2-4
昨日と同様、朝起きると身だしなみを整え、馬車に乗る。
貴族街に入るが、学園の前は素通りだ。
この日の目的地は王都の中心、王城である。
日時は先方から指定されているが、正式な謁見というわけではない。
そのため馬車は王城の正門側ではなく、裏門側へと回された。
病弱とされている王女に堂々と会う人間がいるのは外聞が悪い、ということだろうか。
裏門から入り、そのまま王族の住まうエリアへと通された私たちは、そこで馬車から下ろされた。
馬車は係の者に誘導され、すぐにそのエリアから出て行く。
ぽつんとその場に残された私たちの元に、すぐに城の使用人らしき女性たちがやってきた。
「ミセリア・マルゴー様ですね。本日はお越しいただき誠にありがとうございます。早速ですが、こちらに……」
女性の案内で王城内へと入っていく。
裏口のような玄関には騎士が立っている。貴族街と平民街を隔てるあの場所を彷彿とさせる雰囲気だが、こちらに立っている騎士は女性だ。
王城内にも男性の姿はない。働いているらしい者たちは全て女性である。
もしかしたらこのエリアの主が女性の王族だからだろうか。
会う約束をしている相手を思えば、それが王女殿下である可能性が高い。
男子禁制の女の園。
そこに現れた私とディーは言うまでもなく男だ。
これ大丈夫なのかな、と思わなくもない。
しかし父の推測が当たっていれば、王女本人も男性であるはず。
父が語ったのは状況証拠だけであったが、父に限ってそれだけの判断材料で推測を語る事はない。おそらくそれ以外にも表に出せない何かがあって、ある程度は確信しているはずだ。
案内の女性の後に続き、私とディーは女性しか見当たらない城内を歩く。
こちらに視線が向けられる事はない。予め来客の話は通っているのだろう。そして来客に対して不躾な視線を向けるような者はここにはいないらしい。我が家とは大違いだな、と思い隣のディーを盗み見たが、何故か目があった。そうだった、ディーが見ていたのは来客ではなく私だった。
自分だけならばどこに出ても令嬢として恥ずかしくない容姿と所作をしていると自負していたが、ディーとこうして2人で歩いていても不審がられる様子はまるでなかった。
目が合わない程度に視線を逸らされてはいても、ここで働く女性たちも自分たちに注目しているのは間違いない。仮にも王族の住まうプライベートエリアで働く事を許されたエリートである。直接焦点を合わせずとも人を観察するくらいの技術は持っているはずだ。
そんな彼女らをして全く不信感を抱かせないとなると、客観的に見てもディーの女装は素晴らしいと言っていいだろう。さすがは我が母である。その分父は胃が痛いのだろうが。
「こちらに。姫様がお待ちです」
やがて、ひときわ豪奢な扉の前で案内役の女性は立ち止まった。
扉の前には女性の騎士が控えており、案内役の女性は騎士に私たちを引き継ぐと、一礼をして去って行った。彼女の仕事はここまでらしい。
「姫様、お客様のご到着です」
「──ありがとうございます。お入り頂いて構いません」
女騎士が室内へと語りかけ、それに応える声がする。
これが王女の声なのだろうか。いや、私と同い年の少女にしては少々しっかりしすぎている。
部屋からの返事を聞いた騎士が扉を開き、私たちは中へと通された。
入ってすぐの場所に立っていた、ひっつめ髪の侍女が頭を下げる。ザ・出来る侍女と言った感じだ。うちのディーがビジュアル方面に全振りしているため少々新鮮に思える。とはいえ、こちらの侍女もファッションをことさらに地味なものにしているというだけで、顔の造形自体はかなり美しい。王女に仕える侍女ならば容姿も重要な採用ポイントなのだろう。
頭を下げる侍女の向こうで、ソファから立ち上がる女性が見えた。
立ち上がった拍子にするりと肩から滑り落ちる髪は緩やかなウェーブを描いており、鮮やかな桃色に煌めいている。外と比べて薄暗く感じられる室内にあって、まるで遠浅の海に広がる美しい珊瑚の森のようだった。
はて何故私は海を連想したのか、と思えば、その理由は考えるまでもなく女性の瞳の色だった。
どこまでも深く透き通るような、その静かな青色はまさに紺碧の海そのものであり、女性の美しさに神秘性というアクセントを添えていた。
「ようこそおいで下さいました。ミセリア・マルゴー様。私は王太子クリストハルトが長女、マルグレーテ・インテリオラです。どうぞよろしくお願いしますわ」
そう言ってスカートの裾を摘み、膝を曲げた。
なるほど、これがこの国の王女。
私は気を引き締めた。
下手をするとこれは我が愛すべき妹以上の逸材かもしれない。
それはつまり、この宇宙で二番目に美しい存在であるかもしれないという事だ。
王家もなかなかやるではないか。
そう考えたのは私だけではなく相手もだったようで、侍女の頭越しに王女もどこか不敵で挑戦的な色を瞳に宿していた。
その瞬間確信した。やはり病弱な王女という話は嘘だと。
私は礼を返しながらも王女から目を離さず、そしておそらくは相手と同じ表情を浮かべていた。
◇
対面のソファを勧められ、腰を降ろした私は改めて自己紹介をした。
ディーは私のソファの後ろに立っている。王女の侍女はお茶の準備だ。
私の自己紹介を聞きながら、王女はテーブルサイドに備え付けてあるスイッチのようなものを押した。ファミレスの呼び鈴か、と思ったが音は鳴らなかった。
しかし何らかの魔力の広がりを感じた。
魔力は部屋中に広がり、窓や扉の手前までを覆う。呼び鈴が部屋の中心に置いてあるからだろう。そこを起点に広がった魔力は部屋の内側ぎりぎりまでの空間をすべて満たした。
あのスイッチは何かの魔導具のようだ。専門ではない私では何の効果があるのかまではわからない。
「……お嬢様、いかがされました? ご不浄ですか?」
スイッチと部屋の様子を交互に気にする私に気付いたディーが声を掛けてくる。
別にそわそわしているわけではない。トイレなど王城に来る前にちゃんと済ませてある。
「……違います。ディーには今のが感じられなかったのですか?」
「……申し訳ありません、何も。お嬢様は感じておられたのですか?」
微妙にニュアンスが違う気がする。
「貴女、今のがわかったのね。普通の人間には感じられないのに。魔法使いなの?」
「いいえ、ひと通り教育は受けておりますが、専門ではありませんので。気が付いたのは偶然でしょう」
王女の言葉遣いが急に雑になった。
しかしどこか勝気なその瞳からは、今の言葉の方がしっくりくるように思える。こちらが素なのだろう。
なぜ先ほどまでは丁寧に話していたのに急に、と考えたところで、王女が手ずから発動させた魔導具の存在に思い至る。
「もしや、そちらの魔導具には音を遮断する効果が?」
「見たことでもあるの? そうよ。これは遮音結界」
やはりそうだった。
つまりこの口調こそ、給仕をしているあの侍女以外には見せられない王女の本性、というわけだ。
「では、これで落ち着いて色々なお話が出来るという事ですね」
「その通り。貴女もいつも通り話していいわよ。私は不敬だとかそういうのは気にしないし、この子も口が固いから」
「ええ。そうさせていただいております」
元より私は普段からこの口調である。普段と違うと言えば病弱な振りくらいだが、それも王女と会った瞬間から止めている。
「……随分と育ちがいいのね。私に対する当てつけかしら」
「そのようなことは。癖のようなものだと思っていただければ」
「まあいいわ。
……それより貴女、本当に美しいわね。正直、この世に私と並べるほどの者がいるなんて思ってもいなかったのだけれど」
それは私もだ。
とはいえ王女もあくまで並べるレベルであるというだけであって、私の方が美しいのは間違いないが。
「それだけの容姿なら、辺境伯が学園への入学を許可するのも頷けるわね。バレようがないもの」
王女が唐突にぶっ込んできた。
バレる、というと性別の件だろう。よもや病弱設定のことではあるまい。
「私が王女殿下に会うよう言われたものも、それが理由なのでしょうか」
何、とは言わずにこちらも合わせる。
父の想像通りなら、性別も病弱設定も私と同じはず。
「……そうね。
国王陛下と貴女のお爺様が懇意にされていた事はご存知? おじい──陛下は、あの偏屈マルゴーに重大な機密を教えてもらった事があるって嬉しそうに話してくれたものだったわ。その頃にはもう、貴女のお爺様は鬼籍に入っておられたから、少し寂しそうではあったけれど」
その結果が目の前の王女の姿であるわけだが、そう話す彼女の眼は優しげだった。祖父である国王を敬愛しているのだろう。そして彼のその選択が自身の安全を守るためのものだった事をしっかりと理解している。
私のように朧気ながらも前世の記憶があり、幼い頃から一定の思考力を有していたわけでもないにもかかわらず、それだけの事情を理解出来ているとは驚きだった。
やはり、王族というのは優れた者が生まれやすいものなのだろうか。
これまでの長い歴史の中で、王家として優秀な遺伝子を積極的に集め、それが収斂されてきた結果とでも言おうか。
そういえば、我がマルゴーの家族も皆戦闘系のスキルに恵まれている。
あれもおそらく、これまでの魔物の領域との戦いの歴史がスキルとなって顕れているのだろう。
例外は私だけである。
何のスキルがあったかはあまり覚えてはいないが、直接戦闘に関わるものが無かった事だけは確かだ。
「どれだけ整った容姿をしているとしても、男性が女性の格好をするとなればどうしても違和感が出てしまうものよ。私のようなケースはそうそうあるものではないわ。
だから、父に話を聞いた時はどんなゲテモノが来るのかと思っていたけれど、貴女なら歓迎だわ。貴女と並んで学園内を闊歩すれば、きっと周りの視線は全て釘付けでしょうね」
王女は満足げに頷いた。
並ぼうが並ぶまいが周りの視線を全て釘付けにするのは当たり前の事だ。
王女様にとってはそのために私が必要なのかもしれないが、私にとってはそうではない。
しかし、ここは貴族社会。
悲しいかな完全階級主義社会である。
王女様がそう言うのなら、家臣である私は従うしかない。
「もちろん、王女殿下がそれをお望みならば」
「……なんか、ちょっと気になる言い方ね。望まなかったらどうするの? 例えばその、周りの視線を釘付けとかは考えないで、ただ仲良くするだけだったとしたら」
「私はどうもいたしません。どうかしてしまうのは周りの方です。視線を釘付けにする程度でご満足であればそうなるように抑える努力はいたしますが、しなくていいのであれば、おそらく周りの全てを自動的に魅了してしまうことでしょう。失礼ながら、王女殿下は私の──私たちの美しさを過小評価しておいでなのでは」
私たち、ではなく私ひとりでお釣りがくるほど十分だろうが、多少のおべっかは必要だ。
それにこの王女ならば、美しさにおいて私の足を引っ張る事はないだろう。
私の言葉を聞いた王女はしばしぽかんとした後、おかしそうに笑いだした。
「──あははは! 貴女、面白いわね! どれだけ自分に自信があるのよ! さすがにこの私でも初対面の相手にそこまでの啖呵は切れないわ!
よろしい! 特別に貴女には、私の事を愛称で呼ぶ事を赦します。これからはグレーテルと呼びなさい」
「かしこまりました。グレーテル様」
すると王女は少しだけ不機嫌そうに眉根を寄せた。
「貴女馬鹿なの? グレーテルと呼べ、と言ったでしょう。様は要らないわ」
「貴女こそお馬鹿なんですか? 仮にも一国の王女を呼び捨てに出来るはずがないでしょう。そういう事はあらかじめ周知させておいて、私が呼んでも問題ない状況を作ってからするものです」
この部屋ならばいいだろうが、外で迂闊に呼んでしまって不敬罪なんかでしょっ引かれてはたまらない。私は国法に明るくないので、そんな罪状があるのか知らないが。
「どう考えても、呼び捨てよりも馬鹿呼ばわりの方が問題あるでしょ! 貴女何考えてるのよ!」
「この部屋には遮音結界がかけられているので心配いらないのでは」
「ならグレーテルって呼びなさいよ!」
「それはまた後ほど。ところで私は家族からはミセルと呼ばれております。もしよろしければグレーテル、様もそのように」
「なんでこっちだけ呼ばなきゃいけないのよ! しかも馬鹿呼ばわりをするような奴を!」
「馬鹿呼ばわりはお互い様では」
「お互い様なら貴女も呼び捨てにしなさいよ!」
「それはまた後ほど」
「後っていつよ!」




