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突然どこからともなく現れた獣人。
どこからともなくというか森から現れたのだが、これまで魔物の領域に獣人が生息しているという記録は全く残されていなかったので、果たして本当に森から来たのかは不明だ。
そしてユージーンたち『餓狼の牙』やマルゴーの研究所の面々が言うには、あの獣人は人間ではなく魔物であるらしい。
『餓狼の牙』は鍛え上げた鋭敏な感覚からそれを察知し、研究所ではその獣人が魔素ではなく瘴気を消費して生命維持をしているらしいことからそう判断していた。
犬に似た耳と同じく犬に似た尾をもっていた事から、コボルト系の魔物の新種か突然変異体であるという見解が優勢だ。
しかし私の目にはいわゆる獣人に見える。
コボルト、魔物というよりは人に近い姿だ。
そこまで考えて、嫌な想像をしてしまった。
つまり、この獣人は、もしかしたらコボルトと人間が交配したことで生まれた存在なのではないだろうか。
生まれ変わってこのかた、人間が魔物によって辱められるとかそういう話は聞いたことがなかった。
オークやゴブリンにだってオスもメスもいるわけだし、普通に考えればあれほどまでに姿が違う魔物が人間に欲情する合理的な理由はない。
しかし例えばだが、室内で飼われている犬がぬいぐるみを相手に疑似交尾のような行動をとるという話は聞いたことがある。丸めた毛布などにすることもあるらしい。この場合、同種の異性と姿がかけ離れているかどうかはおそらく関係ない。
またイルカやカブトムシの一部などもオス同士で疑似交尾をするとも聞くし、なんというかそういうのは理屈ではないのかもしれない。
この獣人の彼を発見したときは「本当にいたんだーやったー」くらいの気持ちだったのだが、これは意外と深い闇が潜んでいるのかも。
◇
それからしばらくして、研究所が好き勝手に弄くり回して様々な検査を行なっても全く目を覚まさなかった獣人が、ついに意識を取り戻したという連絡が来た。
拾ってきたペットには責任を持つ、というほどのものでもないが、私も様子を見に行ってみることにした。
研究所の中の、灯りの魔導具によって明るく照らされた真っ白な部屋に、獣人の彼はいた。
病室だとか無菌室とかそういうものを連想させる雰囲気の部屋だ。
細菌の概念があるわけではないと思うが、汚れがあると医療や実験において悪影響を及ぼすというくらいのことはこの国でも知れ渡っている。壁を白くしてあるのは汚れを目立たせ排除するためだろう。
獣人の彼はまるで実験動物のような扱いだが、研究所にとってはまさにその通りなのだ。
何しろ、犬の耳や尻尾を生やした人間などマルゴーの誰も見たことがなかった。
瘴気を吸って生きているようだし、そういう意味でも格好の研究対象である。
私や『餓狼の牙』がその部屋に入ると、彼はまっすぐにこちらを見てきた。
特に私たちの顔に覚えがあるような感じではない。
まあ、初対面時はこちらを認識する前に気絶してしまっていたようだったしこれは仕方がない。
犬耳だからか、醸し出している柔らかめの雰囲気がそうさせるのか、まるで女の子のように見えるが、彼がオスであることは研究資料からも判明している。
生殖能力があるかどうかはまだわからないが、交尾は可能であるそうだ。まだ子供のように見えるが、彼の種族ではこれでもう成体なのかもしれない。
「こんにちは。私が貴方を拾ったミセリア・マルゴーです。貴方のお名前はなんですか?」
「■■■■……」
「え?」
よく聞こえなかったので聞き返すと、彼は慌てたように両手を振り、さらに言葉を続けた。
「■■! 、■■■、■■■■■■……」
なにか弁解しているようにも見えるが、残念ながらちょっと何を言っているのかわからなかった。
聞いたことのない言語だ。
どうやら、人間とは違う言語体系を持つ種族らしい。
拾ったときも一応は服を着ていたが、ボロボロでサイズも合っていなかったし、それは例えば人間の古着などをくすねて着ていたのだとしても不思議ではなかった。その時点では、この獣人が文化を持っているかどうかは不明だった。
しかし、よくわからないとはいえ言語を操るのであれば話は別だ。
言語とは、ある程度以上の知能を持ち、ある程度以上の社会性があり、ある程度以上の人数の共同体を形成する生物にしか持ち得ないものだ。自分ひとりなら誰かと話す必要はないし、家族単位のコミュニティでも大抵はジェスチャーやボディランゲージで十分だからだ。
父の話では高位の魔物は言葉を話すらしいが、それは高度な知能で人間の話す言葉を真似しているだけであり、言語を自分たちで生み出したわけではない。
この獣人が人間とも違う言語を操っているというのは、つまり人間たちと同等の文明社会をどこかで形成していることに他ならない。
獣人が目を覚まし、何かを話した様子は部屋にいた研究所員も見ていたので、大騒ぎして慌てて出ていってしまった。
部屋の外でさらに大きな騒ぎが起きているのが聞こえる。
とりあえずそちらは放っておいて、何とか彼と意思疎通を図ろうと私は口を開いた。
「ええと、まさか言葉が違うとは思いませんでした。貴方はどこから来たのですか、と聞きたかったのですが……。ジェスチャーでわかりますかね。貴方は、ええと、どこからってどう表現すれば……」
貴方は、のところで獣人を指差した後、私は動きを止める。
どこってどうすればいいのだろう。
「■■、■■■? ■■■、■■■■■■。■■■■■■、■■■……」
しかし獣人の彼は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、軽く頷くと、ある一方向を指差した。
なんだろう、とつられてそちらを見てみるが、壁しかない。
「壁? 壁から来たのでしょうか」
「■■■! ■■■■■■、■■■」
獣人は激しく首を振り、そうではないと言わんばかりの勢いでなおも壁を力強く指差している。
「……なんか、おかしくないこれ。お嬢、もしかしてこの子、お嬢の言葉がわかってるんじゃ」
人間観察に長けたサイラスが目を細めてそう言ってきた。
確かに、獣人の彼はそうとしか思えない挙動をしている。
自分から壁を指差しておいて、私が壁かと聞いたら首を振って再度指をさしたことなどがそうだ。まあ言語も違うし、獣人たちの間では首を横に振るという動作が肯定を意味している可能性もあるわけだが。
だが答えがイエスであれノーであれ、壁とつぶやいた私の言葉の意味がわかっていなければこのように反応したりはしないだろう。
何と言ったのかと不思議そうな顔をするはずだ。
そう、今話したサイラスの言葉を聞いて、まさにそんな顔をしているように。
「でも、確認しようにも彼の言葉がわからないのでは……。あそうだ。
ねえ、貴方。私の言葉がわかるのですか? わかるのでしたら右手を、わからないのでしたら左手を上げてください」
「……わからないんだったらどっちの手もあげようがないんじゃ」
「ルーサー先生、お静かに」
そして私の言葉を聞いた彼が上げたのは、右手だった。
驚きである。
というか、不可解である。
私の言葉がわかっているのに、どうして私たちの言語で話さないのか。
これは先ほどのサイラスが私に助言をしたときに、その言葉は理解していなかったような表情を浮かべていたことに関係しているように思う。
私の言葉はわかっているが、サイラスの言葉はわからなかった。
そう考えるとしっくりくる。
しかしそんなことがあるだろうか。
「誰でもいいのですが、彼に何か聞きたいこととかありますか?」
私以外の誰かに何かを質問させてみて、その後私が同じことを質問してみれば、その反応の違いからはっきりするだろう。
違いがあまりないようなら、話す人間にかかわらず理解していることになる。
するとレスリーが手を上げた。
「では、私が。
少年よ、君を発見したときに持っていた棍棒のようなものだが、あれはどこで手に入れたものなんだ? ただ枝を折って作っただけの物のようだったが、あの木材は俺たちも知らない素材だった。状況から考えると北の森の中で急拵えで作ったのだろうが、俺たちが知らないということは北の森でもまだ未踏の──」
突然長文を話し出したレスリーに、獣人の彼は怪訝そうな顔を向けている。
多分理解していない、と思う。獣人の彼の性格はまだ把握できていないから、長すぎて最初から聞く気も起きない状態だという可能性もあるが。実際私も途中から聞いてないし。
あと、身振りやジェスチャーで答えにくい質問は避けてほしかった。
どこから来たのか私が聞いて、苦労していたのを見ていなかったのか。




