3-9
「《星よ――ステラ》」
私は即座に地面に飛び込んだ。
置いて行かれたビニール傘を光球が破壊して、ばらばらになった骨組みはアスファルトに落ちて甲高い音を立てる。
湿った大地の上で、私はペンダントを握った。
「《城壁の蔦は永遠を数える――ヴィーテ・ローザ》!」
全身が鎧へと変わる前に逸る口は呪文を唱えた。
それでも彼女まで届いた蔓は、舞を簀巻きのように縛りつけ、全身を拘束する。
状況が止まったことに安心した私は、額を流れる冷や汗にようやく気づく。
荒い息を吐く中で、私は口を開いた。
「舞ちゃ――」
「《空に比して、空は青く、星は空をも生む――ソニック・スパラーレ》!」
しかし、私が名を呼ぶ前に、彼女は次の呪文を唱える。
初めて聞く文言に、反応が遅れた。
舞を中心に、風が渦巻く。
反射的に腕で顔をかばった私を襲ったのは、衝撃。
空気そのものが鈍器と化したように胴体を薙ぎ払って、私はピンポン玉のように弾き飛ばされる。
さらに、つんざくような破壊音。
錐揉みになって、視界がぐちゃぐちゃに閉じる。
数十メートルの飛行の末、濡れた車道を滑り転がって、私の身体はようやく静止した。
キーンという音が収まらず、現実感が薄れる。しかし、そんなことよりも、上体を起こした私は、視界に広がる光景に驚きを禁じ得なかった。
「なに……これ……」
吹き飛ばされた二十メートル余りの間に植えられた街路樹が残らずなぎ倒され、太い年輪を雨に晒していた。道路脇の林の半分が更地同然となり、反対側の駐車場に止められた車のほとんどはひっくり返るか横倒しになるかという惨状。
かつて、舞が『街中で使うようなものではないので』と言って、自分の魔法を使うのをためらっていたことを思い出す。
今までは、きっと繊細に気を遣いながら、戦ってきたんだ。
もしかすると、たった一人で神話生物を狩り続けてきた彼女は、やろうと思えばすでに旧支配者に匹敵するほどの力を持っているのかもしれなかった。
キラリ、と道路の向こうから光が差す。
私はとっさに剣を抜いて、盾のように身体の前にかざした。空気を押しのけて飛翔する光の帯を、刃が切り裂いて、二つに分かれた先端が道路標識の首をねじ切る。
「まずっ……!」
彼女と共に戦ってきた私は、この攻撃の意味を知っていた。
放ってしまえば自由に動くことができるこの技は、彼女に足りない機動力を補う拘束の役割を持つ。光線にかかずらったまま空を見上げると、魔法少女の名にふさわしく、空を飛ぶ舞の姿があった。
「《切り裂き、貶め、虚実は剣の下に従う――ステラ・コントラーダ》!」
舞の手に握られた杖の先端から、星色の刃が伸びる。そして、飛び降りる勢いに任せて、彼女は振りかぶった光の剣を私に向けて振り下ろした。魔法の刃が私の剣と打ち合わされて、硬質な音を立てる。二回、三回、と彼女の剣が振るわれて、私はそれを受け続けた。何度も目の前で散る火花を眺めていると、
「熱っ!」
持つことが困難なほどに剣の柄は熱を持っていて、それが彼女の狙いだということに気がついた時には、もう遅かった。
逆袈裟に切り上げられた刃に弾かれて、私の剣はクルクルと宙を舞う。
頭の中が白に染まる。
(まさか、殺され――)
自分の首を目の前の刃が焼き切るイメージが頭をよぎって、身体が竦んだ。
けれど、私を襲ったのは違うもの。
まるで小さな子が闇雲に喧嘩をするように、ドン、と胸を小さな両手で押される。彼女は乱暴に身体ごとぶつかってきて、そのまま私は地面の上に転がった。馬乗りになった舞は、私の首に刃の消えた杖を突きつけて、十五センチもない距離で浅い呼吸を繰り返す。
もしも、彼女が光刃を消していなければ私の命はここまでだっただろう。
すぐそこにある顔を見上げる。
その表情がどうして悲痛に歪んでいるのか、この期に及んでも私にはわからなかった。
「舞ちゃん……」
どうすることもできなくて、ただ名前を呼んだ。
呼ばれた方は返事をすることもなく、私を見つめたまま、のろのろと右手を動かして、自分の顔に装着されたヴェネツィアンマスクを外した。
仮面は赤いセルフレームの眼鏡に姿を変え、彼女の変身が解ける。
すべてが元に戻った後、そこにいたのは、一人の華奢な女子中学生だった。
少女の肩を雨が濡らす。
舞は、震える手で私の首筋をなぞった。
「うっ…………ぁっ……!」
彼女の手が、私の首を掴んだ。
小さく温かい手のひらに体重が乗せられて、気道と動脈がふさがれた。
口を開いても、酸素は入ってこない。
血が溜まって、頭が膨らむ。
頭の中に異様な熱を感じたところで、手が離れた。
「っぁあ……はあ……はあ……」
一瞬のことで、苦しいというよりも、ただただ、気味の悪い感触が首から上を支配していたことばかり感じた。
それでも、たった一瞬死が隣に現れた恐怖に鳥肌が立っていた。
顔に溜まった血が下りていくのを感じながら、でも、私は必死に微笑みを作る。
だって、私の首を絞めた彼女が、私よりもずっとずっと驚いたような顔をしていたから。
大丈夫だよって、言ってあげたくて。
あなたがどうしてそんなことをしたかはわからないけれど、それであなたを嫌いになることはないよって。
安心させたくて。
それなのに、やっぱり彼女は悲しそうに顔を歪めた。
そして、か細い声で呟く。
「私たちは――友達じゃなかったんですね」
その言葉は、首を絞められることなんかよりも苦しくて、胸がかきむしられるように感じた。
また、わかりあえなかった。
彼女はふらふらと立ち上がって、踵を返し、私に背を向けた。
自分も起き上がって追いかけることも、去っていく背中を目で追うことすらも、やる気にならなくて、私は道路に寝転がったまま空を見上げる。
馬乗りになっていた彼女がいなくなったことで、雨粒は私の顔を直接濡らした。
冷たく、寒く、苦しかった。
彼女との出会いを、過ごした時間を、かけてくれた言葉を、思い出す。
「うあぁ……あぁ………!」
私は、今、彼女を――舞を、失ったのか。
流れた涙も、雨粒と混じり合って、地面に吸い込まれていった。
それでも、熱い涙はぽろぽろとこぼれて、私はたった一人で泣きじゃくっていた。




