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ブラック・ゴート・チャイルド  作者: かたつむり工房
第一章 星異物との邂逅
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1-5


「きりーつ、れーい、さようならー」

 日直の声が響いて、帰りのホームルームが終わりを告げると、教室は学ランとセーラー服の中学生たちによって、一斉におしゃべりと物音に包まれる。

 その中で、私は一人通学カバンを背負って教室を出た。

 廊下の窓から見える五月三週目の空はまだ晴天を保っていて、もうしばらくしたら梅雨入りするとは思えなかった。

 神話生物はもちろん、迎えに来るかもしれない使い魔も、またどこかに行った母親も姿を見せないまま一週間が経った。

 一週間の間、ただいつも通りの日常を過ごしていて、あの日非日常に触れたことを証明する証拠は、舞ちゃんの連絡先だけだ。あれが私の見た白昼夢じゃないとするなら、私はいつまでここにいられるのだろう、と腰の浮いたような気持ちで、私は毎日を歩いていた。


 ぼうっと考え事をしながら、昇降口を出ると、後ろから名前を呼ばれる。

「かーさねっ!」

 大きな声とともに背中のカバンに体をぶつけてきたのは杏子だった。

 彼女はニコニコ顔で私の横に並んだ。

「杏子!」

 私が驚いたように名前を呼ぶと、彼女は楽しそうに笑った。

「私、二階の階段あたりからついてきてたんだけど、気づかなかった?」

「え、声かけてよ!」

「かさね全然気がつかなくて、笑っちゃった」

 私たちは自然と一緒に帰る形になった。杏子が部活を引退してからこういうことも多くなって、時々の幸運に嬉しくなる。

 杏子は思いついたように話題を変えた。

「そういえばさ、かさねのお父さん今日から出張なんでしょ?」

「うん。結構久しぶりの出張」

 彼女の言った通り、父親は、今日から家にいないのだった。神話生物にこの間出会ったばかりだから、少し不安な気持ちはある。

「今までは出張の時はうちに来てたのにね~。中学生になったからって一人で大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっと帰ってこないとかで一人なのはよくあったし」

 私と杏子は肩を並べて、通学路を歩いた。ホームルームが終わってすぐの時間は、部活のない生徒以外帰宅しないため、道を歩く生徒はまばらだった。

「父子家庭でお父さん出張多いとけっこう大変だよねえ」

「まあ、無理! ってなったら杏子の家行くし」

「そうして~? お母さんが『かさね、うち嫌いになっちゃったのかなー』とか言ってたから」

「そ、そんなことないよ!?」

「わかってるわかってる」

「杏子も受験だし、そろそろ家のことくらいできていいと思うし」

 あ、しまった。つい、口から出てしまったが、もしかしたら受験の話は出さないほうが良かっただろうかと心配になる。おそるおそる返事を待ったが、声は返ってこない。

 たった一言でそんな黙ることないでしょ、と少しムッとしながら隣を見ると、そこに杏子の姿はなかった。

「へ?」

 まさか今ので怒って? とも思ったが杏子はそういうことはしない。なにかに気を取られて立ち止まったのかと振り返ると、そこには、なにかがいた。

「………な、に……?」

 それは〝なにか〟と呼ぶのが最もふさわしいように思われた。

 全身を真っ黒で粘り気のある液体に覆われた塊。四トントラックが立ち上がったような大きさで、取ってつけたような触手と目玉がいたるところに蠢く。粘液で覆われた体表は、日差しに照らされて油の浮いた水たまりのような汚れた七色にてらてらと光っていた。

「神話、生物……!」

 こんな白昼堂々現れるなんて、思ってもみなかった。汚泥を煮詰めたような不定形の怪物は、目の前に立ち尽くす私を視界に捉えると、奇妙な鳴き声を上げた。

「テケリ、リ、テケリ、リ」

 怪物が身じろぎするたびに、真夏のどぶから立ち上るような悪臭が鼻に届いて、私は思わず顔を背けた。その時、視界に、見慣れたセーラー服が映る。

「杏子!」

 捕らえられた杏子は、怪物の脇腹に下半身を取り込まれ、上半身を触手に巻きつかれて気絶していた。完全に取り込まれたらいったいどうなるのかは、想像したくもなかった。

 数分前の杏子の笑顔と気絶した杏子の顔が重なって、頭が真っ白になる。

 杏子を助けなければいけないという気持ちで私はいっぱいになって、ただまっすぐ杏子めがけて走った。触手を足掛かりにして、十メートルほどある怪物の身体をよじ登る。触手はざらざらと乾いたゴムのような感触で、怪物の身体を覆う粘液に触れることを厭わなければ、木登りの一つもしたことのない私でも、登ることは容易だった。

 ぐったりと動かない杏子には拘束するように何本かの太い触手が絡みついている。私は両手で触手をひっつかんで、引きはがそうと力をこめる。

「ダメ……どうして……!」

 不安定な触手に足を乗せた状態で非力な女子中学生が力比べをしたって無駄なのは当然だった。でも、やらないわけにはいかなかった。

「……なんで…………なんでできないの……」

 押しても、引いても、殴っても、引っ掻いても、触手はびくともしなかった。

 早く助けなきゃいけないという焦りだけが逸り、無為な言葉が浅い呼吸とともに口から流れ出ては誰も聞きいれることもなく消えていく。突然、私の顔のすぐ横にぎょろりとした緑色の瞳が開く。眼球は私の表情を覗き見るように、じっと視線を寄越した。

「見るなぁー!」

 いらいらとした気持ちをぶつけるように、現れた目に拳を叩きつける。

 しかし、手が届く前に瞳は引っ込んで、私の怒りは粘液を跳ね飛ばすだけに終わった。跳ねた滴は顔や髪に引っかかり、黒く汚れる。粘液まみれになって悪臭に包まれて、必死になっても友達一人助けられない自分がひどくみじめに思えて、目頭が熱くなる。涙はあふれても、頬に付着した粘液にせき止められて、涙を流すことすらままならなかった。

「うああああああ!」

 最後の一手とばかりに、叫びをあげて触手に噛みつく。化学的な苦みと周りを取り巻く悪臭の塊が口の中に広がって、胃袋がせりあがるのを感じる。それでも口を離すことはしなかった。

 けれど、抵抗もむなしく、ぐらりと足場が揺らいで私は空中に投げ出される。一瞬の浮遊感の後、触手が背中のカバンを掴んで吊り下げると、器用にもカバンを私の背中から外し、私はアスファルトに放られた。

「私、バカだ……」

 アスファルトの上で自分の頭足らずを嘆く。

 カバンを奪われてようやく気づいた。あそこには携帯電話が入っていて、それを使えば舞を呼ぶことができるはずだった。そうすれば、助けられるかもしれなかった。

 痛みと無力感に力が抜けて、私はふらふらと立ち上がる。

 魔法少女の舞ちゃんを呼ぶことはもうできない。

 普通の女子中学生である私では、杏子を助け出すことはできない。

(もう、終わりかな……)

 そうやって諦めてしまいかけた時、脳裏に、彼女の言葉が蘇る。

 ――あなたは普通の中学生ではありません。

 その言葉は、諦めきれない私には一つの福音で、しかし一つの絶望を孕んでいた。

「舞ちゃんは私が魔法少女になるって言っていた」

 もしかしたら、私でも杏子を助けることができるかもしれない。

「でも私は――使い魔になんて、あんなふわふわした動物になんて出会ってない!」

 けれど、魔法少女になるのには使い魔から力を与えられなければいけないという。

「どうして、出会っていないの!?」

 だって、私が魔法少女になるとしたら、それはこの時のためだ!

 旧神なんて、正義なんて知ったこっちゃない!

 私は今一人の友達のために、力が必要なの!

 どうしたら魔法少女になれる……?

 どうやったら杏子を助け出せる?

 必要な条件は?

 適用される法則は?

 差し出すべき代償は?

『違う』

 胸に渦巻く熱い疼きが最高潮に達した時、頭の中に声が響いた。

 小さな男の子のような声だった。

『そうじゃない』

 熱を持った身体は、ドクンドクンと大きな鼓動を刻む。

『これは、魔法だから』

 急速に、私は理解する。

 誰にも告げられなくても、なすべきことが自分の中に刻みつけられているのを感じる。

 ただ、私と彼は引き金の言葉を叫んだ。


 ――条件は?

『願え』

 ――法則は?

「祈れ」

 ――代償は?

「『望め!』」


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