8-13
試験休み中は当然ながら学園に来る学生はいない。
閑散とした学園を通り過ぎ、エドゥアールが逗留している宿舎に馬車を向かわせた。
またぞろ面倒な事になったら面倒なので、グレーテルにもユリアにも何も伝えていない。私は過去に学ぶ事が出来るのだ。まさに賢者と言えよう。いや賢者は歴史に学ぶ方だったかな。まあ後日美しい私の自伝でも書いて歴史書になるくらいに普及させれば、結果的にそれが歴史となるだろう。歴史とは学ぶものではなく作り上げるものなのだ。つまり私は賢者であることを後世に約束されていると言える。
宿舎に着くと、宿舎の管理を任されている職員に王子への取り次ぎを頼む。
職員はうちの馬車の紋章と私の顔を見ると誰なのかすぐにわかったようで、特に誰何される事もなく取り次いでもらえた。
この宿舎は外国からの来賓用として建てられたものであり、当然ながら国営だ。よって職員は公務員であり、王家に仕えている。私を知っているのも当然だろう。
あ、しまった。これ普通にグレーテルにバレるな。まあいいか。
やがて職員と共に現れたのは王子のメイドの女性だった。
彼女は私の姿を認めると一礼し、宿舎の中へ招いてくれた。
ビアンカやネラも当然のように入ろうとしたがこれは職員に止められてしまった。そりゃそうだ。
仕方がないのでディーに肉球の汚れを拭かせた上で両手に抱え、大人しくさせられる事をアピールしつつ入る事にした。
今度は職員も眉をしかめながらも黙認してくれた。
「ミセリア嬢……。いらっしゃると思っていました」
王子の部屋では王子と従者が待っていた。案内してくれたメイドもそのまま部屋に入る。
いや、来るのがわかっていたのならそちらから来てくれてもよかったのだが。
「ごきげんよう、エドゥアール殿下。そうおっしゃるということは、事情はお話しいただけるものと思ってもよろしいでしょうか」
「はい……。あれほどの迷惑をかけてしまっては、そしてそれを撥ねのけられてしまっては、すべてお話しするしかありません」
エドゥアールがそう言うと、何故か従者が立ち上がった。
そして分厚い瓶底眼鏡をはずし、室内帽型のブリムも脱ぐ。
その間にエドゥアールはブーツを脱いでいた。
何故急に2人でストリップを、と思いながら見ていると、ブーツを脱いだエドゥアールの身長が思いの外低い事に気付いた。
そして、眼鏡を外した従者の顔が誰かにそっくりなことにも。
「──まさか、そんな」
「こんな事が……」
私とディーは同時に驚いた。
そう、眼鏡を外した従者とシークレットブーツを脱いだエドゥアールの姿は瓜二つだったのだ。
◇
「──ご覧の通り、私はエドゥアール王子殿下の影武者です」
ご覧の通りとかいわれても、本来のエドゥアールの顔を知らない私たちではいまいちピンとこない。
見た瞬間こそ瓜二つだと思ったものだが、こうして落ち着いて並べて見てみれば僅かな差異はあるようだ。
しかし片方だけを見るならばおそらくわからないだろう。そのくらいには似ている。
こんなそっくりさん、よく見つけてきたものだ。
「と、言うことは、そちらの従者の少女の方がエドゥアール殿下だった、と……?」
「……そうです。私がエドゥアールです。ですが、少女ではありません。背も低いですしこのような格好をしてはおりますが、私は男です」
奇遇ですね。私もです。あと隣のディーと王城のグレーテルもです。
しかし、母に見せたらさぞ喜んで着飾るだろうなと考えていたエドゥアール王子だが、すでにその域に足を突っ込んでいたとは。
私やグレーテルと違って趣味でそうしているわけではなく、偽装のために仕方なくといった感じではあるが、それでも一国の王子がこうして女物の服を着ているというのは中々にインパクトがある。いや別に私やグレーテルも完全に趣味でやっているわけではないが。
偽エドゥアールに代わり、真エドゥアールが語りだす。
「祖国から出るとき、すでに私たちは追われる身でした。と言うのも、叔父の策略によって父殺しの汚名を着せられていたからです。どういう事かと言いますと──」
「あ、その辺りは何となく知っているのでスキップしてくださって結構です。大公閣下についてのチャプターまで飛ばしてもらっていいですか?」
「すきっぷ? ちゃぷたー? ええと……」
「すみません、マルゴーの方言みたいなものです。よろしければ殿下のおじ様についてお聞かせ願えませんか」
「そうだったんですね。なるほどマルゴーの」
「……お嬢様」
ディーが咎めるように私を呼ぶ。
そして何となく、『女教皇』が言っていた「目立たずにはいられない」という言葉を思い出した。
インテリオラの言葉は日本語ではないのでそのまま話しているわけではないが、ニュアンスの近いものがない場合はどうしても日本語そのままの言葉になってしまう事がある。
結社にもまだ残党はいるし、それ以外に転生者を探している者がいないとも限らない。こういう異質な言葉遣いはすべきではなかった。
エドゥアールに対しては、母が無闇に雑な対応をしているので釣られて私も雑に会話してしまっていたが、少々気を引き締めなければ。困ったら口封じに始末してしまえばいいかなど、あまり美しい発想ではない。
「ええと、叔父上──大公の事ですね。わかりました。
叔父上は国王である父の弟で、王家直轄地を管理する大公の任についておりました。オキデンスにおいて大公というのは代々王家に近しい血筋の人間が就任する一代名誉爵位で、大抵は国王の兄弟か、姉妹の夫が拝命しています。複数いる場合は直轄地をいくつかに分割して統治していたようです」
「一代名誉爵位とおっしゃいましたが、もし大公に子供が生まれた場合はどういう扱いになるのでしょう」
「別の貴族家に婿入り、嫁入りをするか、何らかの手柄を立てて新しく家を作るかですね」
「手柄と申しましても、そう簡単に立てられるものなのですか?」
「そんな事はありませんが……。王族の血筋である事を鑑みて、ちょっとした内容でも手柄として祭り上げられてしまう傾向はあるようです……」
王族というのは基本的に優秀だ。
それは以前にも述べた美しさの積み重ね同様、優秀な能力をも積み重ねてきた歴史があるからだが、ここで言うのはそういった事実の話ではない。
文化的に成熟していない人類による絶対王政の国家においては、当然ながら王は絶対の存在である。そして多くの場合はそれに準ずる存在として貴族が設定されている。
一般の国民はこれら王侯貴族に支配されるのが当然の世界なのだが、いかに文化的に成熟していないとはいえ、普通に生活していれば誰だって一度は不思議に思うはずだ。
なぜ、自分たちは貴族に支配されているのかと。
どう見ても同種の生物であるのに、自分たちと貴族ではどこに違いがあるのかと。
その理由付けとなるのが、血の持つ優秀さである。
貴族、そして王族は、生まれながらに誰より優秀だからこそ、平民を支配することを許されている。
この生まれながらにという部分が王侯貴族が大切にする血の繋がりであり、その貴き血を証明し続けるためには、常に優秀であらねばならない。
制度上の王族から外されたというだけで優秀でなくなってしまったら、誰も血の持つ貴さなど信用しなくなる。
故にオキデンスにおける王の親戚にも、緩い基準で手柄が与えられているのだろう。
我がインテリオラ王国においてはこのあたりはかなり先進的であり、王族だろうと貴族だろうと、無能なものは切り捨てられる。いや王族や貴族だからこそ、と言ったほうがいいだろうか。
王侯貴族に価値が認められているのはやはり血の持つ歴史のためだが、それも相応しい能力を示せなければあっという間に没落してしまう。
そうならないために、王家や大貴族の者たちは血の持つ才能に加えて弛まぬ努力を積み重ねている。
まれに才能だけで何とかなってしまう者もいるが。私の兄とか。努力している姿を見たことがないのだが、してるのかな。
いや、うちの事はいい。
「それで、肝心の大公閣下のご子息、ご令嬢はどうなのでしょうか」
「……いえ、それが、よくわからないのです」
「よくわからない? ああ、もしや何の能力も持っていないから噂にすらならない、という事でしょうか」
「多分、そうだと思います。能力的には平凡かそれ以下で、ただ悪人ではないから悪評もない、という感じなのではないかと」
叔父の子といえばエドゥアールにとっては従兄弟になる。
それを全く知らないとは少々不自然にも思えるが、王侯貴族においてはそれほどおかしなことではない。実際私も伯母の息子の顔を知らないし。
しかしなるほど、それでは手柄をでっち上げるのも難しいだろう。
そんな王家の血筋としては平凡すぎる子どもたちのために、大公は自分の甥を生贄にする決意をしたというわけだ。
そしてそのとばっちりを私が受けて、母の怒りを買い、今まさに大公の命は風前の灯となっている。
我が子を思う気持ちゆえの事となれば同情の余地もないでもないが、だからといって他人を害していいかどうかは別の問題だし、害された他人にしてみれば理由など関係ない。
「それで、その大公一家はどちらに? まだオキデンス国内にいらっしゃるのでしょうか」
「いえ、そこまでは……。私達も逃げるので精一杯だったので……」
なんとなく大公がどういう人物なのかは読めてきたが、現在地まではわからなかったか。母もさすがにそこまでは期待していないだろうし、それはいいが。
しかし母が言ったように、脅すまでもなく情報を提供してくれたのは助かった。教えてくれた礼というわけでもないが、一応当事者ではあるしエドゥアールには言っておいた方がいいだろう。
「……おそらくですが、そちらの大公ご一家、我がマルゴーの報復によって断絶する事になるかと思います」
「なっ!?」
「そんな!?」
偽エドゥアールとメイドが声を上げる。
そんなに驚くような事かな。
「た、たしかにミセリア嬢が被害にあったのはここインテリオラ王都ですが、叔父はおそらくオキデンスにいると思います。オキデンスは現在確かに混乱していますが、それでも中枢にいるだろう大公に報復するというのは、オキデンスの国そのものを相手にするようなものですよ!」
「でしたら、その時はオキデンスの国そのものが断絶してしまう事になるかもしれませんね。
外国の方にはピンと来ないかもしれませんが、マルゴーを敵に回すというのは、それだけの覚悟が必要になることなのです。まあ、私が言うことではありませんけど。
ああ、わかります。故郷が消えてしまうというのがおつらいのですよね。大丈夫、王子殿下がこちらで亡命政府を樹立なされば、オキデンスの名は残ることになりますよ。マルゴーの目的はあくまで大公閣下ですから、殿下の亡命政府には援助は惜しみませんとも」




