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北の魔大陸の偵察を行なうにあたり、まずはバレンシアから聞き取りをして作戦を立てる事にした。
これは当然だ。
獣人の生態というか、生物的な特徴については粗方判明しているが、彼らの文化や習慣については不明な状態である。
偵察をどういう形で行なうかにもよるが、そのくらいはわかっていなければ話にならない。
また目的地周辺の環境や地理情報も重要だ。
マルゴーより寒いようなら防寒装備が必要だし、暑いようなら──まあどうしようもないが、覚悟がいる。
バレンシアは片言ながらこちらの言葉が話せるので、これらの情報を聞き出すのは容易だ。
それによれば、基本的にはこちらとそれほど違いのない文化であるようだ。
ここから北に向かえば段々と気温が上がっていくが、最も暑いのは海峡であり、海を渡ると暑さも徐々に落ち着いていくという。
バレンシアが生まれた魔大陸はこちらとは鏡写しのように、北に向かえば向かうほど寒くなっていくらしい。
つまり海峡は赤道上にあり、それを越えると北半球ということである。
このことから、私たちの暮らしているこの大地が球状であり、空に浮かぶ太陽の周りを回る惑星であろうことが明らかになった。まあ、言っても仕方がないので誰にも言っていないが。
「なるほど、北のほうが寒いのですか。不思議なお話ですね」
「──ミセル」
「逆に、鏡写しのように似た環境だからこそ、似通った文化が育ったのかもしれませんね。では──」
「ミセル、ミセル」
「……なんでしょうか、お兄様」
先ほどからフリッツがうるさい。
「なんかさっきからまるで偵察隊のリーダーみたいに振る舞っているけど、ミセルは連れて行かないよ」
「そんな!」
大げさに驚き、両手で顔を覆ってみせる。
「……そんな顔をしても駄目だよ。父上にもきつく言われてるし、何より危ないし」
「わかりました……。ですが、私の敬愛するお兄様ならば、きっとお父様を説得して私を連れて行ってくださると信じています」
「ぐっ! ……だから、危ないんだってば。仮に父上を説得したところで、僕は連れて行かないからね。あと、今みたいなやり方は良くないから他でやっちゃだめだよ。特にハインツ兄上とかには」
それはつまりハインツには効くということだろうか。フリかな。
しかし今ハインツにおねだりしたところで意味はない。ハインツから父に奏上してもらったとしても、関係ないハインツがなぜ急に、という事になるし、父が聞き入れるはずがない。むしろ余計な知恵を回すなと私が父に叱られる未来しか見えない。
どのみち、うまくいってもフリッツが連れて行ってくれないと言うならどうしようもないのだが。
「……わかりました。
ですが、私としても子飼いの『餓狼の牙』とバレンシアを送り出すのですから、偵察の方針には口を出させてもらいたいです」
「……おい待て、俺らいつからお嬢の子飼いになったんだ」
「……そんな契約してねえけど」
「……諦めたほうがいいよ。たぶん本人の中じゃもう決定事項だし」
「ミセリア様の子飼い、問題ないデス」
子飼いの者たちが何か言っていたが、一番声の大きかったバレンシアのセリフしか聞こえなかった。子飼いとか勢いで言ってみただけだったけど大丈夫みたい。既成事実は出来たということでいいだろうか。フリッツも何も言わないし。
バレンシアを改めて皆に引き会わせた時、バレンシアになったバレリーを見た『餓狼の牙』は全員が二度見をしていた。フリッツはバレリーと会ったことがなかったようで無反応だった。
しかし察しの良い『餓狼の牙』の面々は、耳や尻尾が巧みに隠されているところを見てすぐに女装の意図を悟ったようで、特に何かを言うことはなかった。
なので私も敢えて説明などはせず、普通に兄にバレンシアだと紹介して話を進めている。
「……まあ、ミセルは賢いからね。それは別にいいけど。でもリーダーは僕だから、最終的にはみんな僕の決定に従ってもらうからね」
「それはもちろんです」
バレンシアに言葉を教えたり母へ紹介してあんな感じになってしまったりした関係で、たまたま私がバレンシアと一番縁が深かったから彼女への聞き取りをやっていたに過ぎない。
あとはまあ私が勧誘したから私が直属の主ということになっていることもある。いや、実際はどうだか知らないが。給料とかもまだ払ってないし。衣食住は面倒を見ているが、それもマルゴー家の資産から出ているものだ。
そういうわけで、現在魔大陸の情報を一番持っているのは私である。
単に作戦を立てる上での情報共有として話していただけだ。
あわよくば優しいフリッツなら連れて行ってくれたりしないかなとちょっと思ったが、それはついでだ。
とはいえ、バレンシアから聞き取れた内容は今言ったくらいである。
本当なら私も垂れ耳系の犬獣人以外にも獣人がいるのかとか、家族や血縁は皆垂れ耳なのかとか、色々聞きたい事もあった。
しかし、バレンシアに家族や仲のいい友人などの話を聞こうとしても、辛そうな表情をするだけで何も話してくれなかったのだ。
あそこまで頑なだと、私としても故郷で何かがあったのではと察せずにはいられない。
もしかしたら、なにか不幸な出来事があって家族や親しい友人などを全て亡くしてしまったのかもしれない。
そうであれば喪った大切な人たちのことを無理に思い出させるのは酷なことだろう。
あるいは、故郷で迫害でもされていたとか。
獣人たちの文化については通り一遍のことしか聞いていないのでわからないが、例えば垂れ耳だと立場が低くなるとかそういう風習があったりするのかもしれない。
仮にそうだったとしたら、バレンシアも自分からそういった事は言い辛いだろうし、おそらく遺伝であろうから同じく迫害されている家族のことも話し辛いだろう。仲のいい友人などはそもそも存在しない可能性すらある。
そう考えると、彼女と初めて会ったときに着ていたサイズの合っていない服の説明もついてしまう。
もともと自分の身体に合った服など持っていなかったのだ。とりあえず着られればいいということで、どこかから大きめのサイズの服を拾ってくるなりして着ていただけなのだろう。
いずれにしても、明らかに話したくなさそうなバレンシアに根掘り葉掘り尋ねるような事は出来ない。
実際の所、大まかな文化体系や地理、環境などさえわかっていれば偵察自体はそう難しくない。何も獣人にまぎれて忍び込むわけでもないからだ。
フリッツたちはおそらく、そもそも見つかるつもりさえ無いはずだ。警戒レベルが秘密結社の拠点と同程度までなら隠密行動は大丈夫とか言っていたし。
なので、バレンシア以外の獣人たちがどういう人種なのかはさほど重要でもない。
そんなことを無理して聞き出すよりはバレンシアの精神状態に配慮しておいたほうがいい。
「あ、そういえばバレンシアはどうします? 元々着ていた服で行きますか? 一応洗濯してありますが……」
森を抜けてきたせいでボロボロになっていたが、魔物に付けられた傷やどこかに引っ掛けて出来た穴なども簡単に補修してある。
「……この服、返さないと駄目デスカ?」
「いえ、それはバレンシアに差し上げたものなので、例え元の服に着替えて行くとしても返してもらうような事はありませんが」
「だったら、この服で行きマス。前の服は……捨てて下サイ」
「よろしいのですか?」
そうなると着替えも無くなってしまう。まあ今や大事な配下だし、別に数着服を支給するくらい訳ないが。
「ハイ。ヴァレリーは……あの山の麓で死にまシタ。ワタシはバレンシアデス」
思い切りが良すぎる。そんなに女の子になりたかったのかな。
というか、バレリーは山を越えた後森を抜けてきたはずなのだが、そう考えると結構早い段階で死んでいるな。
女装を知ったことで生まれ変わった的な意味かと思っていたのだが、違うのかもしれない。
山の麓で何か人生観が一変するようなことでもあったのだろうか。
ただひとつ言えるのは、どういう理由であれ、バレンシアは過去の人間関係の一切を捨てる覚悟を決めたということだ。
次話からヴァレ──バレンシア視点です。




