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もう躊躇う理由はないと、私は左手でペンダントトップを鎖から外した。
十字架が仮面に変わる前に母は拳銃の存在を示すようにして、私を狙った。
「どうするつもり?」
「あなたは確かに私の母親だけど――間違いなく、私の敵よ」
「だから?」
「あなたを倒して、ネクロノミコンを手に入れる。そうして、杏子も舞ちゃんも救う。そしたら、万事解決でしょ?」
「そうね。それができればの話だけど」
挑発するように目を細めた彼女に乗せられるように、私は啖呵を切る。
「できるか、じゃないの。やるのよ」
ふっ、と母親の顔が綻び、彼女は拳銃を下ろした。
仮面が私の顔面に触れて、熱を持った肌にひんやりと冷たく、頭に上っていた血が下りていく。身体が鎧に包まれていく中で、冷静さを取り戻した私は、背後から羽音が聞こえることに気づいた。
振り返る必要もなく、その音の主であるミ=ゴたちは視界に入ってくる。あさみの後ろに降り立ち、彼らが鋏に持っていた銀色の箱を彼女の背中にあてがうと、それは吸いこまれるように体内に溶けて、歪に湾曲した枝のようなものが身体の両側へ翼のように伸びる。異質な銀色の枝が人の身から伸びる様子は、まるで宿主から栄養を吸い取るヤドリギのようで、じんわりとした不気味さを感じた。神話生物たちが離れても、もはや一体化してしまったかのように、枝は彼女の背中に張り付いていた。
「あなたが……セフィロトになる気なの?」
微笑んだ彼女は私の問いに答えることなく、まるで魔法少女のように、ふわりと浮かび上がった。
ぼうっと淡く光を放つ彼女は導かれるように、暗く底の見えない川の上で止まる。
これからどうなっていくのかと、額に浮かんだ冷や汗をぬぐうと、周囲のミ=ゴたちも触角の色すら潜めて、彼女を見守っていた。
ある瞬間、水面の上空の空間が区切られる。浮かんだ彼女を中心にして、太い円筒のような輪郭が虚空に描かれ、そこから滲みだすように、銀色が区切られた空間を占めた。
瞬きするような間があって、私は目を見開く。
彼女が背負った枝と同色の銀の幹、ざわざわと葉擦れの音を響かせる冠のように大きく広がった金色の枝葉。
「これ……樹……?」
〝樹〟がそこにはあった。
描画された線と面は形を作り、存在としてそこに姿を現す。
この世界がシミュレーションであるという彼女の言が、急に実感を持ったような気がした。
対岸との距離のちょうど中心に、日戸川を半ばせき止めるような形で、まるでこの世の始まりからそこに植わっていたかのように、巨大な樹木が根を生やしていた。
カバラにおけるセフィロトの樹は、旧約聖書において、ヤハウェ・エロヒムがエデンの園の中心に植えた生命の樹と同一のものともいわれる。
創世記の伝承がいつとされるかには諸説あり、おおよそ七千年前だとされるが、それにしたってこの大きさは異常だった。
その高さは鉄橋の上部を優に超え、十数階のマンションと同程度とみられる上、丸太のように太いその周長は百メートルに迫るほどだった。
「実験は、成功ってわけ?」
失踪して帰ってきたと思ったら、今度は樹になっちゃうなんて、私の母親はどうにも普通に生きるのが嫌らしい。
そもそも木と戦うとはどうしたらいいのか、とその巨大な樹木を見上げていると、ぼんやりと発光する樹皮から、ジワリと、人影が滲み出す。
その背中から二本の枝が伸びているのが見えて、最初は、あさみなのかと思った。
しかし、その人影が近づくにつれ、そうでないことは明白になる。
悪趣味な現実に私は歯噛みせずにはいられなかった。
小豆色のツーサイドアップ、黒色のフリルドレス、オリーブ色のエナメルパンプス、レモン色のステッキ。
配色はめちゃめちゃになっていたが、その恰好は間違いなく、彼女のものだ。
色違いの彼女が、岸に近い水面に降り立つ。
人外じみた青黒い肌に、焦点の合わない虚ろな目をしたその女の子が、同じ格好をした別の人物なのではないかと期待して、近づいた彼女の顔を見ても、その事実は否定されることはなかった。
翻って、背後のミ=ゴたちを睨む。
すると彼らは弁明をするように、私に声を届けた。
『……あれは平須舞そのものではない……かの肉体はここにある……』
確かに、一頭のミ=ゴがその鋏で舞の身体を抱えていた。あさみが撃ち込んだ銃創以外に彼女の身体に目立った傷はなかったが、その穴からの流血は完全に止まっていて、もう、その肉体に生命は宿っていないことを悟った私は、目をそらした。
『……平須舞の魂はすでにセフィロトの中でセフィラとなっている…………あれはセフィラの機能によって作り出された平須舞の影だろう……』
ガサガサと音を立てて、彼女の背後の樹木の枝から、花を飛ばして実を結ぶように、巨大な十個の球が同時に生る。
その十個に同じ色のものは一つとなく、その色は、白、灰、黒、青、赤、緑、黄、橙、紫、そして虹。十のセフィラに対応する色そのものだ。
同時に、もう一人の舞が背負う二本の枝にも、五個ずつ、小さなセフィラが釣り下がる。
守護者という存在が現れたことによって、問題はむしろ簡単になったといえる。
「つまり、私はあれと戦えばいい、そういうわけね」
一人で呟き、腰のブロードソードの柄に手をかけた時、ふと、彼女の背中には、何本かの蔓のようなものが、樹木から伸びて、つながっていることに気がついた。
むしろ、それは糸なのかもしれない。
彼女は、生命の樹の守護者として配置された操り人形であり、舞の亡骸を模して蘇らせた彼女の影。
ゆえに、舞の姿をしていても、手加減する必要はない。
「じゃあ、舞ちゃん。勝負の続きだよ」
きっと聞こえていないであろう彼女に、私は呼びかける。
ルールは少し変わってしまうけれど、これは、私たちが中断した勝負の続きだ。
もし、私が負けたら、魔法少女ではなく、人生をやめることになってしまうだろう。
舞を取り戻すことはできず、杏子を救うことはできず、お父さんは最後の家族を失うことになるだろう。
でも、私は、剣を握って、水面に立つ彼女に宣言した。
「だから、私が勝ったら――友達になってほしい」
それが答え。
お母さんに話して、私は、自分の欲求に素直になるべきなんだって気がついて、私がしたいことは何だろうかと考えて、出した答え。
私たちは、魔法少女としては立場を分かつことになったかもしれない。
でも、それは私たちが永遠に別れることになることを意味するわけじゃない。
魔法少女としてではなく、かさねと舞として、もう一度最初から友達になろう。
普通の中学生みたいに、モールをぶらついたり、クレープを食べに行ったりしよう。
そのために、私は戦う。
「行くよ、舞ちゃん!」




