◆総帥との取引 ~「友達を助けたいと思うことに理由が必要なんですか?」~
宝石が散りばめられた重厚感のある大きな扉。それが衛兵によって厳かに開かれると、ハレスはすっと背筋を伸ばして室内に踏み込む。深紅の絨毯を進むと、眩い光に満ちた広間が広がっていた。それ自体が眩しく輝く豪奢なシャンデリア、壁には黄金の額縁に納められた絵画や権力を誇示する飾り剣がこれでもかと掲示されている。
(……へえ。国家財政は安泰ですね)
皮肉交じりにそう評する。
室内の視線が一斉にハレスに集まる。軍人、白衣姿の科学者、警備兵など二十名ほど。手前にいたロマエルは無表情のまま正面奥、数段高くなった先にどかんと置かれた玉座を顎で指した。そこに座す人物は、悠々とハレスを見下ろし、口を開く。
「俺はアルグレア連合王国領、南マイス統治軍最高責任者、アークフェルド=フォン=デ=ガイアディスだ」
彼は笑って片手を上げた。
「よろしく、ハレス=ロスト博士」
豪胆なふるまいの男だった。真夏の太陽のようにぎらぎら輝く長い金髪に、よく焼けた健康的な肌。エメラルドをはめ込んだかのような両目は、腹の座った笑みの形を取りつつもハレスを観察している。ハレスと同じ年頃でありながら、人望と威厳を備えた男なのだろうと感じた。
「……初めまして、総帥殿。こちらこそよろしくお願いします」
「彼の処遇についての審議を始める。イレイザ局長、資料を」
イレイザが玉座に歩み寄り、紙束を渡す。
「ハレス=ロスト。出自は不明。ゲーツバーグ養育院を卒業後、第三研究所に入所し同所の所長に就任。一年前、研究所の封鎖に伴い帝国へ亡命、上級科学者の地位を得ている」
要点を絞った経歴だ。ハレスに降りかかった数々の災厄や悪意は、まったくもって無視されている。
滅多なことはするな、というロマエルの忠告が蘇った。
「なるほど。随分と優秀な経歴だ。専門を聞こうか」
「〝エフ〟に関することならすべてです」
簡潔にハレスは述べる。
〝エフ〟とは、未だ解明されていない謎のエネルギーのことだ。空気の中にあり、自然の中にあり、生き物の中にある。人間はこの〝エフ〟を利用して機械を作り、列車や飛行艇を発明し、魔術という力を得た。つまり、全ての力の源である。
「帝国では、遥か昔に発明された魔術兵器〝金の窓〟の再現に取り組んでいました。帝国は軍事大国で、科学者はもっぱら兵器開発に従事していましたから」
「その知識と技術をもって、今一度南マイスの研究員として我が国の発展に貢献してもらいたい」
「それでは、クロム補佐官、誓約書を」
イレイザが呼びかけると、ハレスの傍に待機していた優しい面立ちの青年が黒い台を差し出した。台座には一枚の紙とペン。
「ハレス=ロスト、その誓約書を呼んでサインしろ」
「あ、はい……」
イレイザに従い、ペンを手に取り内容に目を通す。統治軍に忠誠を誓い国に尽力すること、研究員として果たすべき義務、保障内容。亡命をしたにしては、大して制約がない内容だ。
「あの、質問があります」
「質問を許可する。なんだい?」
微笑みながら、アークフェルドは促す。
「私は……その……アルグレアを裏切って帝国に逃げました。それなのに、処罰されたりしないんですか?」
歯切れ悪く口にして玉座の男を見上げると、彼はあっけらかんと笑った。
「君が望むのならば与えるぞ?」
「望んでいません、そんなの!」
ハレスは慌てて両手を振って否定した。イレイザに睨みつけられたアークフェルドは、誤魔化すように笑っていた。
「帝国は背信行為や反政府運動にとても厳しくて、疑惑をかけられて処刑される人が多かったので……。それなのに、この誓約書には、入隊の規約と同じようなことしか書かれていなかったので、気になっただけです」
「確かに君は国を裏切った。しかし、これは互いの利益を追求するための取引だ。我々は大陸一と謳われる帝国で最高位の地位を獲得した君の研究、技術がほしい。君は研究の場がほしい。その利害の一致によってセッティングされた取引のテーブルだ。我々は君の罪を言及しない」
に、と笑い、ハレスを見据える。
「ロスト博士が従う限り、だがね」
友好的な言葉の裏で、次はない、と言われている。誓約書にサインしなかった場合もそうだ。どちらにしても南マイスに戻ってきた自分には従う以外の道はなく、研究を続けられるという願ってもない申し出を断る理由もない。
「わかりました」
ハレスは紙にペンを下し――
「エルビオン=エッジも、これくらい聞き分けがよければいいのだが……」
「……え?」
手を止めた。
エルビオン=エッジは、ハレスのエリス赴任に同行した科学者であり、そして――。
「彼が、どうかしたんですか……?」
問いかけた声が震える。
イレイザも初耳のようで、不機嫌を露にしてアークフェルドを見た。
「モルゲン軍部局長、イレイザ管理局長にも報告を」
「かしこまりました」
しゃんしゃん、と鈴の音が響き渡り、人垣が道を開く。錫杖を手にした壮年の男性が、ゆっくりと玉座の前に躍り出た。
オールバックの野性的なロマンスグレーの髪、鋭いが柔和に細められた目元、室内の空気を一瞬にして飲み込む佇まい。それもそのはずで、彼の持つ錫杖は南マイスの軍隊を任された証である。
モルゲンは、玉座に侍るイレイザに視線を投げる。
「エルビオン=エッジは帝国の工作員だ。作戦中に捕虜として拘束したが、未だ黙秘を続け、二言目には帝国への忠誠を口にする始末。私の見立てでは何日やっても変わらんでしょう」
「ということだ」
優しく返されたアークフェルドの言葉など聞こえないように、ハレスは口を開く。
「彼は捕まったんですか? 彼とも取引をするつもりですか?」
「残念だが、博士、エッジは死罪だ」
――死罪。
恐ろしいものでも見るように、ハレスの両目が見開かれる。全身の血の気が引いて、体がぐらりと傾ぐ気がした。
「そんな……」
思わず前へ踏み出した体を、クロムによって制される。
「……エルは私について来てくれただけなんです。私がエリスで実験をしたいだなんて言わなければ、こんなことにはならなかった……彼を見逃してあげてください!」
「いけません、抑えてください」
「彼を殺さないでください!」
「博士、落ち着いてください」
宥めるような呼びかけは、耳に届かない。クロムを掻い潜って玉座を見上げるが、アークフェルドの表情を見ることは叶わない。警備兵がハレスに掴みかかり、暴れるその体を乱暴に平伏させたからだ。それでも、ハレスは叫ぶ。
「エルは私と違います! 死罪なんてやめてください!!」
ざわつく室内で、一番遠くに座すはずのアークフェルドの声だけが、ハレスのもとにはっきりと届く。
「君の言う通りだ、ロスト博士。エッジは君と違い、南マイスに対して大罪を働いた」
「つっ……!? そんなこと……」
「エッジのことは、我々よりも君のほうがよく知っているだろう。ヤツはエル=ウォークという偽名で南マイスに潜入し、科学者として生活をしながら破壊工作を行い、挙句君を亡命に導いた。エルビオン=エッジは徹頭徹尾、根っからの帝国の暗部局員だ」
「それでもっ……死罪だなんて……エルは……」
腕を背中で締め上げられて、痛みと苦しさで息が詰まる。
エルビオン=エッジ。
エルは科学者として有能な男だった。
ハレスが絶望の淵に立たされた時、手を引いて帝国に導いてくれた恩人だった。帝国で肩身の狭い思いをしていたハレスにとって、世話を焼いてくれた唯一の味方だった。それを、捕虜という同じ立場にいながらも、天と地ほど違う待遇が用意されているなんて。
「……っ……かはっ……」
ハレスにとって兵士の力は段違いに強く、腕が悲鳴を上げ酸欠で視界がぼやける。
痛い。苦しい。それだけが頭を巡りだした時、その苦痛から突如解放された。
「はっ……! げほっ……はあ、っはあ……!」
咳き込みながらも思いきり酸素を取り入れ、涙と汗がぼたぼたと地面に滴る。
「あ……はあっ……はあ……」
うっすらと晴れた視界に掌が現れ、直後それは額に当てられた。
「総帥、一時退室を求めます。博士には発熱が認められ、正常な判断ができない状態と推察します」
「……ロ、ミー……?」
隣から聞こえた声に、のろのろとそちらを見やる。ロマエルはハレスを支えながら、真っ直ぐに請願していた。
「許可する。今のロスト博士の状態では、せっかく作り上げたテーブルを壊しかねないからな」
「……では、失礼します」
アークフェルドの許可を得ると、ロマエルは未だ状況に追いつけないハレスを立ち上がらせ、謁見の間を後にした。
***
『なぜなんですか……どうして……』
散らかった屋敷で、頭を抱えて蹲るハレス。
親友のロミーが第三研究所を破壊した。その光景、その事実が、頭の中でぐるぐると回る。
『ハレス博士』
『ひどい……あんまりです! ロミーが研究所を燃やすなんて!』
『ならば、ハレス博士。研究を続けたいのなら帝国に来い』
『エル……?』
窓から注ぐ薄青い光に照らされた彼は、表情もなく告白した。
『オレは、帝国の工作員なんだよ、ハレス博士』
***
どこだかわからない部屋で扉を閉めるなり、ハレスはロマエルに胸倉を掴まれた。
「滅多なことは言うなと釘を差したよな……?」
ロマエルは無表情に近いが、瞳には確かに怒りが込められてる。
「お前が何をしたのかわかるか? 交渉を拒絶したのと同じだ、さっきと同じような好待遇は二度と巡ってこない。上層部の心証を害した、中立の立場を取っていた奴らがお前の処罰を求めてくるかもしれない。……聞いているのか、ハレス!」
「ひっ! き、聞いています。わかっていますよ……」
「わかっているだと……? どの口がそんな殊勝なこと言いやがるんだ? ええ!?」
「ひくっ……ごめんなさい……! ごめんなさい、ロミー……」
凄みを増す形相に対して、涙を溜めて謝った。
やがて、ロマエルはハレスを放し、普段の表情を取り繕う。
「もういい。謝罪はいらない。今は今後の出方について話し合おう」
「うう……わかりました……」
ロマエルは椅子を引き摺り寄せて座り、ハレスにも顎で促す。二人が向かい合った時、扉がガチャリと開く。イレイザだ。
「……貴様、どうしてあんなこと言いやがった!?」
「ひいい!?」
「局長、それはもうオレが言いました」
「そうか」
普段通りの、それでも不機嫌な表情に戻ったイレイザは、ずかずかと室内に入り、壁に寄りかかって腕を組んだ。
「三十分後に再開だ。モルゲンを敵に回したぞ」
「……イレイザさんは?」
「俺に構う暇があったら、とっとと対策を考えろ」
どうやら退出するつもりはないと判断して、ロマエルはハレスに向き直る。
「とにかくアークフェルドに謝れ。アルグレア、南マイスに忠誠を誓うと言え。この交渉はアイツが提案したものだ。悪いようにはしないだろう」
「……エルはどうなるんですか?」
「どうにもならない」
ぴしゃりと言い返され、ハレスは表情を歪める。
「私はエルを助けたいんです」
「お前がどうこうできる相手じゃない。そいつの処遇は総帥が決めることだ」
「だったら、その総帥に頼んで……」
「死罪だと決まっている」
「決まっているってなんですか!? エルだって科学者なんですよ! 私と同じように取引をすれば……」
「それは無理だ」
イレイザは閉ざされた扉を見つめながら言う。
「そのエルとかいうヤツは、暗部局員として南マイスに侵入して破壊工作を行った、と言っていた。戦場での普通の捕虜とは明らかに違う。死あるのみだ」
「そんな……」
「どうにもならないんだよ、そいつは。それよりも自分の身の安全を考えろ」
ロマエルの突き付ける現実に、ハレスは俯いた。納得していないのは一目瞭然だ。
「ハレス=ロスト、貴様は何故そいつを庇う?」
「何故って……」
「理由があるのなら言ってみろ」
イレイザの冷ややかな声音に対して、ハレスは立ち上がって怒声を上げた。
「エルは友達なんです! 優しい人なんです! どうして助けたいって思うことに理由が必要なんですか!? 一緒に、また一緒に研究がしたい。会いたい、生きていてほしい。それだけなんです!!」
「フン、感情的な小僧だ。それではアークフェルドに上奏すらできんぞ」
「な、なんなんですか、あなたは……。喧嘩売ってるんですか!?」
「落ち着けハレス。誰も喧嘩なんて売る暇はない」
「でも……二人はエルのこと見捨ててるじゃないですか……」
泣きだしそうな顔で、すとんと椅子に戻る。時間は残されていないのに、建設的な議論を交わすどころか、ロマエルとイレイザの着いたテーブルに肝心のハレスが着席しようとしない。
「おい、ジルダール暗部局員。ちょっと来い」
「イレイザさん?」
イレイザはため息をついた後、ロマエルの耳元に囁く。
「あの小僧はエルとかいうヤツのことしか頭にない。喋らせて落ち着かせろ」
「ヒステリーを起こすだけだと思いますけど」
ロマエルは腰を据えて、暗い表情のハレスに向き直る。
「なあ、ハレス。そのエルとはどんな男なんだ? お前とはどういう関係なんだ?」
「エルは……いい人ですよ。私の研究に賛同して、補佐してくれたんです。無口であまり笑わないですけど、とても思いやりのある人で、私の悩みを解決してくれたこともありました。たまに任務を受けてどこかに行ってしまうんですが、それ以外はずっと私と一緒に研究をしていました。帝国に行くまでは、特に親しくはありませんでしたが……」
ぽつりぽつりと口にしながら、記憶の糸を手繰り寄せる。
エルは純粋な科学者ではなく科学的分野に特化した軍人で、その知識や能力を活かして帝国にすれば新参者であったハレスを手助けしてくれた。それは彼に課せられた任務の一つであったかもしれない。それでも、ハレスにとっては唯一の味方であり、友人であったのだ。
「彼と会ったのは、私がまだ第三研究所の所長だった時でした。その時は研究員の一人としか思っていませんでした。……でも、あの日、研究所が封鎖された日、エルは私を助けてくれました」
「……」
イレイザは横目でロマエルを窺う。彼は神妙に沈黙を保っていた。
一年前のあの日のことを思い返すたびに、ハレスは目が焼けるような真っ赤な映像を何度も何度も思い返してしまう。
炎に包まれて崩壊していく第三研究所。
自宅で丸くなり、焦燥しきったハレス。
そこに現れた、たいして親しくもない男、エル。
彼は「帝国に来い」と言った。
アイゼンク・シュワルダッド帝国から派遣された特別兵であると名乗って。
「エルは友達です……」
呟かれたハレスの言葉に、ロマエルは何も言えなくなってしまう。ハレスを故郷で自由の身にするために、アークフェルドの提案を受け任務に赴き、あと一歩というところまでやって来たというのに。
ハレスの苦し気な顔。友達という言葉。一年前のあの日。
それらを突き付けられて、彼のための厳しい言葉が空転していく感覚に陥る。
どうすればいいのか。その答えを見出せないまま、二度目の謁見の時間を迎えた。
***
「さあ、仕切り直しと行こう!」
再び挑んだ玉座には、先程と変わらない様子のアークフェルドがいた。他にはモルゲン軍部局長、イレイザ管理局長、クロム補佐官、ロマエルなど、十人程度が集まっていた。
「誓約書です」
先程と同じくクロム補佐官によって差し出された紙とペンで、ハレスは今度こそサインをした。
「よし、これで交渉成立だ。一時はどうなることかと心配したが、一息入れて冷静な判断ができたようだな」
「……はい……」
「誓約書をこちらへ」
「はっ」
音もなくクロムが動き、
「待ってください」
その腕をハレスが掴む。
「総帥殿、確認したいことがあります」
「何だい?」
「私は科学者として復帰できると書いてありますが、また、いち研究員の地位から始めるわけではありませんよね?」
「ああ、博士には所長として、新たなプロジェクトに着手してもらう」
「ですが、私にはもう第三研究所はありません」
「新しい研究所を用意させよう。君にはそこの責任者に就任してもらう」
「では、もちろん機材なども用意していただけるんですね?」
「そうだ」
「でしたら……研究員も?」
「もちろんだ」
ドク、と心臓が跳ねた。即座に言葉を継ごうと口を開く。
「ただし、アルグレア王国の国籍を有する者に限る、がな」
「っ……!?」
明るく笑いながら、アークフェルドは先手を打った。
「さあ……どう出るのか見せてもらおうか、ロスト博士」
ハレスは愕然として玉座を見上げる。
彼の言質をとって、誰よりも自分の研究の補佐をするのに相応しいエルを部下にする作戦。それを、その拙いがハレスにとって最大限の作戦を、アークフェルドは容赦なく潰した。
「あ……」
挽回しなければならないのに、声が出ない。
頭の中が何故だが真っ赤に染まる。
「博士」
「ハレス」
アークフェルドとロマエル、二人の声が聞こえた。何か言葉を返さなければいけないと思う一方で、下手な切り返しは先ほどの二の舞になると考える。
どうすればいい?
どうすればエルは助かる?
真っ赤になった頭の中で、青い月の光を背負ったエルのシルエットがぼやっと浮かんだ。
「エルは……私の大切な友達です!」
直後、ハレスはクロム補佐官から誓約書をひったくり、両手で高々と掲げた。
「ハレス……!」
ロマエルはハレスを止めようと一歩踏み出す。しかし、両隣にいたモルゲンの部下が、がっしりとロマエルを拘束する。
(くそっ。はめられた……!)
ハレスを見やると、彼は真っ直ぐに玉座を見つめていた。
「私はエルを助けたいんです。また一緒に研究がしたいんです。エルを助けてください総帥殿。お願いします! エルを助けるためならなんだってしますから……お願いですっ……!」
誓約書を握る指に力を込めて、ハレスは声を張り上げる。
「エルが死罪だというならば、私も同罪です。彼が助からないのなら、私はこの取引を破棄します……!」
アークフェルドに向けて掲げられた誓約書は、ハレスの決意のようにピンと張り詰められていて、少しでも力を入れれば破れてしまう。
「お願いします、アークフェルド様。私は科学者としてあなたに一生従います。なんだってします。だからエルを助けてください」
ハレスがアークフェルドを見つめながら黙すると、謁見の間には沈黙だけが残る。ロマエルも含めて誰も動こうとしない。ハレスは神に祈るようにアークフェルドを、アークフェルドは見定めるようにハレスを、互いに見つめ合ったまま。
「なんでもする、とは随分と大口を叩いてくれる」
その沈黙を破ったのは、玉座の男。
「ならば、博士のその口はオレを謀るものかどうか見極めなければならない。モルゲン軍部局長、例のアレを」
モルゲンはハレスの横に立ち、金の小箱を差し出すと上蓋を開ける。うっすらと笑みを浮かべているその男を警戒しつつ覗き込むと、掌に収まる程度の多面体の物体が入っていた。
「その箱はエルビオン=エッジが所持していたものだ。外箱の開錠は我が南マイスの優秀な研究者諸君によって成功したが、その多面体の箱と思しき物質は帝国の技術の粋を集めた逸品であり、開錠装置も持たない我が国での開錠を断念せざるを得なかった」
「これは一部の者しか所持の許されない禁忌の道具であると……そう言っていましたから」
「そのようだな。さて、ロスト博士、君にはこの物質に施された技術を解析して、開錠してもらおうか」
「……なっ……!?」
「期限は捕虜を尋問する十日の間。君がオレの命令に従えたのならば、エルとやらを解放してやろう。だが、失敗した場合には俺に偽証を働いたものとみなし、エルともども処刑する」
「十日ですって!? そんな……技術力の低いこの国で、トップクラスの帝国の技術を暴くなんて……そんなこと……」
「何でもするのだろう? ロスト博士」
「……」
ハレスは両手を下して、多面体の物体を手に取る。それは確かにエルが所持していたものだ。
「……ええ、そうです」
手に収まるそれを握り締めると、誓約書をクロム補佐官に渡す。すっ、と上げられた視線は、やはり真っ直ぐにアークフェルドに向けられていた。
「十日以内にこれを開けてみせます。だから、エルを助けてください、総帥殿」
「君次第だ。自分たちが南マイスに必要な人間であると証明するといい、ロスト博士」
正面からぶつかり合う二人の視線。
ロマエルもイレイザも誰も口を挟むことのできないこの席で、ハレスの命を懸けた戦いの火蓋が切って落とされた。