エピソード8 彼女は人気者
その日、俺は信じられない光景を目の当たりにすることになる。
まず、今まで何気に憧れていた4年生の先輩たちが、女王の前で急にへーこらとし始めたこと。本当に頭が上がらないみたいで、傍から見てると弱みでも握られているんじゃないかと心配になってきた。
それから、俺以外のすべてのサークルのメンバーが女王の存在を知っていたということ。
今や女王こと、足立詩織さんは4年生の先輩に囲まれてなにやら楽しそうに話している。
それを横目で見ながら、俺はサークル室の隅で1人ため息をついていた。
「ジジイみたいなため息だな」
振り返ると間宮がどこからかポテトチップスをパクってきたらしく、それを片手に俺のほうへ近寄ってきた。
渡されたポテチの袋を俺は素直に受け取る。
「・・・サンキュー」
「激辛わさび醤油味のポテチ。不評だったからかっぱらってきた」
「・・・・ああ、そう」
もう少し早く言ってほしかった。すでに俺の口の中にはポテチが1枚放り込まれていて、間宮の言葉と同時にそのツンとした辛さが鼻にきていた。
間宮のほうは、辛さなんておかまいなしにばりばりと食べていく。こいつの口の中はどうなってるんだ?
「間宮さ、お前彼女とはどうなった?」
「彼女じゃねぇし。ただの同級生だし、どうもなってねぇよ」
とか本人は言っているが、間宮には少し地味な格好をした女の子の友達がいて、たぶん間宮は彼女のことが好きなんだと思う。
「すげーな、あの人」
「・・・女王のこと?」
「なんかいろいろ武勇伝聞いたけど、本当に女王って器だな。女王見てると周りにいる人がその下僕みたいなのに思えてくる」
「確かに・・・」
ここから見てても、サークルを引退したにも関わらず、ものすごい態度のでかさだ。間宮の言うとおり、マジで女王だった。
だけど、そろそろ3限の授業が始まる。みんなそれぞれの教室に行かなければならないのに、女王に遠慮してなにも言えないでいることが俺にはわかった。
俺はため息をついて立ち上がった。
「足立さん、そろそろ次の授業が始まるんで・・・」
「そっか、そうだね。長いこと話しちゃってごめんね!」
「先輩!またぜひ来てください!!」
4年生の先輩たちに言われて、足立さんは笑顔でサークル室を後にしていく。
俺はすぐにみんなに謝ろうと思ったのだが、なぜかサークルのみんなに取り囲まれてしまった。
「円!お前、足立先輩と知り合いならもっと早く言えよ!」
「すいません!まさかこんな女王だったとは思わなくて・・・」
「足立先輩は俺たちの憧れだったんだからな!」
――?話がよく見えない。
その後、3限の授業中に間宮に話を訊いて、足立詩織という人間がとても人望が厚く、人気があったことを知った。
・・・・・・・・・・
バイトを終えて家に帰ると、時刻は11時近くになっていた。
なにも考えずにリビングの電気を点けると、朝と同じように机に突っ伏して寝ている足立さんの姿があった。
新しい原稿を描いている途中にまた眠ってしまったらしい。
俺は彼女の寝顔を見て、昼間間宮が言っていたことや、先輩が言っていたことを思い出した。
――人気がある
――誰からも好かれる
――憧れ
そんな人と一緒に暮らしてんだな。
ふと、そのとき思った。足立さんの野暮用ってなんだろうか?
ただ漫画の手伝いをさせるためにここに乗り込んできたというのは、少し強引なような気がする。そういえば、最初のときに言っていたはずだ。野暮用があるって。
ピーンポーン
玄関のチャイムの音で、俺は一旦思考を停止させる。
こんな時間に誰だよと思いながらインターホンに出ると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『電話もしないでごめん!今晩泊めてよ』
俺の姉ちゃんだった。