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3-4


 舞ちゃんのお家で三代さんお手製の昼食までごちそうになった私は、日が傾く頃になってようやく帰宅の途についた。

 送っていただいた三代さんの車から降りてぺこりと礼をすると、サイドウィンドウから「また来てくださいね~」とゆるい声がして、銀色のミニバンは家の前の細い道を走り去っていく。

 門を押し開け、敷地内へ入っていった私は違和感に気づいた。

 違和感――それは既視感だった。

 まるでどこかで今見ているこの感覚を覚えたことがあるような。

 燃える黄昏と、胸を満たす充実感。

 門から敷地内を見渡せば、私はいつこの景色の中に身を置いたのか、思い出すことができた。

 夢だ。

 始まりにあった霊夢。

 ところどころ剥がれ落ちた白い漆喰の壁は橙色に染められて、古びた土蔵は私を誘うように存在感を増していた。

「まあ、確かめるに越したことはないか」

 玄関脇の柱から鍵束を取って、私は蔵の閂にかけられた重苦しい南京錠を開ける。

 錆びついた扉を開くと、黴臭い臭いが鼻を刺して、埃っぽい空気が夕日に照らされてキラキラと輝くのが見えた。

 私はあの夢の通り、一番奥の棚に足をかけて次々に登っていく。はあはあと息を切らしながら天井に手が届く最上段まで登り詰め、それから私は天井の一部分を指でなぞった。

「本当に色が違うんだ……」

 その部分はこの暗い中では知らなければ絶対に気づくことはないという程度にわずかに色が濃く、私はそこを押し上げる。天井板が外れて、人一人がちょうど通れるくらいの穴が開いた。

 決心して、私は天井に手をかけた。よじ登ろうと天板を蹴ったけれど、魔法少女ではない私は足をばたばたと振り回して天井裏の柱をひっつかんでようやく身体を押し上げる。

 天井裏は記憶していたとおりだった。

 小さな文机の前には座布団が敷かれ、周りには大学ノートが積み上げられている。埃にまみれているけれど、誰かがそこにいた時そのままを示すような光景だった。

 そして、机の上には、均整の取れていない歪な小箱。

「これだけは、夢の産物かと思っていたのに」

 ここまで見たすべてが夢で知っていたことだなんて、そこそこ不思議なことに慣れた私も驚くしかなかった。中でも一際、この小箱は異彩を放っていた。

 まるで人ならざるものが作ったような――

「確かこれを開くと……」

 夢を思い返しながら、私はそっと異様の箱を手に取る。そう、あの夢ではここから母が出てきたのだった。彼女はリップサービスなんて言っていたけれど、どういう――

 考えごとにかまけたまま、私の指は小箱を開扉していた。

 カチリと蝶番が鳴って、蓋が開く。

 箱の中で宙吊りにされていた不揃いな切子面の球形に近い多面体は黒々と輝いて、私を再び迎えた。また、意識がどこかへ飛んでいくのかと身構えたが、そんなこともなくて、ただ目の前が暗く遮られる。一瞬の後、目の前にいたのは妙齢の女性――ではなくて、黒いスーツを着た長身の男だった。

「男……?」

 黒髪黒眼に喪服のような黒いスーツに身を包んだ男はじっくりと私の身体を上から下まで検分するように見た。黒に統一された服装の中で青白い肌が浮き上がるように見え、不気味な容貌を示す彼は、一目私と目を合わせてから、機械的に紳士の礼をする。

「お初にお目にかかります、黒山羊の落とし仔。あるいは、救世主候補、ですか」

 またこれだ……! 『黒山羊の落とし仔』って一体なんなの?

「ええ、ええ、疑問に思うのもわかります。ですがいずれわかることですから」

 まるで、心中を読んだように、彼は的確な答えを発する。

 言葉に詰まる私を尻目に自己紹介を始めた。

「『這いよる混沌』。『無貌の神』。呼び名は様々ですが、一応、ナイアルラトホテプの名で通っています。長いのでナイアルラとでもお呼びください」

 ナイアルラトホテプ。

 私はその名を知っていた。

 ポップ曰くネクロノミコンの管理者であり、母曰く兄を殺した人物であり、バス転倒事故を起こしたシャンタク鳥の使い手。

 私は迷うことなくペンダントトップを手に取った。

 十字架が仮面の形をとり、それを自分の顔に被せる。

「おっと」

 しかし、手が届く前に、背後の闇から飛び出た触手が私の変身を阻んだ。

 男は気の抜けた声で、心にもないようなことをつぶやく。

「あぶないあぶない、剣を交えて話すなんてごめんですからね」

 その態度に、そしてそんな奴に一矢報いることもできない憤りから、私の口はひとりでに動き、言葉がついてでた。

「お前が……!」

「なんです?」

「お前が、シャンタク鳥なんか放たなければ、杏子はあんなことにはならなかった!」

 私が喚けば喚くほど、彼は愉快そうに笑った。ひとしきり邪神の高笑いが蔵の屋根裏部屋に響く。笑いは唐突に収まって、ナイアルラは楽しそうに尋ねた。

「それで?」

「そ、それでって……」

「贖罪として神話生物を倒して、シャンタク鳥を放った私に剣を向けて、それでどうなるんです?」

「それは……」

 私は黙り込むしかなかった。

 たとえどんなに神話生物を憎み、殺すことに熟練していったとしても、その結果として杏子を救うことなんてできない。私が本当に欲しいのは、神話生物を殺すことではなくて、杏子を救うことで、それ以外はすべておまけに過ぎないはずだった。

「そんなこと……わかってる……!」

 でも、私は魔法少女であって、魔術師でも魔法使いでもなかった。

 持っているものは刃こぼれしないブロードソード。

 できることは蟹の首をはねること。

 そんな私に――

「――どうしろっていうのよ!!」

 抑えられなかった叫び声に呼吸を乱し、はあ、はあ、と荒い息をつく。

 急に声色を変えた彼は、私の叫びにも微動だにせず、答えた。

「求めることです。八つ当たりをするよりも先に」

 『這いよる混沌』なんて社会性の欠片もない二つ名を名乗る邪神に、まとものことを諭されたのが恥ずかしくて、私は悪あがきのようにつぶやいた。

「……それでも、神話生物を倒すのは魔法少女の使命でしょ」

 ナイアルラは私がそう言うのを待っていたかのように間髪入れずにレスポンスを返す。

 落ち着いたからか、いつの間にか私の手を拘束する触手はいなくなっていた。

「それが間違っているんです。あなたは他の魔法少女とは方式が違う」

「方式が……違う?」

「ええ、そもそも魔法少女でない、ともいえます」

 魔法少女でない……?

 私がそのことについて考える時間もくれず、ナイアルラはさらに話を続けた。

「そして、悩む必要もないんです。どちらにせよ、これは決まっていた未来なのだから」

「決まっていた?」

 私は驚きと、それから憤りのあまり疑問を上げる。

 もしも、そんなことが運命で決まっているとするなら、この世界の神は相当に意地が悪いといわざるを得なかった。

 もしかしたら、目の前にいる彼が、そのいじわるな神なのかもしれないけれど。

「君の母親――上岡あさみがネクロノミコンを手にしなければ、君は生まれてもいないし友人と出会うこともない、ということです。ただ結論だけを言うならね」

 彼女がネクロノミコンを手にしなければ私は生まれていない……?

 一体全体なにも理解させる気のない物言いに、私は苛立ったが、それよりも、私には気になることがあった。

「ひとつ、聞かせて」

「なんでしょうか」

「母は邪神が息子を殺し、今も追われていると言った。しかし彼女はネクロノミコンを持っているという。なにが正しいの?」

 ナイアルラは、なにが面白いのか、クックックと喉の奥で笑い声を立てる。それが収まったころ、彼は体重を感じさせない足取りで、屋根裏部屋を歩き回り始めた。

「私は管理者であるといわれていますが、さらに言えば管理者であり、案内人なんです」

「は?」

「私が案内人として彼女を導いた結果として、あなたの兄の肉体は葬られ、彼女はネクロノミコンを所持している。そして、事実として、彼女は私のようなものどもから狙われていた。そういう側面から見れば、彼女の言っていることは真実でしょう」

 つまり、彼女が追われている、といっているのは管理者としてナイアルラが見張っていることを指している? そもそも、結局のところ、兄の死についてもこの邪神は関わっているということになるってこと?

 彼の物言いは示唆的かつ隠喩的で、なにかを言っているようでありながら、なにも言っていないようにも思える。

「そして、今私はその役割に沿って、あなたを導いている」

 導き、案内されているとしたら、私はいったいどこに向かっているのだろうか。

 それもわからずに、目の前の灯火についていけば、行く先は底なし沼かもしれない。

 しかし、私の手にカンテラはなく、自分の足を信じたところで、沼よりもマシな場所にたどり着ける保証もなかった。

「あなた、なにが目的なの……?」

 ふふ、と頬のうちに笑いを含んだ邪神は少しだけ素直な声音で、私の問いに答える。

「私は、人が因果に抗う姿を見るのが好きなだけですよ」

 おもちゃにされて弄ばれているようで、気に食わない。

 私がそうやって、顔をしかめているうちに、夕日は暮れていったようで、屋根裏が闇に包まれるとともに、男は役目を終えた、というように輪郭をぼやけさせていく。

「だから、上岡かさね――君は自分を取り巻く因果について知るべきだ。

 その力がどこから来たのか。

 なぜこの世界に踏み入れることになったのか。

 自分がどのようにして生まれ、なにものとして生きていくことになるのか。

 絡まり合った因果の繭をほどけば、おのずと道しるべとして現れることになるだろう。

 それを知らずに神話生物を憎むことは、許されない」

 日の沈んだ屋根裏部屋の暗闇に溶けていくように、邪神ナイアルラトホテプは存在を薄れさせていった。最後には思わせぶりな言葉を残して、秘密の部屋には再び静寂が戻る。

 ポケットから携帯電話を取り出してライトを焚くと、彼の立っていた場所に何冊かの大学ノートが散らばっていた。恐らく山積みになったノートの中の一部なのだろうけれど、それを示すことがなにを意味するのか今の私にはわからない。

「シャワー浴びたい……」

 邪神との対話を終えて、口をついたのはそんな言葉だった。

 ひとまず彼の残したノートだけを拾いあげ、ライトで足元を照らしつつ、元来た道を戻っていく。



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