10-6
「──お嬢様。終わりました。全員生け捕りにしました」
深夜のスラムの街角で、『餓狼の牙』の面々とまだかなまだかなと待っていたところ、ようやくアインズが姿を見せた。
アインズは騎士の格好しか見た事がなかったが、今は全身黒ずくめで口元も布で覆われている。
まさに忍者といった風体だ。部下が皆忍者だから自分も忍者の格好がしたくなったのだろうか。とは言え顔がバリバリの西洋顔なので、日本に遊びに来た外国人がそういうなりきりアトラクションを楽しんでいるかのような不思議なミスマッチ感がある。
「生け捕り? そういう指示だったのですか? アインズ様はお母様の指示でこちらに来られたのですよね。お母様も随分と丸くなられたようで……」
私は逆に影響を受けてバイオレンス化が進んでいると言うのに。
「あっ。今の丸くなられたというのは肉体的なお話ではなく精神的なお話なので、どうかお母様への報告は──」
「いいえお嬢様。生け捕りは私の判断です。と言いますのも、今回の下手人が私の以前の知り合いだったからです。
一度、お嬢様にお会いになっていただき、その上で処置を決めていただこうかと」
学園に忍び込み、こっそり宝探しの秘宝を盗んだのはアインズの知り合いだったのか。
知り合いは選んだ方がいいと思うが。
「……お母様の指示はどうだったのですか? アインズ様のアルバイト的には、雇い主はお父様でしょうから、普通に考えれば私よりもお母様の指示に従うべきなのではと思うのですが」
貴族の夫人であれば、通例だが当主の共同経営者として扱うというような風潮がある。
現在王都に父はいないので、王都においてはマルゴー家に仕える者は本来母の指示に従って行動するべきだ。
「もちろん承知の上です。その上で、お嬢様に判断を仰ごうと考えました」
え、なんで。
アインズの信頼が重い。
有給の使い過ぎでどうかしてしまったのだろうか。
いや、元は私のストーカーだし、実はこれが素だったのかもしれない。怖。
しかし引きそうにも見えないし、『餓狼の牙』の面々も特に不思議に思っていないようだし、ここは私が折れてその犯人に会ってやるしかないようだ。
まあ確かに、あの厳しい警備を掻い潜った挙句に盗みだしたのが私の手作りマスコットとか、どういう気分でそんな事をしたのか気にならないと言えば嘘になるが。
建物の中と外、そして周辺のクリアリングは済んでいると言うので、私はビアンカとネラを伴ってうらぶれ酒場に入っていく。サクラは外で待たせる。入れない事はないだろうが、サクラは体格がいいので床に穴が開いてしまうかもしれない。
薄暗い酒場の床には、縛られた状態の屈強な男たちが転がっていた。
しかし清潔感の感じられない酒場の雰囲気とは違い、倒れている男たちには汗臭さなどは無かった。むしろフローラルな香りさえ漂っている。
香水だろうか。大人向けのようなので、私が普段使っているブランドとは違う。かと言って男性向けのきついものでもない。
なんでこんなおしゃれな香水を使っているのだろう。
もしかして皆酒場の店員なのだろうか。接客業なら、柔らかい印象の女性向けの香水を利用するのもわからないでもない気がする。いやどうかな。
私はその中の、見覚えのある怪しい仮面を付けた、一際見事な筋肉をしている男に近づいた。
アインズの昔の知り合いって、結社の人間だったのか。そういえばアインズは結社をやめて騎士にジョブチェンジしたのだった。
「──こんばんは。初めまして。ミセリア・マルゴーと申します。貴方が主犯の方でしょうか。
お手紙拝見いたしました。ですが私もこれでも貴族家の令嬢ですので、ひとりで外出するというのはちょっと現実的ではありません。ですので大変申し訳ありませんが、このように大人数でお邪魔する事になってしまいました」
声をかけても、仮面の大男は私を見上げてぽかんと口を開けたまま何も言おうとしない。
私と話す事は無い、という事だろうか。
何でこんな事をしたのかを聞いてみたかったのだが。
仕方がないので話題を変える事にした。
「ところで酒場に呼び出したという事は、ここのオーナーさんは貴方なのでしょうか。見たところ関係者の方しかおられないようですが、今日は貸し切りですか? 違うとしたら、おそらくお客様がいらっしゃらないのは店名のせいではないかと──」
◇◇◇
酒場に足を踏み入れたその人物を目にした瞬間、『恋人』は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
薄暗い中でありながら、なお輝くような白金の髪。
どこまでも深い碧の双眸は暖かい海を思わせる。
透き通るような白いかんばせは、まるで白磁の陶器のよう。
『恋人』たちが憧れ、求めてやまない、しかし決して自分では到達できないとわかっている、この長き道のりの先。その頂。
この世の全ての美を凝縮し、人の形に整えたのなら、およそこういう存在が出来上がるだろう。
それは、そんな姿をした娘だった。
強いて言うならば、この娘は少々胸部が大きすぎてアンバランスだが──と考えていると、その胸元から一羽の小鳥が顔を出した。
小鳥の顔の大きさから体格を推察するに、娘の胸の慎ましさたるや想像するに余りある。
しかし、それはなんらマイナスポイントにはならない。
むしろ大きすぎるより小さすぎる方が余程いい。
大きいものを削るのは難しいが、小さいのなら鍛えればいいだけだからだ。大胸筋とかを。『恋人』やその仲間たちのように。
足元に侍る白い子犬と黒い子猫も、ただの小動物とは思えない威圧感を辺りに放っている。
もちろん、本当に【威圧】を放っているわけではあるまい。いくらなんでも、こんな小動物にそんな技能があるはずがない。
磨き抜かれたその毛艶の輝きがこの小汚い場末の酒場にあるという、視覚的なギャップがもたらす錯覚に違いない。
娘は軽く店内を見渡すと、まっすぐに『恋人』のところへやってきた。
「──こんばんは。初めまして。ミセリア・マルゴーと申します」
何と言う事だ。
声まで美しいとは。
ここまで差を見せつけられてしまうと、もはや嫉妬する気さえ起こらない。
ミセリア・マルゴー。
類稀なる美しさ、という評判は耳にしていた。
ただ直接目にした者は少ないとの事だったので、どうせ誇張だろうと考えていた。
父である領主が溺愛のあまり屋敷から出さないと言うのも、親馬鹿ならばあり得るだろうと。
しかし、違った。
これは類稀な美しさだとか、そんな陳腐な言葉で形容していい存在ではない。いや、そもそも人と並べていいお方ではない。
人ならざるもの。
そう、これは神だ。
美の神だ。
『恋人』の筋肉に宿る特別なスキル、【肉体美】も疼いている。
本来の主に会えて喜んでいるかのようだ。
『恋人』は『隠者』との会話を思い出した。
『隠者』には忠誠を捧げる相手がいる、と。
忠誠。
『恋人』には無縁の言葉だと思っていた。
『恋人』が信じるのは自分たちだけ。それは、自分たちより優れた人間などいないと心のどこかで思っているから。
『恋人』が誰かに膝を折る事があるとすれば、それは人ならざるもの、美の神にだけだ。それが『恋人』の信仰だ。
しかして今ここに、『恋人』の信仰は成就した。
膝を折るべき相手をついに見つけたのだ。
◇◇◇
「──思いますので、まずは店名をポップでキャッチーな感じに変更して、あとは酒場ということは飲食店なのでしょうから、清潔感も大切です。立地についてはどうしようもありませんが、どうしようもないのならそれを敢えて利用する方法を考え──って、何をしているんですか?」
縛られた男たちはぼうっと私の話を聞いていたのだが、しばらくすると全員でうぞうぞと動き出し、皆してうつ伏せの状態になってしまった。
誰も彼もが見事な筋肉を持っているため、整然と並んだその姿には、どこか荘厳な印象さえ受ける。
どこかで見たことあるような、と思ったが、これはあれだ。競り場に並ぶ冷凍マグロの集団。全然荘厳じゃなかった。
「──神よ」
うつ伏せになった男たちは床に額を擦り付け、一斉にそう声を上げた。
床に額を擦り付けているのは、あの秘宝を盗んでしまって申し訳ないという気持ちの表れだろうか。
額を擦りつけている理由はそれでいいとして、じゃあ神ってなんだ。
もしかして、酒場の経営について差し出がましくも一言申し上げた件だろうか。
私としては今のところ、店名を改めて店を掃除しろとアドバイスをしただけである。
たったそれだけでこの神扱いなのだとしたら、彼らはいったいどれだけ商売に向いてない集団なのか。
いや、だからこそ結社などという怪しげな組織に所属しているのかもしれない。
本業の酒場が閑古鳥だから、きっと仕方なく悪事に手を染めているのだろう。
となると、今回の件は彼らのせいだとばかりは言えない。
もちろん一番悪いのは彼らの弱みにつけこんで悪事を働かせる結社であるが、そうしなければ生活できない状況にさせているのは社会構造の脆弱さによるものだ。
きっと、このスラムめいた平民街外れには、似たような人たちがたくさんいるに違いない。
マルゴーに行ったいい感じの忍者たちを見ればわかるが、地方に行けば土地もあるし、土地があるなら仕事も出来る。もちろんその地の為政者にもよるが、王都のように食うに困るような事にはなりにくい。田舎と言うのは基本的に人手が不足しているものだからだ。
しかし、魔物という恐ろしい自然災害が跋扈しているこの大陸では、都会で仕事にあぶれたから地方に引っ越すというような事は気軽には出来ない。
傭兵のような者を雇って安全に移動する乗り合い馬車ならば定期的に出ている。しかし、そうしたものには当然お金がかかる。
王都で失敗し、全てを無くした者が容易に選べる選択肢ではない。
きっとこの屈強な男たちも、なけなしの資金を出し合ってこのうらぶれた酒場を買い上げ、再起しようと頑張ってきたのだろう。
店の見た目を良くするのは結構お金がかかるから仕方がないとして、まずは身なりを整えようと清潔にし、香水まで手に入れた。
しかし思うように売上げは伸びず、いつしか後ろ暗い事に手を染めなければならなくなり、ついには結社の手をとってしまった。
多分そんな感じだと思われる。
ちょっとアドバイスをしただけの小娘を神と崇めるほど素直な人たちのようだし、間違いない。
「あの、皆様。お顔を上げてください。
盗みを働いた件についてでしたら、私はもう怒ってはおりません。皆様にもきっと、自分ではどうしようもない事情がおありだったのでしょう。
ですから、許します。
その代わり、これからは後ろ暗い事には手を染めず、真面目に真っ当に働いて、この酒場を盛り立てていってください」
すると、彼らのリーダーらしき、結社幹部の仮面を付けた男だけが顔を上げた。
「……許す、って、いいの?
アナタだから言ってしまうけれど、結社ははっきりとアナタを狙っているわ。甘い顔を見せれば、絶対にそこに付け込まれるわよ。
せっかく出会えた生き神様にこんな事を言うのは哀しいけれど……私のことはここで殺したほうがいいわ。そして、私の首を結社に送りつけなさい。それできっと、結社も一度考え直すはず。
でも出来れば、私以外の他の子たちは、見逃してあげて欲しいけれど……」
仮面の筋肉大男は、その外見からは全く想像が出来ないような、女性らしさのあふれる口調で話しながら私を見上げている。
実に個性的な人物である。
結社の関係者は何かと個性が強い人物が多い気がするが、その中でも群を抜いていると言えよう。
この口調がこの人物の素なのだとしたら、きっと非常に生きづらかったに違いない。
うまく働けないのはそのせいなのかもしれない。今のこの国は、私の前世の世界ほど性の多様性について寛容ではない。
もちろん中には私やグレーテルやドゥドゥ姉妹やディーのような例外はいるが。例外多いな。
私は幸い容姿に恵まれたが、私の容姿に関わらず、私がマルゴーの三男である限りは今と変わらない境遇であった事は間違いない。
だとしたら、私がそのまま彼の立場であったとしても何もおかしくはなかった。まあ彼もその筋肉の盛り上がりを見る限りではある意味で非常に恵まれた肉体を持っているとも言えるので、もし私が彼のような容姿だったら今のように生きたかどうかはわからないが。
「殺すとか首を送りつけるとか、穏やかではありませんね。私にそんなつもりはありません。
──アインズ様、皆様の縄を切ってあげてください。きっともう大丈夫です」
アインズといい感じの忍者たちが屈強な男たちの縄を切って回る。
男たちは全く暴れる様子をみせなかった。
それどころか、自由になっても立ち上がりもしない。
立膝というか、いわゆる跪いた状態で私を見上げている。よく見ると全員化粧をしているようだ。といってもけばけばしい感じのものではなく、舞台俳優か何かのそれに近い。
顔立ちも整った人が多いので、イケメン筋肉パラダイスと言えよう。それ言うほどパラダイスなのかな。
「代表の方と少しお話をしただけですが、皆様の事はわかりました。今までさぞかし苦労をされたでしょう。
皆様の事は他人とは思えませんし、これも何かの縁です。よろしければ、この酒場は私にプロデュースさせてもらえませんか? そして、ここで引き続き働いていただけませんか? きっと満足させてみせます。
この酒場を、今のようなうらぶれた物ではなく、誰もが安心して入れるような、憩いの場にしてみせましょう。
そうして誰にとっても安らげる居場所を作り上げ、提供する事で、皆様の成功体験に繋げるとともに、この街外れに住まう人々でも成功することが出来るのだと希望を与えていこうではありませんか」
前世では一時期、隠れ家的居酒屋みたいなものが流行ったり廃れたりしていた。
流行ったのは多分ひとりで静かに飲みたい需要が高まったからで、廃れたのは隠れ家的に改装するのに無理があった店舗が多かったからだろう。
現状だとこの酒場は店というよりただの隠れ家に近い。普通のお店を隠れ家的な店にするのは無理があっても、隠れ家を隠れ家的な店にするならそれほど難しくはないはずだ。
「居場所を……作る……」
「そうです。皆様の居場所は、皆様自身の手で作り上げるのです。その手助けは、僭越ながら私にさせてください。
あ、学園の方のイベントとかが終わってからですけど」
【肉体美】は魅力を参照するあらゆる判定にプラス補正を与えますので、それを使って【魅了】を成功させたようです。
決して警備の方がそういう趣味だったわけではありません。ありませんが、今回の件は忘れさせられたとしても、その経験は無意識下に刻み込まれ、今後の嗜好に影響を与えないとは限らないのが恐ろしいところです。
【肉体美】は魅力判定にしか影響しないので、戦闘力が高いのはスキル関係なく素の模様。




