10-13
私たちが見ている前で、魔力の渦はどんどんと大きくなり、やがて以前に見たものとほとんど変わらない姿にまで成長する。
いや、あの時のものより若干色が明るいだろうか。
アングルスの林の中より我が家の中庭の方が明るいからそう見えるだけかもしれないが。
しかし私はすぐに気付く。違いはそれだけではない。
この渦が内包している魔力は、あの時の渦とは比べ物にならないほど強大なものだ。
渦を通過した者は、ただの人間でも強力な魔物に変貌してしまう。
であれば、あの時の渦より上位らしいこの渦なら、たとえ何が通過するとしてもさらに強力な何かになってしまうのではないか。
「──やべえぞ、あの時の比じゃあねえ……!」
それは『餓狼の牙』にもわかっているようだ。
ユージーンが渦を睨みながらそう呟き、後ろ手に手を振った。
「お嬢、奥様。ここはやばい。屋敷に入った方が──いや、屋敷が崩れたりしたらそっちのほうがまずいか……?」
「とにかく、今は見通しのいい場所で俺たちが守るしかない! サイラス、厩舎からあの馬を連れて来てくれ! あいつがいれば、かなり楽になる」
「馬鹿言うな、あの馬は俺の言う事なんて聞かねえだろ! 行かせるならルーサーだ!」
「……まあ、わかってるけど、何で僕の言う事は聞くんですかね」
ぼやきながらもルーサーは厩舎の方へ消えて行った。
厩舎から中庭の間には、人が通る渡り廊下はあっても馬が通れる通路はない。ただでさえサクラは大型だし、どうやって連れてくるつもりだろう。
警戒する私たちをよそに、渦はどんどん大きくなっていき。
突如として縮むと、女の上半身のような形を取った。下半身部分は溶けるようにゆらゆらと消えている。
渦から何かが出てくるものだと警戒していたというのに、まさか渦そのものが謎のゴーストになるとは。
元々の渦と同じ、半透明の赤黒い色をしたゴーストは、辺りを見渡すように首をめぐらせる。
「──ここは、どこだ……? 奴は……」
しかも喋った。
どう見ても人間ではないのだが、魔物って喋るのか。
ネラやビアンカ、ボンジリやサクラも、どう考えても私の言う言葉を理解しているような節があるのだが、あれも頑張れば人語を話せるようになったりするのだろうか。
理解出来ても今は話せないということは、声帯や顎の形状の問題なのだろうか。
いや、このゴーストに人間同様の声帯や骨格が備わっているようには見えないので、別の要因か。
そう余所事を考えていると、ゴーストの視線がこちらを向き、私と目が合った。
と言ってもゴーストには眼球が無い──彫刻のように造形は瞳の形をしているのだが、眼球がはめ込まれているわけではなく、肌と同じで一律半透明の赤黒い物質で出来ている──ので、本当に目が合ったかどうかは自信がない。
「貴様、貴様! 貴様ァ! ミセリア、ミセリア・マルゴー!」
「あっ、はい」
急に呼ばれてつい返事をしてしまった。
「ちょっと、貴女ね。いきなり人の家の庭に現れて、人の娘を捕まえて、貴様呼ばわりはないのではなくて? 死にたいの? いえ、もう死んでるのかもしれないけれど」
母が私の姿をゴーストから隠すように前に出ると、そう文句を付ける。
確かに、ゴーストであればもう死んでいると言っていいのかもしれない。
ただ、活動中のアンデッドを生きているとするのか死んでいるとするのかについては、今もまだ学会では結論が出ていないらしいが。
しかし赤黒ゴーストは母を無視して話しだす。
「見つけたぞ、ミセリア・マルゴー!
思った通りだ……。この状態ならば、狙った人間の元に転移する事もできる……!
そして、今の私にならわかるわ、ミセリア・マルゴー! その、人間ではありえない異常な魔力! 貴様が、貴様こそが、私の求める異界の魂だったのね!」
「すみません、何のことですか。あと貴女誰ですか」
突然思わぬワードが出てきたため、ちょっと動揺して食い気味に否定してしまった。
異界の魂とかいう言葉は、これまでに結社の関係者からしか聞いた事が無かった。
目の前の女性は顔色の悪いゴーストにしか見えない。結社には人間しかいなかったように思うが、どういう関係だろう。
ただ、以前の『女教皇』の戯言からすると、私がその異界の魂だったとばれるとロクな事にならなさそうな気がする。
ゴーストの女性には悪いが、彼女にもここで成仏してもらうしかない。
「……ふふふ……! いいわ……! ここでお前の魂を食らえば、今度こそ私は神へと至る事が出来る……!」
しかし相手は私の話を聞いていない。
「──魂を食らうとか、穏やかじゃねえな。てめえはなんだ。何者だ。何故ここに来た。どうやって来た」
ユージーンがドスの利いた声を出した。
そんな声出せたのか。ちょっと今の雰囲気は父に似ていた。
「っ! おっと……! 魔力の体になると、そんな弱い【威圧】でも反応してしまうのか。これは盲点だったわ。
でも、お前の魔力のカタチ……どこかで見た事があるわね……。もしかして、以前に私の拠点に土足で入り込んできた、マスクを付けたゴリラかしら」
私の言葉は無視したのに、ユージーンの言葉には反応するのか。
もしかしてこれ、私は無視されているということだろうか。
辺りには緊迫した空気と現実離れした光景が広がっているが、私はちょっと楽しくなってしまった。
生まれ変わってからこの方、ここまで明確に無視されたことなど無かったからだ。
赤黒ゴーストは私に強い執着というか、殺意のようなものを向けてきているので完全な無視ではないのだが、私の意志や話は全く考慮しようとしない。
「やはり、あれはマルゴーの犬の仕業だったというわけね。今さらいいけれど。
でも、いいの? こんなところにいて。インテリオラの南部では今頃、メリディエスによる侵略戦争の真っ最中なのではなくて? せっかく王都から戦力を引きはがそうとお膳立てをしてやったというのに、愛国心のない奴らね」
「……てことは、メリディエスの関係者か? メリディエスの件はてめえが……」
「あら。少し【威圧】が強まったわね。実体がないぶん、直接精神に作用するスキルや魔法には敏感になるということかしら。これは勉強になったわ。……いろいろな意味でね。
さて、じゃあご褒美に質問に答えてあげましょうか」
赤黒ゴーストの言葉も、最初はなんというか、私に対する憎しみと執着みたいなものに塗れて荒々しい感じだったものが、徐々に普通の人間のように洗練されてきている気がする。
見ているだけなので分からないが、赤黒ゴースト状態に慣れて順応してきている、ようにも思える。
「まずは、ここにどうやって来たのか。でもこれはわざわざ私が教えてあげる必要もないんじゃない?
その目で見ていたでしょう。転移門から私が現れるところを」
転移門というのは、あの渦の事か。
現れたというより渦が変化して赤黒ゴーストになってしまった感じだったのだが。実際、私の目にはこの赤黒ゴーストは魔力の塊のように見えているし。
だとするとちょっと私の知っている転移とは違う気がするが、渦自体が突然発生したように見えたことからすると、その時点でもう転移は完了していたということだろうか。そうなると門ってなんだろう。
人間じゃない人の考える事はよくわからない。
「……やはり、あの時の……。じゃあ何だ。てめえはその転移門とやらを通ったせいで、そんなゴーストみてえな魔物になったってわけだな。その口ぶりからすると、転移門の事はよく知っているはずだ。魔物に変化するとわかってて、なんで使った。それと、なんで魔物になっても自我を保ってやがる」
「あっははは! よく知っているはずなのになんで使った、ですって? それはもちろん、よく知っているからよ! これが真実、何であるのかをね! 何しろこれは、私が創ったものなのだから!」
「創っただと……? てめえ、結社の幹部クラスか!」
「……そういえば、名乗るのを忘れていたわね」
赤黒ゴーストはそう言うと、その口を三日月のように歪ませて、私を見た。
なんで急にこっちを見るのか。無視はやめたのだろうか。
「──私はギーメル。世界最古の賢者のひとり。エンシェントエルフのギーメル。
と言っても、残念ながら私の肉体は貴様に破壊されてしまったけれどね。まあ、今となってはどうでもいいことだけれど」
「……貴様ってのは、お嬢のことか。肉体の破壊だと? お嬢がそんなことするわけが……」
肉体の破壊というのは、つまり殺すということでいいのだろうか。
だとしたら、私も結社の関係者ならすでに何人かこの手で殺している。
ユージーンの言う通り、この赤黒ゴーストが結社の幹部クラスなのだとしたら、私が殺したどれかのうちのひとりという事だろうか。
つまり、死に損ないの亡霊だ。
そんなことあるのか。
「他人のお前が何を言っても意味なんてないわよ。でも、他ならぬ貴様自身は覚えているでしょう? この私を。
この、『女教皇』をね」
言われて気が付いた。確かにあの女に似ている気がする。人を無視して話を続けるところとか特に。
生前の『女教皇』は仮面を付けていたし、そこまでじっくり顔を見たわけでもなかった。今はと言えば赤黒い半透明の彫刻が動いているだけなので、外見的には言われてみれば似てるかもという程度でしかないが。
首を飛ばしたあの状態からどうやって生き延びたのかは不明だが、あの時自分で言っていた通り、私と私の家族を狙ってきたということだ。




