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ついに、メリディエスとインテリオラとの間で戦端が開かれた。
主戦場となっているのは両国国境線、インテリオラ南部のアングルス領だ。
絶対的な戦力差から、戦線はやや押しこまれ気味であるため、アングルス領にかなりの被害が出ているという。
戦力差がある原因は、インテリオラ側が十分な迎撃戦力を用意できなかったためである。
その理由はオキデンス地方の統治に人員を割かざるを得なかったからだ。
潜在的な敵国であるメリディエスを放っておいて所詮は他人事であるオキデンスに戦力を割いたのは愚かだったかもしれないが、インテリオラ上層部としてもメリディエスがいきなり戦争を吹っかけてくるとは思ってもいなかったのだ。
真冬の軍事演習の時点でキナ臭さはあったものの、オキデンス方面はその時点ですでにどうしようもない状態になっていた。
以前に王都駐留のマルゴー領軍の小隊長から受けた報告からすると、ジジやドゥドゥを生かすためにはオキデンスの滅亡は避けられない事であったという。
そもそも、お家騒動が起きるほどオキデンス王国が政情不安で揺れていたのは、それまでかの国を事実上支配していた結社の手綱が突然全て切れてしまったからだ。
これはもちろん、兄フリッツと愉快な仲間たちがオキデンスにおける結社の拠点を焼き払ったからである。その後に私が攫われ、結果として『愚者』や『女教皇』といった幹部級をまとめて始末してしまった事も無関係ではあるまい。
仮に拠点が焼き払われても、彼らが生きていればオキデンスで体勢を立て直す事も出来ていたかもしれない。
あれはそうしなければいつかマルゴーに悪意が迫ると危機感を覚えての行動だったので、後悔はしていない。
しかしオキデンスの拠点を破壊する流れになったのも、おそらくは王都近郊の森で結社の幹部であるオッサン仮面『悪魔』や屋敷に襲撃してきた『死神』を捕らえたからだ。
『悪魔』があの森に現れたのは、結社に少々の打撃を与えた何者かの足取りを追っての事だった。確かそんなような事を言っていた。
その後、『死神』がマルゴー本家に襲撃をかけてきたことを考えるに、その何者かがマルゴー関係者である事は間違いない。
基本的に領内にしか興味がないマルゴー勢が、自ら進んで結社にちょっかいをかけるのは考えにくい。
あるとしたら、たまたま領から出た時に何らかの事故に巻き込まれた末に、とかだろう。
心当たりがある。
こっそり国を縦断してアングルスに冒険旅行をした、あの時だ。
南が騒がしいと母から聞いた時、私は結社が関わっているかどうかを気にしていた。
しかし結社が直接かかわっていなかったとしても、ここに至るまでの道程には確かに結社の影があった。
そしてそれを誘発したのは、他ならぬ私なのかもしれない。
「──あのとき私が屋敷から出たりしなければ、戦争が起きる事もなかったのでしょうか」
王都の屋敷で開戦の報を聞き、色々と考えを巡らせた私は、そうぽつりと溢してしまった。
「あのとき? いつの事?」
母が耳聡く私の独り言を拾う。
「今から一年以上も前のことになりますが……」
「ああ。『餓狼の牙』とアングルスにハイキングに行った時のことね。──ミセル」
「……はい、お母様」
この呼び方は叱られるやつだ、と直感した。フィーネを呼ぶ時のトーンと同じである。フィーネは私が見る時はだいたいいつも叱られている。最近は私もよく叱られるが。
「自惚れるのはよしなさい。
たとえ誰であろうとも、たったひとりで戦争を起こすことなんて出来はしません。どういう経緯をたどったのであれ、戦争を起こしたのはメリディエス王国とインテリオラ王国であって、決断したのは彼ら自身です。貴女は関係ありません」
叱られる体裁ではあるが、これは確かに私を慰めるための言い方だった。
たとえ戦争の影に結社の存在があり、結社を焚き付けたのが私だと母も理解していたとしても。
「お母様……」
「なんですか。何か反論がありますか」
「……自惚れるなというのは、私には無理です。何しろ私は世界一美しいので」
「まあ。そのような大口が叩けるのならいいでしょう。自惚れるのはもう仕方がありませんが、不必要な責任を負おうとするのはよしなさい」
◇
アングルス劣勢の状況を受け、インテリオラ王国は王都に駐留している戦力も南部に向かわせる事にしたようだった。
一部の近衛と最低限の衛兵隊を残し、それ以外の全てはアングルス領に差し向けた。
また王国各地の地方貴族にも援軍要請がかかり、それぞれの領主は出せるだけの私兵をアングルス領に送った。
ただ、マルゴー辺境伯については別だ。
辺境伯が通常の伯爵より一段上の扱いを受けているのは、辺境の守りを一手に引き受けることで国全体の盾となっているからだ。
実は他にも、隣り合う他国に寝返らないよう普段から特別扱いしているという理由があるのだが、これはマルゴーにはあまり関係ない。マルゴーは王国の北の守りだが、マルゴーの北には魔物しかいないからだ。
アングルス領も領全体の面積や税収からすれば本来子爵相当が妥当なのだが、当主が伯爵であるのはこのためである。
ともかく、そういうわけでマルゴーとしては援軍を送る必要はない。
しかし今回、母は王都に駐留している出張二小隊を援軍として派遣することにしたようだった。
「よろしいのですか、お母様。たとえ我々の善意で派兵したとしても、こうした前例を作ってしまうと……」
あの時は出せたのに、と今後別件でも軍事力の供出を要求される事になるかもしれない。
今はたまたま魔物の氾濫の時期ではないし別の懸念のひとつも父が解決したようなので、ここ最近は遊兵が多いのは確かなのだが、いつもそうとは限らない。
そして魔物が人間の事情を考えてくれないのと同様、人間の戦争がマルゴー領の魔物の状況を考えてくれることもない。
今後の国家間戦争もタイミングよく魔物の氾濫を避けて勃発するかはわからないのだ。
「ええ。ですからマルゴーの兵ではなく、別の領の兵であるように偽装して送り出します」
「偽装って……。まさかまた家紋に布を貼ってヨシにするつもりではありませんよね? あれはさすがに無いです」
そう言うと母はムッとした顔をした。
あれでいいと本気で思っていたのか。てっきりふざけているのかと。
「当たり前です。ちゃんとその上から別の家の家紋を貼り付けます」
違う、そうじゃない。
助けを求めるようにディーを見た。
ディーは頷くと母に向かい口を開く。
「発言よろしいでしょうか。
別の家の家紋を貼り付けたとしても、派兵するマルゴー領軍の指揮官の小隊長が平民であることは変わりません。何らかの圧力を受けて別の軍に編入させられてしまうことも考えられるのでは」
なるほど、その危険もある。
あるが、それも違う。
おかしいな。これ私がおかしいのかな。
「ああ、それを気にかけていたのですね。でしたら安心なさい。それもちゃんと考えてあります。
信頼できる家から貴族籍にある指揮官を派遣してもらいました。その家は領内の治安維持に十分な戦力しか保持していませんから派兵は出来ないそうですが……」
「信頼できる家……。そんな知り合いいたのですね」
意外だ。
「何言ってるの。うちだってちゃんと貴族付き合いくらいしています。ディーだってうちと関わりのある貴族家と縁続きの出身ですよ。そうでなければ本家の長女の従者にはなれません」
そういえばそうか。
しかし生半可な貴族では、いかに指揮官として能力が高かったとしてもマルゴーの領軍を扱うことなど出来ないはずだ。
私は詳しくないのであまりはっきりしたことは言えないが、たった二小隊で一国の貴族を全て暗殺してしまうような連中である。
普通の戦力とは運用方法が全く異なるだろう。
たぶん、分類としては戦術兵器とか大量破壊兵器とかそういうものに近い気がする。
「──奥様。お客様がおみえになりました」
そこへ、ブルーノが来客を告げに来た。
「あら。来てくださったみたい。では、出陣式といきましょうか。マルゴーの屋敷の前で堂々とやるわけにはいかないから、中庭でこっそりとだけれど」




