4-2
落ち着いた私たちは、お茶を淹れなおしてから再びテーブルに座り直す。
改めて、母親の容姿を見ると、一回りしか変わらないようなこの金髪の若い女性が十四年前に自分を産んだというのは到底信じられなかった。
「……でも、本当にお母さんだったんだね」
私がしみじみというと、彼女は不満そうに頬を膨らせる。そういうところがぽくないんだよ。
「最初からそう言ってるじゃない」
「そういわれてすんなり信じる方がおかしいでしょ……」
悪しざまに言われても、彼女はそんな会話ができることが喜ばしいというように小さく笑った。そんな様子を見ていて、私は彼女になら、あのことを相談することができるかもしれない、ということが頭に浮かんだ。
もう三日も思い悩んで、解決できないままで過ごしている問題。
湯気の立つマグカップを音もなく持ち上げて、どこか優雅な仕草で口に運ぶ彼女を見ていると、もしかしたら、私にその問題のヒントをくれるかもしれない、という気がしてきた。
それに、魔法少女について知っていて、私と彼女の関係を恐らく知っていて、私よりも人生経験が豊富という人間に、他の心当たりはなかった。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
温かいマグカップを両手で包み込むと少しだけ安心して、その期間限定の温もりをよりどころに、まるで、普通の娘が普通の母親にするみたいに、私はつい三日ほど前に喧嘩別れした、きっと私にとっては友人だったはずの彼女について、相談を切り出すことにした。
「実は、友達と喧嘩しちゃったんだけど……」
「ふふ、いいよ。話してみて」
彼女は鷹揚に笑って、乗り気な表情を見せる。
そうやって、母と娘として交流をすることは、彼女の望みだったのかもしれない。
少しだけ気持ちが楽になって、口を開こうとした瞬間、私の腿が震えた。
母親にちょっと待って、とジェスチャーを取って、ポケットから携帯を取り出す。無為に連絡してくる友人はおらず、杏子が入院している今、私への連絡は、訃報かもしれないのだ。
しかし、差出人は、意外な人物だった。
「……勝負?」
湿ったタイルの上に立って、私は空を見上げた。
雲は切れ目なく空を覆っていたけれど、ここしばらく降り続いていた雨は止んで、暖かく湿っぽい空気が肌にまとわりついた。振り返ると、ちょうど見覚えのある銀色のミニバンが鉄橋を渡り切ったところで停車して、小柄な女の子を後部座席から吐き出した。
彼女は運転席の女性といくつか言葉を交わしてから、自分の立つ土手のふもと、タイルを敷いて広場のようになった河川敷に目を向けた。
すると、私の存在に気がついて、彼女は土手をすたすたと下りてくる。
「遅れてすみません」
待ち合わせ場所に来るなり、ぶっきらぼうに口を開いたのは、ブレザー制服に身を包んだ舞だった。一方の私は私服で、彼女の服装を見て、ようやく今日が平日であることを思い出す。
「ううん、私は予定とかなかったから」
「そうですか」
舞は感情を抑えた口調で、応えた。
私は彼女が送ってきたメッセージの内容を思い返して、どきどきと鼓動を速めながら、横目に、彼女を乗せてきたミニバンが去っていったことを確認する。
母親に舞のことを話そうとしたとき、彼女から一通のメッセージが送られてきた。
そのメッセージに書いてあった内容は、まず学校帰りにこの河川敷に来てほしいということ(私は学校を休んでいたのだけれど)、それに加えて――
「舞ちゃん。勝負、するんだよね」
――そこで、本気の勝負をしようということ。
背中で手を組んでそわそわとする私を、彼女はどこか自信なさげな表情で見返す。
「ええ……かさねさんもそれでいいんですよね?」
「もちろん。乗ったから、ここに来たんだもの」
本気といっても別に殺し合いをしようというわけではなかった。そんなこと、私は望んでないし、きっと彼女もそのはずだ。
「勝負のルールは、あれでいいですか?」
「うん、特に問題はないよ」
舞は、魔法少女の誇りをかけた勝負をしよう、と言った。
ルールは二つ。
全力でやること。
そして、彼女が勝ったら、私は魔法少女をやめるということ。
もちろん、私は魂の底まで魔法少女だから、それを取り除くことはできないけれど――作った張本人がそう言っていた――魔法少女として生きないことはできる。
それが、誇りをかけた、という意味。
その条件の代わりとして、私が勝った場合、舞はなにか要求を呑むことを約束した。
「正直、かさねさんが乗ってくれるとは思いませんでした」
「なんで?」
私が聞くと、舞はおもむろにカバンを開き、中からギンガムチェックの眼鏡ケースを取り出した。赤いセルフレームの眼鏡をかけた彼女は、そのレンズの奥から一瞬鋭く眼光を光らせる。
「日曜日、手も足も出ないまま、負けたでしょう?」
その言葉に、去っていった舞の悲痛な表情が思い出されて、胸がチクリと痛む。彼女はすぐ、緊張を緩めるように、フッと鼻から息を吐いて、肩から力を抜いた。
「確かに、舞ちゃんは強いし、私がそう簡単に勝てるとは思わないけど」
「じゃあ、かさねさんは、どうして勝負に乗ったんですか?」
納得のいかない様子で尋ねる舞を見て、私はここに来る前のことを思い返す。
相談を終えてから、彼女が勝負することを持ち掛けてきたことを話すと、母は言った。
『あなたに必要なのは彼女と向き合うことだ』
『勝負はその機会を与えてくれる』
『あなたたちは強いから』
でも、例え勝ち目がないとしてもこの勝負をやりたいと私が思った理由は、もっと別のもの。
もっと単純で、憧れじみた簡単な気持ち。
「だって、魔法少女は、そういうものじゃない?」
「え?」
彼女は、端的に疑問符を発した。
小さいころ見たアニメ番組。
女の子がひょんなことで使い魔に出会って、魔法少女になり、散逸したある品物を集めていくストーリーで、杏子が大好きな番組だった。私の目当てはその番組の前にやるヒーローものだったのだけれど、よく一緒に見ていたのを覚えている。
その中で、主人公はライバルの女の子に出会い、その品物を取り合うことになり、何度も刃を交えることになる。徐々に彼女のバックグラウンドが明かされていき、彼女と友達になりたいと思った主人公は、ライバルを呼び出して、こう言うのだ。
『私とあなたの出会いは、この戦いが生んだ。でも、この戦いの終端が、私たちを真にめぐり合わせるんだよ。だから、私たちが私たちとして出会うために――ここですべてを終わらせよう』
私と彼女は宝の取り合ってるわけじゃないし、誇りと言っても信念のぶつかり合いが起きているわけでもない。
ただ、わだかまりがあるだけだ。
だから、これは結果としての戦いではなくて、過程としての戦い。
そうすることが、なにもしないより意味があるとそう思ったから。
「私たちは魔法少女だから、勝負するべきだって、そう思ったんだ」
なにも言っていないに等しい説明をする私を見て、舞は呆れたように苦笑した。苦笑いだったとしても、あれ以来見ていなかった彼女の笑顔に、私は目を丸くする。
「かさねさん、意外と頭が悪いですよね」
憎まれ口をたたきながら、しかし確かに口角を上げて、舞はこう続けた。
「――でも、嫌いじゃないですよ」
その言葉は、抑えた口調の中にわずかにあたたかいものを含んでいて、耳朶に触れた響きが、私を身震いさせた。それを誤魔化すように、私は緩く笑みを浮かべる。
「えへへ、それに勝ち目がないわけじゃないよ。秘策も用意したし」
彼女の視線が私の足元に置かれたバッグに向けられた。
相変わらず察しがいい。
舞は、それについてはなにも聞かず、満足そうにうなずいた。
心残りはもうないといわんばかりに、彼女が眼鏡の蔓に指をあてれば、現代的なデザインのセルフレームは華美な装飾をあつらえたヴェネツィアンマスクに姿を変える。舞の全身を目もくらむような七色の光が包むと、さなぎの中で芋虫が姿を変えるように、ぐんにゃりと輪郭が歪み、光が薄れるとともに、彼女は赤いフリルドレスの魔法少女として、河川敷に立っていた。
「さあ、仮面を!」
彼女に促されて、私も胸に下げられたペンダントを握る。曇り一つない銀の十字架は、瞬きのうちにサークレットの形をとって、私はもう慣れた手つきでそれを装着した。仮面に触れた指先から、順々に銀と白が彩っていく。手を下ろした時には、私の全身はフェミニンなシルエットの鎧に包まれていた。
さらに、私は足元のバッグから、黒黒と光を吸い込むマントを取り出して、首の前でボタンを留める。その様子を見ていた舞は、不思議そうに眉を上げた。
タイルが敷かれ整備された涼しい風の吹く河辺から、私は土手の上を走るジョガーや鉄橋を走る自動車に目を向ける。
変身の済んだ私たちを見るものは、現世にはもういない。
腰に吊った鞘からブロードソードを抜く。
同じように杖を構えた舞と相対して、私は奇妙な高揚感に身体を震わせた。
「じゃあ、舞ちゃん、やろっか」
声をかけると、彼女も同じように感じているのか、煌々とした瞳で、こちらを見返す。
「ええ。手加減する気はありませんよ」
「望むところだよ」
戦いの前の最後の会話を交わして、私たちは口を閉じた。




