8-11
せっかく包囲し、挟撃し、実際はどうだかわからないにしても追跡作戦まで考えてくれていたマルゴー領軍と衛兵隊には申し訳ないが、抵抗する勢力が居なくなってしまったので速やかに制圧して終了になってしまった。
衛兵や軽装歩兵が何かいい感じの状態になっていなかったのは対象から外れていたからだろう。未だ詳細は不明ながらも、敵判定ではなかったということだ。
馬車の窓からはグレーテルやユールヒェンが心配そうに私を見ていたし、あちらの方も大丈夫だったらしい。だったら普通にスキルを撃ってしまってもよかったか。いやそうすると忍者は爆発しない代わりに血達磨になるだけだな。よくなかった。
とりあえず、軽装歩兵の分隊長らしき人に後を任せて馬車に戻る。
「あのねえ。いつものことなのだけど、ちゃんと説明して──」
戻るなり、グレーテルに文句を言われた。ちゃんと説明していたら忍者がすべて爆発四散してしまっていたかもしれないので、今回は仕方なかった。いや、そんなにいつも説明せずに勝手に物事進めてたかな。
そんなことは無いと思うので、これはたぶんグレーテルが私にそういうイメージを持ってしまっているだけだと思う。これはイメージアップというか、何かしらの改善をしなければならないだろう。風評被害も甚だしい。
「──も、申し訳ありませんでした!」
と、私自身のイメージ戦略について考えを巡らせていたところ、突然ユールヒェンが頭を下げて謝って来た。
率直に言って驚いた。
ユールヒェンが私に頭を下げるなど、見たことがない事態だ。
初めて見る彼女の頭頂部は、センターできっちりと等分に分けられており、それぞれの髪が左右にドリルを形作るためまるで飴細工のように滑らかに流れている。
寸分の狂いもないその髪はやはり美しい以外の形容が浮かばない素晴らしいものだが、これは彼女自身の頭部の形が整っていることに加え、髪を結う侍女の技術の高さもあるのだろう。果たしてこれをディーに頼んだとして、ここまで完璧に出来るだろうか。恐らく無理だと思われる。
「……呆れて物も言えない、という貴女のお気持ちはわかりますわ」
頭を下げたまま、ユールヒェンがそう絞り出すように呟いた。
もしかして貴女というのは私のことか。
黙ってつむじの辺りを観察していただけなのだが、なにか勘違いをされている。
そういえばつむじをトントンすると背が伸びなくなるのだったか、それとも下痢になるのだったか、どっちだったかな。
「……ですが、どうか謝罪と感謝の気持ちだけは受け取ってはいただけないでしょうか」
つむじと身長と下痢との関連性に思いを馳せていたら、ユールヒェンの声はさらに深刻な色を帯びていた。
「あ、いいえ。そうではありません。ちょっと違うことを考えていましたので、お返事が遅れてしまっただけです。あの、その前にユールヒェン様が何について謝罪しておられるのかよくわからないのですが。それと、感謝というのもいまいち……」
自分のイベントに私たちを巻き込んでしまった事についての謝罪だろうか。
しかしこのバス遠足自体、忍者を釣り上げるための物だったので、ある程度危険な状況になるのは最初から織り込み済みだったことだ。
むしろ、本来ならば謝るべきだったのは私の方である。
ただ今回の作戦については王室も関わっている事であり、みだりに話して良いものかどうかはわからない。
侯爵であれば知っているかもしれないが、知らなかったとしたらタベルナリウス家とマルゴー家でまた要らない軋轢が生まれてしまうだろう。軋轢と言っても向こうが一方的に目の敵にしているだけだが。
グレーテルに目をやると、無言で首を横に振った。
内緒らしい。
ならば、この場は誤魔化すしかない。
そのくらい、私にかかれば造作も無いことだ。
こう見えても、話を誤魔化す事にかけては少々自信がある。誤魔化せないのは父と母、それとクロードとディーくらいだ。結構いるな。
「──謝罪はもちろん、我が家の雇った傭兵が不心得者たちばかりだったことです。そのせいで皆様を危険な目に遭わせてしまいました。謝って許されることではありませんが、かと言って謝らずにもいられません。
そして感謝については、その脅威から私達を守ってくださったことについてです。何をなさったのかはよくわかりませんでしたが、貴女の行動で事態が終息したのは確かですから……」
「ユールヒェン様。頭を上げてください。貴女が謝る必要などありません。
人の心とは本来移ろいやすいものです。護衛の傭兵が揺るぎなき信念を持つのは大切なことですが、それはその方が素晴らしいのであって、護衛という職が皆等しく素晴らしいわけではないのです。責められるべきは襲ってきたならず者や裏切った傭兵であり、ユールヒェン様ではありません。
感謝についても言わずもがな。理由はどうあれ襲われたのはこの馬車であり、被害者は私達全員なのですから、私は降りかかる火の粉を払っただけです」
私はなんとか、「全ての黒幕はこの私なので謝らなくてもいいですよ」という事は言わずに誤魔化す。
というか、ここまでされるとさすがの私も心が痛む。自分がどれだけ極悪人なのかという気分になってくる。
いや元々の計画は母なので、極悪人は母なのだが。
「ですが、ミセリア・マルゴー──ミセリア様も先ほど、怒りか呆れのあまり声も出ないからこそ黙って……」
「ですからそれは誤解です。本当に別のことを考えていただけです」
「……本当ですか? 優しい嘘なのではありませんか?」
おっと。ちょっと面倒くさい感じになってきたぞ。
「本当ですってば」
「そこまでおっしゃるのでしたら、何についてお考えだったのか、教えて下さいますか?」
何でだ。
と思ったが、ユールヒェンは未だに頭を上げないし、もしかしたら申し訳ない気持ちでいっぱいいっぱいになってしまっており、正常な判断が出来ていないのかもしれない。
ここは正直に話し、本当になんでもないことを知らしめてやるしかない。
「先ほど私は、つむじと身長と下痢について考えていました。ユールヒェン様のことは別に──いえ無関係ではありませんが、ともかくユールヒェン様がおっしゃるような責任がどうとかは考えていませんでしたよ」
「……はい? つむじと……何ですって?」
ここでユールヒェンは顔を上げた。
その表情はキョトンとしか言いようのないものであり、正常な判断が出来るようになったから顔を上げたようには見えない。
よくわかっていなかったのならもう一度言ってやるべきだろう。下痢などあまり淑女が口に出す言葉ではないが、ユールヒェンが望むのであれば仕方がない。
「ですから、つむじと身長と下痢についてです。あ、ユールヒェン様のです」
ユールヒェンは私の言葉を聞き、しばらく噛みしめるように何かを考えていた。
そして。
爆発した。
と言っても物理的な事ではなく、怒りが爆発したとかそういうニュアンスのあれだ。
その爆発の激しさたるや、忍者がもうひとり残っていたかと思ったほどだ。こんなことならユールヒェンもいい感じにしておけばよかった。
「──! ──!」
あまりに爆発しすぎて、何を怒られているのかよくわからなかったほどだ。
「──ごほっ! げほ! だ、だから、どうして貴女はそうなんですか……!」
「大丈夫ですかユールヒェン様。お水飲みますか?」
「いり──! ……いただきますわ」
ディーの差し出したコップに魔法で水を入れ、ユールヒェンに渡した。
水を飲み干し、一息ついたユールヒェンは長めに息を吐き出すと、疲れたように言った。
「……貴女の非常識さはともかく、私が謝罪をしたいのと、感謝しているのは確かです。非常識な貴女とこれ以上話をしても疲れるだけですから、交渉はしません。一方的に謝罪と感謝を受け取っていただきます。何か、欲しいものやして欲しい事はありますか? 私とタベルナリウス侯爵家に可能なことであれば、何でも承ります」
「ですから、どちらも必要ないと──」
「交渉はしない、と言いました」
爆発してすっきりしたのか、ユールヒェンはいつもの調子を取り戻したように見える。が、面倒くさいのは変わっていない。
「ええと、謝罪でしたら、私だけでなく他の方々にもする必要があるのでは」
「ご心配なく。貴女が外にいる間に口頭での謝罪はすでに受け取っていただいています。あとは貴女だけです」
交渉しないとか言っておきながら謝罪と感謝の印の内容は聞くのか。
これもうただ私と話したいだけなのではないだろうか。
と、そういえば。
ユールヒェンに関しては、いい加減面倒だと考えていた件があるのだった。
たいていユールヒェン絡みは全部面倒なのだが、個人的には嫌いではないどころかむしろ好ましいし、そろそろ何とかしておきたいと思っていたのだ。
「──でしたらひとつ、ユールヒェン様にお願いがございます」
「なんでしょう。何なりと、とまでは言えませんが、私に可能なことでしたら」
「はい。では私に、貴女を愛称でお呼びすることを許していただけませんか」
いい加減、ユールヒェンと呼ぶのが面倒になってきていたのだ。
ユリアでいいならそのほうが楽でいい。
何がって一番面倒なのは打つ方。
ヒェンって打つだけで最低でも5打は必要とかどうなってんの。指が壊れますわ。




