エリュトロンの眷属の人間:5
グリフォンの元に戻ると、うたた寝から目を覚まして、自分の方を見てきた。
私は買ってきた箱を出して、蓋を開ける。中には十二個の饅頭。
「この中の一つだけ、辛いものがあるんだってさ。で、それが四箱ある。
帰ったら皆で楽しもうか? それともここで食べるか?」
グリフォンは、帰ったら皆で楽しむ方を選んだようで、ここでは口を付けなかった。
鞍に荷物を括り付け、そして私もグリフォンの背に乗り、しがみつく。
「大丈夫だ」
大地を駆け、そして空を飛ぶ。
一度町を振り返り、何となく、呟いていた。
「……今日は、良い日だったな」
グリフォンが飛びながら、自分の方を振り向いた。
「昔の知り合いに会えたんだ。……いや、あっちにとっては友達だったんだろうな、もう。
私は、十年振りに会って、それを今更知ったんだ」
そう言うと、グリフォンはさほど興味が無いように前に向き直した。
「まあ、とても良い日だったよ」
森まで戻ってくる頃には、夕方が近付いて来ている時間になっていた。
いつもなら、小屋のすぐ近くに降ろしてくれるのだが、私よりも古参なグリフォンもクローロン様の近くに降りるのは嫌なようで、少し離れた所に降ろされた。
直後、大狼と、尖り角鹿も土産目的でやってきて、久々に眷属が全員、……全員じゃないけれど、集まった。
私を除くエリュトロン様の眷属は全員人の世界を知らないが、興味は津々だ。
箱を開いて、さっきと同じ説明を繰り返す。
「今回の土産な。この中に一つだけ辛いものがある。
それぞれ一個ずつ食べていったら面白いんじゃないか?」
そう言って、箱を四つ積み重ねて、後は好きにさせようとすると大狼がそれを止めた。
「何だ?」
ちょいちょいとする仕草は、お前も参加しろ、という意味だった。
「……嬉しいね」
ドラゴンの言うところによると、魔獣の知性は人族と本当に大差無いらしい。実際、それは私もここに来てから体感している。ただ、肉体が人族に比べたら優れ過ぎている事と、明確な言葉を発せられないという事から、人族とは中々に相容れない部分が出来てしまっているとか。
ただ、同じ眷属という括りに入れば、それはまた同じ仲間という事にもなり得た。
こうして親しく出来る。
それぞれ一個ずつ食べていく。
一回目。
一週目、誰も何も反応しない。
二週目、大狼が吐き出した。
「あー勿体ない」
皆がじっと見ると、渋々と言うようにそれを食べ直して、無理やり飲み込んだ。
次はいきなりグリフォンが当て、それでも吐き出すことはせずに飲み込み、三度目は大狼がまた当てて、涙目になりながら飲み込んだ。
四度目、最後に私が引いた。
「うわっ、これ本当に辛いな」
半分だけ食べて、それだけで口がひりひりとしている。
辛い物が好きな、そして一度も引き当ててない尖り角鹿が私の半分だけのそれをじっと見ていた。
「……食うか?」
そう言った瞬間、私の指ごとぱくりと口に入れられて、さっと半分の饅頭を取られた。
べとべとな指。
顔を上げると、二つも引き当てた大狼が納得出来ないように私を見ていた。
残りの饅頭も全て食べ終えて、皆が解散しようとしているところに、私はふと浮かんだ疑問を投げかけた。
忘れた方が良いと言われながらも、気になってしまう疑問だ。
「……そう言えば。
エリュトロン様の眷属って、ここに居る皆に加えて、もう一人、もう一頭? 居るみたいなんだけれど、誰か知ってる?」
すると、皆、頷いた。
予想外に酷く驚く。
「えっ。えっと、ちょっと待って、皆、知ってるの」
もう一度、頷かれた。
「それは人族?」
違う。
「魔獣?」
違う。
「もしや、幻獣?」
違う。
「えっ……」
私だけが、知らない?
それに、人族でも魔獣でも幻獣でもないって、後はただの獣とかしか。
「……ただの獣?」
皆、頷いた。
「一体、なんなんだ……?」
言葉を持たない魔獣達は、それには答えられなかった。
ただ、もの言いたげな目で見られるだけで。
麦や塩などを湿気の少ない場所に保管して、鞍も仕舞うともう夜飯の支度をすべき時間だった。クローロン様が丁度戻ってきていた。
今日は見た事の無い獣の姿だった。四つ足で、馬っぽい姿。ただ、その毛皮は馬のようなそれではなく、毛の一本一本が美しく煌めいていた。そして、一本の脈打つ角も生やしている。多分麒麟とかいう幻獣の姿だと思った。
その姿から人間の姿に戻って両手にメラン様を抱え直した。
「夜飯は適当で大丈夫だ」
その言葉を自然と投げ掛けられるだけで、相変わらずとてつもなく強い迫力が圧し掛かるが、私の精神はそれを出来る限り無視しようと努め始めていた。
慣れ、というのだろうか、これは。
「色々買ってきましたけど、それで良いですか?」
「何がある?」
「とても色々です」
好みとか何も知らないですし。
「全部中に持ってきてくれ」
「分かりました」
クローロン様は意外と人族の食べ物に詳しかった。
聞いてみると、料理人を眷属にした事があったとか。
「色々食わせてくれた良い奴だった」
ただ、それ以上は大して何も言わなかった。
「これは、見た事無いな。何だこれは?」
「果物の汁を柔らかく固めたものですね。言ってみたら甘い煮凝りみたいなものでしょうか」
「貰おうか」
そんな応対をしながら、時々私からも質問を挟む。
質問を自分からするようになったのも、会った直後からしたら考えられない事だった。
やっぱり、慣れたんだろうか、私は。
七割方のものが選ばれ、残りの内の、日持ちしないものを取って私は外に出た。
外は闇が既に濃く、いつの間にか戻ってきていたワイバーンも体を丸めて眠る姿勢に入っていた。
……今日はやっぱり、少し疲れたかな。
久々にライバルと会って、早打ちをして。それの疲れは、結構大きかった。
火を付け、その日持ちしない余り物を食べていると、ワイバーンも目を覚ました。
「……何か、要るか? 美味しい甘いものと美味しい辛いものと美味しい酸っぱいものがあるぞ」
同じの眷属同士で分けた饅頭より、良いものもある。
そう言うと、ワイバーンは私が持っていたものを色々と臭いを嗅いで、一つ選んだ。
酸っぱいものだった。
人間にとっても中々癖のある味のそれを、しかめっ面をしながらも、中々美味しそうに食べていた。
夜飯も食べ、体を軽く洗い、焚火の前でぼうっと今日の早打ちを振り返っていると、小屋の中から出てきたクローロン様に今日も対局を持ち掛けられた。
もう少し振り返っていたいところだったが、それを断れるはずもなく、私は承諾する。
食べ終えた物の紙袋やらはそのまま机の隅に寄せられていて、後で片付けようと思った。小屋という場所で過ごす事自体多分珍しい事だろうから仕方ないとは思うが、このままだとこの小屋が汚くなる予感が随分とした。
そんな事を思うも束の間、すぐに対局が始まる。
頭はやや疲れている。体もいつもよりは疲れている。正直今日はもう眠りたい気分だった。
ただ、今日は盤面のみに意識を全て置くだけではなく、そこから更に先が見えるような感覚がした。
それは、仕事として恒戈をやっていた時の、調子の良い時の感覚だった。深い集中の更なるその先へ。
駒の音さえ聞こえなくなる。頭がそれだけに特化する。駒の動きが、生き物のように感じられる。この盤上がより鮮明な形で頭の中に構築される。
相手の意志が手に取るように分かった。元々絶対的な力量の差はあったのだ。それがすぐに形に出てくる。
相手の攻めよりも私の攻めの方が余程鋭く、竜騎士が、馬兵が、魔術師が傷口を更に抉っていく。必死の守りはかさぶたを作る事さえ叶わず、疎かになっていた部分で歩兵が夕方、自爆をするのに最適な位置に居た。
自爆、相手の肉体は酷く抉られた。
勝利。もう、相手の詰みも遅くはなかった。
……。
…………。
相手の次の手がいつまで経っても打たれない事に気付いて、そこでやっと私はクローロン様が負けを認めた事に気付いた。
「……何かあったのか?」
不機嫌な顔で私を見てくる。
その顔は私の精神を抉るからやめてください、とは言えずに、今日あった事を私は手短に話した。
「……そうか。これがお前の元々の実力なのか」
「そうですね。今はもう、生活を賭けてというほど必死ではありませんから、そこまで集中する事も無くなっていたのだと思います」
「ふーん……、後、お前には家族は居ないのか?」
「親は、生きているかも分かりませんね。記憶も殆ど無いのです」
「そうなのか」
だからこそ、コボルトが私を探してくれた時もとても嬉しかった。そこまで強い繋がりだった事に私自身気付いていなかった。
そんな、集中から気が緩んだままに、私はクローロン様に質問した。
「そう言えば、メラン様の母親って」
その直後、ばん、と音がした。
何故か、クローロン様が遠くに離れていた。
それが、私が無意識に後ずさって、壁にぶつかった音だと、遅れて気付いた。
胸が弾けそうなくらい怯えている。一瞬で体は汗まみれになっていた。壁につけていた手から汗がじんわりと湧き出し、滑った。股間から生暖かいものが足を伝っていく。口がガチガチと音を立てる。今まで生きてきた思い出が全て頭の中を走り去っていく。
何を、私は感じたんだ? どれだけの、何を? 一体?
何が起きたのかも分からない私に、そのドラゴンはしまった、と言うような顔をして、顔を背けた。
「……悪い、聞かないでくれ」
それだけが、聞こえた。
「は、…………は、……は、はい」
口も思うように動かない。体が極端に震えていた。ドラゴンが顔を背けている内に、転んで、這って、私は逃げるようにして、外へと飛び出した。
夜道を走って、走って、転んで、ぶつかって、それでも走って、息がやっと切れてきた頃にまた転んで、地面に突っ伏してそのまま、私は、してはいけない質問をしてしまったのだと、そこでやっと知った。
はーっ、はーっ、と息を何度も吐いて、吸って、吐いて、吸って。
鼻血がどろどろと出ている事に気付いた。血を出して、至る所を擦りむいてもいた。
落ち着くのに時間がどれだけ掛かったのかも分からない。
睨まれたのか、何をされたのか、私には全く分からなかった。何かをされた。ドラゴンにとってはほんの僅かな行為が、私をこうさせた。
私が今も生きている事を、私自身が半ば信じられないような気持ちにもなった。
そして、明日からどうすれば良いのか分からなかった。こんな目に遭って、明日からまたそのクローロン様と接さなければいけないのか、私は?
ふと、気付くと目の前に尖り角鹿が居た。汗と泥に塗れた私を心配そうに見ていた。
酷い不安に駆られる今の私には、その同じ眷属がすぐ近くに居るという事だけで、とても救われた気持ちになった。
「あ、ああ、ありがとう。出来れば、暫く傍に居てくれ。
……漏らしてて臭いかもしれないが、頼む」
ワイバーンの翼の音も聞こえた。
*****
朝、小鳥の囀りで目を覚ました。
途端に、違和感を覚える。クローロン様が小屋で過ごすようになってから、小鳥の囀りなんて私は聞いていない。
体を起こし、すると一緒に寝ていた尖り角鹿とワイバーンも目を覚まして私を見てきた。
「あ、ああ。もう大丈夫だ、ある程度は」
あれから戻るまでの間一緒に歩いて貰い、体を洗い直している時もそのまま、そして一緒に寝て貰い。温もりに包まれて、私の精神は落ち着いたようだった。ある程度は。
でも、まだ、クローロン様と普通に向き合えるかと言われると結構微妙だ。
いつもより小屋から離れた場所で寝たが、小鳥の囀りは小屋の近くから聞こえていて、そこへと私は歩いていく。何となく、良く聞いた事のあるような囀りに聞こえた。
その好奇心と、クローロン様の居る場所へ近付く恐怖心が混じってまた心が不安定になっていく感覚を覚えた。
小鳥が目に入り、その目の前には、手紙。
「ああ!」
思わず、小さく叫んだ。
小鳥の目は案の定赤く、それは即ち私達と同じく、エリュトロン様の眷属である事を示していた。
私の知らない眷属は、この小鳥だったのだ。
小鳥は私に気付いても特に格段何もする事はなく、そして飛び去ろうとした。
「ちょっと待ってくれ」
呼び止めると、反応してくれた。
私は、落ちていた大きめの葉に対して、指に熱を走らせて文字をさっと書いていく。
「これ、エリュトロン様に渡してくれないか?」
渡すと、脚の小さな留め具に留めろと言うように仕草をして、私は葉を丸めてそれに留めた。
「頼むな」
そう言うと、小鳥は飛び去って行った。
小鳥が飛んで、見えなくなるのを見届ける。
早めに届くと良いけれど、と思いながら私は手紙を拾って読んだ。
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調子はどうだ? まだ帰らない
エリュトロン
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「…………」
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早く帰ってきて頂けると本当に助かります
ミハイル
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エリュトロン(レッドドラゴン)の眷属
渡り鳥:
名前:なし
特徴:赤い目。眷属と言っても、そこまで明確な自我も無い。伝達役として扱われている面が大きい。
クローロン(グリーンドラゴン?)
子にブラックドラゴンのメランを持つ。
眷属は子を抱いたまま移動する用のワイバーン一匹。
やや威圧的だが、基本的には優しい。
メラン
ブラックドラゴンの赤子。父親はクローロン。母親は不明。
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これで1章の1節終わりです。次は2~3週間後に投稿出来ると思います。
節々でその位の間隔を開けて、その節部分を毎日投稿するような形になると思います。
まだ始まったばかりですが、感想や評価などあれば嬉しいです。とても励みになります。
(因みに新規小説投稿サイトのマグネットにも投稿してるけれど、あそこは人が少な過ぎる……)