タラッサの養子のリザードマン:1
1-2始まります。大体35000文字になりました。
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早く帰ってきて頂けると本当に助かります
ミハイル
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巨大なドラゴンが、人にしたら埃程度の大きさになるであろう枯葉を器用に爪先で摘まんで眺めていた。
「あー……」
何か軽い失敗を犯したような声を、だらりと出した。
「どうかしたのか?」
ひたすら刀を振っていたが、その声に俺も少し気になった。
「眷属になって恐れなくなる対象は、普通、その眷属にした当ドラゴンだけだったんだよなーって」
更地で寝返りを打つと、それだけで土煙が沢山舞った。尻尾が宙へ持ち上がり、そしてだらりと落ちていく。
ずぅん、と尻尾を降ろした音。
それから大きく欠伸。
「ふあ~あああぁぁ……」
響く欠伸、ぶふぅ、と放たれた息の後で、ゴロゴロと岩が転がっていく音がした。
何かするのかと思えば、そのまま寝始めた。
……結局何が書かれていたんだ。
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目の前には青いドレスを身に着けた女性。今日は人間の姿をしていた。
両腕はだらりと落とし、片手には細剣を手にしていた。
刀を目の前に構える。対峙する俺の腰には鞘、そしてもう一本の刀。
これで何度目の挑戦になるのか、俺は忘れた。物心ついた時にはタラッサに向けて刀を握っていた。それから何年が経つのか、俺が今何歳なのか、それも分からない。
忘れる程の回数、まだ、一本も取れていない。
足を擦り、僅かずつ距離を縮める。タラッサはただ俺をじっと見つめるだけで、今回は間合いが近付くまで何もして来なかった。
そして後一跳びで届くという時に、タラッサの足が半身に開かれ、ひゅん、と音を鳴らした細剣の切っ先が自分の額を真直ぐと指した。
細剣の先が、揺れを残していた。
「今日はどうする?」
俺はそれに答えない。
その軽い言葉とは裏腹に、目は相変わらず真剣に俺を見つめ続けている。記憶が蘇る。
大狼の姿で喉元を抑えられた。グリフォンの姿で踏みつけられた。ワイバーンの姿で鷲掴みにされ、遥か上空に持ち上げられた。
槍を持ったコボルトの姿で首に切っ先を突き付けられた。ケットシーの姿で雷の魔法を体に浴びせられた。俺と同じリザードマンの姿で投げ飛ばされた。人間の姿で刀で峰打ちを食らった。
タラッサは、その姿の種族の限界から外れずに、俺を何度も圧倒してきた。
その記憶が、俺の頭に浮かんだ選択肢を踏みにじる。僅かに生き残った選択肢も全て死にかけている。俺は、それでもその中から俺は選択する。
ぐ、と刀を持つ手に力を込めた。踏み出し、同時にタラッサも踏み込む。互いに突き、細剣がずらした側頭を掠める。タラッサも俺の突きを姿勢を低くして避けている。
突きからの斬り下ろしは今度は体を捩じって躱され、そのまま回転し、二度目の突きが腹を刺しに来る。
転がって避け、距離を取った。
姿勢を戻し、また同じ姿勢で対峙する。
側頭からたらたらと血が流れていく感覚がする。それに比べてタラッサのドレスには汚れ一つない。
ふぅ、と息を吐いた瞬間、今度はタラッサが先に踏み込んできた。飛んできた突きを切り上げて弾き、その崩れた姿勢に体を捩じって尾と共に後ろ回し蹴り、しかし感触は掠っただけ、そして掴まれた。
そこから崩され、倒れた俺の隣に、太ももから取り出された短剣が突き刺さった。
「……あー、しまったな」
武器を交わして一度凌げた。、そこで一瞬、気を緩めてしてしまった。そこを見逃す程タラッサは甘くなかった。
「私に対して油断なんてするな」
そう言ってタラッサは倒れた俺に手を差し伸ばしてきた。
ぐい、と持ち上げられ、次いで側頭に手を当てられる。
さっと撫でられた後には、傷跡さえ分からなくなっていた。
「……」
凛々しい顔は何であろうとも変わらず。治療したときに僅かに手に付いた俺の血を、タラッサは舐めて拭った。
それから短剣と細剣を手に取ると軽くドレスで拭い、両方とも柄に収めた。
「さて。適当に何か食ってこい。後でまた稽古をつけてやる」
「……分かった」
刀を仕舞い、弓を手に取る。慣れてしまった悔しさに対して溜息を吐くと、俺と同じような姿になって一部始終を見ていたエリュトロンが言った。
「そろそろ俺は一旦戻らなきゃいけないが、それまでに一本は取ってくれるか?」
「取れると思うか?」
「それはお前次第だな」
意味ありげな言葉が返された。
鉄弓に矢を番え、ギッ、と引く。
息を吐きながら、遥か遠くに見える角兎に向かって狙いを定めていく。
吐く息がなくなり、体全体が空気を求め始めるまでの数瞬の間、完全な静寂が訪れ、そして矢を放った。
パァン、と弾ける音、弾け飛ぶ矢は、角兎の頭を貫き、そのまま、地面の奥深くまで突き刺さった。
そこまでの距離はざっと見積もって百歩以上。矢を抜くまでの歩く時間がやや長く感じられる位。矢に手を掛けて引き抜き、その首に噛り付いた。
血を飲み、肉を食らう。
エリュトロンから聞いた所によると、焼いたり湯に入れて塩と共に煮たりすればもっと美味しくなるとか。実際、そうして食わせてもらったが、俺はこの食い方しか知らないし、魔法も使えない。
タラッサは、俺に武芸しか教えて来なかった。
そしてそんな俺がエリュトロンから聞く話は、何から何までがタラッサから聞いた事の無い話ばかりで、逆に現実味が無かった。
ただ、俺はどうやらとても狭い世界で生きてきたらしい、という事だけは分かった。
食い終えて、口を拭い、来た所へと歩いて戻る。
俺は、何も知らないらしい。そして更に俺は、普通じゃないらしい。ただ、タラッサから一本取らなければ、この火山から出る事も叶わない。
それは未だに、遠過ぎる目標だ。
*****
短剣から長剣、槍や棒、格闘から魔法まで、様々な事を教えられてきた。
ドラゴンの姿では使う事も必要も全くないそれらをどうして知っているのか、聞いた事がある。
「私達は生まれながらにして、不自由する事が殆どない。要するに退屈な訳だ。だから、何か長く突き詰められるものを探して、それに時間を費やすのさ」
「それがタラッサにとっては武芸だったと」
「そういう事だ。他の奴等は体を動かすより頭を動かすようなものの方が好みだったが、私はこれが好きだ」
そう言って、ドラゴンではなく人族の姿で得物を振り回すタラッサはいつだって楽し気だった。
そしてその後、ぼそりとタラッサが言った言葉を、俺は妙に覚えている。
「私達は、隔絶されている」
寂しげな感情が、その独り言には強く籠められていた。
多種多様な武器の使い方を教わってきたが、その中でタラッサが最も重視したのは武器の使い方そのものではなく、リザードマンとしての体の使い方だった。
他の人族と比べて最も違いがあるのは、太い尾だ。付け根は太腿並みの太さを誇る尾は、足よりもしなやかに動かせ、威力も高く、十分な攻撃手段となる。歴史上では、尾の先に鉄球などをつけた戦法もあったとか。
「ただ、自ずから攻撃に使うとなると、敵に背を向けなければいけないからそれはそう流行る事も無く廃れたようだがな」
そう言ってタラッサが俺に教えたのは、主にカウンターとしての使い方だった。
「相手の攻撃を避ける。その動きに捻りを加えてやれば、体術だと後ろ回し蹴りなどに繋がる。
ただ、リザードマンだとそれに尻尾も付いて来る訳だ。
足を尻尾で弾きながら蹴れば転ぶし、首や顎を叩けば気絶も狙える」
だから鍛え上げられたリザードマンは、近接戦闘では他のどの人族よりも恐れられた。
と、言えども、俺はまだ、タラッサが振る舞う人族の強さにまでは辿り着けていない。俺が尻尾を使おうとも、軽くあしらわれてしまう。
昼過ぎから今日も稽古が始まる。
カウンターを出そうとも逆に掴まれたり隙だらけな攻撃をしようものならそこに短剣を突き刺されたり。
もうそんな事はほぼほぼ無くなったしすぐに魔法で治癒をしてくれるとは言え、嫌な思い出だ。
刀を手に取り、タラッサと打ち合う。二撃、三撃と打ち合った後に鍔迫り合いになり、人間の姿をしたタラッサが押し負ける。だが、体を後ろに倒し、同時に体重を掛けていた俺の腹に足を押して後ろへと投げ飛ばされた。
受け身を取って向き合い、既に立ち上がっているタラッサにまた刀を叩きつける。
単調になったそれをするりと躱されると、鳩尾に柄を叩きつけられた。
「あぶぇっ」
息が出来なくなり、倒れこみ、のたうち回っていると、腕を掴まれて無理やり立ち上がらせられた。
「この頃、集中出来てないな」
呼吸を何とか落ちつけて、刀を握り直してから言った。
「……疑問があるんだ」
「何だ?」
「普通のリザードマンはこうして育つのか?」
エリュトロンと色々と会話をしてから、俺自身の生活は何なのだと思う時が出来た。過去を思い返す事が増えた。
「何を今更。ドラゴンなんて、この世に数えるほどしか居ないんだぞ。
そんなドラゴンに育てられているお前が普通なはずあるまい」
「ああ、いや、そういう事ではなくて。俺が聞きたいのは。
リザードマンは皆、こうして鍛えられながら育てられるのか、という事だ」
「人族の育ち方なぞ、千差万別だ」
それははぐらかそうとしているようにも思える返事だった。後の言葉を聞くまでは。
「それに種族に関わらず、親次第で子の育ち方なぞ幾らでも変わる。
……私は、お前の親だ。お前が何と言おうとも、私がお前を産んだ訳でも無かろうと。
不満か?」
「不満も何も、俺は、他の子の生き方を知らない」
「……そうか」
その言葉にある感情は、俺には分からなかった。
ただ、やっぱりこの目で外を見に行きたいと思う。その為には、タラッサから一本を取らないと何も始まらない。
それは事実として俺の目の前に在り続けている。
「続けるぞ」
タラッサが刀を向けてくる。いつもと同じように、俺の目を真直ぐと見てくる。
「大丈夫だ」
俺も刀を構えた。
https://shinchoku.net/notes/6840
進捗ノートなるもので進捗を小刻みに呟いたりするようにしました。
催促されると執筆速度が上がる可能性があります。