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ハレス・ロスト博士の不幸  作者: 織本みどり
1/3

◆帝国科学者と王国軍人 ~「裏切り者はお前だろう、ハレス」~

不幸はそこかしこに転がっている。

ハレスに対して理不尽に牙を剥く。


けれども不幸ばかりではない。

不幸を補ってあまりあるほどの幸福があるから、立ち向かっていくのだ。

「博士! 敵軍が城に侵入したぞ!」

「わかっています。今、研究データを持って避難を……」


 白衣の青年ハレス=ロストは、左手で眼鏡をかけ直しながら、機械のような正確さと素早さでキーボードを叩いていく。

「データの移行は完了。あとはバックアップの消去です」

「急げ! この城はもう――」

 どさり、と不穏な音が上がる。振り向くと、研究室の入り口で兵士が倒れていた。

「……侵入者ですか」

 デスクを背に、ゆっくりと室内を見回す。入り口付近に設置された資料棚。中央の巨大な実験装置。コードを介して装置と繋がる計測器に視線を映した時、壁に映る影が小さく揺れた気がした。

「……ミュシコの楽譜よ、ここに顕現せよ」

 ハレスは右腕のバングルにそう囁くと、右手を大きく薙ぎ払う。掌の軌跡に沿って正面から右側面まで、光の粒で構成された帯と模様が浮かび上がる。まるで光の鍵盤だ。

「出てきなさい! この城に目を付けたこと後悔させてあげます」

「……ハレス=ロスト博士だな」

「!?」

 くぐもった声が計測器の影から発せられた。間髪入れずに光の鍵盤から不協和音を叩き出せば、声のした方向で爆発が起こる。詠唱や魔法陣ではなく鍵盤の発する音で魔術を発動させるのが、ハレスのバングルの魔術だ。

 しかし、煙の合間から見えたのは、半壊した計測器のみ。

「……外した……」

「術式で疑似的に組織した鍵盤でさらなる術式を編む、か」

 しゅた、と黒い影がハレスの右側に降り立つ。敵は天井にいたのだ。

「ならば、その術式を破壊すればいい」


 ばぢぃぃぃぃぃ!

「あああっつ……!?」


 敵が光の鍵盤に触れた直後、強烈な音が耳をつんざき、右腕に激痛が走った。光の鍵盤が花火のように弾けて消滅する。

「っ……」

 歯を食いしばって、即座に飛び退く。痺れる腕を押さえて敵を睨みつけると、相手も観察するようにこちらを見ていた。

 黒装束の男だ。ターバンで頭や顔を覆っており、静かな目元だけが照明の下に晒されている。所々をベルトで留めた着衣は、均整の取れた体を見せつけるようだった。黒い手袋には、おそらく魔術式を消滅させる魔術が組み込まれているのだろう。

「暗殺者といったところですね……」

 冷や汗の流れるハレスに対して、敵は腰を落として剣を構えた。

「これで終わりだ」

 床を蹴り、無駄のない動きでハレスに迫る。魔術を封じられたハレスには抵抗する手段もなく――

「舐めないでほしいですね!」

 剣が腹を貫くその刹那、素早く右半身を引いて切っ先をかわす。護身術の一種だ。そのまま背後に回り込む。しかし、敵のほうが上手だった。動きを見切っていたかのように、剣の柄がハレスの腹部に深く叩き込まれる。

「がっ……!?」

 体がくの字に曲がり、背中から地面に倒れ込む。大量の紙が盛大に舞い、本の山が崩れた。整理する時間も場所もなく、床に積み上げられた研究資料たちだ。

「い…………った……」

「死ぬほどの痛みではないだろう?」

 はっとして見上げた先には、突き付けられた剣の切っ先。

「……」

 無意識に目をきつく閉じた。


 研究はあと少しで完成なのに、果たせない。

 この国に召され、見当違いな分析で研究を遅延させる役立たずと権力争いを演じなければならず、やっと勝ち取った上級科学者という「お墨付き」の称号。自分だけの研究施設。

 ここならば、世界を変える研究を成功させることができると思ったのに。またしても頓挫してしまうのか。


 悔しくて歯を噛みしめた、その時。

「くくく……」

 敵から漏れた笑いと衣擦れの音。

 ハレスは恐る恐る目を開けて――


「あなたは……ロミー!?」

 思わず目を丸くして叫んでいた。


 ターバンの下から現れたのは旧友の顔だった。少し長い黒髪に、眠たげに半分閉じられた菫色の瞳、薄い唇は人の悪い笑みを形作っている。

「……随分と出世したじゃないか、ハレス」

 最後に見た時と変わらないその顔と、人を小馬鹿にしたような物言い。ハレスを激高させるには十分だった。

「なんでここにいるんですか!? よく私の前に現れることができましたね!」

「なんでって、仕事だけど? そうじゃなきゃ、こんな埃だらけのネズミ臭い城に来ないだろ」

「ネズミですって!? ここを地下道かなにかと勘違いしてるんじゃないですか!? ここはアイゼンク・シュワルダッド帝国の城の地下、私の研究施設です!」

「へぇ。下水道だと思っていたよ」

「うう、相変わらず腹の立つ人ですね! もう二度と顔なんて見たくなかった、この裏切り者!」

「裏切り者はお前だろう、ハレス」

 彼はハレスに剣を突き付けたまま、懐から一枚の羊皮紙を取り出して広げた。


『第三研究所 責任者ハレス=ロスト。

右の者はアルグレア連合王国を裏切り、アイゼンク・シュワルダッド帝国に加担した売国奴なり。』


 淡々と読み上げられた内容に、ハレスは訝しげに眉を寄せる。アイゼンク・シュワルダッド帝国の科学者であるハレスが、城を陥落させたアルグレア連合王国の元研究員であった、という内容だが。

「その通りです。だから、それが今更なんだというんですか?」

「だから?」

 にい、と深く笑い、旧友は大仰に言う。

「だから殺しに来たんだよ。暗部局員ロマエル=ジルダール様直々にな!」

「……は?」

 信じられないといった表情で、ハレスの透き通った大きな瞳がロマエルを映し出す。

「そういうことだ。大人しくこのオレに――」

「待ってください!」

「命乞いか? 面白いから聞いてやるよ」

「面白いってなんですか! というか、そんなことより」

 ぴしっと指をさす。

「あなた、ロマエルっていうんですか!? そんな名前初めて聞きました! ロミーじゃないんですか?」

「だからそう言ってるだろ」

「だって、子供の頃からずっとロミーって呼んでますし、おじさんもおばさんもそう呼んでましたよ? 初めて会った時だって、そう名乗ってたじゃないですか?」

「お前は自分の名前をまともに言えなくて、噛まずに言えたのは三度目に会った時だったけどな」

「噛んでません! ちょっと恥ずかしかっただけで……。どうしてロミーは本当の名前を教えてくれなかったんですか?」

「……オレの名前まで噛まれたらムカつくから」

 飄々と告げられて、ハレスは堪らずに詰め寄る。

「噛みませんよ、失礼ですね! そんな理由で教えてくれなかったなんてひどいです!」

「今教えてやっただろ。ロマエル=ジルダールだ。ウルサイ犬のくせに耳も遠いとは、まったく使い道もない」

「犬!? 犬って言いましたね!? 世界一の頭脳を持つ天才ハレス=ロスト博士を捕まえて犬呼ばわりするなんて、その礼儀知らずの脳みそが信じられませんね! ロマエル!」


 ヒュッ――ガッ!


「…………え?」

 ロマエルの左腕が閃き、何かがハレスの首を掠めた。ぎこちなく振り返ると、柱にしっかりと突き刺さる短剣が目に映る。

「ひっ……ひやあぁぁぁ!? いきなりなにするんですか!?」

「……今更本名で呼ばれてもな。オレのことはロミーでいいよ」

 パンパンと手を払うロマエルの真意が分からず、ハレスは青白くなりながら口を引き結んだ。

「ともかく裏切り者には死を。それが我が国王のご意思だ」

 だがロマエルは一向に突き付けた剣を振るう気配はなく、わざとらしくため息をついた。

「しかし、国としての意思はそう単純なものじゃない。ハレス、お前が取り組んでいる研究は何だ?」

「魔術式と人体の合成、それらの戦術的応用ですよ。お堅い軍部局のあなたには、内容も重要性もわからないでしょうけど」

「その究極目標はなんてことない、ただのネクロマンスだろ?」

「ロミー! あなたは……」

 鼻で笑うような物言いに、ハレスは切っ先などものともせず、ロマエルに詰め寄る。


 ネクロマンス。その言葉は常に、侮蔑を持ってハレスに投げつけられてきた。人間を異形のものに変えるその所業は、崇高な科学者の領域ではない、もはや永遠の命を求めて他人の血を啜る呪術者の蛮行だ。軍人や科学者はそう卑下する。


 ハレスは研究を推し進めていた。

 がむしゃらになって、すべてを犠牲にして、自分自身すら見えなくなって。


 負けてはいけない。

 負けたら大切なものを永遠に失う。

 その絶対的な命題のために、呼吸をしていた。


 そうして最後に、その手を血で染め上げた。


「……あなたたち軍部局は、蚊帳の外から私たちの研究を馬鹿にして、いざ成果が出たとなると、非合法で暴力的な手段で潰しにかかった」

 ロマエルを睨みつける。何も知らないだなんて言わせない。

「裏切り者の私を殺しに来ただなんて言ってますけど、今回だって脅威となる前に潰そうという魂胆でしょう? あなたたちのやり口なんて、お見通しなんですよ。でも、どうして……どうしてなんですか? この研究の完成は、時代を次のステップに進めさせる。人類の夢、希望です。なのに、なぜ……」

「なるほど。つまりハレス」

 ハレスは縋るように、ロマエルの着衣をぎゅっと握り込んでいた。その冷たい手をロマエルは掴む。

「お前は研究を続けたいわけだ」

「当たり前でしょう? なにを言って……」

「なら、続ければいい」

 ロマエルは別の羊皮紙を取り出し、困惑で眉を寄せるハレスの前に掲げる。


『罪人ハレス=ロスト。

右の者は第三研究所における多大なる功績を認め、審議の上特別恩赦を与える可能性もある。』


「え……?」

「つまり、上層部に気に入られれば、裏取引して新しい研究所や地位をもらえるってこと」

 ロマエルはハレスの大きな瞳を覗き込む。

「さあ、どうする? 今ここでオレに首を刎ねられるか、上層部にネチネチ尋問されるか、どちらがいい?」

「そんな……恩赦だなんて信じられません……」

「自分の研究に自信がないなら来なければいい」

「ありますよ! 史上最高の研究だって信じています!」

「そうか。なら、来い」

 話はついたとばかりに羊皮紙を丸めて懐にしまい、背を向けてすたすたと歩き出す。ひょいと右手を上げて、

「従わない罪人はその場で斬るからな」

「ち、ちょっと!? わかりました! 行きますよ!」

 ハレスは身なりを正すと、何も持たずにロマエルの後を追う。つい数十分前まで必死に守ろうとしていた研究データは、満を持して入城する本隊に根こそぎ回収されるだろうし、完璧に記憶しているので特段必要としていない。研究室から出る際に、倒れている兵士がまだ呼吸をしていることに気付いて「さようなら」と呟く。一度だけ広大な研究室を瞳に収めると、あとはもうこの国に未練はない。白衣を翻して上機嫌にロマエルの後ろを歩く。

「どうせこの城は陥落したんでしょう? 行く当てもないし、そちらの誘いなら会ってあげないこともないです」

「さて、その軽口がいつまで持つか」

「あなたこそ、偉大なハレス=ロスト博士に対して、ぞんざい過ぎる態度を取るのは止めたらどうです?」

「もっと構ってほしいのか、寂しがり屋の泣き虫ハレス。あれは夏の夜だったか、オレの家に泊まったお前は一人でトイレに行けなくて――」

「や、止めてください! そんな子供の頃の話なんか持ち出して、性格悪いの変わってませんね!」

 ロマエルは突然、意地の悪い笑みで振り返る。きょとんとしているハレスの両腕に早業で手錠をかけると、ニヤリと笑う。

「つ~~~~~~~~!!」

 ハレスが真っ赤になり激高したのは、言うまでもない。




***




 カタンカタタン。

 不規則に揺れる馬車の中、ハレスとロマエルは対面に座しながらも、目を合わせずに沈黙していた。

(まったく、城のセキュリティの甘さにはがっかりです)

 ハレスは窓の外の闇を眺めて、ため息をつく。

 わずか数時間前。アイゼンク・シュワルダッド帝国に属する小さな町エリス。アルグレア連合王国と国境を接している防衛の拠点の一つが、半日のうちに陥落したのだ。

(城と言っても、没落貴族の別邸だったに過ぎませんが)

 ハレスが指揮を執っている研究のために、一時的に借りたのがエリス城の地下だった。

(こんな時にロミーたちが攻撃を仕掛けてくるなんて、偶然にしては……)

 ハレスはなにかに気付き、窓に肘を付いて目を閉じているロマエルを見やる。

「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですが、寝てますか?」

「……罪人と同じ馬車にいて職務放棄するわけないだろ」

「ロミーなら仕事中でも居眠りすると思ったんですよ!」

「否定はしない。で、なんの用なんだ?」

 すう、とロマエルの両目が開かれ、眠たげな菫色の瞳がハレスを捉える。

「アイゼンク帝国とアルグレアは古くから敵対してはいますが、今は小競り合い程度で休戦状態に近いですよね。そんな時にエリスを手に入れてもあまりメリットはないし、下手をしたら開戦の口実を帝国に与えてしまいます」

「ああ」

「なので、今回のロミーたちの任務は、単なるエリス攻略ではなく、私の研究が目的だったのではないですか?」

 人差し指を立てて、得意げに考察を披露する。

「ああ、はいはい。そうそう。さすがハレス、正解正解」

 ロマエルは投げ遣りに肯定して、また目を瞑った。

「って、なんで寝るんですか! 思いきり職務放棄してるじゃないですか! 第一、そんな簡単に敵である私に本当の目的を明かしていいんですか?」

「お前はもうアルグレアの捕虜だからな。構わないさ」

「な!? ほ、捕虜だなんて、話が違います!」

「ああ……アルグレアの犬だっけ?」

「つっ……!」

 怒りのあまりハレスは立ち上がり、

「ぎゃ!」

 天井に頭をぶつけて再び椅子に沈んだ。

「いった~……」

「馬車だから、ここ。移送中に頭を打って頭脳が台無しになったら、オレの監視不行き届きになるだろ。気を付けろよ」

「なんですか、その言い方は。どうしてロミーは何年経ってもひねくれた考えしかできないんでしょうね」

 衝撃のせいでぽろりと涙を流しながら、ハレスは頭を擦った。

「さっきの話だけど、エリス攻略は確かにお前の拘束が目的だ」

「私たちの研究がアルグレアに認められたということですか?」

「あんな研究に有益性があるなんて心底信じられないけどな。どうやら、南マイスの総帥の目に留まったらしい」

「総帥……? 南マイス統治軍の最高責任者ですか?」

「そうだ。なあ、ハレス」

 ロマエルが探るような視線を投げるので、ハレスも頭を擦ることを止め、じっと見返した。

「自分の研究を偉業であると思うなら、滅多なことはするなよ」


 それきり、ロマエルは目を閉じて、起きているのか眠っているのかわからない様子で沈黙してしまった。 ハレスは釈然としない表情でいるものの、窓の外へ視線を移し、これからについて静かに思考を巡らせていた。




***




 一面が、真っ赤に染まっていた。


 何もかもが手遅れだ。建物を覆う炎の勢いは強く、夜の空高く火柱が上がっている。

『なんで……』

 ハレスはその場にがくりと膝をつく。


 自分たちのすべてが詰まった研究所が崩壊していくさまを、信念が打ち砕かれていくさまを、黙って見ていることしかできなかった。




***




「ハレス、起きろ」

「ん……ロミー? ……おはようございます……」

「間抜け面が一段と冴えているようだな。そんな顔で総帥と相対すれば、もらえるものももらえなくなるぞ」

 そう言い残し、ロマエルはさっさと馬車から降りて行った。

「んん……? ……ってそうでした!」

 寝起きの頭を瞬時に覚醒させ、慌てて馬車から飛び降りる。

「待ってください! ……って、ここは……」

「そういえば、お前がここに来るのは一年ぶりだっけ……」

 感慨深く周囲に視線を投げた後、仰々しく大手を広げた。

「改めて、ようこそ、お前の処遇を決する舞台へ」

 ロマエルの後ろには、厳重な門と荘厳な建物がどっかりと腰を下ろしていた。


 アルグレア連合王国領・南マイス。

 内陸の緑豊かな丘陵地帯で、比較的温暖な気候だ。屋根の低い薄橙のレンガ造りの建物が立ち並び、広い道に敷かれた灰色の石畳がどこまでも延びている。技術力や魔術力はそれほど高くない。他国には陽が沈むと自動で灯る街灯や、階段を使わずに移動のできる昇降機が普及しているが、南マイスには一つもない。

 木々に囲まれた穏やかで暖かな町。それが、ハレスとロマエルの故郷だ。


 その南マイスの全権を取り仕切る統治軍本部正面門の前に、二人は降り立っていた。


「……」

 門衛から監視の眼差しを浴びながら、門を潜る。正門から一直線に敷かれた白い石畳の先に長い階段があり、その奥に衛兵に護られた大きな扉がある。白で統一された統治軍本部の建物を前にして、ハレスは苦々しく眉を寄せたが、ロマエルに従って内部に入っていった。

「元アルグレア連合王国領・南マイス統治軍所属の科学者だったハレス=ロスト博士はご存知かもしれないが、博士の身柄は法律によってある程度は保障されている」

「ある程度って……なんですか、そのいい加減な法律は」

「現段階で捕虜である博士は〝生かされている〟に過ぎない。そのことを自覚し統治軍に従えば、危害を加えることはない。ここまででなにか質問はあるか?」

「ロミーって案外真面目に仕事してるんですね。見直しました」

 馬車内とは打って変わった態度に感心して、素直に感想を言えば、人の悪い笑みが返ってくる。

「ちなみに、これからお前に拷問を行う。覚悟するんだな」

「ごうもん!? いやです! 帰ります!! 放してください!! い、いやああ!!」

 真っ青になって暴れだしたハレスを見て、ロマエルは喜々として笑っていた。

「くくくっ。冗談だよ。涙が出てるぞ、泣き虫ハレス」

「え? 嘘なんですか? 本当ですか?」

「ウソウソ。拷問なんてしない。総帥と会う前に少し尋問するけどな」

「う……騙しましたね……ロミー……」

「お前の取り乱しよう……ははっ、写真に撮ってお前を重用していた帝国に送り付けてやりたいよ」

「……こんな人格破綻者を雇うだなんて、アルグレア王国はよほどいい加減で、人手不足で、質の悪い国なんですね! 出て行って正解でした。帝国は大陸随一の軍事国ですし、科学技術の宝庫ですし、かつての大戦にだって実質的には勝利してますし。近隣の町をまとめてつくった出来合いの王国なんて、目じゃありませんよっ」

 笑い続けるロマエルを睨みつけ、涙の乾ききっていない目で「ふん!」と強がりを見せる。

「とにかく、恐れるものなどこの私にはありませんから!」

「フン、それは結構」

「!」

 背後から降ってきた低い声に振り向くと、随分と背の高い男性がハレスを見下ろしていた。

 ロマエルをも凌ぐ長身と、眉根に皺が刻まれた不機嫌そうな表情も相まって、圧倒的な威圧感を感じる。腰まである長い黒髪を後ろに流しており、華美な軍服とマントを着用していた。装飾のない簡素な冠を付けているが、ハレスの記憶が正しければ、南マイスの管理行政を任された高官の証だ。

 彼は出会って早々に矢継ぎ早に告げる。

「イレイザ=ダンツェル。統治軍管理局局長。貴様の尋問に立ち会うことになった。恐れるものがないなら大いに結構。とっととその部屋に入れ。俺は忙しいんだ」

 しっし、と犬でも相手にするように手を払う。

「な、なんですか。失礼な人ですね」

「ジルダール暗部局員!」

 ロマエルは触らぬ神に触れぬよう肩を竦めて従う。

「ああ、はいはい。ハレス=ロスト博士、またあとでな」

 真横にあった青い扉を開いてハレスを蹴り入れると、「泣くなよ」と言い残してロマエルは去ってしまう。ハレスは文句を言おうと振り返るが、

「いいから座れ」

 イレイザに押さえつけられてしまい、苦々しい顔で従う。


 イレイザ同席の尋問は二時間かけて実施され、ハレスは知りうる限りの帝国の実情を、洗いざらい吐き出すこととなった。




***




 ロマエルは軍本部の廊下を足早に歩いていた。エリス攻略の主要部隊である第九部隊から離脱し、彼の任務であったハレスの移送も終え、暗部局へと報告に行く途中である。

 そこへ二人の軍人がこちらに向かって来る。バッジのマークは「Ⅸ」、第九部隊だ。

「ジルダール暗部局員殿。お疲れさまです」

「君たちも作戦成功おめでとう。第九部隊は撤収作業でエリスに残っているはずだけど?」

「はい、捕虜の移送のために、一時帰還いたしました」

 軍人の後ろには、白衣を着た若い青年の姿があった。乱れた金髪が影になって表情は窺えないが、どことなく見覚えがある気がした。

「捕虜の名前は?」

「エルビオン=エッジです。帝国の上級科学者を名乗っています」

「へえ……帝国の科学者ね」

 ロマエルが部隊に先行してハレスの研究室に向かう途中、数人の科学者とすれ違ったので、その時に顔を見かけたのだろう。

「ご苦労、任務に戻れ」

「はい、失礼いたします」

 エルビオン=エッジ。作戦に参加していたロマエルが知らない名前。

 ざわりと小さな胸騒ぎを覚えるが、特に思案することもせず懐中時計を開く。時刻は午前六時。昨夜の作戦開始から、すでに八時間が経っている。

「ハレスが総帥と対面するまであと三時間」

 取引を無事に済ませれば、ハレスは再びこの南マイスで科学者として生きることができる。

 パチン、と音を立てて時計をしまうと、ロマエルは歩き出した。




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