8-12
ユールヒェン──ユリアには私の要望を飲んでもらう事が出来た。
これで晴れて愛称で呼ぶことが出来る。舌を噛まずに済むだろう。別にこれまでも噛んだことなどないのだが。
楽しい楽しい王都見学ツアーは、残念ながらあの時点で終了になってしまった。
これは仕方がないことだ。それに元々の計画でも忍者を釣り上げるのが目的であったので構わない。
見学ツアーを楽しみにしていたエドゥアール王子ならさぞ残念がっているかと思いきや、彼は騒動中のユリアもかくやと言わんばかりの青い顔をしており、とても話しかけられそうな様子ではなかった。
主がこんな様子で従者は何をしているのかと見てみれば、従者の少女もメイドの女も同様に青い顔でうつむいていた。
やはり、あの忍者はオキデンスの関係者で確定のようだ。
だとするなら、こんな面倒なことをしなくとも最初からエドゥアールを捕らえて母に渡しておいた方が早かったかもしれない。
しかし忍者を首尾よく手に入れたことで、王子に直接アプローチする必要は無くなった。
いい感じになった忍者たちが運ばれていったのはマルゴーの屋敷の方だったので、うまくすれば帰る頃には情報を吐かされているだろう。
タベルナリウス家の大型馬車は、集合場所でありゴールでもあった学園にすぐに向かう事になり、そこで解散となった。
なお、厩舎に置いていかれたサクラは最初こそ大人しかったが、ビアンカたちから何らかの手段で状況を聞いたのか、屋敷に帰る途中から急に機嫌が悪くなり御者役のディーが苦労していた。
◇
捕らえた忍者たちは思いの外協力的だったらしく、翌日には背後関係も割れていた。
協力的というのは何か暗喩的な言い方で実際には物理ダメージを伴う特殊な説得方法でも試みたのかと思ったのだが、そうではなく本来の意味で協力的だったらしい。
任務失敗即自爆という極端に振りきれた職業倫理を持っている忍者が協力的とは逆に怪しい。
が、尋問を担当した重装歩兵分隊の分隊長が言うには、何らかの精神操作を受けている可能性もあるという。
重装歩兵は捕獲作戦に参加していないと思ったら尋問を担当していたのか。しかし私がそう言うと分隊長は慌てて否定した。
「い、いえ! 我々は先行偵察と言いますか、接敵するまでお嬢様がたが乗っておられた馬車を見守る役割を負っていました。軽装歩兵や魔法歩兵は革鎧とはいえ、武装した集団が街をうろついていれば目立って仕方がありませんからね。そこで重装歩兵隊が普段着で斥候の代わりをしていたのです」
そうだったのか。
私は軽装歩兵が斥候だったと思っていたのだが、そのさらに前段階の監視部隊がいたようだ。
しかし考えてみれば当たり前である。街なかで金属鎧で重武装した重装歩兵など運用できるはずがない。脱いで行動するのは当然だ。
聞けば、どの兵科であってもある程度は武器の扱い、魔法の扱い、偵察や護衛についてこなせるように訓練しているそうだ。
例えば父直属の親衛隊にまでなると、どの兵士でもどの兵科にもスイッチ出来る錬度であるらしい。軍隊というとスペシャリストの集まりかと思っていたのだが、我が領軍においては高水準ジェネラリスト集団を目指しているらしかった。この重装歩兵分隊長の話では尋問や拷問も出来るようだし、一体どこを目指しているのか。
そしてそんな連中が領地を守っているにもかかわらず普通に仕事にありつけているマルゴー領の傭兵たちも、もしかしたらかなりおかしなレベルにあるのではないだろうか。いやおかしいのはそれでも絶滅しないマルゴーの魔物たちの方か。
領軍所属であれば、次期領主のハインツにも会った事がある。
マルゴー家に生まれた男は誰であれ、一定期間領軍にて訓練を受ける事を義務付けられているからだ。ハインツもフリッツも当然これを済ませている。例外は私くらいだ。私は表向き男ではないのでこれは仕方がない。興味はあるのだが。
そんな領軍所属である重装歩兵分隊長は、いずれ主となるハインツのスキル【支配】も目にした事があった。そして【支配】を使った尋問にも立ち会った事があるという。
そこまで自我を失った状態ではなかったようだが、忍者たちはどこかその時の尋問対象に似た雰囲気を纏っていたそうだ。
そんな精神操作なんか誰かしたのかな、と思ったがそういえば心当たりがあった。
忍者の彼らは私のスキルによって、何かいい感じになっていたのだった。
最後に彼らを見た時には、穏やかな表情で幸せそうにしていたので、いい感じというのはそういうものなのかと思っていた。
しかし、分隊長の言葉を聞くとその印象も変わってくる。
あれはもしかして、対象を私にとっていい感じにしてしまう強力な精神操作の効果があるのでは。
だとしたら迂闊に使えない。場合によっては血達磨にしてやった方がまだ慈悲深いと言えるかもしれない。
だがとりあえず今回に関しては結果オーライだ。どうせ自爆するところだったのだし、一時的とはいえ彼らの意志を歪めてしまったのは申し訳なかったが、用が済んだら望み通り自爆させてやればいい。いつ爆発するかわからない不発弾を懐に入れておくわけにはいかないし、尋問が終わったのなら速やかに解除してやるべきだろう。
問題は解除の仕方がわからないことくらいだ。
ていうか解除出来るのかなあれ。
◇
そしてその尋問の結果であるが。
忍者たちはやはり、オキデンス王国の御庭番衆のようなものだった。
元は西方から流れてきた者たちだったようで、この大陸での居場所が無かった彼らを保護したオキデンス王家に、代々一族は忠誠を誓っているらしい。
それが結社による支配を受けるより随分と昔の話である。
この大陸、という表現は少々引っ掛かった。
というのも生まれてこの方、この大陸以外に陸地があるとか他の人間から聞いたことがなかったからだ。あるとしても、てっきり人など住んでいないと思っていた。
これは領軍も同様らしく、尋問の結果を報告した小隊長は「言っている意味は分からないがそんな感じのニュアンス」という感じで報告をしていた。
極東の島国、とかならイメージ的にも合っていたのだが、西方の海の向こうでは忍者っぽくない気がする。
しかし例えばアメリカ大陸から見ればアジアは西の海の果てになるのだろうし、考え方次第だろうか。その前にここは地球ではないわけだし。
そういえば南北の寒暖差を考えると南半球っぽさもあるので、もし地球のような大陸分布だったとしたら、インテリオラ王国があるのは南アメリカ大陸とかそんな感じの立地になるのだろうか。
いや、今それはどうでもいいか。
ともあれ、彼らにとって、いやオキデンス王国にとって不幸だったのは、忍者一族が物理的な脅威に対する防衛手段しか持ち合わせていなかった事だ。
忍者たちも自分たちの主が何者かによってその意志を歪められている事には気付いていたらしいが、それを止める術も、正す術も持っていなかった。
そのため、おかしいとわかってはいても、主である国王夫妻の指示に従うしかなかった。
そして結社のオキデンス支部が壊滅した事で自由になった国王夫妻だが、すでに正常な判断が出来る状態ではなくなっていた。
忍者たちはそんな国王夫妻を匿い、次代の王として第一王位継承者エドゥアールを求めたのだが、その隙を突かれ国王夫妻は殺害されてしまった。
その殺害を指示したのは他ならぬエドゥアールであるという。
そう国王の弟である大公に聞かされ、忍者たちは現在大公を仮の主として、亡き国王夫妻の無念を晴らすべくインテリオラまで遙々やってきたそうだ。
「……なるほど。とんだ脳筋集団ですね」
自分で考えるという事をしないのか。
主の剣であるとか、そういう矜持があるからこそ命令は疑わないという信念はわからないでもないが、時と場合というものがあるだろう。
人伝いに話を聞いただけでもわかる。これ黒幕は大公閣下では。
「しかし、結社が関係なかったというのは意外でしたね。あの自爆魔法は絶対結社由来の変態技術だと思ったのですが」
「ミセル。淑女が変態などと軽々しく口に出してはいけませんよ」
「申し訳ありません、お母様」
「……あ、あの、お嬢様、後でもう一度今の変態の部分だけ聞かせていただけませんか……?」
「ほらごらんなさい。こうなるのよ」
「……よくわかりました。もう言いませんごめんなさい」
ちょっと気持ち悪い視線を向けてきたディーを横目に、改めて母に謝った。別にそういう理由で軽々しく口に出してはいけないわけではないと思うのだが、説得力は抜群だった。
「とにかく、確かにミセルの言った通り、あの黒ずくめたちが脳味噌まで筋肉で出来ているかのような思慮の浅い集団であるのは間違いないようね。
普通に考えれば怪しいのは大公だけれど、他にもエドゥアール王子とは別の国へ亡命している王族もいるという話は聞いていますし、そちらが手を回した、という線もないではない、でしょうか」
「その場合だと、忍者たちが大公に従っている理由が特にありません。他の王族が国王夫妻を暗殺したから、ちょうどいいとばかりに忍者たちを手懐けたということでしょうか。それはさすがに、強運すぎでは」
「そうね。……忍びの者、ってあの黒ずくめの事? 言うほど忍んではいないような気がするのだけれど、黒ずくめだと他の不審者と混同する恐れもあるし、とりあえず暫定的にそう呼んでおきましょうか。
では、ひとまず黒幕を大公とする事にいたしましょう。そして狙いはエドゥアール王子。今回は私たちは関係ありませんでしたね。全く無駄骨でした」
「では手を引きますか?」
「何を言っているのミセル。忘れたのですか? 彼らは貴女に、マルゴーの紋章を掲げた馬車に唾を吐いたのよ。狙いも理由も知りませんし関係ありません。彼らはマルゴーの全力を上げて始末します。王子を狙って来ると言うならちょうどいい。領から追加の戦力を送ってもらって、今度こそあれを囮にして──」
「あの、奥様。発言をよろしいでしょうか」
小隊長のひとりが手を上げた。
「……いいわ。話しなさい」
「追加の戦力ですが、難しいと思われます」
「なぜかしら」
「現在、マルゴーでは魔物の活性化が確認されております。そのため、総司令閣下と全領軍は対応に追われております。今回我々二個小隊がこちらに送られたのも、総司令閣下は本来であれば一個大隊を送りたかったらしいのですが、戦力の捻出が叶わずにこうなったと……」
総司令とは父の事だ。マルゴーでは領主が軍の司令官も兼ねている。
もうひとりの小隊長も頷いているので、彼の話は事実らしい。
しかし、忍者相手に父は大隊を送ってくるつもりだったのか。さすがに王都にそんな大軍を送れば謀反を疑われていたのではなかろうか。
「……では仕方がありませんね。今いる二個小隊、それと『餓狼の牙』で対処するしか」
え、それでもやるの、といった顔で小隊長らが母を見る。
大公が忍者という戦力を掌握しているのなら、エドゥアールと違って国から逃げる必要はあるまい。
だとすると、大公はオキデンス国内にまだいる可能性が高い。
その大公を叩くのであれば、こちらもオキデンス王国へ入る必要がある。政情不安な国への不法入国だ。誰だってやりたくはあるまい。
しかし、主家の奥方である母が言うのであれば彼らは従うしかない。緊急時においては、母は司令官の代行が出来る資格を持っている。本国というか領地の方が忙しく、総司令である父がこちらの小隊の指揮を取れない状況にあるのは間違いないので、母が司令として振る舞うのは領法的にはギリギリ合法な気がする。
いやこれパワハラ案件では。
「では後ほど詳細な作戦を立てましょう。
ミセルは試験休みのうちにエドゥアール王子に会って、大公とやらの情報を聞いてきなさい。そして可能なようならこちらの被害を仄めかせて、亡命者としての身の安全をチラつかせて積極的な協力を取り付けておきなさい」
鬼か。
聡明な読者の皆様ならお気づきの事かと思いますが、次に消えてもらう予定の名前はエドゥアールです。
ドゥって今doluって打ってるんですけど、もっとスマートな打ち方あったら教えてください(




