9-7
咆える鬼王に対するライオネルは、折られた剣を捨てた。
持っていても邪魔にしかならない。
もはや体力も少なく、魔力も残っていない。
武器も破壊され、この身一つで鬼の頂点と立ち合わねばならない。
しかし、まだ終わってはいない。
こんな状況は、これまでの歴史の中でいくらでもあったはずだ。
先代たちはそれを乗り越え、今日までマルゴーの血を繋いできた。
もちろん力及ばず倒れる事もあっただろう。
しかしライオネルの「その時」は今ではない。あってはならない。
ライオネルの中に眠るマルゴーの血が、熱くなっていくのを感じる。
自然と身体が構えを取る。
かつて憧れ、幼い頃から何度も模倣し、しかし全く出来るようにはならず、それでも諦めずにずっと続けていた訓練。
ようやく出来るようになったのは、そう、父が死んだあの時だっただろうか。
それも、父の日記を読んだ今ならば分かる。
これはそういうものだからだ。
「……まさか、ここまで追い込まれるとは思わなかったが……。魅せてやろう。我らがマルゴーの積み重ねてきた、血の重みというやつをな」
自分の力が残りわずかしかないのなら、他から引っ張ってくるしかない。
このオーガキングがそうであるように、ライオネルの背中にも父を始めとした歴代マルゴー領主の魂が宿っているのだ。
マルゴー家に代々伝わるオリジナルスキルがある。
しかし常にただ1人しか発動できず、次代に継承させるには、当代の継承者が死ぬしかない。
そんな使い勝手の悪すぎるスキル。
そう、今のライオネルは、オリジナルスキルを2つ持っている。
「ウオオオオオオオ! ココデ貴様ヲ倒シ! オーガノ未来ヲ!」
オーガキングが砕けた剣を振りかぶり、突進してくる。
全身から血を吹き出しながらも、これまでにない速度だ。
命を燃やしている、とかそういう状態だろう。瘴気によって成長する魔物は常識では測れない挙動をする事がある。
しかし、常識で測れないのはライオネルも、マルゴーの民も同じだ。
「──土塊に変わるのは貴様だ、若すぎた鬼の王よ。【天国への門】。第一の門、開門──」
◇◇◇
母は表面上こそ平気な顔をしているが、心ここにあらずなのは明らかだった。
心配でしょうがないのはもちろん私も同じだ。
しかしそんな母の様子を見ると、私だけが取り乱すような事も出来なかった。
私は学園を休み、ずっと母についていることにした。
母はその事も気に病んでいるようだったが、こんな状態の母を1人にはしておけない。
幸い私は友人に恵まれていたので、休みの間に授業のノートをとっておいてくれたグレーテルたちが毎日屋敷に来てくれた。
グレーテルも王太子である自分の父を尊敬しているらしい。だから気持ちはわかると言って慰めてくれた。
ユリアもそうだ。タベルナリウス侯爵がマルゴー家をはじめとする地方貴族と仲が悪いのはわかっているらしいが、それでも彼女にとってはいい父親である。だから私や私の母の気持ちに理解を示してくれた。
一緒に来ていたエーファとヘレーネも同様だ。
ルイーゼの父は普通に男としてわりと最低ラインにいる屑である。いやこれは私ではなくルイーゼ本人の言だが。彼女はそう言いながらも、尊敬できる父がいるというのは自分にとって羨ましいことだから、帰ってきたらぜひ労ってあげて欲しいと言ってくれた。これわざわざ自分の父親が屑ってコメント挟む必要あったかな。
ドゥドゥとジジの父親はもう亡くなっている。
しかもドゥドゥの父親を殺したのはジジの父親で、そのジジの父親を殺したのは我がマルゴーだ。
そしてそのマルゴーのトップが今、生死不明の行方不明である。
その父の心配をする私というのは、彼女たちにとってはさぞ複雑な存在のはずだ。
しかし、2人は純粋に私を想って慰めに来てくれたようだった。
ジジが言うには、ここに至るまでの経緯の一切はすべて自分と大公の責任であり、たとえそこにマルゴーが介入していたとしても、恨むのは筋違いであるのだそうだ。
どうあがいても失敗したら死ぬしかなかったジジが今生きているのは私とグレーテルのおかげであり、今の新しい人生には──姿格好を除いて──何の不満もないと言う。
それを与えてくれた友人を心配するのは当然であるため、自分たちの事は気にしないで思う存分父親を心配するといい、ということだった。
ドゥドゥも笑顔で頷いていた。
領地を出て、学園に通い、色々な事があった。
その中で様々な出会いと別れがあり、今の私を形作っている。
心配して屋敷まで来てくれた友人たちは、まさにその賜物と言っていいだろう。
きっかけは王家からの打診だったのかもしれない。
でも、最終的に王都へ来る事を許してくれたのは父だ。
そんな父に見せてやりたい。
私にはこんなにいい友達が出来たんだよと。
まあ父はマルゴーを離れられないだろうし、この子たちをマルゴーに連れていくのはさすがに危ないだろうから、実現できるかどうかはわからないが。
とにかく、父が帰ってきたらそういう話をたくさんしたいのだ。
◇
そうして私と母は、父に関するマルゴーからの報告を待った。
たった数日の事だったが、私と母には永遠にも思える長い時間だった。
しかし結局、報告が来る事は無かった。
数日後にやってきたのは報告ではなく、父本人だった。
それも、凶悪な顔をした鬼の生首を携えて。
◇
「──ですから、無事なら無事ときちんと報告を──」
「……ああ。わかっている。悪かった」
「そもそも、領主ともあろう立場の人間が、ひとりで危険区域に立ち入る事自体が──」
「……いや、しかしだな。この案件については、元よりマルゴー領主の役割で──い、いや、わかっている、悪かった」
「こんな事、素人の私がベテランの貴方に言うような事ではないと思いますが、偵察と言うのは決して敵首魁の暗殺の事ではないんですよ──」
「……ああ。それもわかっている。悪かった。
それより、そろそろ王城に報告に行かねばならん。悪いが、話は帰ってからだ」
屋敷に立ち寄った父は母につかまり、半日に渡って拘束されていた。
マルゴーの馬車を使った事で短縮した時間はすべて消費してしまったようだ。
出来れば私も話をしたかったのだが、まあ、後でいいか。
国家を揺るがせかねない、いわゆる魔王クラスの魔物を討伐したとかで、王都にはその報告で来たらしい。
マルゴーを離れて大丈夫なのかと聞いてみたが、マルゴーを離れる事が出来ない理由のひとつを排除したから、少しくらいなら大丈夫なのだそうだ。
何だか良くわからないが、これまでの歴代領主が為し得なかったことを一部とはいえ為すことが出来たとか言って口元が緩んでいたので、たぶん凄いことなのだろう。
さすがは私のお父様である。
◇
父が王都に来たのなら、こんな都合のいい事は無い。
後日私は、王城への報告を終え、母の説教も耐え抜いた父に友人たちを紹介する事にした。
「おおおおお義父様! は、初めまして! マルグレーテです! むむ、娘さんにはいつもお世話になっています!」
「……マルゴー辺境伯、ライオネルです。こちらこそ、娘が世話になっています。マルグレーテ王女殿下」
「ははは、はい! お世話してます!」
私、言うほどグレーテルに世話されてるかな。まあ世話もしてないが。
「初めまして。辺境伯閣下。今日はタベルナリウス侯爵令嬢としてではなく、お宅のお嬢様のただの友人のユールヒェンとして来ていますので、どうかお気づかいなく」
「タベルナリウス侯爵……。ああ、なるほどな。ずいぶんと活躍しているらしいな。お噂はかねがね。
では、今日は私も娘の父として対応するとしよう。これからも娘を頼む、ユールヒェン嬢」
私は王都に来るまでまったく知らなかったのだが、父はタベルナリウス侯爵の事も知っているらしい。
さすがは私のお父様である。
しかし王都をメインに活動している商業系貴族なのに、マルゴーまで噂が届いているとは相当なものだ。ユリアの実家もなかなかやりおる。
「は、初めまして。マルゴー辺境伯閣下……」
「初めまして。私はジジ。こちらはドゥドゥです。奥様には大変お世話になっています」
一応、彼女たちの身元はマルゴー家が保証しているという事になっているのだが、初めましてという挨拶はいいのだろうか。奥様にはお世話になっていますと言う事で、私の母の仕事だとアピール出来ているから問題ないのか。大きな貴族家というものは関わる案件が多すぎて、普通は領主自ら采配することも稀だろうし。
「──君たちがそうか。妻から聞いている。しかし……そうか。うむ……。大変だったな……」
父は2人に同情的な視線を向けている。
国や家族を一度に失う事になってしまったからだろうか。
それとも私と同じ「性別」になってしまったからだろうか。
いや、これはこれで楽しいので別に同情される謂れはないのだが。
「それにしても……」
父は私の友人たちを見渡した。
私から始まり、グレーテル、ドゥドゥ、ジジ、ディーを見て、また私に戻る。
おや、ユリアやルイーゼ、エーファたちもいるんですが。そっちは見なくていいのか。
「……なんというか、どうしてこうなったのだろうな……」
何がだろう。
「──ミセル」
「あ、はいなんでしょう」
「学園は楽しいか?」
「はい! もちろんです!」
「ならば、いいか……」
父は数日、王都に泊まってからマルゴーに帰っていった。
もちろん父が泊まっている間、私は両親の寝室には近寄らなかった。気まずくなるとあれなので。
これにて第九章は終わりです。
お父様お前実は侯爵のこと覚えてねえだろ、と思った方は評価&ブックマークお願いします!
(シンプル)




