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ブラック・ゴート・チャイルド  作者: かたつむり工房
第四章 神の写し身との接触
27/35

4-5

 衝撃。

 気も遠くなるような力に跳ね飛ばされて、頭上の日戸川に叩きつけられる。

 白い泡とうねる波の中に揉まれる。

 私に叩きつけられたものと同じ衝撃波が水面を凹ませ、川をかき回していた。

 洗濯機に放り込まれたような狂乱がしばらく目の前を塞いで、それから、重力が、私を川の中から取り出して、脱水でもするかのように放り出す。

 脳みそが振り回されて、意識が朦朧としたまま、私は、もう一度、空へと落ちていった。

 もう私を助けるショゴスはいなくて、ただなされるがまま。

 しかし、彼女の作った反転世界は、空が無限に続くわけではなくて。

 蜘蛛の巣にでも捕まったように、ゆったりとなにかが落下を阻む。

 押し戻され、落ちて、戻されを繰り返して、いつしか私は空中に浮遊していた。

「……どういうこと?」

 その頃にはもう頭はなんとか働くようになっていた。

 周囲には、彼女の魔法によって空へ落ちていった車や自動販売機なんかが私と同じように浮かんでいる。

 私とそれらはちょうど同じ平面にとどまっているようだった。

「もう、逃げられませんね」

 地面のほうから、声がかけられる。

 いつも通りの舞が、空と地面の真ん中に浮遊していた。

「アトラツィオネは、一定範囲の空に地面を作る魔法です」

「地面?」

「つまりは、重力と同じようになるような引力を発生させる平面を作るんです。だから、その平面上では平面の向こう側の下向きの重力と、アトラツィオネの上向きの力が釣り合って、止まる」

 わかったようなわからないような。

 どちらにせよ、私はもう動くこともできなければ、勝ち誇ったように笑う彼女に攻撃することはできないということだ。

 私の、負け。

「あとはかさねさんが降参すれば、終わりです」

「そうだね……。じゃあ、私のま――え?」

 舞の方を見上げて、最後の降参を宣言しようとしていた私は、不可思議なものを目にした。

 彼女の背後の地面から、黒い円筒形の物体が、高速で落下してくる。

 私の様子に気づいて、浮遊していた彼女も地面を見上げた。

「これは……!」

 円筒は私の目の前に来ると、パッと開いて、布状の身体はひらひらと宙を舞う。

 ここまでくればわかる。

 それは、もちろん、私のマント。

「ショゴス!?」

 驚嘆の声を上げる。

 彼がわざわざ助けに来るほど私になついていたということも、きちんとこうすればここに来れるということを彼がわかったということも、驚きだった。

「ああ、もう、またそいつですか……」

 心底不快に思うように、彼女は歯噛みする。

「まずはそれを、殺すべきのようですね……!」

 舞がパチン、と指を鳴らせば、一帯の怪奇現象は収まり、地球の重力は、機能を正常に戻す。

 そして、真っ当に地面に向けて落下していく私の、その首筋にとりついた神話生物は、肩までしっかりと触手で掴み、板状の身体をバサリと頭の上に広げて、落下傘のように勢いを殺してくれる。ゆったりと地面に降り立った私に、彼女は警告するように告げた。

「離れてください、かさねさん。私は、神話生物を滅しなければなりません」

「これは、私の使い魔だよ。私が、離れると思う?」

 爛々と光る琥珀色の瞳が、炎を燃やすようにこちらを睨みつける。

 いくつもの感情が入り混じってざらついた声が、首筋を撫で上げた。

「もう、一度言ったはずです。もしも、自分を神話生物と同類だと称するのならば、あなたは――私の敵です」

 磔にされたように両手を広げ、日の沈みかけた群青と赤橙の空を背景に、浮かび上がっていく姿は、魔法少女というよりも天使じみていて、つまりは、神々しく、冷たかった。

「これは最後通告です。そこをどかなければ、死にますよ」

 どこまでもチープなデザインのステッキを私に向けて、彼女は、真剣に死を宣告する。

 悪い冗談のような光景でありながら、一片の嘘もない、純然な現実。

 そして、魔法少女は、唄うように、滅びを唱え始める。

「《幻想は彼方を望み、夢想は此方に姿を映す――」

 私は、逃げることも隠れることもせず、ただ、彼女を見上げ、剣を掲げた。

 曇り一つない刀身は、暗くなりゆく空と、彼女が携える星を映して、眩いほどの光を纏っていた。

 堪忍袋の緒が切れた彼女は、恐らく、最強の魔法を放ってくるのだろう。

 でもね、舞ちゃん。

 私はまだ、すべての策を見せたわけじゃないんだよ。

 涼やかな音ともに、握りしめた剣を鞘に収めた私は、魔法の言葉を呟き始めた。

「《剣の花弁。君臨する血の女王――」

 上空で呪文を唱える彼女を中心にして、その背後の空に、淡い星屑の波がキラキラと一枚のスクリーンのように薄く、大きく広がっていく。視界を埋め尽くすほどの大きさになった星屑のスクリーンは、次第に大きく渦巻いていき、渦の中心は光が寄り集まって、光り輝く大きな星となる。

「――星は墜ち、地に立つはただ閃光のみ――」

 星屑は重なり、渦巻き、太陽をカーテンに仕立てたように、闇を照らした。

 もう、空は真っ暗になっていたのに、この河原に立つ私だけは、眩しさに目を細めなければならなかった。

 舞の頭上に広がる星の渦は、いつしか、その中心を欠く。輝きを増し続けた末に、光の中心は黒々とした欠損を抱え、それを埋めるように光が急速に穴へと吸い込まれていく。

 それは、一つの小さな銀河の再現。

 〝ブレイザー〟。

 『輝く者』を意味する名を持つその銀河は、中心の大質量ブラックホールに吸い込まれた物体をすり潰し、質量をエネルギーへと変換する〝エンジン〟なのだという。

 舞が作り上げた銀河が、どれだけの再現度なのかはわからないけれど、目の前に見えるその黒穴は、確かに星屑を食べて、その発射口を私に向けた。

 目の前で行われている、紛うことなき『魔法』に手が震える。

 私は、こんなものを受けなければならないのかと、恐ろしさを感じることすら難しい計り知れないほどに大きい力を見上げた。

 けれど私を二度助けてくれた、背中にある生命を守るためには、自分の頼りない右手を見つめて、そこにきっとあるはずの力を信じるしかなかった。

 水平方向すべての物体を宇宙の塵に変えるその光がこの世にあらわれる直前、私も最後の秘策に、手が届く。

「――恵みを仰ぎ、世界は、開花を望んだ――レジーナ・ディ・ローザ》」

 そうして、私の手に現れたのは、二房の葉をつけた一本の茎だった。

 触れられることを拒むように棘だらけで、触れれば折れてしまいそうなほどに繊細で、まつろう先を探す、薔薇の茎。

 私はたった一本の茎を手に、銀河の砲口の目前に立つ。

 それは、無謀な挑戦なのかもしれない。


 でも、この世界が本当に、混沌と無秩序からできているのならば――美しい薔薇を咲かせるために、宇宙があったって、いいでしょう?


 神の御業ともいうべき宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)を背負った彼女は、冷酷に、結びの言葉を叫ぶ。

「――ルヴェレ・ディ・ステッレ・リ・シンティラ》!」

 銀河は急速に渦巻き、魔法の完遂の前触れを見せる。

 輝くブレイザーの渦が、降着円盤の垂直方向に、光速の粒子が噴出させる。

 槍のように、矢のように、光は突き進み、一秒間に地球を七周する速さが空気を切り裂いた。

 エネルギーの塊に触れた空気がプラズマ化して、河川敷は熱と光に包まれる。

 なにも見えない。

 なにも聞こえない。

 光に包まれた世界で、私は、自分が生きているのかも死んでいるのかも、わからない。

 ただ、指に触れた棘の痛みだけが確かだった。


 少しずつ光が薄れていって、また、目の前に夜の河川敷が現れた。

 妙に蒸し暑いような、肌にまとわりつく空気が私の肌を撫でる。

 眩しさに慣れた目では、ほとんどなにも見えなかったけれど、そこが、三途の河原でないことはわかった。

 ああ、私、生きてるんだ……。

「かさねさん! 生きてますよね……!?」

 私の足元に刻まれた溝の向こう側で、舞が心配そうな声を上げる。

「うん、幸いにもね」

「よかった……」

 自分でこんなことをしたくせに、彼女は矛盾した気持ちを示すように安堵した様子を見せた。

「でも、かさねさんが生きてるってことは――」

「もちろん、ショゴスもね」

 私が彼女の失敗を報告すると、『呼んだ?』なんて、声が届く。

 こちらも無事のようでなによりだった。

「じゃあ、かさねさんは、やっぱり、あれを受け止めたんですか」

「受け止めたというよりも吸ったっていう方が正しいけどね」

 私は、右手に握った薔薇を掲げた。

 先ほどまで茎だけだったそれには、いつの間にか、膨らみかけのつぼみが生っていた。

 星色の花弁を覗かせる大きく膨らんだつぼみは、暗闇の中でもぼうっと光を放っていて、舞の目にも届く。

「なんとなく予想がつくんですけどそれは……」

「うん、たぶん想像の通りだと思う」

 これは、相手の攻撃を吸いつくして、その色の花を咲かせる魔法の薔薇であり、開花とともに吸収した攻撃をそのまま放つ反射技だ。

 きっと、本気の勝負なら、どこかで最強の魔法を撃ってくると踏んで、考えておいたことではあったけれど、あんな規格外の攻撃が飛んでくるとは思わなかったから、正直本当に通用するのか最後の最後までわからなかった。

 しかし自身の最強の技が止められた彼女は、まだ敵意の見える視線をこちらに向ける。

「でも、まだ勝負はついていない」

「もちろん!」

 例え最も強い魔法を止められたからといって、それで勝負が決するわけではない。そもそも切れるカード数において私と彼女では差があるのだ。

 ただ、今の一件によって、負けるはずだった勝負がまた均衡に戻り、私は切り札を手に入れた。

 彼には、また感謝しなくちゃいけないね。

「今度こそ、決めるよ」

「ええ、望むところです」


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