3-1
空に広がるのは分厚い黒雲。
朝の空は、日が昇り切った今も、不気味に薄暗かった。
私は、上空を飛ぶ蟹のような神話生物の隊列を追跡しながら、連帯行動中の相棒に状況を報告する。
「舞ちゃん。ミ=ゴ五体、隊列で上空を飛んでる」
「了解です。進路は北ですか」
「奴ら一直線に飛んでるから、見つけて落としてくれれば追いつくよ」
「はい」
左耳に端的な返事が返ってくる。それから、舞は呟くように、神話生物の多さを嘆いた。
「しかし、最近は本当に増えた……。ちょっと前まで一週間一匹も見ないなんてざらだったのに……かさねさんが来てくれなければ手が回らなかったと思います」
私は以前を知らないから、増加したという実感はなくて、むしろこんなものだろうと思うくらいだった。ただ一つ思いついたことを冗談めかして、マイクの向こうに投げかける。
「私が魔法少女になったから増えた、とかね」
「そんなまさか」
ふふっと笑い混じりの声。
その余韻が消えないうちに、イヤホンを通じて、もう最近は耳慣れた、彼女の対空呪文が漏れ聞こえた。空の上に黒い重力の網が開かれ、怪物の隊列を飲みこむ。絡めとられた空飛ぶ蟹たちは突然翼をもがれたように、そろって地面に落ちていった。
落下地点はアパートの多い住宅地。
奴らが逃げる前に、と足を速めれば、ミ=ゴたちがあるアパートの駐車場で重力に呻いているのが視界に入った。
私は一旦金網の上に着地。
間合いを見極めつつ再び飛び上がった反動で、金網が大きく揺れる。
ジャンプした勢いのまま剣を振り下ろし、一匹のミ=ゴの首を切り落とした。
さらに、もう一匹の腹をブーツのつま先で蹴り上げ、身体の下から胴体を輪切りにする。
起き上がって翼を広げようとしていた個体に向けて、左手を伸ばした。
「《城壁の蔦は永遠を数える――ヴィーテ・ローザ》」
手甲から蔓が伸び、神話生物の身体を縛りつける。
私が左手を振り上げて、奴の頭をアパートのベランダの角に叩きつけると、水風船を割ったようにばちゃっと青い液体が弾けた。三体のミ=ゴを殺したところで、周囲を見回すと二体のミ=ゴが飛び上がり、別々の方向に逃げていくところだった。
「舞ちゃん、片方追える!?」
「コンビニの方行きます!」
舞の返事を聞いて、私はもう一方を追い始めた。昆虫のように行儀よく足を畳んで飛ぶ蟹の怪物は、アパート群の連なる上を低空飛行していく。
しかし、そのミ=ゴは周りから頭一つ抜けた高さのあるアパートの屋上に降り立ち、私を出迎えるように振り返った。私もそこに降り立つと、なにということもなく口を開いた。
「観念したっていうの?」
神話生物は、頭を包んでいた触角を蠢かすと、私の頭の中に声が届く。
『……黒山羊の落とし仔か……』
まさか返事が返ってくるとは思っていなかった私は、少し驚いた。そういえば聞かなかったことにしていたけれど、初めてミ=ゴに出会ったあの時もこいつらは私に話しかけてきていた。
しかし、それよりも奴の言った内容が気になって、私は聞き返す。
「黒山羊? 私のこと?」
『……目覚めの日はまだ遠いようだ……』
「なにを言ってるの……?」
会話が成立しているようで成立していない。相手は言いたいことを言っているだけで私の話は別に聞いていないようだった。それならば、と私が剣を構えると、敵が問いかけてくる。
『……落とし仔よ……なにを思い殺す……?』
時間稼ぎかもしれない、と考えながらも神話生物からのその問いかけには応えざるを得なかった。
「あなたたちは、私の親友を傷つけた」
あの事故から一週間が経って、私はある決意をした。
もう、誰も犠牲にはさせない。
そのために、目の前の敵を倒し、杏子の罪を償うために、私は杏子を傷つけた神話生物を倒し続ける。
それが私の贖罪であり使命。
魔法少女として、人間ではないものと戦う。
「だから、私は魔法少女である限り、あなたたちの敵よ」
ひゅっと風切り音を立てて、私は、ミ=ゴに向けて切っ先を突き付ける。
しかし、目の前の怪物は動じることもなく、ただ脳へ声を届けた。
『……単純で……わかりやすいことだ……』
「なんっ……!」
まるで怒りを煽るために発せられた言葉に、私は簡単に激昂してしまう。
早朝の住宅街に、金切り声が響き渡る。
「なんで――そんなこと言われなくちゃいけないの!」
怒りに任せて、私は思い浮かんだ呪文を唱えた。
「《リボルタ・デイ・ヴィルス》!」
アパートの屋根から何本もの蔓の大蛇が飛び出して、ミ=ゴに巻きつく。
棘だらけの胴体に締め付けられ、棘の生えた口で噛みつかれても、敵はただ頭の触角を蠢かすだけだった。
人間から最も程遠い甲殻類の出来損ないに――
身も心もないような異形の怪物に――
「お前らに――なにがわかる!」
ぐっと左手を握りしめる。
それだけの動作で、大蛇は目の前の神話生物を絞め殺すことに決めて、ミ=ゴの甲殻はぱきぱきと音を立てながらひび割れる。怪物の胴体が圧力に負けて、青黒い体液がまき散らされる瞬間、私の頭に末期の言葉が届いた。
『……目覚めを、祈っている……』
妙にはっきりと聞こえたその言葉が、なにを意味しているのか、それを推量する材料を、私は持っていなかった。釈然としない気持ちだけを残して神話生物が消えると、ちょうど舞がこちらに追いついてきて、アパートの屋根の上に降り立つ。
「かさねさん、さっき誰かと喋ってました?」
そういえばトランシーバーでもないのだから、こちらの声は筒抜けなわけだった。
恥ずかしさに少し赤面して、目をそらす。
「ただの、独り言だよ」
私は小さな罪悪感を抱えながら、誤魔化しの言葉を口にした。




