12-2
「落ち着けレスリー。
あーっと、そうだな。お前が持ってたあの棍棒は、自分で作ったのか?」
レスリーの口を塞ぎ、強引に黙らせたユージーンが代わりに質問した。
そうそう、そのようなイエスかノーかで答えられる質問の方がいい。
イエスやノーのジェスチャーが私たちと同じかどうかは不明だが、言葉がわかっているなら少なくとも何らかの反応はあるはずだ。
加えて言えば、レスリーにとってはどうだか知らないが、少なくとも私にとってはあの棍棒を作った人間が誰かなどはどうでもいいことである。イエスかノーかがわからなくても問題ない。
しかし獣人の彼はキョトンとした顔のまま、口を塞がれたレスリーと塞いでいるユージーンを見つめている。
傍から見ていると、2人で渾身の一発ギャグをかましたというのに完全に滑ってしまった売れない芸人のようにも見える。コントかな。
滑ったまま放置しておくのも酷なので、彼らの舞台は終了させることにした。
次は私のターンだ。
「貴方の持っていた棍棒を覚えていますか? あれは貴方が作ったものですか?」
「■■■■■■? ■■、■■■■■■。■■、■■■■■■■■■、■■■■■■……」
獣人の彼は頷き、握りこぶしを上下させて何かのジェスチャーをしている。前世でおじさんとかが演歌を歌いながらこういう仕草をしてるのを見たことある気がする。こぶしを利かせるとかのこぶしってそのこぶしなのかな。
ただ、この彼の言葉には特にそういう歌独特のメロディのようなものは感じられないので、多分何かを説明しているだけなのだろうが。
いずれにしても、私の言葉に答えようとしてくれているのは確かであるようだ。
これで、どういう仕組みかは不明ながら、彼が私の言葉だけを理解しているらしいことがはっきりした。
「これは……木の枝を折る仕草、か? そこらに生えていた木の枝を折って作ったってことか?」
「なるほど、言われてみりゃそんなふうにも見えるな」
サイラスの名推理が冴え渡る。サイラスはその対人能力の高さを生かして潜入捜査をすることが多いらしいので、そのおかげだろう。遊ぶ金欲しさにアルバイトを繰り返しているわけではないらしい。
いや対人能力とかコミュ力とかでジェスチャーってわかるものなのかな。それはまた違う能力のような気もするが。
「だがあの棒きれは俺も触ってみたが、この坊主の細腕でへし折れる程度の強度じゃあなかったぜ。その程度の強度しかないんだったら、森を歩いている間にとっくに折れちまってたはずだ。血の付き方から言っても、魔物どもに何度も叩きつけたんだろうことは明らかだったしな」
「なら、この彼は見た目通りの筋力ではないということだろう。俺たちマルゴーの民だって、中央の連中と比べれば似たような見た目でも力は全く違う。ましてや彼は人間よりも魔物に近い。身体能力の検査はまだ出来てないらしいが、それをやってみればはっきりするな」
マルゴーの民でも知らないようなレアな素材の木材を素手で棍棒に加工し、それを使って森を抜けてきたようだ。
そうだとすると、この獣人の彼は元々森を抜けた先に住んでいたということだろうか。
マルゴーの北に広がる魔の領域は未だその全域は探索できてはいない。
父や祖父が単独である程度の深さまで入ったことがあるらしいが、彼らは飽くまで領主であり戦士であるので、学術的な調査や研究などは出来ないし、地図の作成も苦手だ。
本格的にその辺りをはっきりさせるなら調査団を派遣する必要があるが、調査や研究の専門家を守りながらの行程となると、護衛は少なくとも祖父くらいの戦闘力が無ければ現実的ではないそうだ。
そこを単独で抜けてきたとなると、この獣人の彼も我がマルゴー家とまでは言わないまでも、マルゴーの一般的な傭兵くらいの実力はあるのかもしれない。
そして森を越えた先に彼が持っていた棍棒の素材のような強靭な木や、彼のような実力を持った獣人の集落があるとしたら、マルゴーにとっては無視できない影響力を持つ隣人が存在している事になる。
「……とりあえず、こちらの彼の運動能力測定をやってみてからですね」
木の枝を折る身体能力だけでなく、魔法が使えるようならその実力も見ておく必要があるだろう。
その結果によって、森の向こうの獣人の集落の脅威度が変化する。
「■■■■■■? ■■? ■■■──」
何か言いかけたところで獣人の彼のお腹から、くう、と可愛らしい音が鳴った。
恥ずかしそうにお腹を抑える。
「お腹が空いているんですか? あ、いえ、獣人の方も人間と同じように空腹でお腹が鳴るんでしょうか。飼い犬などは異物誤飲でお腹から音が鳴る事があるとか」
「■■!? ■■■■!」
ぶんぶんと首を振る獣人の彼。
「違うんですか? でも、自分ではわからないうちに食べてしまっているかもしれませんし、念の為お腹を開いて確認してもらったほうが」
「■■■! ■■■■■■■! ■■■■!」
何を言っているのかはわからないが、絶対に嫌ですという熱い気持ちだけは伝わってくる。
そこまで言うのなら開腹手術はやめて、食事の用意をしてもらうことにしよう。
幸い、この研究所では研究員も生活しているし一部の魔物も飼育している。
獣人の彼が何を食べるのかはわからないが、研究員用の食事と魔物用の食事を用意してあげればどちらかは食べられるだろう。
研究のために魔物を解剖したり手術治療をしたりといった事もあるそうなので、開腹も多分大丈夫だったと思うのだが。
とりあえず運動能力測定は翌日に回すことにして、この日は食事とコミュニケーションに注力することにした。
獣人の彼は用意された食事のうち、研究員用の食事の方を食べた。
フォークやスプーンなども普通に使っていたので、彼の集落には似たような食器もあるのだろう。
食文化の方向性にもよるが、食事に専用の道具を使うということはやはりそれなりに成熟した文明を持っていると思われる。
そして食事のついでに紙とペンも持ってきてもらい、彼がどこから来たのかを本格的に調べることにした。
これには最初に彼の言葉を聞いて驚いて走り去っていった研究員も同席している。
研究員の彼女は見るからに興奮している様子で、獣人の彼もちょっと怯えていた。
これがおねショタというやつだろうか。
「■■■、■■■■、■■……」
私の言葉だけは理解できるというのは実にありがたかった。
彼の言葉はわからずとも、私の言葉に従って紙に絵や地図を描いてもらえば、彼の言いたいことはわかる。
「……ペンを持つ手も特に不自然なところはないようですね。持ち方も私たちとほぼ同じです。
つまり、彼の住んでいた集落には紙に字や絵を書く文化があるということです」
研究員の女性がそう言った。彼女の言葉はわからないので獣人の彼はキョトンとしている。
なるほど、確かにその通りだ。ただ年下の男の子がお絵描きをする姿に興奮しているのかと思っていたら違ったらしい。
「加えて、持ち方や書き方から言って、彼の集落が使っているのは毛筆のような柔らかい筆先ではなく硬筆のペンである事も間違いないだろう。
白く薄い紙を見て驚いていないことからも、植物繊維を利用した紙が彼の集落にも存在している事も明らかだ」
先程の失態を取り戻すかのようにレスリーが言う。もう遅いです。
筆先が動物の毛で作られた筆は、西の旧オキデンス王国のさらに西の端で使われているという。
オキデンスの崩壊前から輸入されており、我が国でも水彩画を描く時などに利用されている。
毛筆と硬筆では筆の持ち方が手首から異なるので、ペンの使い方を見ればどちらに慣れているのかはわかるというわけだ。
つまり彼は、私たちとは違う、硬筆を使い潤沢に紙がある文明で育てられたということになる。
ここで私は疑問に思った。
森の向こうとはそんなにも広いのだろうかと。
我がマルゴーの屋敷からも、森の向こうの山脈は見ることができる。
森とあの山脈の間に、製紙産業が発達できるほどの広さの土地があるとは思えない。
彼は本当にどこから来たのか。
まさか私の願いを神様が聞き届けて、良い子にしている私のために新種族の獣人をプレゼントしてくれたというわけでもあるまい。もしそうだったら、言語翻訳サービスも付けておいてほしかったとクレームを付けてやりたいところだが。
そうでないのなら彼の仲間がどこかに、文明を発達させ子孫を繁栄させるだけの人数が暮らしているはずだが、それはどこなのだろうか。
そしてしばらく待ち、彼の描いた地図や絵を見ながら、彼が身振り手振りで説明してくれるのを聞き、私の疑問は氷解することになった。
どうやら彼は、山の向こうの海を渡って来たようだ。
山の向こうは海だったのか。
あと、彼らは海を渡る技術を持っているのか。
どうやら獣人たちはかなり驚異的な技術力を持っているようだ。
というのも、この世界の海を船で渡るのは非常に難しいとされているからだ。
海には地上とは比べ物にならない大きさの魔物が棲んでいるのだという。
その殆どは魔法や特殊能力は持たないらしいが、代わりに身体のサイズに見合った強大な身体能力を持っている。
木造船や、一部に金属板を張った程度の船では一撃で粉砕されてしまうらしい。
祖父が若くやんちゃだった頃に他領の海に遊びに行った事があったらしいが、魔物自体は素手でも倒せるが船が破壊されるのを防げないので結局海では行動できないという結論になったとか。父も挑戦してみたかったがその前に領主にされてしまったと寂しげに言っていた。
マルゴーにとっては、魔物自体は脅威でもないが足場がなくなるから無理、という事のようだ。
確かに、でかいだけで魔法も何も無いのならそこらの動物と変わらない。もしかしたら海中には魔素や瘴気が少ないのかもしれない。多分誰も研究していないだろうから詳細は不明だが。
とにかく、獣人たちはそんな危険な海を渡る手段を持っている。
そして、まだ子供である彼でさえマルゴーの傭兵と同程度の身体能力を持っている恐れがある。しかも、魔物由来の種族であるらしい。
これはつまり、いわゆる魔族というやつではないだろうか。この世界の獣人は魔族の一種というパターンのようだ。
北の大陸。
そこはどうやら恐るべき魔大陸であるらしい。
演歌とかのこぶしは漢字で書くと「小節」なので拳とは違います。まめちしき。




