いなのかも知れないが、それを知らないフリードリヒからすれば、誰もが知る公爵一族の嫡男でありながら気品がないというのは、猿と同じという事なのだろう。上がそれでは、下のレベルも知れるというものだ。
バレンシアはさすがに猿呼ばわりするほどロイクたちを嫌っているわけではないが、だからといって積極的に否定してやるほど好意的な立場にもなれない。
なのでひとまず黙っておいた。
「……まあ、いずれにしてもこれからしばらくは彼らの行動を観察していくことになる。将来的に魔大陸と敵対するか友好関係を結ぶかは今の段階では未定だけど、万が一のことも考えて彼らの戦闘力や対応力はチェックしておいたほうがいいだろうね。魔導具とやらも含めて。
当然ちゃんとした野営地は構築出来ないから、バレンシア嬢にはこんな森の中で不便な思いをさせてしまうことになるけど……」
「いえ、ワタシなら大丈夫デス。慣れてマス」
「……だからよ。まあ、いいけどよ」
使用人に過ぎないバレンシアに対してもここまで心を砕いてくれるとは、やはりマルゴー家の人々は人間が出来ている。これこそ高貴なる生まれを持つ者の気品というものなのだろう。
◇
ロイクたちは以前にヴァレリーと共に海を渡って来た直後と同じように、海や森から食べ物を得ながらサバイバル生活をしていた。
違うことと言えばあの時より1人少ない事と、干し魚や干し肉などの保存食を作っていない事くらいだ。
あの時は浜辺を発ったら森を行軍する必要があったため食糧を用意していたが、今回は海を渡ればすぐに漁村があるため、そんなものを用意する必要はない。逆に漁村からこの魔界へと渡ってくる時は、相当量の保存食も準備してあった。
その点を踏まえると、帰り道はかなり荷物が減っているはずだ。
ただ、馬はもういないのでその点は問題ではある。
人間であれば気合いを入れれば馬より速く走れるようだが、普通の獣人ではそうもいかない。魔導具でサポートしてもさすがに馬並みには走れない。
どうするのだろう、と他人事ながら漠然と考えていたら、ロイクたち一行は毎日のルーチンの中に木を切って干す工程を組み込み始めた。
「……船でも作るのか?」
「……いや、たぶんもう大干潮の日までそう何日も無いはずだ。今から木を干してたんじゃ、船を作れるほどの量は間に合わない」
「……では何に使うのでショウ……」
獲物が獲れなかったから仕方なく木を食べるつもりなのだろうか。前回は魚や肉を干していたので、木も干せば食べられると勘違いしているとか。
ヴァレリーがまだ幼かった頃、孤児院の経営が苦しくて食事が足りず、仕方なく庭の草を食べたことがあったが、あれは獣人が食べるものではなかった。そういうふうには作られていないと身体が悲鳴を上げる味がした。
四大公爵家の嫡男ともあろう男たちがそんな事をするとは思えないが、しかしサバイバルならどうしようもない時もある。
あまりにお腹が空いて思考力が落ちてしまっているのだろう。
干した木の板を何に使うのかは、その数日後に判明する事となった。
大干潮の日が来たのだ。
空の様子や海の状態からそれを確信したロイクたちは、拠点をそのままにしておもむろに服を脱ぎ始めた。
そして衣服や装備をその木にくくりつけ、それを背負った。
さらに、まだ潮が引ききっていない時分から海に入り始める。
「……なるほどな。往路は馬を使ったんだったか。復路は走るしかねえから、その分早くから行動を開始しようってわけか。まだ水が引いてねえから無駄に体力は消耗するだろうが……」
「……失った体力を回復する魔導具もありマス。それから、彼らが足につけているのハ走りを補助する魔導具デス。あれがあれば、水をかき分けながら走っても速度を落とさず、体力の消耗も最低限に抑えられるはずデス」
「……んなもんまであんのかよ。楽しすぎだろ。領軍でそんなもん使ったら教官にぶん殴られるぞ。気合で何とかしろってよ」
「……獣人は人間と違って基礎体力も低いデスし、魔力による強化も出来まセン。その分、道具を使って工夫するしか無かったのデショウ」
「……どうやら、文化的には僕らと同等でも、文明的にはかなり先を行っているようだね。獣人というのは随分頭がいいらしい」
バレンシアたちが見守る中、ロイクたちはバシャバシャと波をかき分けながら夜の海へと入っていき、潮が完全に引いて道ができる頃には見えなくなっていた。
世界初の獣人が「自分は獣人より人間に近いのかもしれない」と悩んでいるという。




