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「ところで、お母様はお帰りにならないのですか?」
「それは私に帰ってほしいという事かしら」
「いいえ、とんでもありません。お母様がいて下さって嬉しいです。でも、お父様と一緒にいたいのでは、と思っただけで」
私がそう言うと、母は「いい子ね」と言って私の頬をむにむにと摘んだ。これ本当にいい子にする対応なのか。
「それに結社の件もオキデンスの情勢も落ち着きましたし、もう王都の危険も減ったと言っていいのでは」
「どうかしら。まあ、オキデンスの情勢はまだ不透明ですけれど。主にどこからどこまでを誰が統治していくのかという我が国の貴族の縄張り争い的な意味で」
もうそこまで話が進んでいるのか。さすが貴族汚い。
「我が家も参加するのですか?」
「するわけがないでしょう。マルゴー家はマルゴー領だけで手一杯です。私の実家は食い込めそうか試してみるみたいな事を言っているようですけれど」
「食い込めるのですか。凄いですね」
「凄いのはライオネルです。この間持ってきたオーガの生首があったでしょう? あれが魔王として認定されたのよ。
それで魔王討伐の功績として勲章と爵位、領地、報奨金などが国から出るのだけれど、マルゴー家はこういう場合報奨金以外はすべて辞退するのが慣例になっているのです。その分報奨金が多くなったり、国に納める税金がさらに優遇されたりするのだけれど、それでも爵位や領地に比べれば褒美が少なめになってしまいます。
そこで私を通じて縁続きだということで、私の実家がマルゴー家の代わりに領地をとまではいかないけれど、新たに増える国土の管理権の競売に──」
競売形式なのか。
と思ったのだが、聞いてみると形式こそ競売だが実際は競売にかける前にすべて決まっているらしく、競売そのものは結果の決まった式典のようなものに過ぎないそうだ。
競売が開催される前にいかに根回しを済ませておくかという、貴族が大好きな政治的なパワーゲームが水面下で開催されているらしい。
母の実家は本来であれば参加できる資格はなかったようなのだが、父が魔王討伐を成し遂げたおかげでギリギリ利権に食い込めるかもしれないのだそうだ。
母の実家もあまりそういうことは得意ではないらしいのだが、本来そうした事には参加しないマルゴーの関係者ということで、もしかしたらワンチャンあるかもしれないと張り切っているのだとか。
政治が得意ではないマルゴーであるが、貴族社会ではやはりそれなりに恐れられているのである。
どれだけ財力があろうとも、どれだけ権力があろうとも、人は殴られれば痛いし最悪死んでしまう事もある。
どこまでいっても単純な暴力というのは恐ろしいものなのだ。
実際、王都の衛兵の質やオキデンスでのマルゴー小隊の活躍を考えると、貴族たちの懸念もわからないではない。
あの力がひとたび牙をむく事になれば、衛兵や私兵ではどうやっても止められまい。
「ではオキデンス地方の切り分けの件があるから、お母様は王都に残られたのですか?」
「いえ、実家が参加するかもしれないとは言っても、私はもうマルゴーの女です。名前や縁は貸しますが、直接手を貸す事はありません。その話をしたのは、貴女がオキデンスの情勢が落ち着いたとか言ったからよ。その認識は正確ではないので、矯正しておこうと思ったまでです」
「はあ。申し訳ありません」
「付け加えると、王都の危険が減ったのは確かにその通りですが、インテリオラ王国として脅威が完全になくなったわけではありませんよ」
「どういうことでしょう」
母は一度、紅茶で舌を湿らせた。
「──実は最近、南が少し騒がしいという情報が入ってきています」
「南……。アングルス領とかでしょうか」
たぶん他にもあるのだろうが、インテリオラ南部というと私はアングルスしか知らない。ギルバート元気かな。
「もう少し南ね。メリディエス王国です」
そういえば、結社の関係者を初めて見たのはメリディエス王国だったか。
オキデンスの本拠地が壊滅し、『女教皇』や『愚者』を始末してから大人しくしていると思っていたが、そうでもないのだろうか。
「そろそろ、冬が来ます。あの国はここよりかなり南にあるだけあって、寒さが厳しい土地ですからね。
ここ数年は土地が痩せてしまって収穫量が減っているという話もありますし、そろそろ国として限界なのかもしれません」
インテリオラの豊かな土地や食べ物を狙っている、という噂があるらしい。
それだと結社が関わっているのかどうか微妙なところだ。
◇
メリディエス王国が多少騒がしかろうと、インテリオラ全体としては特に変わった事はない。
特に王都は平和なものだ。
例の競売がどうとかで、貴族家の当主付近はバタバタしているところもあるらしいが、学園に通っているくらいの層だとそこまで影響はない。
「──何だか、随分とまったりしているようですが、催事運営委員会の活動はいいのですか?」
放課後。
仲良しメンバーで集まって優雅にお茶を嗜んでいると、ジジが突然そんな事を言い出した。
そういえばあったな、そういうの。
私としても何かあった時に使える手駒が多いとありがたいので、半ば私の取り巻きのような立ち位置になっているジジとドゥドゥを加入させておいたのだった。
「今年はもうやらなくてもいいと学園長からは言われておりますが……」
「はい、私もそのように聞いています。でも、それはその……ユールヒェン様とルイーゼ様の決闘祭の功績があるからですよね?」
水を向けられたルイーゼは恥ずかしそうにしている。やらかした自覚はあるらしい。一方のユリアはいつも通りだ。相当目立つ大立ち回りだったと思うのだが、あのくらいはなんてことないということか。さすがは侯爵令嬢である。
「そうですね。あの頃はまだ催事運営委員会もありませんでしたし、詳しくは聞いていませんが、結構な収益だったとか」
「あ、はい。具体的な数字は必要ないかと思ってミセリア様には報告しておりませんが、私たちのほうで帳簿は控えております」
エーファがそう言い、ヘレーネも頷いている。
さすがである。
およそ貴族令嬢の仕事ではないように思えるが、優秀なのはいい事だ。
何故かユリアがドヤ顔をしているのが気になるが。
「その時はまだ催事運営委員会は無かったのでしたら、委員会としては今年の実績はゼロということになるのでは」
確かに、ジジの言う通りだ。
しかし学園長はいいと言っているのだが。
「学園の運営全体を学園長がおひとりで管理されているわけではないでしょう。王立学園ですし、特に予算編成などは国から専用の職員なり監査官なりが送り込まれているはずです。
書類上、今年の実績がないのでしたら、来年以降の予算編成で不利になる可能性が……」
名前だけみたいなものだし、本格的に活動するとしても来年からだと思っていたのだが、そんなガチでやらないといけない感じだったのか。騙された。
しかし学園に慣れたとはまだ言えないくらいのはずなのに、さすがはジジである。
一国の王子に成り替わって国を転覆させようとするだけの事はある。
ドゥドゥも「僕の従兄弟すごいでしょ」という感じでニコニコしている。お前はニコニコしてる場合か。いや今はもういいのだろうけど。




