プロローグ 人喰い令嬢
蝋燭の淡い光に照らされた一人の令嬢の姿は、それは美しいものであった。
一級の細工の施された調度品に囲まれた部屋で、彼女はちょうど夕食を取るところであったらしく胡乱げに食器を手に取る。ともすれば粗雑と捉えられかねないその所作も、よもや神代の女神ではなかろうかと思われる程の美貌を持つ彼女が行うと様になった。
そんな彼女の前には、ひどく醜悪な様相をした料理が置いてある。憤怒とも絶望とも言えぬ負の感情がない交ぜになった表情をした人間の首が皿の上に乗って彼女を見返しているのだ。生前の姿をまるで想像できないほどに煮込まれて崩れかかったそれは、いかなる悪食でさえも躊躇するようなものだった。
そんな料理ともいえない何かに、彼女は勢いよくナイフを突き立てる。ぐしょりと形がぐずれた拍子に赤みがかった汁が辺りに飛び散ったが、お構いなしに彼女は肉片を口へと運んだ。引き結ばれた口角から血のソースがこぼれ、彼女の美しい肌の上を通って一筋の道を作った。
用意してあったテーブルナプキンで指や口元を拭った彼女は、手元の呼鐘を振った。程なく扉を開けてやって来た若い男の使用人へ顔も向けることもせず彼女は冷たく言い放つ。
「食べにくい。切り分けてこい」
「かしこまりました。お嬢様」
煮崩れた人間の頭部のような料理を前に、使用人は汚物でも前にしたかのような嫌悪感を隠さぬ表情を浮かべながら、「ところで」と口を開いた。
「……何でこんな気味の悪いものを作らせたんです?」
マッシュポテトを豚肉のベーコンや鴨肉などで包んで人の顔のように作り上げ、じっくりと焼き上げた後に赤ワインのソースを掛けることで、それらしくするというわざわざ醜悪に作られた料理。これは彼女の希望によるものだった。たしかに精巧なつくりをしていて本物の様であり作った料理人の腕の高さがうかがえるが、当の料理人からすれば嫌な腕の振るい方に違いない。
使用人の問いに、整った形の眉を片方持ち上げた彼女は大儀そうに答えた。
「この前に読んだ、古い詩の一節に人肉を喰らう貴族令嬢の話があってな。人を喰うとはどんなものかと試したくなったのだよ」
「まず人喰いについての詩があることに驚きましたが、なによりそれで人を食べることに興味を持たないでいただきたいものですがね」
彼女の返答に、これが貴族社会の闇なのかとでも言いたげに使用人は溜息を吐いた。
お付きの使用人で気心は知れているとはいえ不作法とも言えるそんな行動にも、彼女は特に気にした素振りもなく話を続ける。
「まあ、その詩に出てくる令嬢については国史でも軽く触れられている。激情家で身のまわりの人間を何かにつけては処刑と称し嬲り殺していたのだという話だ。人喰いでも平気でするような残酷な令嬢という話の事情からできた詩であって、本当に人を食べていたというわけではあるまいよ」
「……今度は身のまわりの使用人を処刑したいなんて言い出したりしませんよね?」
「言わぬから安心しろ。だいたい今時に私刑で殺すなどすれば、それこそ私が裁かれて処刑になりかねんではないか」
それもそうかと頷いた使用人は、放置されていた料理を手に取って一礼すると部屋から出て行った。一人残された彼女は椅子の背もたれに寄りかかると、誰に言う訳でもなくぽつりと呟く。
「……あぁ、退屈だ」
それは、蝋燭の火を一瞬で消し飛ばしてしまうであろう木枯らしの様に冷たい声色だった。せっかくの料理も大した退屈しのぎにはならなかったと嘆息して、彼女は何か面白いことでも起きないかと静かに期待するのだった。
彼女の名はヘルミーナ。国家に巨大な影響力を誇るジャバルク公爵家の娘である。
幼い頃より公爵令嬢として生活してきた彼女は、もはや花を愛でたり、刺繍に興じるといった事に心は躍らない。茶会や舞踏会などもうんざりだ。遠方の国から取り寄せた装飾品の類いを買いあさってみたり、不思議な呪術師の呪いの類いに散財したこともあったがそれらも全て飽きてしまった。
「そういえば……」
物思いにふけっていた彼女はもたれていた体を引き起こした。
唐突ながら彼女宛に舞踏会の招待状が届いていたことを思い出し、どうするべきか逡巡する。
「たしか、主催者はモノルベ伯爵だったか」
モノルベ伯爵の住まいは気軽に参加できる舞踏会の屋敷としてはもっとも距離のある場所で、所謂辺鄙な土地ともいえる。彼女としては開かれる舞踏会に毛ほども興味はないのだが、彼の屋敷の周囲には手つかずの森が残っているらしく、それについてなら心も多少はざわついた。
「久しぶりに参加してみるかな」
思いつきや気まぐれが、日々無聊を託つだけの自分を慰めてくれることを彼女は祈った。
大昔に作って放置していた全く別の話のキャラクターをぶち込んで合成した話。
不定期更新になるかと思いますがお楽しみ頂ければ幸いです。