2・公爵令嬢は未来視する
「ねえアリス、ヴィクには何があったんだい?」
「お嬢様は夢見がお悪かったんです」
夕方、ヴィクトリアさまの兄上、アディソン公爵家の嫡男であられるエドワードさまが、今朝がたの騒動をお聞きになったらしく、わたしに尋ねに来られた。
ちなみに、お嬢様のご家族はお嬢様をヴィクと呼び、婚約者のアレクさまだけがヴィーと呼ぶ。これは、アレクさまが自分だけの呼び名として考えて誰にも権利を譲らない結果だ。これだけでも、アレクさまの愛情が知れるというものだと思う。
「夢? でも何か、起きて来られない程具合が悪くて、アレクさまを心配させたって聞いたけど」
「きっとお疲れが溜まってらっしゃったんです。悪い夢を未来視だと思い込まれて……」
「悪い夢ってどんな?」
未来視という言葉に、普段は軽薄な印象を与えるエドワードさまの表情が引き締まる。軽薄な印象、と言っても、わたし自身がエドワードさまを軽薄だと思っている訳ではない。普段の口調が軽くて誰にでも隔てなく接されるから、貴族令嬢たちに人気という事もあってそういう風に解釈する人たちがいるに過ぎない。公爵家の跡取りらしからぬ気さくな面を、軽いととるか器が大きいととるかは人によると思うけれど、見えないところで努力なさり、才をひけらかさないエドワードさまは勿論後者だとわたしは知っている。
そしてエドワードさまはとても家族思い。未来視、悪い夢、と聞いて心配そうなエドワードさまを安心させようと思って、わたしは夢の内容とアレクさまが絶対大丈夫だと請け負われた事を伝える。
「あんな事が未来に起こる可能性なんてありません。エドワードさまだってそう思われますでしょ?」
「う~ん。僕は、絶対の未来なんてないと思うんだけど」
「まあ! エドワードさまはアレクさまの仰った事をお疑いですの?!」
「いやいやそうは言わないけど……未来視のことは我が家の秘伝だから、王家の方でもご存知ない事もあるしなあ……」
「え……」
てっきりアレクさまと同じように笑い飛ばして下さるかと思ったのに、常にない様子で考え込まれてしまったエドワードさまに、不安を感じてしまう。秘伝、って? でも一介の侍女であるわたしがそれを聞く事が出来る訳もない。
「あ、ああごめんアリス。心配しなくていいよ。可愛い顔を曇らせないで。まあ一応両親の耳に入れておこうと思っただけだから」
こんな台詞を、侍女に過ぎないわたしにまでさらっと言ってしまうエドワードさま。いつもの事とはいえ、最近一段と大人びてこられたエドワードさまに可愛いなんて言われると、口癖のようなものだとわかっていてもちょっとドキッとしてしまう。エドワードさまと結婚なさる方は色んな意味で大変だろうなあ。
「旦那さまと奥さまにですか。そんな心配なことなんでしょうか?」
「いや、まあアレクさまとヴィクに誤解なんてあり得ないと僕も思うよ。ほんとに誰が見てもいっつもお互いしか目に入らない、って感じだもんな。その夢だと、まるでヴィクが誰かに嫉妬して暗殺しようとしたみたいじゃない? そんなの想像もつかないよな」
「そうですよ。アレクさまがお嬢様以外の誰かをお傍に、なんてないですわ!」
「うん。まあアリスはその調子で、ヴィクがもうそんな夢の事なんか忘れちゃうように、よろしく頼むよ」
「はい。憂鬱そうなお嬢様なんて、もう見ているだけでこちらまで胸が締め付けられそうですもの。お嬢様には笑顔が一番なのです」
「あはは。アリスも笑顔が一番可愛いよ」
またドキッとさせられてしまう。最近、エドワードさまとお話しするのは心臓を悪くするのでは、とちょっと思う。
―――
未来視は、アディソン公爵家の令嬢に、隔世で時折現れる能力だ。ヴィクトリアさまの前は、ヴィクトリアさまのお祖母さまにあたられるローズマリーさまが持っていらしたと聞く。ローズマリーさまは、丁度わたしがお嬢様にお仕えし始めた年にご病気で亡くなられたのだけれど、とても柔らかな笑顔の老婦人で、ヴィクトリアさまたちご兄妹は大変に懐いておられ、亡くなって暫くは泣いて暮らしておられたのを覚えている。
未来視が出来るアディソン家の令嬢は、『未来視姫』と呼ばれて誰からも大切にされる。『未来視姫』は自分の望む時に未来視が出来る訳ではないのだけれど、国の祭事の時などに神殿でお祈りしていると、国にとって重要な方針に関わる未来を視る事が出来るのだ。
元々才能豊かだった上に『未来視姫』の力を開花させたヴィクトリアさまが将来の王妃さま……誰もが、アレクシス王太子さまとヴィクトリアさまの婚約を素晴らしい事だと感じている。邪魔なんか入る訳がない、とわたしは自分に言い聞かせた。
とは言え、お嬢様に最も近くお仕えしている者としては、やはり気を緩めてばかりではいけない、とも思った。お嬢様には心配なく毎日を明るく過ごして頂きたいけれど、わたしはお嬢様とアレクさまの間に万が一にも入り込むような不届き者が現れないか、気を付けていなくては。きっとエドワードさまが「よろしく頼む」と仰ったのも、わたしにそれを望まれているのだ。
―――
「ねえ見てアリス。アレクから先ほど届いたの!」
夕食を終えてお部屋に戻られたお嬢様のところへ行くと、お嬢様はもう悪い夢の事など忘れたみたいな笑顔で、豪華な花束を見せて下さる。
「わあ、素敵ですね。お嬢様のお好きなお花ばかり、こんなに沢山」
「もちろん、アレクはわたくしの好みなんて知り抜いているわよ」
わたしの言葉にお嬢様はちょっと得意げな様子で応える。良かった、すっかり元気になられたみたい。
「わたくしが元気がない時は、いつもこうして花を届けてくれるもの。そうするとわたくしは、花を眺めているだけで、アレクが傍にいるような気分になれるのよ」
「アレクさまはお嬢様がどんな時に何を求めてらっしゃるか、ちゃんと知っておられますものね。本当に綺麗なお花。まさにお嬢様には『花より団子』でございますね!」
「……それは何か、ちょっと違うと思うの」
とにかく。来週にはお嬢様の17歳の誕生日パーティも盛大に催されることだし、憂鬱なご気分が晴れたなら何より。
夜のご挨拶をしてお嬢様のお部屋を辞した時、廊下の向こうから侍女長が近づいて来た。
「アリス。旦那さまがお呼びです」
「えっ、こんな時間に、いったい何のご用でしょう??」
「さあ? 奥さまとエドワードさまもご一緒にお待ちです。早くお行きなさい」
エドワードさまも。という事は、夢の話をご両親になさって、それで詳しく、という事だろうか。
緊張しながらわたしは旦那さまの書斎の扉をノックした。