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ブラック・ゴート・チャイルド  作者: かたつむり工房
第四章 神の写し身との接触
31/35

4-9

 勝利を掴むために私は白刃を鞘から抜きはらう。

 それを敵対行動とみなしたのか、水面に立っていた彼女は、いつも通りふわりと浮き上がり、空へと舞い上がった。

 戦う、とは言ったものの、まずはあそこに辿り着くことが問題か。

 私が眉根を寄せて思案を始めたところ、ひょいと黒い布が私の首筋にかじりつく。

「ショゴス!」

 そういえば、彼の存在を忘れていた。

 散々助けてもらっておいて、忘れていたなんて、私は薄情極まりないやつだった。

 ふと、今は敵となった母親が、私に彼を貸してくれた時の言葉を思い出す。

『ショゴスっていうのはね、全身粘液でできていてその粘液を様々な器官や物体に変化させることができる恐ろしく便利なやつよ』

 その言葉は嘘ではなく、実際に何度も助けてもらっていたわけだけれど。

 無茶な要求かもしれない、と思いながらも、私はこの状況を打開できる方法を一つ、思いついた。

「ねえ、あなた、私の翼になれる?」

『なれる』

 返事は一言だった。

 私がさらにお願いすることもなく、背中に張り付いていたショゴスは、次の瞬間には、ばさりと布が空気を叩く小気味よい音を立てながら、翼を広げた。

 足が地面を離れて、もう一度彼女と戦えることに武者震いを覚える。

 戦いの準備が整った私は、上空にいる彼女を見上げた。

 対して、空中で立ち止まった舞は、私を見下ろし、戦いの始まりを告げる言葉を、かすかに呟く。

「《פ――塔》」

 ほぼ同時に、セフィラが緑、橙と順番に点灯する。

 それがどんな行動を意味するのかは、すぐにわかった。

 突如、空の雲が彼女の頭上で渦巻き始め、曇り空として空を覆っていた薄く白い雲が、集められ、積層し、分厚い黒雲に姿を変えていく。ここまでくれば、なにをするのか誰にだってわかる。

 すぐに、私は、全速力で、攻撃を避けるように、飛翔を始めた。

 徐々に黒雲の中にパッパッと閃光が混じり始める。

 まずい、と思ったとき、私は、ショゴスに急旋回を指示していた。

 一瞬視界が真っ白になって、音そのものに吹き飛ばされてしまいそうな轟音が背後で鳴り響いた。

 この地球上で最もありふれた破壊的自然現象。

「落雷、なんてどうしろっていうのよ……!」

 確か、エデンの園の東に守護者ケルビムとともに配置された『回る炎のつるぎ』とは――稲妻のことを指すのだという。

 どうして雷を落とすのかはわかっても、それをどうすればいいのかはわからないままだ。

 でも、私がすることは変わらない。

 できるだけ速く、絶対に雷に当たらないように、舞を目指し、一撃で終わらせる。

「ショゴス、行ける?」

『うん』

 彼の返事はいつも短くて、その返事は常にイエスだった。

 まさか、あそこで出会ったショゴスに命を預けるところまで来るとは思わなかったし、どうして、彼がこんなに私に尽くしてくれるのか、結局よくわからないままだけれど、彼には感謝してもしきれなかった。

 彼が使い魔として仕えてくれなければ、私はここまで来れていない。

 黒翼をはためかせて、私たちは空を目指した。

 舞は、空中にじっと立ったまま、ただ、飛び回る私たちを目で追い続けている。

 ぱりぱりと電気を溜めた黒雲は、その体内に稲妻の走る姿を垣間見せながら、私を消し炭にしようと、唐突に閃光を放つ。

 世界が光に包まれ、空気が爆発したような、音という名の衝撃が大気を波打たせた。

 雷撃が私の目の前を通り過ぎて、鉄橋の上部構造を叩く。

 狙いを外した人形は、不思議そうに首を傾げた。

 もしかしたら、まだ彼女はうまく落雷の狙いを定めることができないのかもしれない。

「だったら、今のうちに!」

 私はショゴスを駆り、螺旋を描くように上昇する。

 どうか当たりませんように、と心の中で祈りつつ、ただ速度を上げて、高度を上げていく。

 また、轟音が響いて、目も眩むような雷電がさっきまで私がいた場所を通り抜けると、今度は川面が弾けた。

 少しずつ、うまくなっている。

 限界まで翼を羽ばたかせ、抱えるように剣を握ると、頭上の黒雲の中で、稲光が走るのが視界の端に映った。

 次が最後かもしれない。

 でも、間に合わせる!

 最後の直線で、私はもう一度、必殺の魔法を唱える。

「《再誕と過去の薔薇。黒天を拒み、悲嘆に沈む神聖。すべての悲しみを捧げよ――」

 再生する奉仕種族を倒すには、その身体を一撃で消滅させる必要がある。

 刺した相手を苗床にして薔薇を咲かせるこの技は、そのためのもの。

 舞を騙る影に抱えた剣の切っ先を向けて、私は一本の槍のように、一直線に風を切った。

 カメラのフラッシュのように空が光って、世界が止まって見える。

 いける!

「アルバ・ローザ――」

 まさに、彼女に刃が迫ったその時、彼女の背負う宝石のような球の光が消えた。

「《ו――教皇》」

 呟くような声とともに、一旦光を消したセフィラは、灰、青と光を点灯させる。

 そして、私の身体は、止まった。

 彼女の胸から数寸というところに刃先を止めて、私の口は虚しく呪文の結びを唱えた。

 背中のショゴスがいくら羽ばたいても私の身体は、空中に釘を刺されたように進まなかった。

 感情の見えない目と視線が交錯する。

 手を伸ばして、刃を突き立てようとしても、石像になったかのように腕は固まったまま。

 動くのは、口と、目だけ。

 舞が空中を滑るように私から離れると、私の身体はひとりでに起き上がって、彼女と同じような姿勢で、同じように距離を取った。

「これ……は……!」

 教皇――法と双子。

 私たちは、一人の人間の二面のように、同じ動きを取る。

 彼女が私に杖を向けると、私も握っていた剣を彼女に向けた。

 私の剣の切っ先は届かず、しかし、彼女が呪文を唱えさえすれば、その魔法は私をたやすく粉々にするだろう。

 口だけは動くけれど、私の呪文のなかに、この距離で彼女を倒すことができるようなものはない。

 私の呪文の中には……?

「《輝き、貫き、閃光は――」

 魔法少女は、口を開き、平坦な声で呪文を唱え始める。

 けれど、私は、もう気づいていた。

 たった一言、口にするだけ。

「《開花(フィオリトゥーラ)》」

 その一言で、開花を待っていたつぼみが花を咲かせる。

 腰に挿していた薔薇が、上向きのつぼみを大きく開かせた。しかし、そこには花弁はなく、ただがくが夜空を見上げる。

 つぼみに咲くはずだった花は剣の切っ先に花開き、数十枚の星色の花弁が刃を中心に回るように踊った。

 星の魔法少女の究極呪文。

 再現された銀河から噴出した光速の粒子。

 あの時一帯を吹き飛ばしかけた魔法から吸収したエネルギーが今ここに私の魔法として昇華する。

 舞ちゃん、力借りるよ!

 刃を回る嵐のような舞いが最高潮に達した時、私は合図を告げた。

「終わりよ」

 剣の先端が砲口となり、星の呼び声を咆哮する。

 花弁の輪舞から放たれた光は、まるで龍のように輝く身体を伸ばし、瞬く間にその直線にあるすべてを食い破っていく。

 規格外のエネルギーを受け取った空気が沸騰し、眩い光を放ち、視界が白光に閉じる。

 舞からそれを受けた時のように、また、無視無音の世界に包まれて――光が晴れた時、そこにはなにもなかった。

 舞の影はもちろん、その背後にそびえていた生い茂る金色の枝葉も、さらにその後ろに作られていた対岸の土手すら消し飛ぶありさま。

 予想以上の威力に、私は自分で自分のやったことが恐ろしくなる。誰か関係のない人を巻き込んでないか、心配でもあった。

 でも、少なくとも魔法少女の容をした守護者の身体は完全に消滅し、再生の余地はないようだった。

「よかった……」

 ほっと息をついて、セフィロトの樹を見下ろすと、銀色の切り株がまだ川に根を張っていて、少なくとも舞やあさみが完全に消えたというわけではなさそうだった。

 一度下りてみようかと、さらに足元に目をやる。

「なっ……!」

 私が滞空するちょうど真下、最初に舞の影が立っていた川面に、一つの人影があった。

 小豆色のツーサイドアップ。黒色のフリルドレス。オリーブ色のエナメルパンプス。レモン色のステッキ。

 消滅したはずの彼女が、さっきまでの虚ろな目とうって変わって爛々とした瞳で、真上にいる私をじっと見つめていた。

 背中の小さなセフィラが黄、緑を示す。

「《נ――  》」

 守護者の唇がはっきりと動いて、なにかを告げる。

 最後には、なにも言わなかったことがわかって、次の瞬間。

 ドクン、とひときわ大きな鼓動が身体を揺らした後、私の心臓は――止まった。

 ――私、死ぬんだ。

 誰も救えず、誰の役にも立てず、どうしようもなく。

 救えなくてごめん、杏子。もう一度友達になれなくてごめん、舞ちゃん。一人にしてごめん、お父さん。

 同時に翼も羽ばたきを止めて、私は、真っ逆さまに、川へと落下していく。

 薄れいく意識の中で、銀の線が輪郭を描き、再び樹が姿を現すのを目にして、私は、生命の樹が〝不死〟そのものであったことを悟った。



挿絵(By みてみん)

原文の表現をできるだけ忠実に再現するため、このようになりました。

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