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プリムラとマルゴー領軍を見送り一息ついた私は、屋敷の使用人たちが中庭のテーブルや椅子を戻すのをぼんやりと眺めていた。出陣式のために一時的に撤去していたものだ。
なぜそんなものをぼんやりと眺めていたのかと言うと、他にする事がなかったからである。
何しろ、メリディエス王国と戦争状態になったことで学園は一時休校になってしまっている。
今回の件では、アングルス領および王家からの依頼によって、王国各地から貴族の持つ戦力が援軍として南部に集められている。
現地の次期当主であるギルバートのように直接軍の指揮を執る者はそういないだろうが、それでも次期当主、あるいはその予備として、何かあった時のために王都で連絡を待つ責任者も必要だ。
学園に通う学生たちは基本的に貴族としてそうした役割を求められる者ばかりなので、この間は屋敷で待機している必要がある。
学園には平民の子なども通っているが、登校者が大きく数を減じる事には違いない。
その状態で授業を行なっても仕方がないので、ということで、一時休校という措置になっているのである。
それに、伯母がマルゴーの戦力を率いて援軍に向かった事を知っている私はまるで心配していないが、そうではない者たちの中には、メリディエス軍に王都近くまで押し込まれてしまうかもしれないと危惧している者もいる。
その時のために王都脱出の準備もしている商人がいると言うし、その子供らも学園どころではないだろう。
「テーブルが戻ったらティータイムにしましょうか」
私と並んでぼうっと中庭を眺めていた母が言った。暇なのか。何かお茶ばっかり飲んでる気がする。
「構いませんが……。こういう時、貴族の令嬢とかって普通は何をしているものなのですか?
今はたまたま学園が休みなので私も暇ですが、例えば学園を卒業された方とかは普段から何をしてらっしゃるのかと」
「普通は結婚して、夫の家に入っているのではないかしら。
そうしていてもそうでなくても、貴族同士のつながりや夫の仕事で関わる家の奥方やご令嬢とお茶会を開いたりして親睦を深めるのが普通ですね」
なるほど。私は結婚しないし夫もいないから関係ないな。
「お母様はそうなさらなくてもいいのですか?」
「ライオネルのため、という意味では今さらしてもしなくても同じです。あの人の仕事は誰かに手伝ってもらったり、便宜を図ってもらうようなものではありませんし。マルゴー領も独立採算みたいなものですしね。
ただ、ハインツやフリッツのお嫁さん探しという意味では、本来は色々な貴族の奥方とお話をして繋ぎを作っておかないといけないのだけれど……」
そうだ。兄たちの結婚相手については私も心配していた。
私が言うのもなんだが、2人ともかなりクセが強いと言うかアクが強いというか、とにかく個性的なのだが、その辺りもひっくるめて受け止めてくれるような女性はいるのだろうか。
あの整った顔立ちで学園を卒業していながら、今現在佳い人がいない時点でもうお察しな気もするが。
「何しろ、本人たちがあまり結婚について考えていないようだから、あまり親がうるさく言ってもね……。まあ、2人ともまだ若いし」
いやその発想は危険だ。
いかにこの世界の人間の寿命が長いからと言っても、そんな事を言っているとあっという間に何十年も過ぎてしまう事になる。
適齢期を過ぎてから「あの時ああしていれば」と思っても遅いのだ。そうなってから結婚相手を探しても大抵はうまくいかない。いわゆる「タイミングを逃しているため、発動できません」というやつだ。違うかもしれない。
「……まあ、最悪はフィーネが婿を取ればいいかなって」
よくない。
それだと、マルゴー家のしきたり的に何のために私が女装しているのかわからなくなってしまう。
まあ、結果的に楽しいから別にいいのだが。
いずれにしても、結婚については私以外の誰かが考えればいい事なので、それ以上突っ込むのはやめることにした。
藪蛇にでもなったらたまらない。この母のことだし、どこかから男装の麗人とかを探し出してきて私に宛てがいかねない。
「……あ、終わったみたいですよ。お茶にしましょうお母様」
「……そうね」
のどかな昼下がりに、2人だけのお茶会が始まる。
以前、マルゴーの実家にいた頃は、時おりこうして母と2人だけのお茶会が催されていた。
屋敷から出る事がない私は家族以外にあまり話す相手がいなかったし、フィーネは厳しい教育を受けている事が多かったからだ。あの当時も暇なのはこの2人だけだったという事でもあるが。
他愛もない話をしながら、ゆったりとお茶を嗜む。
小鳥のさえずりが聞こえ、何気なく見上げてみると、名前も知らない美しい小鳥が空高く飛んでいくのが見えた。
今こうしている時にも南部では人間同士が戦っているというのに、この中庭に流れる時間は実に平和なものだ。
戦場にあるはずのギルバートも同じ空を見上げているだろうか。
その時、戦場の空にも、今私が見ているように小鳥が舞っているのだろうか。
戦況については、伯母やマルゴーの領軍を派遣したのであまり心配はしていない。ほどなく終わるだろう。
派遣が間に合うかは気になるところだが、今現在においてもどこそこの貴族の誰々が戦死したとかそういう話は聞こえてきていないので、ギルバートも無事なはずだ。
私が物憂げに空を見上げているのに気付いた母が口を開く。
「戦闘はじきに落ち着くでしょうけど、問題は戦後の和平交渉ね」
「和平交渉、ですか」
「今の時点で聞こえている限りでも、アングルス領の受けた被害は相当なものだという話よ。わが国としては、少なくともその分は賠償金をふんだくってやりたい。けれど、相手が素直にそれに応じるかどうかはわからない。
この後、まあすぐにでもメリディエスは撤退するでしょうけれど、その撤退戦でどれだけ数を減らせるかが重要になってくるわね」
「はあ」
母の解説によると。
敵軍の被害が少ないまま撤退に成功させてしまうと、終戦後の和平交渉の席で敵国の発言力がある程度残ったままになってしまう事があるという。つまり、我が軍はそれほど被害を受けていないのだから、こっちが負けたわけではない、という事だ。
今回は事実はともかく、メリディエス側の言い分としては「演習中に部隊が矢による攻撃を受けたから」というものなので、彼らはその報復で攻め込んできた形である。
その後撤退したのは確かだとしても、その際に軍が受けた被害が少なかったとしたら、今回は「このくらいで勘弁しておいてやる」という理由で軍を退いたのだと主張され、むしろ「こちらは許してやったのだからそちらが賠償金を払うべき」と要求してくる可能性さえあるという。
お前は何を言ってるんだと言いたくなるような話だが、どんなに破綻寸前のストーリーであっても、実力さえあれば押し通せてしまうのがこの世界の外交というものだ。
そして国家の実力とは経済力と軍事力の事であり、その軍事力が残ったままになっているのなら、強気に出てくる可能性は高い。
決裂すれば、また戦争だ。
「ですがマルゴーの出稼ぎ組も同行していますし、無傷で撤退させるなんて事は無いと思いますが……」
「戦力だけで言ったらそうなのだけれど、率いているのはお義姉様ですからね。デスペル侯爵家は北部寄りに領地を構える貴族だし、南部貴族の面子を保つためにも、簡単に手柄を稼げる追撃戦であまり出しゃばるわけにもいかないとお考えになるのではないかしら。ライオネルなら何も考えずに皆殺しにするのでしょうけれど」
伯母は父よりは思慮深いらしい。そうは見えなかったけどな。いや父が思慮深いという意味ではなく。
「相手が撤退を決める前にある程度蹂躙して数を減らすか、追撃戦でマルゴーの戦力を手柄を立てるにふさわしい誰かに預けるか……。どちらも難しい気がするわね……」
なるほど。戦争というのは難しい。
こんなことなら、確かに文句を言いそうな敵国貴族だけ狙い撃ちで暗殺して回った方が早い気がしてくる。
「国を滅ぼすのは簡単でも、ちゃんと戦争するのは大変なんですね……」
「そうよ──あら? あれ何かしら」
母が中庭の隅に目を向けた。
釣られて私もそちらを見てみると、そこには小さな丸い何かが浮いていた。
その丸い何かは濃密な魔力を纏っており──いや、むしろ魔力そのものが渦を巻いていると言ってもいいものだった。
こういう渦を、私はどこかで見た事があったような気がする。
「──あれは!」
「お嬢! 奥様、下がって!」
護衛代わりに立っていた、『餓狼の牙』の面々がその渦から私たちを守るように滑りこんでくる。
そんな彼らの後ろ姿に、私はその渦をどこで見たのかを思い出した。
「……そうだ。あれは確か、以前にアングルス領にお邪魔した時の──」




