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一週間ぶりに顔を見るのが、こんなところになるとは思わなかった。偶然会ったときの挨拶くらい考えておけばよかった、と思いつつ、私は、車道に降り立った彼女と目を合わせる。
「奇遇だね、舞ちゃん」
「神話生物に話しかけるなんて、一週間前まで魔法少女だったとは思えませんね」
彼女の物言いに、きゅっと胸が締めつけられる。
舞ちゃんだって、喧嘩腰に話したくはないだろうに、数年の間ともに戦ってきた相棒を、守るために、そうしなければならないのだ。
私のせいで。
「もしかして、聞いてたの?」
「いいえ。でも、変身もせずに神話生物のそばにいれば、そんなことだろうと思いました」
カマかけだったか、と彼女の頭の回転の速さに感心する。
ふと、傍らを見ればもうそこにショゴスの姿はなくて、少しほっとした。
例え神話生物だったとしても、たった今まで会話を交わしていた相手が目の前で殺されてしまうなんて、寝覚めが悪すぎる。
「かさねさん、まだ上岡あさみの手記なんかを信じているんですか?」
舞が声を発して、私はそちらに意識を戻す。
「まだ、肝心の本人には会えてないけどね」
舞は構えていた杖を下ろして、私に真剣な目を向けた。
「かさねさん、今度は私の話を聞いてください」
改まって話なんて、もしかして、彼女はどこかで私に出会える機会を探していたのだろうか。
断る理由もなく、私は首を縦に振った。
彼女は淀みない口調で、話し始めた。
「杏子さんを救うために、ネクロノミコンの記述を見て舞い上がってしまうのはわかります。ただ、それを信じることとハスターについての情報を信じることはまた別です」
それは、この間の私の話に対しての反論だった。混乱して去ってしまった彼女は、それをそのままにせず、きちんと自分の考えをまとめていたというわけか。
「実際に、かさねさんの父親という一定の証人がある前者に対して、そもそも、上岡あさみが魔法少女についてなにを知っているというんですか?
彼女の魔法少女についての記述が正しいと担保できる根拠なんてない。
いくら世紀の魔導書といったって、なんでも書いてあるわけじゃないはずです。それを信用するのは、少なくとも時期尚早でしょう」
彼女は、杖を掴んでいない手を胸の前に握りしめ、私に強い視線を向ける。
「また、もう一度、魔法少女としてやり直しましょう。私は、かさねさんと一緒に戦う日々が好きでした」
熱い言葉だった。
強い気持ちがそこに込められていることが、はっきりと感じ取れる。
そんな風に言ってもらえることは、きっと万人にとって幸福だとすら思えた。
けれど、私はその誘いに、こう答える。
「ごめんね」
蝋燭の火を吹き散らしてしまうように、彼女の目から灯りが消える。
簡単に、拒んだわけじゃない。
でも、私は、どうしても舞ちゃんのいるその場所に戻るわけにはいかなかった。
「一つ、まだ言ってないことがあったんだ。ほとんど個人的なことだから、言わなくてもいいかなって思ってたんだけど」
舞ちゃんは、険しい顔で反問を返した。
「なんですか?」
「私ね、普通の魔法少女じゃないみたいなんだ」
パシャリ、と踏みかえた舞の足が浅い水たまりの水を撥ねて、小さな音が耳に届く。
抑えた口調で、確かめるように彼女は尋ねた。
「……それは、神話生物と会話できるとかそういう話ではなく、ですか」
「それも含めて、かな」
傘を肩に立てかけると、開けた視界から雨空を見上げた。
灰色の空に向けて、私は手記によって知り得た自分の身の上について、語り始める。
「私は、お母さんの実験の結果生まれた魔法少女なの」
はっ、と驚きに息をのむ声がわずかに耳に届いた。
「上岡あさみはネクロノミコンの思想に従って、魔法少年だった八歳の兄から魂を抜きだし、ハスターの力とともに私の中に移し替え、その後失踪した。
私は三歳のころから魔法少女の力とともにあって、あの日、私が神話生物に出会うことによって覚醒することになった。
この力は、兄の魔法少年の魂を私の中に入れて、現れた兄の力。
彼女はそうやって魂を移植することによって力を移動することが出来れば、ハスターの力を集約することができると考えた。それを繰り返せば旧支配者に匹敵しうる力を持つ人間が誕生する――つまり、人類の滅亡を阻止しうる『救世主』の礎として私の力は作られたの」
私の力は兄のものだから、変身すると鎧姿になり、私の魂は使い魔と融合しているから、使い魔はいない。
その代わり、使い魔の力である神話生物の察知や彼らとの会話ができた。
思えば、今までの違和感はすべてそこに起因するものだったのだろう。
ネクロノミコンの思想に囚われて、『救世主』を作り出し、世界を救済しなければならないと思い込んだ狂った母親の試作品。
それが私で、私の正体。
そうやって加工された私の魂は半分くらい旧支配者の一部で、存在として、人間の枠から外れている。
そんな私が、例えそれが嘘だったとしても、正義を信じて戦う魔法少女の隣にいてもいいとはとても思えなかった。
濡れたアスファルトの上に足を着いて、車道に降りた私は一歩一歩彼女に近づいていく。
「私はね、舞ちゃんが、私の言うことも、手記に書かれていたことも信じられないっていうのは、仕方ないと思う」
ぱっと彼女は顔を上げて、大きく開いた目で私の顔に穴が空いてしまいそうなほど、今までで最も強く、私を見る。
その視線がどんな意味なのか、考えることもせず、私はただ言葉を連ねた。
「舞ちゃんは、普通の魔法少女で、最初からずっとポップと一緒にいたんだもの。彼を信じるのは、大切なことだと思うし、私は、それを尊重するよ」
だって彼女は、まだ、普通の魔法少女だから。
人間として、その最前で、その正義を信じて、戦うことが――生きていくことができる。
いつの間にか境界を踏み越えて、自分がなにものかもわからない、私とは違うから。
その思いは、目の前の女の子の叫びによって跳ね除けられた。
絶望するように、なにかを求めるように開いた口を力いっぱい噛みしめて、次の瞬間、彼女は咆哮する。
「ふざけないでください!」
誰にも聞こえない叫びが響き渡った。
ぎゅっと、右手に力の象徴を握りしめて、痛々しいほどに唇を噛みしめて、魔法少女は雨に打たれた。その様子が見ていられなくて、歩み寄った私は傘を傾けると、彼女を中に入れる。
「ごめん、理解できないのがだめって言いたいんじゃないんだよ。ただ、私と舞ちゃんは、違うから」
舞は一層悲しそうに顔を歪ませて、仮面の奥に涙すら浮かべた。
空いた手で私のブラウスを掴み、ぎゅっと力を込めた。
「違う……。わたし、私は! そうじゃないの……!」
駄々っ子のように、言葉にできない気持ちが伝えられないことを嫌うように、彼女は何度も首を振る。
けれど、彼女がなにを伝えたいのか、私にはわからなかった。
こんなにも近くにいるのに、肉体という壁ははるか悠遠の空間に等しく、たった一つの想いすら伝わることはない。不完全な言葉でこの混沌の自我を伝えなければいけない私たちが、すべてをわかり合う、なんて、世界が終わるまで一緒にいたって無理なんだ。
それでも、努力することだけはやめたくなくて、私は彼女の手に触れる。
面を上げた舞の口の端がわずかに上がって、それから、私の手は彼女によって、振り払われた。
「…………っ!」
かすかに私の喉から声が漏れる。
また雨の中に躍り出た少女は、左手を私に向ける。
その手に握られていたのは、杖。
星の魔法少女の力の根源。
数多の神話生物を葬り去った魔法の砲口が、私へと向けられていた。
「かさねさん」
かすれた声が私の名前を呼んだ。
「あなたがそういうなら、自分を魔法少女でも人間でもないっていうのなら、あなたは――私の敵です」
どうして、こんなことになってしまったんだろう。でも、そんなこともわからないということが、自分に罪があるということを示しているようにも思えた。
彼女の唇が開く。
「《星よ――ステラ》」




