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ブラック・ゴート・チャイルド  作者: かたつむり工房
第二章 揺れる眼差し
9/35

2-1


 太陽が姿を見せてから幾ばくか経った早朝。

 空を薄く覆う雲は朝日を散乱させて、一様に白い空が広がっていた。涼しい空気の中、すがすがしい朝を迎える住民は、その頭上を神話生物が飛び回っていることを知る由もなかった。

「舞ちゃん、今どこ?」

 片耳につけたヘッドセットに話しかける。返事はすぐに返ってきて、回線の向こうの魔法少女からしっかりした返事が返ってくる。

「こちらは今藤砂四丁目です。いましたか?」

 鬱血したような紫色の肌をした人型の怪物が屋根から屋根へと飛び移るのを見失わないようにしながら、私は周囲を見回した。

「私は今二丁目の東辺りで追跡中。一昨日と同じ、グールだよ」

「マップで位置確認しました。三丁目の方へ来ている感じですね。カラオケの当たりで合流しましょう」

 オーケーと返事をして、私は神話生物の追跡を続ける。

 住宅地の二丁目を抜けて、誘導しつつ雑居ビルやお店の多い三丁目に入っていくと、屋根が平坦に、足場間の隙間が少なくなって、建物の上を伝うのが簡単になる。

 ガシャン、と前方を逃げるグールが屋根の上に設置された太陽光パネルを蹄で踏み割って大きな音が立った。

 それを合図に、私は今まで以上に強く屋根を蹴る。グールの頭上を飛び越え、さらに向こうの建物の上に降り立った私は、立ちふさがるように剣を構えた。退路を失った神話生物は胡乱な目をきょろきょろと動かして、カラオケボックスの屋根の上で立ち往生する。

「《輝き、貫き、閃光は闇夜を縫う――ステラ・ルーチェ・ストラーダ》!」

 当然、そこには舞ちゃんが待機していた。呪文の詠唱とともに真っ白な光線が食屍鬼を襲い、私は眩しさに目を細めた。グールは声が聞こえた瞬間に身を躱そうとしたものの、半身を捉えられ、右腕と右足が欠けた身体が道路に落ちる。

 べしゃっと地面に落ちたグールは傷口から赤い血しぶきをあげながら、痛みに呻いた。私は、それを見ていられなくて、顔を背ける。

 結局は殺すのだから、そんな風に考えるのは間違っていると思うのだけれど、それでも生き物を傷つける行為には抵抗があるのは事実だった。

「仕留めそこないましたね」

 舞ちゃんが建物の陰からふわりと浮かびあがって、私の隣に並んだ。彼女はピンク色のステッキを瀕死の神話生物に差し向け、口を開く。

「《星は流れ――」

 彼女の口から流れる言葉が、滅びの唄になることを知ったグールは私たちを指さし、喚いた。

「――クソ仮面野郎め! 王の小間使いごときが我々の自由を侵す権利があるとでも思っているのか!?」

「なっ……!」

 しゃべった!?

「――ルーチェ・ステラーレ》」

 ステッキの先端の輪の中に星が光ると、淡い星屑が渦を巻いて、のたうち回り悪態をつくグールをすりつぶし、アスファルトに血の紋を刻んだ。一方の私がたったいま起きたことを噛み砕こうと、ぼうっと空を見つめていると、舞が心配そうに声をかけてくる。

「大丈夫ですか? やっぱり最初は結構抵抗ありますよね」

「え、ええっと……」

 最初は、「舞ちゃんは今のグールの言葉、聞こえた?」なんて聞こうかとしたが、すぐに思い直して口をつぐんだ。素直に彼女の好意に甘える形をとる。

「うん……血とかはやっぱまだ怖いかな」

「大丈夫ですよ、私も慣れるまではきつかったですから」

 舞は仮面の奥の目を細めて、優しく笑った。

「舞ちゃんは慣れるまでどのくらいかかったの?」

「半年くらい、ですかね。あと、魔法少女の先輩としてアドバイスをするなら」

「するなら?」

 聞き返せば、彼女は、ふと目線を地面に向ける。私もそれにつられて、アスファルトの上に広がる血だまりを瞳に映した。

「奴らを、生き物だと思わないことです」

 歴戦の魔法少女は、どこまでも正義の味方で、どこまでも――悪の敵だった。


「ふぁ~」

 熱いシャワーを浴びた私は気の抜けた声を上げた。お湯が身体を伝っていくと、じんわりと血管が広がって、身体の緊張が緩む。私が魔法少女として覚醒してから十日ほど。私は舞ちゃんが毎朝やっていたというパトロールに参加させてもらっていた。

 身体能力は信じられないほど上がっているから、屋根の上を飛び回っても筋肉痛になったりはしないけれど、慣れないことをすることによる緊張が疲労につながっていた。

(町を守る、なんて豪語したものの……)

 毎朝起きて町を回るだけでも大変だ。ずっと一人でやってきた舞ちゃんは覚悟が違うんだなあ、なんて思わされた。朝早くから外を歩くのは、気持ちがいいけれど。

(でも、お父さんには悪いけど、いないほうが出かけやすくていいかも)

 そんなことを考えながらシャワーを浴びていた私の耳に、ピンポーンと、呼び鈴が押される音が届いた。

 こんな早い時間に、誰だろう。お湯を止めて、お風呂場を出ようと扉に手をかける。

「かーさーねーちゃん!」

 突然風呂場の窓の外から声がかかり、私は飛び上がった。クレセント錠を上げ、外を覗き見られる程度に窓を開けると、そこには案の定彼女の姿あった。

「もう、杏子、呼び鈴押したらちゃんと待っててよ」

「でも鳴らさないとびっくりしちゃうでしょ?」

「十分びっくりしたよ!」

 ほらほらもっと見せてごらん、なんて、エロ親父みたいなことを言う幼馴染には表に回ってもらうように言って、私も身体を拭いて、風呂場から出る。

 私は板張りの廊下をぱたぱた足音を立てながら玄関に向かい、杏子を迎え入れた。

「おはよう、かさね」

「それを最初に言ってくれればすがすがしい朝だったのに」

「それはできかねるなあ」

 相変わらずの受け答えに、私は少し安心して、息をついた。

「おはよう、杏子。とりあえず中に入ってよ」

 杏子は、すでにセーラー服に通学カバンを背負っていて、学校に行く途中に寄ったという様子だった。居間まで招き入れると、彼女は紙袋をこたつの横に置いて、私に尋ねた。

「かさねはもう朝ごはん食べた?」

「ううん、まだ」

「それじゃあよかった。お母さんが『これかさねの家まで持って行って一緒に食べなさい』ってさ」

 彼女は紙袋の中から、いくつかタッパーを取り出して、テーブルの上で蓋を開ける。中には色とりどりのサンドイッチが丁寧に詰められていた。

「え~、すごーい!」

「あと、常備菜と、今日の夕飯と、これはおやつかな」

 さらに三つ四つと大きめのタッパーをテーブルの上に積み上げ、最後に砂糖にまぶされたパンの耳が入ったビニール袋を取り出す。

 うわ、本当にすごい。ちょうど、買い置きの食べ物がなくなってきたところだったから、ちょうどいいタイミングだった。

「お母さん、『どうせかさねは来てもいいよって言ってもぎりぎりまで来ないんだろうから、カップ麺とか食べ始める前に持って行った方がいいのよ』とも言ってたかな」

「あ、あははは……。私、飲み物持ってくるね」

 見透かされてるなあ、なんて杏奈さんの慧眼に感動しつつ、私はタッパーを持って居間を出た。麦茶の入ったピッチャーを持った私が戻ってくるなり、杏子は問いを飛ばした。

「ね、さっきから気になってたんだけどさ。そのペンダント、どうしたの?」

 彼女の目線の先にあるのは、私の胸から下げられた十字架のペンダントだった。

 反射的に手で覆って隠してしまう。しかし、それが良くなかった。

「まさか、結婚したのか……俺以外のヤツと……」

「してないよ!」

「じゃあ彼氏?」

「それも違う! これは、ええと、友達にもらったんだよ。こないだ話した友達」

「あ、カナタカの?」

「そう、舞ちゃん」

「え~、カナタカって女子校でしょ? 狙われてるんじゃないの?」

「そうなの?」

 いや、そもそもこのペンダントは舞ちゃんにもらったわけではないんだけれど。

 このペンダントは舞ちゃん曰く『ペルソナのペルソナ』らしく、私が変身する際につけるサークレットの仮の姿だ。「いざという時のために絶対身に着けていてください」と言われ、常に持つことにしていた。

「『肌身離さず持っててくださいね』とか言われてない?」

「言われた……けど」

「どくせんよくじゃーん」

 ややこしいことになってきた……。

 しかし、これは魔法少女としての変身トリガーだ、なんて本当のことを言うわけにもいかないし、と私が頭を悩ませていると、杏子の楽しそうな笑い声が止んで、私は顔を上げる。

 その表情がどこか寂しそうに見えたのは、杏奈さんお手製のサンドイッチを頬張っていたせいだろうか。目を合わせると、彼女はしみじみと話し始めた。

「かさね、ここ最近ちょっと明るくなったよね」

「え、そうかな?」

「っていうか自信がついたみたいな? ほら、日曜に貴理姉とカラオケ行った時もさ」

 ああ。

 たぶん、それは魔法少女として活動しているからだろう。

 それが自分自身の力だと言い切ることはできないけれど、なんとなく世のため人のためになることをして、それができる自分を少しだけ好きになれたからだ。

 私が納得したような顔をしたのを見て、彼女はさらに続ける。

「友達の話なんかも出てくるようになったしね。カナタカの子とどうやって会ったのかもわかんないけど」

 舞ちゃんという友人ができたのも、魔法少女になったおかげだ。

 まだたった十日だけれど、既にいろんなものを得ていた。

「杏姉ももう卒業だねー」

 彼女が口にした言葉を聞いて、私は笑いをこぼす。

「杏姉って懐かしい~」

「えへ、あの呼び方ちょっと気に入ってたんだよね」

 ずっと昔、杏子が自分の姉のことを「貴理姉」と呼ぶのを真似して、小さい頃の私は「杏姉」と呼んでいた時期があったことを思い出す。

「杏姉!」

「あはは! お姉ちゃんですよ~」

 私たちはひとしきり、益体もないことを言って笑いあった。

 杏子が時計を見て、時間に気づく。

「おっと、そろそろ行かなきゃだね」

「あ、もうそんな時間か」

 慌ててテーブルの上を片付けて、通学カバンを背負った私たちは、玄関の古びた引き戸をガラガラと開けた。


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