水の記憶4 サラシアナ王女と魔女
アクア・フィールの泉に逃亡したはずの王女が、至福の森の魔女長を連れて戻ってきて、予想外の客にシャンフィールの王宮はちょっとしたパニックになっていた。
そんな様子を魔女ヒズは楽しげに紅い瞳で見渡す。
サラシアナは逃亡していた手前、気まずそうに、ヒズの後を隠れるように歩いていた。
と言ってもヒズは、サラシアナの腰ほどの背丈なので魔女の真っ黒なロープの裾を両手でもって目線をさげながらついて行くだけであるが。
シャンフィールの王宮は城を基調とした清廉な神殿のような作りとなっている。
アクア・フィールの加護のお陰であちらこちらに噴水や水路などを用いていて清い水の息吹がただよう王宮だ。
一説には水の女神の聖なる加護のおかげで、悪しきものは王宮に一歩踏み入れた瞬間に霧のように霧散するともいわれている。
そんな王城を堂々と闊歩する魔女。
その後を心細げに歩いている国の象徴である水の子の王女。
なんとも奇妙な光景に騎士や役人、女官たちも右往左往しながらもつい横目で見てしまう。
なにしろ相手はファシル・アルド・バードの至福の森の魔女だ。
聖霊界が存在した古よりずっと生きているといわれる伝説の至福の森の魔女長。
その紅い瞳は決して人間がもつはずのない色彩。
得体のしれない人物ではあるが、彼女がサラシアナといる光景は王宮務めが、長ければ長いほどたまにある光景だった。
もともとサラシアナは人見知りで、人目にでることがほとんど無い。
そんな王女の師として一緒にいるのがヒズだ。
彼女はサラシアナの育ての親
ともいえる存在だった。
「あいかわらずこの城は騒々しいものよ」
バタバタと忙しく動く人間たちをみてヒズは笑う。
「それに比べたら我が愛すべき国の王宮は静かじゃな」
サラシアナはちらっと伏せていた目線をあげて周囲を見渡し、申し訳なく思う。
いつもは姉妹の王女達にもっとおしとやかにふるまうようにと口をすっぱくしている女官長でさえ慌ただしく動いている。
そうさせたのは、外ならぬサラシアナだという自覚かあるので、くいくいっとヒズのロープをひっぱり目線をさらに下にして振り向き自分を見上げる魔女に言う。
「いつもはもっと落ち着いているのよ。私がアクア・フィール様のところに逃げたしたうえに、あなたを連れて戻ってきたのですもの。あわてないはずはないわ」
「それは、我が歓迎されていないということか?」
意地悪く問う紅い瞳にサラシアナはすねる。
「意地悪なヒズは嫌い」
「あいかわらずじゃの。人の上にたつ王族たるものがそんな簡単に嫌いとかいうでない。そんなことでは国を率いる王の横にたてぬぞ」
「私は王妃になってもなにもしなくていいといわれているもの。ただ、兄様の隣でほほ笑んでいればいいって」
生まれてからずっとサラシアナはそう言われて育ってきた。
人目が嫌なら公の場には年に一度程でいい。
ただ、そこに存在さえすればよい。
水の子であることであることだけが重要なのだと。
兄も姉妹も弟も両親や臣下たちもすべてが口をそろえてただそれだけでよいのだと。
銀色の髪をもちアクアマリンの瞳をもつ水の子はそれだけで特別なのだと。
ただ、そこにいてくれればいい。
みながみなそう口にする。
だからサラシアナがアクア・フィールの泉に逃亡しても「仕方ないな」とそんなふうに許される。
「・・・だれも王女としての私を必要とはしていないもの」
「それは逃げだとわしはずっとお主に伝えてきたはずじゃがの」
ヒズは紅い瞳で問い返す。
厳しい声音とは裏腹な気遣わしげな紅い瞳。
サラシアナは幼い頃からヒズのこの瞳が苦手だ。
ちょっと瞳を潤ませるだけでなんでも望みを叶えてくれる両親や兄弟と違い、ヒズには涙をこぼしても通用しないことが多い。
そのくせに、いつもはからかってばかりなのに。
ーサラシアナを気づかう紅い瞳は穏やかで優しくて、やはり師なのだと思う。
「でも私はいずれ兄様たちか弟たちのいずれかと婚姻するのよ?私が王女である必要はないわ。姉様たちのように政略結婚でもするなら別だろうけど」
精一杯の言い分を口にすると魔女は面白そうに口の端をつりあげた。
「それは政略結婚をしてもよいということか?」
「兄様や弟と結婚するのと政略結婚と何が違うというの?どちらもわたしの意志なんて関係ないもの」
考えるだけ無駄なことを、なぜいまさらヒズは言うのだろう。
ヒッヒッヒッと魔女はおかしそうに笑う。
「これでもわしはお主をとても気に入っておるのじゃ。幸せになってもらいたいとな」
「・・・ありがとう」
小さいころから口は悪くてもとても愛情をもって接してくれていたことはわかっている。
サラシアナは素直にお礼をいう。
そんなサラシアナにヒズは満足する。
アクア・フィールのだっての願いをうけて、暇を作っては、シャンフィールを訪れ成長を見守ってきた。
いささか臆病で箱入りすぎるほど箱入りに育ってしまったが、環境を考えれば真っすぐに成長した方であろう。
(なにせ、もう片方はひねにひねくれて成長したからの)
これはたんにヒズの夫であるネルフィスの力不足のせいだろう。
(やっぱり儂がそだてるべきじゃったな)
そもそも師となるモノの力量が違うのだ。
聖霊界からずっと力を磨かんと努力し続けた自分と、のんきにわけわからん趣味に、永遠の命とは言え無駄に時間を使い過ぎる駄目男との。
「このつけは大きいぞ。あの大たわけめ」
思わず声にした台詞にサラシアナが首をかしげたことは見て見ぬふりをしたヒズであった。