11-8
「……山を下り切る前に出会えるなんて、俺たちツイてるな」
「ツイているもんか。あの見た目で、魔法まで使う相手だぞ。遭遇戦はうれしくない。出来れば十分な準備をした上で奇襲をかけたかったところだが……」
「いや、他に魔物がいないって点は助かる。近くにもいないみたいだし、奴にだけ集中すればいい」
「……ヴァレリー、奴の魔法はどうだった? いけそうか?」
戦う気満々の3人をよそに、ロイクがヴァレリーに尋ねる。
実際に攻撃を受けたのはヴァレリーだけだからだ。そしてヴァレリーの「盾」で防げないようなら、この魔物と戦うのはリスクが高すぎる。
ロイクは現場指揮官として、その判断の材料をヴァレリーに求めた。
「うん……。たぶん、大丈夫だと思う。感じる威圧感の割には威力は高くなかった」
ドミニクが魔導具で看破した通り、この犬顔は確かに謎の威圧感を放っている。突出していたイーサンを庇おうと咄嗟に飛び出せたのは、犬顔の放つ雰囲気が危険だと直感したからだ。
しかしその割には大した威力の魔法では無かった。
それは犬顔自身も同じだったようで、魔法発動の直後は眉をしかめて悔しげにしていた、ような気がする。
もしかしたら敵は万全の状態ではないのかもしれない。
全身傷だらけであることや、こんなところにたった一匹でいることなど、不審な点はいくつもあるが、事実だけを見るならどれもヴァレリーたちにとって有利な条件だ。
敵の事情や背景などは後で考えればいい。そこに何が隠れていたとしても、倒してすぐにレクタングルに帰還してしまえば関係ないはずだ。
「……奴はたぶん、手負いだ。もし奴が僕らの目標で、どうせ戦わないといけないのなら、このタイミングで倒してしまった方がいい」
「……わかった。
よし! 暫定だが奴を魔王と仮称し、最優先討伐目標に認定する! いくぞ、お前たち!」
「おう!」
ロイクの号令のもと、ヴァレリーを押しのけるようにしてイーサンが魔王に斬りかかった。
ヴァレリーは落ち着いて、突撃するイーサンに敏捷と筋力を底上げする魔法をかける。
血の気が多いイーサンがいきなり飛び出していくのも、その際に周りを一切顧みないのもいつもの事だ。ゆえにヴァレリーもいつも通り対処が出来る。
そう出来る程度には、山の向こうで弱い魔物を相手に実戦を重ねてきた自信があった。
攻撃動作の途中でいきなり速度が変わったイーサンに魔王は驚いたようだ。
敵だけでなく、本来であれば攻撃側のイーサンも戸惑うほどの速度変化であるはずなのだが、いつもの事なので彼は慣れていた。
初撃でしか使えない搦め手ではあるが、確実に一撃を加える事においては定評のある攻撃だった。
驚きながらも魔王は左腕を掲げてイーサンの剣を止め、お返しにとその腹部に右の爪を振るう。
「止められた!? スロット1、【プロテクション】!」
アンドレが急いで魔導具から魔法を発動させ、イーサンを守る。
イーサンの剣は魔王の腕に食い込んでいるが、その深さや出血から骨まで到達しているようにも見えない。つまり浅手だ。
「──がはっ!?」
防御魔法を張られたにも関わらず、魔王の爪はイーサンの鎧を切り裂き、ダメージを与えた。防御魔法には一瞬勢いを弱められていたように見えたが、結局は鎧もろとも切り裂かれてしまう。
「イーサン! スロット3、【ヒール】!」
人間の腹部には重要な臓器がいくつもある。もしそれらが傷つけられてしまえば、戦闘継続どころか命の危険もある。
魔の気の濃度を測る魔導具を放り出し、ドミニクが治癒魔法を放った。魔導具が破損してしまえば叱られる程度で済まないかもしれないが、仲間が死亡してしまうよりはマシだ。
そのくらいの判断が一瞬で出来る程度には、彼らは訓練と、そして実戦を重ねていた。
魔王に吹き飛ばされ、倒れたイーサンだったが、【ヒール】を受けてすぐに立ち上がる。魔法と鎧のおかげでそこまで深い傷を受けずに済んだ。
これまでは自分たちの実力に対して大きく劣る魔物としか戦った事がなく、これが初めての格上との戦闘だった。
イーサンが負傷してしまったのも油断があったからだろう。
しかし、それも幸い【ヒール】で回復する程度の損害にとどめる事が出来た。
「──わりい! でももう大丈夫だ! 切り替えた!」
そう言い切るイーサンに、魔王が爪を構えて追撃をかける。
「はあっ!」
しかしそれはヴァレリーが許さなかった。
魔王の爪を剣で切り払う。
魔王はヴァレリーを警戒し、一歩下がった。
積極的に攻撃しよう、という雰囲気ではない。
やはり手負いか、不調なのだ。
それでも森へと逃げる様子が全く見られないのは、何か森に入れない理由でもあるのかもしれない。
「油断するなよイーサン!
敵はヴァレリーを警戒している! ヴァレリーを軸にして立て直すぞ! 頼む、ヴァレリー!」
「任せて! こいつは、僕が!」
自身に強化系の魔法をいくつかかけ、ヴァレリーは地を蹴った。
正面から仕掛けるようなことはしない。
右に左にとフェイントをかけながら。
「【フレイムランス】!」
「ガァ!」
魔法による攻撃を織り交ぜ、翻弄するように立ち回る。
大した力は込めずに撃った魔法だったが、魔王の毛皮を少し焦がしただけでダメージまでは与えられなかった。
しかし牽制である事がわかっているのか、魔王はさらに警戒心を増したようだった。
魔導具であれば発動させられる魔法の数に限りがあるが、ヴァレリーは習得した魔法をいつでも発動させる事が出来る。多くの兵士は攻撃系や補助系、回復系と用途別に別々のワンドを用意しているが、ヴァレリーにはそんな必要はない。
戦闘中、咄嗟の判断で取れる手段が多いのだ。
しかもそれだけでなく、彼の魔法の威力は一般的な魔導具のものよりも強く、身体能力も抜きん出ている。
手札が多く、その全てが強い。
それがヴァレリーだった。
「はぁっ!」
牽制の魔法を躱した隙を狙い、ヴァレリーが剣を振るった。剣身が淡い光を放ち、魔王に迫る。
しかしその輝きを見た魔王は大きく跳びのいた。
先ほどのイーサンの斬撃に対する反応とは明らかに違う。この攻撃は自分を殺しうる、とわかっているかのような動きだった。
今のは魔法では再現が難しい、ヴァレリーの固有の技だ。
一時的に斬撃の威力を高める事が出来、この技を使えば鋼鉄の鎧でもたやすく切り裂く事が出来る。その輝きから何かを感じたのか、魔王には警戒されてしまったが。
「……オラオラ! そっちにばっかり気を取られてるんじゃねえぜ!」
完全にヴァレリーに意識が向いている魔王の死角から、イーサンが攻撃を仕掛けた。
魔王はそちらへちらりと目をやっただけで特に反応はしない。
イーサンの剣は魔王の脇腹に滑り込んだが、わずかに毛皮を切り裂いただけでダメージと呼べるほどのものは与えられなかった。
「ちっ! クソ!」
「イーサン! 【シャープネス】!」
ヴァレリーは魔王の身体ごしに視界の端に映ったイーサンの剣に強化魔法をかけた。
これなら、さすがに皮1枚に止められてしまうようなことはないはずだ。
その甲斐あってか、それから魔王はヴァレリーとイーサン、ふたりの剣を警戒するようになった。効果がある、という証拠だ。
「いいぞ、畳みかけろ!」
ロイクの指示が飛び、ヴァレリーとイーサンは連携して魔王に猛攻をかけた。
「グゥゥ!」
そうしていると、徐々に魔王の身体にも傷が増えてきた。
片方に注意を向ければ片方が死角から切り込んでくるのだ。いかに能力が高くても、その全てを回避する事は出来ない。
また、魔王は初めから動きに制限が出てしまうほどの傷を負っている。自分から攻撃してこなかったのはそれが理由だろう。
激しく動くことを避けているのだ。
ヴァレリーの固有技を大げさに回避したのは例外だった。
その事に気付いているヴァレリーは攻撃の中に固有技を織り交ぜ、魔王を追い詰めた。
通常攻撃による傷は大したダメージではないようだが、それでも斬られれば出血し、出血は魔王から生命力を奪っていく。
そして致命傷を与えうるヴァレリーの大技は大きく回避するが、その行動自体が魔王の傷を広げ、さらに体力と生命力を失わせる。
魔王の反撃はヴァレリーたちの防御をたやすく貫通するため非常に恐ろしいが、そのダメージは後ろの3人がすぐに回復してくれる。
このまま時間をかければ、あるいは何かあと一押しがあれば、魔王の討伐は叶うだろう。
そして、その一押しのチャンスは程なく訪れた。
イーサンの斬撃をガードした魔王が膝をついたのだ。足へのダメージの蓄積か、スタミナの枯渇か。
いずれにしても、チャンスである。
ヴァレリーはイーサンとは反対側に剣を振り下す。
しかし、これはイーサンの剣をガードした方と反対側の腕に防がれてしまう。
「──今だ! ロイク!」
「ああ! スロット2、【ペネトレイト】! 食らえ!」
そして、後方で隙を窺っていたロイクが自身の持つ槍型の魔導具の魔法を発動させ、投擲した。
槍型の魔導具は剣型や短杖型のものよりも多くの魔法を登録しておくことが出来る。その分取りまわしもしづらく、また長杖型に比べて重量も重くなるが、使いこなせればそれもメリットに変える事も出来る。近接攻撃において長さは間合いに、重さは威力に直結するからだ。
そんな槍型の魔導具だが、その本体の高額さを無視するのであれば最も効率のいい運用法というのが存在する。
それが投擲だ。
槍に使用者の筋力強化と穂先の貫通力強化の魔法を登録しておき、それらを発動させて、投げる。
狙うのは投げる本人なのでそこは槍投げの能力が必要だが、それさえ持っていれば中距離においては他を圧倒する火力を叩き出す事が出来る。
「グギッ! ギィアアアアア!」
ロイクの放った槍は一直線に魔王の顔めがけて飛んでいき、直前で回避されたため狙っていた眉間はわずかに逸れたものの、それでも魔王の片目を奪って地面に突き刺さった。
「──ちっ! だがチャンスだ! 行け、ヴァレリー!」
「はあああぁぁぁぁ!」
言われるまでもなく、ヴァレリーはすでに自身の剣に力を集中させていた。
「食らえ! 魔王め!」
一閃。
ヴァレリーの剣は横一文字に魔王の首を刎ねる。
そして一瞬の静寂の後、ヴァレリーの背後に魔王の首がどさりと落下すると、片膝を付いていた魔王の身体がぐらりと倒れた。




