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「──なるほど、なるほど。お母様が自信を持っておっしゃるだけの事はありますね。大したものです。私ほどではありませんが」
「……こんな者、どこから見つけてきたのだ……」
私専用の侍女である、と紹介された少年を前に、私と父は唸った。しかしその唸りの持つ意味は正反対だ。
その少年はどこからどう見ても可愛らしいメイドだった。
歳は私と同じという事だが、上背のせいか若干歳上に見える。男性だから背が高いのだろう。そういえば、私の身長の伸びが悪いのは何故だろうか。女装するには都合が良いが、長身のモデル体型というのもそれはそれで憧れるのだが。
私の事はいいとして。
少年は母が目を付けただけの事はあり、屋敷の他のメイドと比べても上位に入る美しさだ。私の世話係にふさわしいと言える。
というか、何となくどこかで見た事がある気がする。と考えたところで思い出した。
彼は以前、ギルバートが当家に訪れた時に案内してくれた従僕だ。
私を見つめるこの瞳は確かにあの時と同じものだ。
女装について本人が納得しているのかわからないが、母の話では元々そういう願望のある少年だったらしい。本当にどうやってそんな事を聞きだしたのか。
私の正体を知った上でその世話をする事についても、むしろ光栄だとの事で目を輝かせていた。
意欲があるのはいい事だ。
このビジュアルならば私の下着を洗っていても地獄の風景にはなるまい。天国とまでは言えないかもしれないが、十分許容範囲だ。美しさは全てを許す。神の愛と同じである。つまり美しさとは神の愛。その化身である私は女神に等しいということだ。
「……一番不安なパターンではないか、これは……」
いつも顰め面なのでわかりにくいが、父親表情検定一級の私にはわかる。
これは激しく後悔している時の貌だ。丸投げにするんじゃなかった、と思っている時の貌である。
「大丈夫です。ディートハルト──いえ、ディートリンデの忠誠心は確かですわ。きっとミセルの為に尽くしてくれることでしょう」
「……私が疑っているのは忠誠心ではなく正気なのだが……。そしてお前の口車に乗って嬉々として女装している時点で、正気については信用ならんのだが……」
父は弱々しく母に抗議しているが、ディートハルト氏も正気についてマルゴー家にだけは言われたくない事だろうと思う。私が言えた事ではないが。
ちら、と目が合うと、ディートハルト氏は蕩けるように笑みを浮かべた。
なるほど確かに、これはもうディートハルト氏ではなくディートリンデ嬢だ。
ここまでやらかしておいて、さすがに連れて行かないという選択肢はない。
ディートリンデはめでたく私の筆頭侍女に内定した。
学園に通っているうちは見習い扱いだが、私が卒業すればそのまま筆頭侍女にシフトする予定である。
加齢による外見の変化もあるだろうし楽観視はできないが、役職としては一応将来安泰と言っていいだろう。そうは言ってもこの世界の人間は誰も彼も老化が緩やかで美形揃いなので、そこまで心配はしていない。
実際、父も髭さえ落としてしまえば十分通用しそうな顔立ちをしている。
何に通用するかは、口に出すと烈火のごとく怒りそうなので言えないが。
ともかく、これでようやく王立学園入学の準備が全て整ったというわけである。
後はディートリンデと共にクロードの操る馬車で王都へ向かうだけだ。
クロードも一緒に行くのは、王都にあるマルゴー家の別荘の使用人に各種申し送り事項を通達するためで、それが終われば彼は領地に帰る事になる。
◇
別れを惜しむ兄2人と妹の涙を振り切り、マルゴーを出た私とディートリンデは、数日の馬車の旅を経て遂に王都の土を踏んだ。土を踏んだというか踏んだのは石畳だが。
王都はそのほとんどが舗装されている。その事実ひとつ取ってみても辺境の片田舎のマルゴーとは大違いだ。
マルゴーでそんな事をしても魔物や傭兵に石畳ごと踏み荒らされてしまうから意味がないという事情もあるが。
王都に入ると同時に揺れが少なくなった馬車で、ディートリンデと最後の打ち合わせをする。
「私の性別についてはトップシークレットです。決して口外してはなりません。これは貴女の性別についても同様です。そこから連鎖的に暴かれてしまう恐れがありますからね」
「問題ありません、ミセリアお嬢様。この姿の時の私は心から女です」
「それならよろしいですわ」
いやよく考えたらよろしくないな。
一瞬何を言っているのかよくわからなかった。
着替えると性格が変わるのだろうか。まあ、王都に居る間は常に女装させておけば問題ないか。
そうこうしているうち、馬車は王都の別荘へ到着した。
外壁からあまり離れていないので、外から来たならすぐである。
中心部にある王城からは遠いという意味でもあるが、元より当主の父がこの屋敷に来る事はめったにないので問題ない。
肝心の学園だが、こちらは王城よりはだいぶ近いらしい。歩いて通学出来ない事もない距離だが、病弱な貴族令嬢が歩いて通学するわけにはいかないのでそんな事はしない。
クロードが別荘の使用人にそのあたりも説明している。学園が始まれば毎日馬車で私を送迎しなければならない、という話だ。
それから私の世話については全て侍女見習いのディートリンデが受け持つこと。他のメイドたちは私の世話はサポート程度でいいこと。病弱なのであまり近くで騒いだりしないよう注意すること。
おおむねそんなところである。
王都の屋敷の使用人は当然ながら私に会った事がない。
なので馬車から下りた私とディートリンデを見て皆目を丸くしていた。
ここで早速修行の成果を発揮する。
私は軽く眼を伏せ、声を抑えて言った。
「……初めまして、皆様。ミセリア・マルゴーです……。病弱ゆえご迷惑をおかけしますが、3年間どうぞよろしくお願いします……」
「──っはっ! あ、はい! お初にお目にかかります! 私はこちらの屋敷で執事の職を拝命しております、ブルーノと申します! 何なりとお申し付けください、ミセリアお嬢様!」
執事ブルーノを筆頭に、出迎えに出て来ていた使用人たちが一斉に背筋を伸ばし、斜め45度のお辞儀を決めた。
と同時に感覚でスキルが発動したことが分かった。【魅了】という言葉が脳裏をよぎる。
話が違うじゃないか侯爵夫人。
目を伏せれば魅了しないんじゃなかったのか。
ブルーノにしばらく色々と言いつけていたクロードを見送り、使用人の案内で部屋に向かった。
この屋敷はマルゴー家所有のものだが、父が買ったわけではない。買ったのはご先祖様だ。
私が案内されたのは代々のマルゴー家の長女が使うために用意されているという部屋だ。代々の長女という事は、つまりそういう事である。
部屋に入ってみると広さはそれほどでもなかったが、部屋の中にトイレや浴室などがひと通り揃えてあった。キッチンもある。ここだけワンルームマンションみたいだ。この屋敷がいつ作られたものなのかはわからないが、2階なのに水場があるのは正直驚いた。
たぶん私の知らない魔法的なサムシングで解決しているのだろう。ずいぶんと金がかかっている。
何かの理由で王都に連れてこざるを得なくなったとしても、絶対に部屋から出さずに生活できるようにという固い鋼の意志が感じられる。
基本的に領地から出ないはずの長女の為に王都の屋敷にわざわざ部屋が用意されているのは不思議だったが、どうしても連れてこざるを得ない時の為だろうか。こういう引きこもり専用の部屋がなければ、王都に連れてくるだけでリスクが高くなる。
もっとも私の女装は完璧なので、普通の部屋でもボロを出す事などなかったろうが。
貴族令嬢の私室としては狭めのこの部屋だが、一般的に考えれば十分に広い。
そこで使用人たちに命じ、部屋にもうひとつベッドを運ばせた。ディートリンデの分だ。
病弱な私の世話を休みなしの付きっきりでするため、夜も側にいてもらうという体である。
実際はもちろんディートリンデを他のメイドたちと一緒に生活させるわけにはいかないからだ。
元々長女1人分の生活家具しかなかった事を考えると、これまで今回と同じように専用の侍女を用意した事は無かったのだろう。つまりディートリンデのようなケースは初めてだということだ。改めて母の特異性がうかがえる。いやそもそもおかしいのはマルゴー家のしきたりだが。
あまりみだりに外出するのは良くないだろうし、少し気になる点もある。
ディートリンデもそれほど気負っている様子はないし、おそらく杞憂なのだろうが、王都に居る間は最大限警戒を高めておく必要はあるだろう。
ひとりでは何の力も持たない私である。警戒しておいて損という事はあるまい。
何にしても、今日から王都での新しい生活が始まる。
それは少しだけ楽しみだった。




