11-10
しばらくの時間をかけ、ヴァレリーは自分の身体をつぶさに調べてみた。
まず、胸の傷は消えている。
残っていたら致命傷なので、消えてくれていて助かった。心臓もちゃんと動いている。
それだけでなく、これまでにヴァレリーが受けた古傷なども全て消え去っていた。
それから、身体が小さくなっている。
肌は全く日焼けしておらず、前述の通り傷もない。たった今生まれたと言われても納得してしまうような、そんな肌艶だ。
若返ったのかと言われるとわからないが、少なくともこれまでのヴァレリーとは全く違った姿になってしまった事は確かだ。
極めつけに、尻から尻尾が生えている。
尻尾の動きを制御するのは難しい。勝手に動いてしまう。反射に近い感じだ。薬指だけを動かせない感覚に似ている。
耳も大きくなり、毛が生えていた。まるで犬のような耳だ。
こちらは意識すれば動かす事が出来る。
明らかに人間ではない。
もしかしたら、そういう姿の魔物になってしまったのかもしれない。
しかし不思議とショックはなかった。
すでに一度死んでしまっていたからだろうか。
それとも、仲間たちに言われたように自分が特別で異質な存在だと、はっきりとわかる外見になって逆に安心したのだろうか。
自分でもよくわからなかった。
それから、ヴァレリーの近くに倒れていたはずの魔王の死体もなくなっていた。
ロイクたちが全てを持って行ったとは考えづらい。
そのつもりだったのなら、解体して魔石だけを取り出す意味がないからだ。
しかし周辺には死体はおろか、血の跡さえもない。
戦闘の痕跡、ヴァレリーや仲間たちの足跡や、ロイクの槍が刺さった地面などはそのまま残っているにも関わらず。
この場には、都合2体の死体があったはずだ。
ヴァレリーと、魔王のものだ。
しかし今、何故かヴァレリーだけが蘇生して、死体はひとつも残っていない。
そして、蘇生したヴァレリーの身体には毛の生えた耳と尻尾。
まったく合理的でなく論理的でもない考えだが、単純に足し算引き算をしてみれば、可能性としてはひとつ。
つまり、ヴァレリーは魔王の肉体と融合し、まったく新しい生命体としてこの世に再び生を受けたのでは、という。
◇
たとえ自らの正体がなんであれ、そしていかなる奇跡が起きたのであれ、せっかく第二の生を受けたのならば、死ぬわけにはいかない。
生き延びてこそ、希望を抱く事が出来るのだから。
自分を殺したロイクたちに思うところはあるものの、そういう面倒で複雑なあれこれはすべて後回し。まずは生き延びる事が重要だ。
ヴァレリーはとりあえず、山を下りて森に入る事にした。
もと来た山を登り、国に帰る気にはなれなかった。
ロイクたちの様子を思い出せば、戻ったところで再び殺されるだろう事は間違いないからだ。
もっとも現在の変わり果てた姿を見てヴァレリーだとわかるかどうかはわからないが。
山をレクタングルと逆方向へ下るにあたって、不安なのはそこが未知の世界である事だ。
ドミニクの持っていた魔導具によれば、山のこちら側は瘴気濃度が異常に高いらしい。
それがあの魔王のせいというだけならば問題ないが、もし他にも要因があるのであれば、森には多くの魔物が潜んでいる可能性がある。それに魔王が死んだと言っても、すぐに魔物たちがいなくなるわけではないはずだ。
そして、ロイクたちとの最後の連携で何とか倒したあの魔王は、一目で大怪我だと分かるほど満身創痍の状態だった。
加えて、今にして思えばだが、動きも精彩を欠いており、体力的にも限界が近かったようだった。あのままであれば、ヴァレリーたちが倒さずともそう遠くない未来に勝手に力尽きていたかもしれない。
つまり、魔王は元々もっとずっと強かったはずなのだ。
そんな魔王が、あれほど消耗してしまっていたのはなぜか。
状況から考えるに、この森を抜けてきたからだろう。
森の向こうに街があったことから、そちらに住む者たちとの間でトラブルか何かがあり、その結果魔王は逃げる事になり、そして命からがら森を抜け、山に辿り着いたところでヴァレリーたちに倒された。
そう考えるのが自然だ。
今のヴァレリーの身体にはおそらく半分程はあの魔王の肉体が混じっていると予想されるが、残念ながら魔王の記憶は持っていない。
魔王を倒すときに首を刎ねたせいかもしれない。刎ね飛ばされた頭部はロイクたちが首級として回収していった可能性もある。
ともかく、山裾に広がっているのは、万全ならばヴァレリーたちより強かったはずの魔王でさえあそこまで消耗せしめた魔の森だ。
うかつに入るのは死を意味する。
しかしこのまま山にいてもいずれ餓死するのは確実である。
出来る準備などろくにないが、それでも周辺の低木などから簡易な棍棒を作り、可能な限りの武装をし、ヴァレリーは森へと向かった。
もっとも、ただの低木の枝を折る事にさえかなりの苦労をしてしまったのには閉口したが。
生まれ変わったことで、体力も見た目通りに低下してしまっているのかもしれない。以前の身体なら、木の枝くらい簡単に折れたはずなのに。
魔王側の因子にも少しは仕事をしてもらいたいものだ。
◇◇◇
父ライオネルはコボルトキング一号が逃げ出したこと自体はあまり問題にはしていなかった。
元がコボルトである上、余計な体力がつかないようかなり過酷な環境で育てていたようで、戦闘力で言えばオーガリーダーよりも若干弱いかどうかというくらいだったらしい。
あの程度なら領軍はおろか自警団でも囲めば対処は可能だろうと言っていた。自警のレベルを超えているのでは。
しかし、もちろんその比較対象のオーガリーダーというのはマルゴー産の個体の事である。
マルゴーの外なら十分脅威な魔物だし、ちょっとした街でもそんなものに襲われればおそらく容易く滅ぶ事になる。
私は王都で一年も勉強をしているのでマルゴーとそれ以外の兵士のレベル差には詳しいのだ。
それでも父や研究所は、森に入ったのならどうせ長くは生きられない、と判断してあまりまじめに対処しようとはしていない。
そんな事よりも次の実験体の育成に余念がないようだった。
逃亡した個体を一号と呼称しているのがその証である。
父と研究所はすでに二号の培養に手を付けていた。
いや、その前にちゃんと安全管理体制を強化する事を優先してもらいたいのだが。
幸いだったのは、二号はキングの卵であるコボルトプリンスから一向に変異しようとしない事だった。
理由はおそらく、瘴気の分散による個体の弱化を避けるためだろう。
狭い範囲で複数の魔王級が乱立するような事態になると、その範囲内での瘴気の総量が決まっている場合、一体あたりの瘴気保有量は減ってしまう事になる。
魔王さえ生まれればその個体が瘴気を発することになるので結果的にはみんな強くなるのかもしれないが、その魔王になるためには大量の瘴気を必要とするため、そこまで状況が進む前に全滅してしまう可能性が高い。
それに、仮にオークとオーガのキングが同時に誕生出来たとしても、オークとオーガは食性や住環境が似ている上に縄張り意識が強いので、おそらく種族同士で争い合う結果になるだろう。
その争いの最中は周辺の瘴気濃度も一時的に著しく上昇するかもしれないが、仮にそれで別の魔王が新たに生まれたとしても、先輩たちの争いに巻き込まれて生き延びられるとは考えづらい。
そういうリスクを避けるために、種族に関係なく王級の魔物は同時に発生しないよう制限がかかっているのだ。
というか、長い歴史の中で、他に王級が存在している時には王級が生まれにくい性質を持った種だけが、生存競争を生き延びたと言った方がいいだろうか。
魔物は一代でいきなり変異したりするので、そういう自然選択説的な考え方が正しいかどうかはわからないが。
何にせよ、一号はすぐに生み出せたのに同じようにやって二号が生み出せないというのは、これまでのマルゴー家の記録から考えても、魔王が同時に存在できないという考え方がそう的外れではないだろうことを示していると言える。
逆に言えば、一号はまだ元気だという事だ。
父や研究所の目論見とは違い、森に入ってもしぶとく生き延びている。
まあ、ごく低い可能性として、一号は死んだが二号の実験が始まる前にいきなり偶然新たな魔王が発生したという事も考えられなくもないが、さすがに荒唐無稽だろう。
そこまでいったらもはや偶然というか神の悪戯である。人間が想像できる範囲を超えている。
私は女神と言っても過言ではない美しさを持っているので、つまり私の悪戯ということになるのか。
やはり美しさって罪。
これまでの経験則だけでなく、実験の結果によっても魔王の唯一性を確認した父は、研究所には実験を続けるよう指示をし、自分は屋敷に戻っていった。
好奇心から研究所に付いて来ていた私は父と別れ、ぶらりと森の外縁に散歩に出かけた。
フルメンバーの『戦慄の音楽隊』に『餓狼の牙』までいればそうそう危険な事などない。
ちょっと戦闘力に偏りすぎていて、「政治」とか「外交」とかのパラメータが低そうな集団ではあるが、そういうのはだいたい私の「魅力」でカバーできるので問題ない。
一号なのか1.5号なのかは不明ながら、何らかの魔王級の魔物が近所に未だ存在しているのは間違いない。
どこの村からも何の連絡もない事から、いるとしたらやはり北の森の中だろう。
森の外縁部を軽く散歩する事で、何かそうした存在の痕跡でも見つけられればなと考えての行動だ。
一応領軍や研究所の職員も森の縁くらいなら捜索活動をしているだろうし、それで見つけられないものを私が見つけられる可能性はそう高くはない。
しかしどうせ長期休みで暇であるし戦後のゴタゴタのせいで社交という空気でもないようだし、成果を求めてというより暇つぶしの側面の方が強い。
そんなわけで、森のほとりを散歩する。
『音楽隊』には偵察と言ってあるので全員がきりりとした表情で鼻息をピスピス言わせて森を警戒しているが、『餓狼の牙』は息抜きの散歩だと理解しているようで若干だらけている。
ちなみに私はサクラに跨り、きりりとした表情でだらけている。
ぽくぽくとサクラを歩かせていると、彼は不意に足を止めた。
ほどなくビアンカやネラも鳴き始め、胸のボンジリが身をよじる。
「急にどうし──いや、何か聞こえるな」
騒ぐペットたちを不思議そうに見ていたユージーンが剣の柄に手をやり、警戒する構えをみせた。
私にはよくわからないが、何か聞こえるらしい。
皆が一様に警戒を強めた姿勢で、まったく動きがないまましばし。
ようやく私の耳にも物音が聞こえてきた。
どうやら、森の中を複数の何かが結構な速度で移動しているらしい。
これがしばらく前から聞こえていたとか、どういう耳をしているのだろう。というか、耳って鍛えてどうにかなるものなのだろうか。
しかし私の耳にも聞こえるようになると、逆にビアンカやユージーンたちは警戒を解いてしまった。
どういうことなの。
後から聞いたところによれば、ここまで近づいてくればだいたい音の主の力量もわかるものらしい。それで警戒に値しないと判断して力を抜いたのだとか。何それ。
ひとりだけ警戒したまま見守る私の前で、森の一角を掻き分け、何かが飛び出してきた。
そして、その何かを追うオークたち。
森を飛び出した勢いのまま、こちらに迫ってくる一団だったが。
「──ゴアアアアアアアア!」
空気どころか、大地さえも揺らすほどのサクラの咆哮をまともに浴び、全員仲良く気絶してしまった。
私もかなりびっくりした。
私が騎乗している時にいきなり叫ぶのはやめてほしい。
サクラの咆哮で無力化された集団に近づいてみると、オークに追われていた何かは人間であるようだった。
領民か、無事で良かった、などと思いつつも、近づくにつれ何か違和感を覚え始める。
「……髪がツートンカラーになってる……んでしょうか。変わった髪型ですね。服はサイズも合ってなくてぼろぼろなのに、ヘアスタイルだけおしゃれなんでしょうか」
「待ちな、お嬢。そいつの気配、人じゃあねえぜ。たぶん魔物の一種だ。見た事ねえけどな」
サクラを下りて介抱しようとした私をユージーンが止めた。
魔物だったのか。うつぶせに倒れた状態なのではっきりと見えないが、ここまで人に似た魔物は初めて見る──気がする。
そういえばギーメルはシルエットだけなら人に似ていた気がするな。あれを魔物に入れちゃっていいのかわからないが。
私が下りないとわかったサクラは私の代わりに倒れた魔物人間に歩み寄り、前脚の蹄を器用に使ってその身体を仰向けにひっくりかえした。
「──これは……! 獣人!? 耳と尻尾だけの……!」
どこかにいたらいいなあと考えてはいた。
しかし、まさかマルゴー領で会う事になるとは。
私は幸せの青い雲の話を思い出していた。いや鳥だったかな。
それは君が見た光(
第11章はこれにておしまいです。
大半が別視点どころかもはや別作品でしたね。ここだけの話ですが、インテリオラとかがある大陸よりもレクタングルがある大陸のほうが多分真面目に設定考えていると思います。
ザカリー立志伝みたいなのも軽めに書いたりしてました。メモ書き程度ですが。
まあこれはもしかしたら仮にのお話なのですが、評価ポイント的なサムシングがもし上昇したりしたら、「魔王を倒した元勇者だけど、仲間に裏切られて殺された結果獣人に転生しました」とか「ザカリー立志伝」とかも投稿したりするかもしれません。
露骨なあれ稼ぎ(




