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悲鳴と怒号が沸きあがる。
ざわめきと動揺が駅前に広がった。
転倒したバスは歩道に乗り上げ、ガラスは飛散し、叫びと泣き声が聞こえる。
乗降中だったバスの内部には人がいて、さらに車体の下敷きになった人間もいるようだった。
「うそ…………」
今、私が、避けたから――
バスが背後にあるのはわかっていて、それなのに、私の想像力が足りなかったから、とっさに、攻撃を避けてしまった。
そのせいで、もしかしたら、人が死んだ……?
私は、魔法少女として、自分が傷ついたり、なにかを捨てたりすることになるかもしれないという覚悟はあった。
それでお父さんや杏子や、この町が助かるならそれでもいいと思った。
けれど、自分が犯したミスによって、大勢の人間が傷ついたり、あるいは死んだりするかもしれない、なんて考えたこともなかった。
ちりちりと言いようのない焦燥感に胸が焦げつく。
風切り音が耳に届いて、私は目の前の状況に気がついた。
怪鳥の尻尾が遠心力を得て、再び、呆然と立ち尽くす私を砕こうと空を切る。
「《星よ――ステラ》!」
聞き覚えのある声が届き、光球が岩塊を弾いた。
同時に、フリルドレスの魔法少女は私の首根っこを引っ掴み、上空に舞い上がる。
「舞、ちゃん……」
「まったく、かさねさんと会う時はいつもこうなるんですか?」
「毎朝会ってるときは違うじゃない」
「屁理屈を言わないでください」
舞は、周囲よりも一段高いビルの屋上に降り、私と向き合った。
サークレットに隠れた顔をじっと見て、やや問い詰めるように言った。
「ひどい顔をしていますね」
罪悪感から、私は彼女の目を見ることができず、屋上のフェンスから階下の景色を眺めた。
「……私が、あの尻尾を避けたから、バスが転倒して……中にいた人はどうなったかもわからない……」
「それで、頭が真っ白になって棒立ちになっちゃったっていうんですか?」
私は、ただ素直に頷く。
怒られるかもしれない、と思った。彼女ほど真剣にこの町を守って、覚悟と誇りを持っている人間なんていないから。
あるいは、呆れられるかもしれない、とも考えた。そんなことで頭が真っ白になってしまうほど弱いのに、魔法少女なんてできないだろうから。
でも、舞ちゃんの行動はそのどちらとも違った。
彼女は軽く息をつくと、空いた手で私の手を握った。
「最初からなんでもできる人なんていません」
彼女は、うつむく私に優しく言葉をかける。怒るのでもなく、呆れるのでもなく、こんな私を慰めてくれたのだった。
「もちろん、かさねさんのミスで人が死んでしまったならば、簡単に許されることはないでしょう。しかし、今はそれを悔やむより、次に活かすべきです」
金属製の手甲の上から握られた手に、彼女の温もりは感じられなかったが、そうしてくれたことに、私の心はふんわりと温かくなる。
舞ちゃんの言葉は、中学一年生が語るには、大人びすぎていたかもしれない。
けれど、その裏に確かな血肉があることがしっかりと感じられた。
「覆水は盆に返らないし、流れた血は元に戻らない」
きっと、彼女もこうやって乗り越えてきたんだろう。
「もしもかさねさんが贖罪を望むのならば――神話生物を倒すことです」
シンプルな結論が、私に踏ん切りをつかせてくれた。
後悔するのは、あとでいい。今は、目の前の神話生物を倒すんだ。
ようやく直視できた舞ちゃんの顔は笑っていた。
「やっと、顔を上げてくれましたね」
仮面の奥と奥で目が合って、私たちは、少しだけ分かり合えた気がした。
ばさり、ばさり、と巨大な翼が空気を叩く音が耳に届く。
私たちはお互いに頷き合った。
「来たね」
「来ましたね」
ビルの屋上まで追ってきた怪鳥を見上げる。翼がひと振りされるたびに起きる風に、スカートの裾がたなびいた。私が剣を握りなおすと、舞は口を開いた。
「かさねさん、一つ聞きたいんですが、あの神話生物は、攻撃しても傷が治ったりしませんでしたか?」
言われて、シャンタク鳥の全身を、つぶさに観察すると確かに首を刺した傷も、花びらを当てた腹の傷もきれいになくなっていた。
「治ってる……今まで与えた傷は全部治ってるよ」
「やっぱりですか。今まで言う機会がなかったのでここで言っておきますが、アレは恐らく奉仕種族と呼ばれるもので、普通に攻撃しているだけでは倒せません」
「そうなの?」
私が聞き返せば、ひょこっと、どこからか黄色いマスコットが彼女の肩の上に現れて、私の疑問に答えた。
「神話生物には奉仕種族と独立種族がいるぽ。奉仕種族は旧神直々に作った特別製で、ある程度魔法少女みたいな魔法が使えるぽ」
魔法少女みたいな魔法、ということで、私は喫茶店で聞いた話を思い出した。
「ヨグ=ソトースへのアクセスによる――情報の書き換え」
「なんですか? それ」
私がつぶやいた内容に、舞ちゃんは疑問符を示した。
このことは、魔法少女として普通に知っているということではないのか。
そんなことよりも、と話の続きを急かすと彼女は首を縦に振った。
「奉仕種族を倒すためには、確実にとどめを刺せる一撃を叩きこむ必要があります。……ですが、私のは街中で使っていいようなものではないので」
「わかった」
私は彼女の言わんとすることを理解して、頷いた
ショゴスを倒した時に使ったあの呪文はきっとそのためのものなのだろう。
「じゃあ、私が敵を引き付けますから、かさねさんはとどめをお願いします」
私は頷きを返す。
彼女はふわりと浮かび上がって、空中でこちらの様子を見ていた神話生物に杖を向けた。
「《天を仰ぐ。世界の狭さを知る。真実を見よ――ラレッテ・デル・パラディゾ》」
舞のかざした杖の先端に星が光ると、天蓋に夜空が広がった。
滞空する神話生物よりも上空に、夜空を模した群青色の広がりが生まれ、落下する。
落ちてきた夜空は空中にいるシャンタク鳥を絡めとった。重力に打ち勝つことのできなくなった怪鳥はそのまま盛大な打撃音を響かせて、ビルの屋上に叩きつけられる。天網がそのままビルをすり抜けて地面へと降りていくと、怪物は起き上がり、荒い鼻息を吐いた。
舞は、怪鳥へ近づきながらさらなる呪文を唱える。
「《星は流れ、光は闇を払う――ルーチェ・ステラーレ》」
淡い光の激流が鱗に覆われた背中を削り取る。その程度では動じない怪鳥が広い翼が振り上げ、空中の舞に打ち付ける。紙一重のところで後ろに下がった舞は牽制の光球をぶつけた。
そうやって、彼女がシャンタク鳥を引き付けてくれている間に、私は怪鳥の動きを見極めた。
敵はどう動くのか。
どうすれば確実に当てられるか。
どこになら自分の攻撃が有効に通るのか。
舞と戦う神話生物を観察して、一つずつルートをシミュレートしていく。
電撃のように現れた閃きに従って、私は足を踏み出した。
カン、カン、とブーツが屋上を叩く硬質な音だけが私の耳に届き、すぐ近くで行われている戦闘が、遠い世界のように思えた。
目標と道筋だけを見据えて、私は駆ける。
「《再誕と過去の薔薇。黒天を拒み、悲嘆に沈む神聖――」
舞ちゃんが噛みつきを避け、後退したその瞬間、私は勢いよく踏み切った。
この時、必ず敵はこちらに顔を向ける!
尻尾を振り上げるために地面に触れた頭を宙返りで飛び越えた。
身体を丸めた私は自らの剣を頭の上に構える。
「――すべての悲しみを捧げよ――」
空中で剣を振りかぶった私は、全身全霊を持って、白刃を振り下ろした。
銀色の刃が、鱗のはがれた背中に突き刺さる。
逆さになった視界の中で、剣を押し込む力をばねにして私は、そのまま手を離す。
回転しながら怪物を飛び越えた私は、着地とともに終の言葉を唱えた。
「――アルバ・ローザ・フュリーセ》!」
天に柄を向ける剣の切っ先から根が伸びていく。
植えつけられた種はシャンタク鳥という存在を吸って、町中から眺められるような大輪の薔薇を咲かせる。
花びらは数秒の後散って、苗床となった神話生物も消え去った。
緊張の緩んだ私はゆっくりと落ちた剣を拾い上げて、腰の鞘に収める。すとん、とすぐ横にフリルドレスの女の子が降り立った。
私たちは、どちらからともなく、手を振り上げる。
ぱぁん、と手と手が打ち鳴らされる乾いた音が響いた。




