10-19
明日からしばらくお休みします。
切り飛ばされたギーメルの腕はくるくると回転しながら飛んでいき、そのまま空気に溶けるように消えてしまった。
ギーメル本体の魔力の量も、割合として腕一本分くらい少なくなっているように見える。
なるほど、ちまちまと攻撃をするより身体の一部を切り離してしまった方が与えるダメージが大きいらしい。まあ、ユージーンたちも実際は両断するつもりで剣を振るっているのだろうが、彼らの攻撃ではギーメルの身体の魔力的な結合を破壊し、部位欠損をもたらすだけのダメージは与えられていないということだ。
そうなると逆説的にサクラの熱線の威力がうかがえるが、これは本当に近くで見ていても大丈夫なものなのかな。
「──なんだ! なんなんだ! お前! その力は! ただのユニコーンじゃないのか!」
ユニコーンと言えば角が一本生えている馬の魔物のことだ。
サクラの角は三本あるので、どう見ても違う種である。他に角が二本のバイコーンとかいう魔物もいるらしいが、それとも違う。
角の生えた馬の魔物はユニコーンとバイコーンしか確認されていないと聞いているので、そのどちらとも違うサクラは魔物ではない。はい証明終了。
だいたい、ユニコーンだったとしたら、純潔な乙女ではない私が騎乗できるはずがない。
そしてバイコーンは逆に不純を好むという話だが、私は当然不純な事をした事がないので、やはり好まれるはずがない。
「ぐうう! くそ、ミセリア・マルゴーめ!」
え、なんで私なんだ。
と思ったが、サクラは私のペットなので怒りの矛先が間違っているわけではないか。
ギーメルは私への呪詛を呟きながら、失われた片腕を再生してみせた。
それを目にしたユージーンの表情が歪む。
確かに、一見今のダメージを帳消しにされてしまったように見えるが、そうではない。
魔力生命体であるギーメルにとって、腕などあろうが無かろうが変わりない。先ほどから繰り返している通り、彼女の攻撃手段は魔法か魔力衝撃波しかないのだから、武器を持ったり道具を使ったりするための腕など要らない。食事もおそらく経口摂取ではないだろうから、食器も持てなくてもいい。
腕を再生したのは、ギーメルが無意識に人の形に縛られているからというだけだろう。何の意味もない自己満足だけの行ないだ。
再生したところで今失われた魔力まで回復するわけではないし、むしろ再生のために消費した魔力の分だけマイナスだと言える。
「もういい、遊びは終わりだ! ミセリア・マルゴー!」
遊んでいる自覚があったのか、と思った。
ギーメルは最初、より多くの魔力を得るために援軍を待ってやったような事を言っていた。
つまり彼女にとってはこの場にいる全ての人間は餌なのであり、本来真面目に戦う必要などない。ただ蹂躙し、魔力を吸収していけばいいだけだ。それが出来るかどうかは別の話だが。
そして、結局のところはこれだ。
魔力を回収するはずが、逆に無視できないレベルのダメージを受けてしまい、むしろ魔力を減らされてしまう始末。ここに来たばかりの頃の水準まで回復するためにはそれなりの時間を要するだろう。
ちょっと離れて見ていただけの私としては、もう本当に「何しにきたの」というレベルだ。ユージーンたちには悪いが、遊んでいるようにしか見えなかった。
「ミセリア・マルゴー! 貴様の魂を奪い、こんなところからは離脱する! 傭兵どもも、馬の魔物も、いずれ私が神になった暁には必ず思い知らせてやるからな!」
最初からそうすれば良かったのに。
突然我が家の庭に現れたという事は、突然撤退する事も出来るはずだ。
ならば、彼女にとって危険なこんな場所からはさっさと去ってしまうのがいい。
何か目的があるのなら、その達成を最優先にして、それを済ませたらすぐに撤退するべきだ。
まあ、こちらとしては彼女のお遊びのおかげで色々と知る事が出来たし、メリットしかなかった。文句を言えたものでもないわけだが。
ただ同時に、彼女の願いは叶わないだろうなとも思う。
私は魔力生命体とやらをこれまで見た事が無かったので知らなかったのだが、彼女を見て何となく察した。
彼女を構成している魔力の質というか、そんなような何かは、以前に結社の人間のうちの何人かから感じたスキル発動時の魔力の質と近い気がする。
何となく私にとって下に位置するものというか、そんな感じだ。
魔力生命体である彼女は全てがそうした魔力によって構成されているので、もう存在そのものが私にとって下々の者というイメージになってしまう。
これが例えばこれまでの結社の幹部のように肉の身体を持っていたのならば、たとえ魔力の質がどうであれ、ナイフを構えて突進されたら私も普通に死んでしまうかもしれなかったので脅威ではあったのだが、魔力を介した行動しか出来ないギーメルではその心配もない。
全く何の脅威も感じられなかった。
その、私にとって下に位置する魔力の質と言うものは、以前から不思議に思ってはいた。
何故そんな感覚がするのか。
しかしこれも、ギーメルのお遊びによる解説で一応の仮説を立てる事が出来た気がする。
彼女はこう言った。
この世界に満ちる魔力は、全てが十の蕾から始まったのだと。
そしていつか、十分にこの世界の多様性を集めた魔力は集結し、そこに神として蕾の意思が降臨するのだと。
この事から、この世界の魔力には大きく分けて十種類のルーツがあるのだと捉える事が出来る。
もちろん長い年月の中で混じり合ったり分かれたりもしているだろうから、魔力ひとつまみを取ってみても完全にどの蕾がルーツであるのかは断言できないのだろうが、それでも最も強く影響を受けているものはあるはずだ。
普通に考えれば、時間をかけて混じり合えば全てのルーツからの魔力が等しく混じった状態になるはずだが、おそらくそうはなっていない。必ず主導権のようなものを握っているルーツがある。そうでなければ、いつの日か元の蕾を再現する事など出来ないからだ。
マルゴー領に住む者は、その環境の特殊性もあってか、皆だいたい生まれながらにして強い。それは保有している魔力が多いという事でもある。
その中でも群を抜いているのが領主一族のマルゴー家だ。
私には戦闘力が無いのでそちらについてはよくわからないが、単純な魔力保有量なら私もかなりのものだと思う。
かなりのものというか、今なら何となくわかる。少なくとも父や兄よりは多い。
保有魔力が多いという事は、そこに宿る蕾の意思がそれだけ強いという事でもある。
もし、そこに序列のようなものが生じるのだとしたら、同じルーツを持つ者同士では保有魔力の多寡によって逆らいがたい上下関係が生まれてしまう事になる。
もしかしたら、そういう理由なのではないだろうか。
もちろん、それにしては妙にそういうパターンが多いというか、結社幹部の一部が偏っているようにも感じられるので、もしかしたら単純にルーツになった蕾の魔力がそのまま神になるというわけではないのかもしれない。
たとえば組み合わせがあるとか。蕾1と蕾2の組み合わせの魔力を1-2とすると、1-2、1-3、1-4の系統の魔力では蕾1の影響が大きい私を傷つける事は出来ないだとか。馬券か何かか。
何であれ、私より下位であるギーメルの魔法攻撃では、私が傷つくことは無い。
「──ミセル!」
「お嬢! 下がって!」
「大丈夫です。問題ありません」
私を心配して、庇おうと前に出る母やビアンカたちを押しとどめ、ギーメルの前に自分の身を晒す。
「観念したか! 貴様が最初から大人しくそうしていれば、無駄な被害は出なかったものを!」
無駄な被害とはギーメルのダメージの事だろうか。それを私に言われても何の感慨も抱けないが。
あるいはメリディエスとの戦争の事かもしれない。それはさすがに少し心が痛む。
もしかしたら中庭の被害の事かもしれない。それだったら母に謝っておいて欲しい。出来れば慰謝料という形で。
「食らってやるぞ! 貴様の魂を! 【貪り喰らうもの】!」
ギーメルの手から、これまでの衝撃波とは少し違う波動が放たれる。色は相変わらず赤黒いが。
その波動は私を包み込むと、私の魔力を絡めとって持ち去ろうとした。
当然抵抗できるというか、一切魔力を渡さない事も可能だったが、絡めとられた魔力の量があまりに少なかったため、別にこのくらいならいいかと思ってされるがままにしておいた。
それに、個人的に知りたい事もある。
わかるかどうかはわからないが、ギーメルを利用してそれが検証できるのなら少々の魔力など安いものだ。
「──あはははははは! いいぞ! 貴様の魔力がどんどん私の糧になっていく! このまま魔力を吸いつくした後は、貴様の魂を吸ってやる!」
私の魂を食べるには、その前に魔力を全部吸わなければならないようだ。皮を剥かないと蜜柑が食べられない的な感じだろうか。中の薄皮はあるのかな。
しかしこのペースだと何年待っても終わりそうにないのだが、せっかく屋敷から駐留軍を引き剥がしたのにそんな悠長なことをやっていて大丈夫なのだろうか。さすがに戦後処理も終わって帰ってきてしまうと思うのだが。
「ミセル!」
「平気です。お母様。何ともありませんし、たぶんこの後も何ともなりません」
「何を言っているの!」
「本当に大丈夫です。それより、これ以上は戦闘は起こらないと思いますから、今のうちに中庭の被害を確認しておいてはどうでしょうか」
「……何を言っているの?」
「ははは! 強がりを! それとも、自分の魔力が奪われている事にさえ気付かないほど鈍感なのかしら! そらそら、どんどん吸い取ってやるわよ!」
ギーメルが景気良く私の魔力を吸っていく。
その効果は確実に現れているようで、腕を失い再生した事で消耗していた彼女の力もとうに回復し、ここに来た当初よりもかなり強大な存在になっているように見える。
そうしている間にも、同じ系統の魔力の質であるからか、ギーメルの使う【貪り喰らうもの】とかいうスキルの事が理解できるようになっていた。
いわゆるエナジードレインのような攻撃で、相手の生命力や魔力を吸い取る効果を持っているようだ。私が持っているらしい異界の魂が具体的に何に分類されるエネルギーなのかわからないが、きっとそれも奪えるのだろう。
まあ仮に出来るのだとしても、相当先の話だが。
「──ははは! どんどん行くわよ! どんどん! どんどん……どん……ちょ、ちょっと、何これ、おかしいわよ……! いつになったら終わるのよ……!」
ギーメルが顔色を悪くする。とは言え赤黒い彫刻なので実際に色が変わるわけではないが。
「それはわかりませんが、その分ギーメル様、じゃなかったギーメルもパワーアップしているようですし、別に構わないのでは」
「か、構うに決まっているでしょう! い、異界の魂も無しにこんな、こんなに大量の魔力を集めてしまったら、私が……! 私の自我が、蕾に塗りつぶされてしまう!」
そうだろうと思う。ギーメルの話が確かなら、神降臨の手段というのがまさにその魔力の集約だからだ。
私が検証したかったのも、まさにそれである。
つまり、人はどれだけの魔力を得てしまったら、神に精神を塗りつぶされるのか。
私については問題ない。それは感覚的にわかる。実際私にはたくさん魔力があるが、今のところだいたいの場合において特に問題は出ていないし。
けれど、他の人間はどうかわからない。例えば父や兄妹たちだ。
彼らが今後も安心して自らを鍛えていけるように、危険なボーダーラインは知っておきたい。
「と、止めないと! スキルを──あ、あれ? 止められない! どうして!?」
「それはもちろん、止めてもらっては困るからです」
ギーメルのスキルはすでに解析してある。たぶんだが、【G線上のミセリア】でいい感じに再現も可能だ。
そこまではやらないとしても、ただ強制的に維持するだけなら私ひとりで十分である。
まだまだ足りない。
もっともっと私の魔力を与えて、どのタイミングでギーメルの自我が消えるのかを見極めなければ。
「くそ、止まれ止まれとまれ止まれ──!」
私が掌握した赤黒い波動からは、スキルを止めて引っ込めようとわずかな抵抗感が伝わってくる。
しかしそんな事は許さない。
私は自分の意思を魔力に乗せ、赤黒い波動をがっちりと掴み、強制的に魔力を流しこんでいく。
魔力に人の意思を溶かす事が出来るというギーメルの講義は、私にとっては天啓のようなものだった。
これと私の持つ膨大な魔力を利用すれば、おそらく大抵の現象は再現出来る。
というか、それを無意識にやっていたのが【G線上のミセリア】であるとも言える。
まあ、あのスキルが生まれた時はそこまで柔軟性のあるものだとは思っていなかったので、主に惨劇方面に効果が偏ってしまっていたが。
試していないので分からないが、魔力生命体であるギーメルに出来る事はおそらく全て私にもできる。
「やめろやめろやめてやめてやだやだやだやだ──あっ」
そうして無理やり魔力を注入していると、不意にギーメルの様子が変わった。
ここがヤバいラインかな。と思ったが、どうもそうでもないようだった。
「──そう、か──そういう、ことだった──のか──」
ギーメルの色が少しずつ変わってきている。
赤黒い姿が徐々に薄くなり、太陽の光を取り込んできているのか。
まるで光を放つように、赤黒から赤に。赤から橙に。
「──きさ、いえあなたは──すでに──そうか、それで──いかいのたましい──そのせいで、かみのいしさえ──くわれて──」
顔立ちも体つきも変化している。
それなりに豊満だったバストは萎んでいき。
顔立ちも少し幼くなり、目鼻立ちはより美しく、私の良く知る形に近付いていく。
「──だいろくのかみ──せかいのちゅうしん──おうごん──たいよう──うつくしきもの──」
これ、あれだな。
私そっくりだ。やりすぎたかもしれない。
今や、ギーメルは黄金に輝く私そのものの姿になっていた。
話す言葉も茫洋としていて掴み所がないし、もう自我は消えてしまっているのかもしれない。
「あ」
完全に私そっくりになった瞬間。
ギーメルは光になって砕け散り、辺りに降り注いだ。
降り注ぐ光の粒は私に向かって落ちてくる。
そして、私の中に吸収されていく。
オーバーフローして逆流している、という感じだろうか。
おそらくギーメルの意思のようなものも一緒に溶けて含まれていると思うのだが、私の魔力の占める割合が大きすぎて全く感じ取れない。完全に塗りつぶされてどこかに消えてしまったようだ。
海に砂糖小さじ一杯溶かしたところで何も変わらないし、そういう感じだと思う。
ともかく、これでようやく『女教皇』は完全に消滅したと言っていいだろう。
再開はたぶん17日とかになると思います。




