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エリュトロンの眷属の人間:2

 本から目を離さないまま、そのドラゴンは淡々と話しかけてくる。

「これから暫く、ここに住む」

 断定の言葉。でも、住ませて貰えないかとか言われてもそれは、はいと頷くしかない。

「人型で取り敢えず、長く居るつもりだ。子を育てるのに、元の姿は巨大過ぎるからな」

 言葉の一つ一つが自分を貫いて来るような感覚に襲われる。

 ぱたん、と本を閉じて本棚に仕舞うと、ドラゴンは背負っていたその赤子の黒いドラゴンを両腕に抱え直し、優しく撫でながら、自分に目を向けてきた。

「それで、エリュトロンの眷属の人間」

「はい」

「飯を作れ。出来るだけ早く、優しい味のでな」

「……はい」

 えーっと。

 多分、赤子用の食べ物だよな。

 何だろうな、この感じ。私はエリュトロン様の眷属であって、あなた様の眷属じゃないんですよ。

 勿論そんな事は言えずに、私は少し考えてから、今日収穫した野菜や干し肉を手に取った。自分に任せるって事は、まあそんなに食べてはいけないものとかは無いのだろう。

 取りながらも、一つ、気付いた。

「あの、貴方様の息子がどの位食べるか私は知らないのですが」

「多めに作っておけ。残ったら私が食べる」

「あ、はい」

 私にも関心が薄いようで。


 外に出た。

 ワイバーンは相変わらず家の隣で突っ立っていて、どうしてワイバーン? と今更ながら少し疑問に思う。あなたには立派な翼があるじゃないですか。

 水を汲みに行っている最中に、元の姿は巨大過ぎる、という事を言っていたのを思い出して、要するに抱えながら移動したかったのだろうと思った。

 山のような巨体にあんな小さな子供を乗せていても、落ちたかどうかすら分からない。それに、どの姿になるにせよ、子を愛でながら移動するには自身が飛びながら愛でるよりも、多分何かに乗せて貰った方が良いのだろう。

 親バカ。そんな言葉が頭に思い浮かぶが、口には絶対に出さない。万一聞かれたら、少なくとも私の腹が痛む事になる。そんな事で殺されるとまでは流石に余り思えないが、あり得ないとも断言出来ない。

 それにしても子連れとは。エリュトロン様、たった一行、親友が来る、とそれだけの事じゃなくて、もう少し書いても良かったのではないですか?

 そう思いながらも、多分、子連れだと知っても何もしなかっただろうけれど。そこまで見透かされている気がした。

 眷属でなければ、同じ場所に居るだけで酷く胃に負担が掛かる。他のドラゴンに会えるのはとても貴重な経験だとしても、痛み始める胃の辛さはそれに似合うものか正直分からない。

 心に負担が掛かると最期、胃に穴が開くんだよと教えてくれたのは誰だったか。それだけはやめて欲しい。

 焚火場に薪を置いて、エリュトロン様の力で火を点け、水を沸かす。同時に適当に野菜を切って、鍋で炒める。

 カラシトマトを入れると美味しくなるけど辛くなるから使わない。単純な干し肉と野菜のスープ。

 湧いた水を鍋に移し、干し肉をぽいぽいと入れて、後は煮込むだけ。それをぼうっと眺めていると、軽く足音を立てて、ワイバーンが私の隣に座り、同じくぶくぶくと音を立てる鍋を眺め始めた。

 顔や素振りにやつれや疲れなどは見えない。肉体は鍛えられた戦士のものだ。

 そして、美しい緑色の目。紛うことなき、眷属の証。

 多分、あのドラゴンは緑を基調とするドラゴンなのだろう。エリュトロン様のように変身した姿に緑色の要素は無くても。

 隣のそのワイバーンの顔をじっと見上げていると、ワイバーンもじっと自分の目を見てきて、少し恥ずかしくなって目を逸らした。

 もう少し煮込まないと、まだ美味しくないな。

 時々アクを取りながら煮込んでいる時間、結局それぞれの眷属は、ぼうっとしているだけで、取り分けて何かを話したりとかははしなかった。話す事はそもそも出来ないけれど。


 大きめの皿を用意して、スープをよそい、テーブルにその皿と、堅パンとスプーンを置いた。

「単純なものですが」

 本当に単純だ。野菜の美味しさと肉の美味しさ。それだけのもの。だからこそ、優しい味のものと言われた時、それを作る事にした。

 けれど、ドラゴンがじっとそのスープを見つめている間は、磔にされているようだった。

 少しの時間が経ち「問題ないだろう」と言われる。

 ほっと溜息を吐きそうになったのを必死に堪えた。緊張しているからと言って、それを目の前で余り露骨に出したくはない。

 ゆっくりと椅子に座ると、その赤子、黒く小さいドラゴンをテーブルの上に立たせた。

 匂いを嗅いでから、少しずつその赤子は、スープに口をつけ、飲み始めた。

 ドラゴンはほっとした様子でそれを見届けると、今度はまた、自分に顔を向けてきた。

「さて。聞きたい事が少しある」

 先ほどの無関心そうな顔とは全く別で、自分を注視し、見定める目をしていた。ただの興味が、威圧となって心を削いでくる。

「はい」

 口が既に震えそうだった。

「エリュトロンの眷属になってから何年が経つ?」

 何故、眷属になったか、からは聞かないとなると、多分それはエリュトロン様から聞いているのだろう。

「十年が経とうとしているところです」

「十年、か」

「エリュトロンが貴様に勝った事は?」

 私がどういう経緯でエリュトロン様の眷属になったか、このドラゴンは知っているようだった。

 私は、答えた。

「まだ、数えるほどしか」

「……分かった。では、私とやろうか」

「……分かりました」

 深呼吸をした。


 恒戈(こうか)。四角の盤上で行う、駒を使用して、人族の戦争を模した遊びだ。

 決められた動きと攻撃をする駒を互いに一つずつ動かして、最終的に相手の王の駒を倒す事が勝利条件である。

 駒には二種類の攻撃方法が定められており、相手の駒の場所に移る事で倒す武撃と、その場から動かずに攻撃が出来る射撃の二種類が存在する。

 駒は決められた二十で初期陣形を組み、それから自由に選ぶ特殊な駒を二つをその初期陣形の中に組み込める。

 二十の内訳は、数は多いが単純な動きしか出来ない歩兵と槍兵。離れた相手を倒す事が出来る弓兵と魔術師。歩兵よりも動きが鈍いが、正面からの攻撃を防げる重兵。素早く移動出来る馬兵。そして倒されたら負けの王で構成される。

 そして、特殊な駒は以下の五つ。決められた動きしか出来ず、更に決められた時間にしか移動は出来ないが、弓兵や魔術師よりも遠距離から攻撃が出来る砲兵。味方さえ飛び越して素早く移動出来る魔獣使い。王の駒として使用出来る影武者。決められた時に特殊な駒と王以外を蘇生可能な祈祷師。そして唯一武撃と射撃両方を使える竜の眷属。

 また盤の枠には、二十四の穴が開いており、それは時間を表す。互いに駒を一つ動かす毎にその穴に収められている一つの玉を時計周りに動かしていく。

 時間によって、一部の駒は動けなくなったり、または特別な動きを出来るようになったりする。

 例えば、砲兵と弓兵は夜の時間帯は攻撃が出来ず、祈祷師が駒を復活させられるのは夜明けだけ。砲兵は偶数の時しか行動が出来ない。一度のみ夕方に、歩兵は敵味方を巻き込んだ自爆が出来る。

 この遊びは国を問わず広く知られており、そしてまた、ドラゴンの間でも広まっている程だった。

 上手ければそれで生計を立てられる程であり、私はその一人だった。

 しかし、私が人族の間でそれが一番上手かった訳ではない。

 本棚に挟まれていたその盤と駒を用意していく間、私の心は海に潜るように暗く閉ざされていく。それは、目の前のドラゴンでさえも、意識から追い出されていく。

 私は、偶然才能があったそれで生きるしかなかった人間だった。それに縋らなければ何も残らず、死を待つだけの貧しさの中に居た子供だった。食べる為には勝たなければいけなかった。だからか、それに集中するときは、周りの事を一切無視し、それに集中するよう心がけ、そしていつの間にか、恒戈をしている間は、もう周りの事など完全に目に入らなくなっていた。

 それでも人族の中で最も上手い訳では無かったのだが、その集中、没頭の為に、私は眷属でなかった時も、胃に穴が開く事もなくエリュトロン様と対等にこの遊戯を出来た、唯一の人族となっていた。

 そして、私はエリュトロン様に気に入られ、住処のこの森林へと身を移した。


 準備が出来、先行後攻を決め、完全に話す必要が無くなったその直後、蝶番がカチリと嵌るように、刀が鞘に隙間なく収まるように、私の意識は完全に、盤面のみに吸い込まれていく。

 選んだのは、影武者と魔獣使い。敵の狙いを二つに分散しながら、魔獣使いを軸に相手を荒らしていく、博打も絡む特殊な戦法だ。上級者の戦いでは余り好まれない。

 対してドラゴンが選んだのは、砲兵と、私と同じ魔獣使い。こちらは、砲兵で魔獣使いを援護する、攻め一辺倒の戦法だ。初心者にも愛され、またプロにも良く使用される、誰にでも使いやすく快感のある戦法だ。

 まず砲兵が歩みを進め、射程が私の陣形を捉えたと同時に、私の攻めが相手の壁を打ち破った。

 互いの魔獣使いが前線を飛び交い、そして同時に砲兵が私の陣形を容赦なく抉っていく。しかし私もその奥で構えている砲兵へと着実に駒を進めていった。

 王への守りが薄くなるのと、私が、相手の攻めの要である砲兵に近付く早さは大体同じだ。そして辛い事に狙いを付けられている王は本物だった。確信があるのか、博打なのかは分からないが。

 しかし、幸い、今の時刻は夕方だった。

 その夜になるまでの僅かな時間を耐えきれば、砲兵はただの置物と化す。夕方、守りに徹していた魔獣使いを攻めへと転じさせた。夜の時刻でも遠距離の攻撃が出来るのは、魔術師と竜の眷属のみであり、後は魔獣使いより劣る馬兵や槍兵のみ。そして、敵の魔術師は既に一体、倒れていた。

 歩兵や槍兵などに比べれば優秀な影武者も攻めに移し、相手が慌てる間に夜が来る。

 置物と化した砲兵へと走る私の軍勢。朝になるまでの間、流石に守りで固められた砲兵は屠る事は出来なかったが、もう動けはしなかった。前線を駆け巡っていた魔獣使いも、今はおろおろとそれ単体で宙を彷徨っているだけ。

 決着はすぐそこだった。


 強い駒の使い方は様々だ。防御に回すか攻撃に回すか、派手に動かすかじっと機会を待つか。

 ただ、砲兵を攻撃に回すのは見かけより遥かに難しい。その射程距離はとても魅力的だ。射程に捕らえれば、何だろうと一方的に屠れる。しかし、夜になればその自慢の砲撃は撃てず、逃げる事も適わない。射程距離の内側に入られてはもう、守ってもらうしかない。

 その欠点を補う事がとても難しい。

 私がそれで生計を立てていた頃の、最も強い人族、老いたケットシーもそれの使い手だった。しかし、使い方は欠点を補おうとするような生温いものではなかった。砲兵できっかけを作り、昼でも夜でもは縦横無尽に駆け抜ける魔獣使いとそれを追う馬兵や魔術師などが敵を容赦なく屠る。それへの対処に手間取れば砲兵が前へと進んでいき、陣営が成す術なく崩れていく様を見せつけられる。ただ、ひたすらに攻撃、攻撃、攻撃。

 攻撃一辺倒で、砲兵に駒を割かせないのだ。それはまるで、大槌をひたすらに叩きつけられているような感覚だった。

 必死に盾を構えていても足元が埋まり始め、盾にも次第に罅が入ってくる。盾が割れれば、埋められた私ににっこりとした笑顔で、頭を潰してくるのだ。

 気付けば脂汗がだらだらと流れ、ボロボロになった盤上がただそこにあった夏を、十年以上が経った今でも私は良く思い出した。

 ドラゴンが負けを認めた声に遅れて気付いてから、私の意識がじんわりと戻ってくる。疲れた頭が休みを願うのも束の間、はっきりとし始めた意識が、悔しさを僅かに滲ませるドラゴンの目を捉えていた。

 意識が無理矢理に覚醒させられる。

 顎肘をついて、ぼそっと一言。

「悔しくて食ってしまいたいくらいだ」

 それは、私の胃がこれから耐えられないと悟るのには十分過ぎた。

 隣で赤子のドラゴンがげっぷをした。スープとパンは丁度空っぽになっていた。


 片付けをして、外に出るとワイバーンはとうに火が尽きた鍋の前で体を丸めていた。私が近付くとのっそりと顔を上げ、それからまた目を閉じた。

「……疲れたよ」

 鼻を鳴らされた。そんなの日常茶飯事だと言うように。

 持ってきたパンと、温めなおしたスープを食べて、川に水浴びに行く。まだそこまで暑い季節でないというのに、嫌な汗をだらだらと掻いていた。あの夏の日のように。

 ああ。せめて、エリュトロン様が早く帰ってくる事を願いたい。

エリュトロン(レッドドラゴン)の眷属


人間:

名前:?

特徴:目が赤い。元々、恒戈のプロだった。完全にそれに意識を没頭させる為、相手がドラゴンであろうともそれをやっている最中だけは対等になれる。


恒戈:

将棋に時間、攻撃範囲、初期選択の概念を足してみたもの。ゲームバランスは多分悪い。

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