11-7
ヴァレリーたち一行は入念な準備を整え、森を抜け、山に登った。
尾根が広く裾野へ広がっており、なおかつ標高があまり高くないルートを慎重に選定し、時折り魔導具を使って高度や方角を確認しながら進んで行く。
「──進み過ぎだ。一度、ここで野営をしよう」
ロイクがそう言い、一行は足を止めた。
「なんでだ。まだ日は高いし、体力もあるぜ」
「馬鹿、イーサン。お前ちゃんと授業聞いてたのか? 山に進軍する時は休みながらじゃないと、体力が有り余っててもぶっ倒れる事になるぞ」
急いで高い山に登ると、息が苦しくなったり頭が痛くなったり、そうした症状が現れる事がある。最悪の場合は意識を失ってしまう事もある。
そう言った事例を歴史に学び理解しているレクタングルの軍学校では、山中での行軍の際は自身の体調に関わらず定期的に休息を取るべしという教育がなされていた。
魔物ひしめく森を抜けた後の登山は思いの外順調だった。
どうやら山には魔物が少ないらしく、戦闘という最も時間を取られる障害に阻まれる事なく登山を敢行する事が出来た。
そのせいで勇んで進み過ぎ、遅まきながら休憩をとる事にしたという流れだ。
遅まきながらと言っても今のところ体調不良を訴えるメンバーはいないので、遅すぎたわけでもないのは良かったと言えよう。
山に魔物が少ないのは単純に食べる物が少ないからだ。
標高の低いあたりならばまだ植物やそれを食べる動物もいるが、高くなればなるほどその数は減っていく。
そして多少高いところにいくら食べ物があるのだとしても、森まで下りればそれらより遙かに豊かな食べ物がいくらでもある。
ネズミ鬼やイヌ鬼は比較的賢い魔物なので、よほどの理由がない限り森を出て山を登る事はない、ということらしい。
よほどの理由と言うのは例えば、生存競争に敗れてしまったとかだ。
例えばブタ鬼との縄張り争いに負けたネズミ鬼の家族。例えば群れからはじき出されたはぐれ者。
そういった、森で暮らす事が難しくなってしまった魔物などが、少数かあるいは単身で山を登り、標高のそれほど高くない位置でひっそりと暮らしている事がある。
低地ではそうした少数の魔物との遭遇戦もあったが、それも山を登り草木が減ってくるにつれてなくなり、行軍速度も上がっていったのだった。
それから何度も休憩を取り、幾度かの夜を越え、一行はついに山脈の尾根を越えるところまで到達した。
文字通り、峠を越えたのだ。
魔物という外敵もいないため、一行は昼間に休みながら歩みを進め、夜は完全に夜営するというルーチンで行軍してきた。
ゆえに、峠を越えたその瞬間に視界に飛び込んできた世界は、太陽の光に照らされ輝いていた。
「山の裾野は……また森か。あそこに魔王がいてくれればいいんだが……」
「俺たちが来た森と同じくらいの魔物しかいねえんだったら、探索は楽勝だな」
「……いや、そうはいかないかもしれないぞ。尾根を越えたあたりから、魔の気の濃度が急激に上昇してきてる。はっきり言って、桁が違うレベルだ。魔の気の濃度によって魔物の強さが違うのかどうかは分からないが、少なくとも数が段違いに多いのは間違いない」
そんな話をしている仲間たちを横目に、人一倍目が良いヴァレリーは山の裾野に広がる広大な森の向こうに視線を固定したまま、愕然としていた。
「──な、なあ、みんな……。あ、あれは……森の向こうに見えるあれは、街、じゃないのか……?」
三角形の赤茶けた屋根がいくつも並んでいるのが見える。森の端の木の高さからすると、あれひとつひとつがそれなりの大きさであるようだ。となると相当高い建築技術であると言える。しかもかなりの規模の街だ。何人くらい住んでいるのだろう。
魔物が多数いるらしい森からそう離れていないということはいわゆる辺境であるはずだが、辺境であってもあれほどの発展を遂げているとなると、あの街を擁している集団と言うのはどれほど強大な国家を形成しているのだろうか。
「うん? ……ううん、よく見えないな……。見間違いじゃないか? ああいう形の岩場とかだろ」
「見間違い……。いや、そんはなずは……」
「岩場じゃなきゃ、そういう色の植物の生えた小規模な森とか花畑とかじゃないか? そんな遠くよりも、今はこの山の麓の森の方が重要だ。ヴァレリーは目が良いんだからこっちを観察してくれよ」
「そうそう。もし森の中で魔王が見つからなかったら、その時は森を出て先に進む必要がある。そうなったときに確認すればいいだろう。そんなに森の向こうが気になるんならさ」
「あ、ああ。わかった……」
魔物しかいない、危険で未開の土地。
この南の大陸は長らくそう考えられていた。
しかし、そのことを確認した者は誰も居なかった。そこに本当は何が住んでいるのかも。
もしかしたら、自分たちがその最初の人間になるのではないだろうか。
そして場合によっては、その最初の邂逅は良くない結果になってしまうのではないだろうか。
一体何に根差しているものかはわからないが、ヴァレリーは近い未来に対する漠然とした悪い予感を感じずにはいられなかった。
「……」
そしてそんなヴァレリーの様子を、一切の感情を失った瞳でロイクが見ていた。
ヴァレリーの目を以てしても、山の稜線から麓の森を見通す事は不可能だった。
生い茂る木々に遮られて地面など見えないほどなのだから当たり前である。
風を避けるため、尾根から少し戻ったところで一度夜営をした後、一行は山を下りる事にした。上から偵察出来ないのなら下りてするしかない。
軽く見渡してみたところでは、峠を越える前と同様、標高の高い辺りには魔物はいないようだった。
草木も何も生えていないのだから、これは当然の事だ。
もう少し下ればはぐれ魔物くらいは現れるかもしれないが、所詮ははぐれ。森での生存競争に負けた個体などどうということもない。
むしろ、はぐれの魔物を狩る事で山のこちら側の魔物について詳しく調べる事が出来るかも知れない。
そんな事を考え、出来得る限りはぐれの魔物を探すように下山していた事が功を奏したのか、どうか。
満身創痍の、まさにはぐれ者としか言いようのない哀れな姿の、見た事もない顔の大型のイヌ鬼を発見したのだった。
「──いたぜ! はぐれだ! アンドレ、あいつは何て魔物だ?」
イーサンが剣を抜き放ち、全身を見事な筋肉で覆った犬顔の魔物に突きつける。
一見すれば勝てそうにない体格差だが、イーサンの持つ剣は魔法の発動体でもある魔導具だ。
魔法さえ使えるのなら体格差に戦況を左右されることはない。そして魔法発動に必要な各種魔石は山の向こうで多めに入手してある。誰が相手だろうと、一対一で負ける道理はなかった。
「……見た事がないタイプだ。頭部の形状や足の関節からすると、イヌ鬼の近親種か……? しかし……」
アンドレは犬顔を見ながら首をかしげる。
その様子を見たロイクは危機感を覚え、警告を発した。
「イーサン! 気を付けろ! 未知の魔物だ! たぶんレクタングルにはいなかった種だ! どういう生態を持っているのかわからんぞ!」
ロイクが言った生態という言葉の中には魔法を使うかどうかも含まれている。
魔物の中には魔法を使うものもいる。
というか魔導具で発動できる魔法も、元々の発想として魔石を使って魔物の魔法を再現できないかというものだったので、魔物が魔法を使うのは当たり前でもある。
魔法を使えるおかげで体格差を無視できるというのは、人間だけでなく魔物側でも有効だということだ。
もしこの犬顔マッスルが魔法を使うのであれば、どれほどの脅威度なのかは戦ってみるまでわからないのだ。
未知の魔物とはそれだけ恐ろしい存在なのである。
山向こうに既知の種しかいなかったのは実に幸運だった。
「いやいや、どう見たって肉弾戦特化型だろ! 魔法を使うとしても補助的なもののはずだぜ。そうじゃなかったら、あんなに筋肉を増やす意味は無いからな!」
乱暴な言い様だが、イーサンの言葉も一理ある。
筋肉というのは強力な武器にも防具にもなるが、デメリットも多い。
まずは、その重さだ。
筋肉が多ければ当然その分体重も重くなる。重い身体を十全に動かすにはそれだけ必要な筋肉も増えてしまう。増やした分がそのまま身体能力につながるわけではないのだ。
そして、長期にわたって継続的なトレーニングをしなければそもそも得る事が出来ないこともネックになる。
もちろん種族によっては自然と筋肉量が増えていく者もいるが、魔物と言っても無制限に成長出来るというわけでもないため、そうしたタイプの魔物は魔法が使えない場合が多い。肉弾戦だけで戦う力があるのなら魔法まで鍛える必要はないし、魔法を使って戦える、あるいは十分な食糧を得られるのなら筋肉を増やす必要がない。
野生動物もそうだが、魔物も基本的には生存競争に不必要な能力は廃れていく傾向にある。
それを考えれば、未知の魔物の能力を見た目から類推するのは間違いではない。
しかし、何事にも例外はあるのだ。
例えば、魔法によって肉体能力を底上げする者などは、見た目からでは想像も出来ない動きをする事がある。
あるいは、魔法は使えるが魔法だけでは生き延びられない環境で生活している者や、魔法を使う種族も筋肉を使う種族もどちらも支配しなければならない者などがいれば、それは魔法と肉体能力の両方が高くなければならないだろう。
「っ! 危ない!」
例えば様々なタイプの魔物を支配するというのは、いかにも王と呼ばれる魔物に相応しい生態だと言えないだろうか。
そして、一行が探しにきているのはまさにその魔王であるはずだ。
ならば、警戒するべきだった。魔の気が濃い、山のこちら側にはそういう魔物もいる可能性があると。
傷だらけの犬顔が放った赤黒い炎は、とっさにイーサンを庇ったヴァレリーの「盾」に阻まれた。
盾と言っても物理的なものではない。彼の生み出した魔力の盾だ。普通の盾ではよほど高級な素材を使ったものでもなければ魔法の炎を防ぐのは難しい。
「……ひゅー。助かったぜヴァレリー。こいつ、あんなナリして魔法型なのかよ……」
「大丈夫か、イーサン。気を付けて。こいつはなんか……他とは違う気がする」
盾を消した片手でイーサンを庇うようにしながら、ヴァレリーはじりじりと犬顔と距離をとる。
犬顔はヴァレリーの盾を警戒してか、追うそぶりは見せない。
「──ヴァレリーの感覚は正しいかもしれない。もしかしたらだが、こいつが俺たちの探しものだ」
「何? どういう事だ、ドミニク──それは」
ロイクがドミニクに尋ねようと視線をやり、言葉を止めた。
ドミニクが持つ魔導具は、これまで見た事もない色の光を放っていた。
「こいつの周りだけ、魔の気が異常な数値を叩き出してる。こいつは、おそらく……自ら魔の気を放っている。そうとしか考えられない。
たぶん、いや間違いなく、こいつが魔王だ」




