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「買いすぎたかな……」
スーパーを出た私は両手にぶら下がった大きなビニール袋を見て、そうつぶやく。
週末。ついに空っぽになった冷蔵庫を見た私は、買い出しに出かけた。
料理なんかはある程度できるけれど、買い物は父親がすることが多かったから、塩梅がわからない。これで必要なものは全部買ったはず、と頭の中で記憶の買い物リストをめくりながら、スーパーを出て、白いタイルの敷かれた駅前のペデストリアンデッキの上を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。
「あら、かさね、買い物?」
まるで、偶然街中で会った知り合いに声をかけたという風に、私の肩を叩き、話しかけてきたのは、妙齢の金髪の女性。
つまり、自称私の母親の彼女だった。
「はぁっ? なんであなた、こんなところに……!」
私は驚きに素っ頓狂な声を上げる。
突然目の前に現れて、魔法少女になることを予言し、思わせぶりなセリフだけを残してどこかに消えたのに、こんなところで会うなんて思いもしなかった。
っていうか、あなたが本当にお母さんだとしたら、こんな地元にいて大丈夫なの!?
「ちょっと野暮用があってね。ところで、かさね今時間ある?」
「え、はい」
買い物を終えれば用事もなかった私は反射的にそう言ってしまった。彼女は返事を聞くなり、私の腕をつかむ。
「じゃあちょっとお茶でもしてきましょ? ね?」
「あ、えっと、ちょっと!」
強引に腕を引っ張られて、私は彼女にずるずると引きずられていった。
彼女は、私をペデストリアンデッキの広場に隣接するコーヒーチェーンに連れ込んだ。
間接照明によって暖かく照らされた店内に入ると、彼女はレジに向かっててきぱきと注文を伝えた。
「ケーキセット二つ。私は、カフェラテとチーズケーキで。かさねはどれがいい?」
この状況にまだ戸惑っていてもたもたとする私は彼女からメニュー表を見せられて、注文を聞かれる。メニューをざっと見て、私は適当なケーキとドリンクを指差す。
「ええっと、ミルクレープ、それからホットティー」
喫茶店に入ってメニューを見ながら注文をする、なんて、なんだかまるで普通の母娘のような絵だった。私よりも高い位置にある彼女の横顔を眺める。
これが、本当に私のお母さん……なんだろうか。
「混んでるし上行こう上」
代金を支払い、ケーキとカップが二つずつ乗ったトレーを受け取った彼女に促されて、私は店内奥の階段から上階に上がる。テーブル席が並び、まばらに人の座った間を通り抜けて、私たちは窓に面したカウンター席に並んで座った。窓からはデッキを往来する人々や、広場で待ち合わせをする人たちなどの様子がよく見える。
「はい、こっちがかさねの分ね」
彼女は自分のドリンクとケーキの皿をテーブルに下ろして、残ったトレーをよこした。
それを見て、私は自分の分の会計をしていないことに気づく。
「あ、お金……」
「母親が娘に払わせるわけないでしょ。ましてこのくらい」
呆れたように言われるとまるで私が間違っているみたいだけれど、私からすれば出会ってまだ二度目の相手に奢らせるというのは気が引けた。
「私はまだあなたのことが母親だとは信じられません」
「でも、私が嘘を言っていないことはわかったでしょ?」
「どういう意味ですか?」
「だって、魔法少女になったんでしょう?」
私は言葉に詰まった。
彼女は私が魔法少女になったことを知ったから声をかけてきた? そもそもなぜそれが予言できた?
そもそも――
「あなたは、なにものなんですか?」
彼女は妖艶に微笑んで、誘うように私を見た。
「知りたい?」
「はい」
「じゃあ、私のこと『お母さん』って呼んで?」
え?
よくわからない交換条件を出してきた目の前の女性に、私は戸惑うしかなかった。この人にとっては私がそう呼ぶことがそんなに大事なの?
「呼んでくれなかったら、なにも教えられませーん」
呼ぶ呼ばない以前に足元を見たその態度にイラッとして、私は突っぱねてやろうかとも思ったが、私は、彼女から目をそらして窓の外を眺めながら口を開いた。
「…………お母さん」
「お、えらいえら~い!」
なんだこれ……またなにかが起きるんじゃないかと身構えていたのがバカみたいだ。
「呼べたご褒美に、私の連絡先を上げましょう~。はいこれ」
彼女はどこからか名前とメールアドレスだけが書かれた適当な名刺を取り出して、私のポケットにねじ込んでくる。こんなものもらってどうしろっていうんだ。
「そんなことより、質問に答えてください」
彼女は私の様子を見てうふふ、と嬉しそうにほくそ笑んだ。
それから、真剣な表情を取り戻して、私の目の前の三本の指を立てた。
「じゃあ三つ、聞いてもいい?」
「三つ、ですか?」
ここまで彼女から、魔女だの邪神だのという話しか聞かされていなかったから、どんなものが飛んできてもいいように覚悟を決めた私は、次の言葉に、拍子抜けすることになる。
「まず、かさねは多元宇宙論って知ってる?」
「多元宇宙?」
ここに来て、宇宙の話? 突然、こんなソリッドな話をされても頭がついていかない。
「ええ、いろんな説があって賛否もいろいろなんだけど、全部ひっくるめて平たく言えば、私たちがいる宇宙の外にはたくさんの他の宇宙があるみたいな話」
「なんとなく、聞いたことがあります」
「そう? じゃあシミュレーション仮説っていうのは?」
宇宙の話でシミュレーションって言ったら、一つ、思いつくものがあった。なんかの小説の設定に使われていた覚えがある。
「ええと、この世界が実はコンピュータシミュレーション上のものかもしれないっていう話ですか?」
「そうそう。かさねはいろんなこと知ってるのね。えらい」
「そ、そんなこといいですから、これはなんなんですか?」
手放しで褒められると、なんだかこそばゆくて、続きを急かした。
「まあまあ、三つ目を聞かせて」
彼女はカフェラテを口に含んでから、こちらに顔を向けて、三つ目の質問を告げた。
「かさねは、なぜ世界があると思う?」
私は黙って、少し考えた。
なぜこの世界があるのか。世界っていうのは物の集まりで、物があるのはビッグバンとやらがあったからだ。じゃあ、そのビッグバンとやらはどうして起きたのか?
「わかるわけないじゃないですか」
「ごめんね、その通りよ。わかるわけがないの。じゃあ、なんでそんな質問が生まれるか、わかる?」
世界は物の集まりで、なんで物が生まれたかっていうとビッグバンがあったから。じゃあビッグバンはなんで起きたのか、そう問う理由。
「物事には、全部理由があると思うから?」
私が答えると、彼女は驚いたように目を丸くして、それから、嬉しそうに私を褒めた。
「すごいわ。かさねは賢いのね」
「そ、そういうのはいいですから」
「そう?」
彼女はいたずらっぽく笑って、さらに話を続けた。
「物事に理由があるって考えるのはどうしてかっていうと、この世界では無から有は生まれないからよ。無から有が生まれないから、世界がある理由を見つけられない」
私は返事をうなずくだけに留めて、話を黙って聞くことにした。
「この世界がなぜあるのか。それはね、アザトースのためだといわれているの」
「アザトース?」
「盲目にして白痴の魔王、アザトース。平たく言ってしまえば神様みたいなものだけど、その称号は私たちの概念に照らし合わせたに過ぎないから、語るのは難しいわ。アザトースは私たちがいる世界のさらに上位世界における唯一の存在。その世界は、無から有が生まれる、0=1の世界」
0=1の世界。
0=1であるということは、0=2であり、0=∞だということ。
「アザトースはその混沌の世界の中に、無数の宇宙を作った。その一つが私たちのいるこの世界、通称『ヨグ=ソトース』よ」
スケールが突然大きくなって、私の頭はついていかなかった。
この世界は世界の中の世界であり、他にもいくつも似たような世界があって、それらがまとまった上位世界があり、そこにアザトースとかいう神様がいる、ということ?
「それはつまり、この世界は別世界の神様が作ったってことですか?」
「そう取ることもできるわ。でも、アザトースは全知全能の神なんかじゃなくて、盲目にして白痴の魔王だといわれているの」
私には、目の前の彼女かはともかく、父と母がいて、彼らにも父と母がいて、たどっていけば人間がまだ猿のころから、そして、猿がネズミ、ネズミが単弓類、果ては微生物だったころから私に続く生命の連鎖は続いている。
そして、生命が生まれたのは、地球があって、環境を成立させる太陽系、そしてこの宇宙があったからで、そのすべての起源が、全知全能の神でも人知を超えた奇跡でもなく、盲目にして白痴の魔王だというのは、なんだか救われない話だった。
「上位世界におけるヨグ=ソトースは言ってしまえば中央処理のシミュレートコンピュータみたいなもので、ある一点にこの世のすべての情報と物理現象が記述されているの。だから、ヨグ=ソトースの中にいる私たちはその情報にアクセスして、現象を書き換えることによって、定められた秩序――つまりは物理法則を逸脱した現象を起こすことができる。それが魔法少女の力であり、私が魔女として得た力よ。プロセスは全然違うんだけどね」
自分がいままで何気なく使っていた力が、そんな大それたことによって行われているなんて思いもしなかった。魔法少女という名前だから、なんとなくそういうものだと思うくらいで。
しかし、そんな世界のルールじみたことはどうやって知り得るものなの?
「どうして、そんなことを知っているんですか?」
「ネクロノミコン――ヨグ=ソトースのルールブックとも呼ばれる本の一冊を手に入れたからよ。だから、私がなにものかっていう質問に答えるなら、『ネクロノミコンの所有者』ね」
アザトース。世界。
ヨグ=ソトース。シミュレートコンピュータ。
ネクロノミコン。ルールブック。
また、新しい概念がいくつも現れて、頭が痛くなりそうだった。とても女子中学生が対面するべきものではないことだけはわかる。
母親の話が頭の中をぐるぐると回って、また一つの疑問が頭をもたげた。
「じゃあ、あなたの目的は――」
「あっ……!」
彼女は窓の外の様子に血相を変えて声を上げた。私も口を閉じて、窓の外へ目を向ける。
人々が集まり、往来する広場を包み込むように黒い影が落ち、晴天にもかかわらず広場は不気味に薄暗かった。すぐに母親の視線の先を追って、上空を見上げる。
そこにいたのは、〝鳥〟だった。
ゾウよりも大きな黒い身体は腹以外青い鱗に覆われて、馬のような頭には真っ白なたてがみが下りていた。大蛇を思わせる鱗に覆われた長い尻尾の先は白い石のようなものが包みこみ、その巨躯を上空に浮かび上がらせるに足る翼はこの広場を太陽から隠す傘となるほどに大きく、尻尾と同じ白い石が覆っていた。今まで見たどんな生き物よりも大きく、これまで対峙したどの神話生物よりも力強く、その姿は怪物というよりも怪獣と呼ぶのが正しいように思えた。
「シャンタク鳥……」
ぽろりとこぼすように、空を見上げた彼女はその怪物の名前を告げた。
ゆっくりと空中で羽ばたき続けるシャンタク鳥はその巨体が翼の動きに合わせて揺れようともただ一点を見つめ続けている。
目線の先は、広場の中心の時計塔の下。
駅前の待ち合わせポイントであり、常にたくさんの人が群れている場所。
そこに立つ人の群れの中から、私の目が見つけたのはショートカットの女の子だった。
「あれ、杏子……!?」
この間のショゴスといい、災難に見舞われすぎだ。今年は神話生物難の年だろう。
私はそんなことを考えながらも、買い物袋をひっつかんで、椅子から立ち上がった。
「行かなきゃ!」
急いで外に向かおうとする私を、彼女も切羽詰まった様子で呼び止めた。
「待って!」
「なんですか!?」
早く行かなければ杏子が襲われてしまうかもしれない、という焦りから私の口は自然と大きな声を上げる。
「あれは、邪神の使いであるシャンタク鳥よ。それでも行くの?」
あれが邪神ナイアルラトホテプの使い――禍々しい外見はそのイメージにピッタリではあるけれど、そう思うと、急にその存在が恐ろしいもののように感じられる。
でも、あそこにはたくさんの人がいて、杏子もいて、ここは私の町で。
私が相対しようとしているものは、邪神の使いで、神話生物で、私の敵だ。
行く理由はいくつもあって、行かない理由は一つもない。
それに――
「私は、魔法少女ですから」
――正義は必ず勝つ、でしょ?




