11・公爵令嬢と王太子殿下
「……わたくしには、なにも話してくれないのね、アレク」
室内には重苦しい空気が漂っている。
お嬢様はアレクさまと向かい合ってソファにかけているけど、手にしたお茶のカップの中に何かを探しているかのようにずっと俯いたままだ。アレクさまは居心地悪そうに視線を彷徨わせていたけれど、ぎこちない動作で立ち上がったかと思うと、移動してお嬢様の隣に座り、そうっと肩に手を回した。
「俺を信じてないのかい?」
「信じてるわ! でも、だからこそ、わたくしになんでも打ち明けて下さらないのが辛くて」
お嬢様は、ディアナさまが突然なんの挨拶もなしに田舎へ帰ってしまった事と、その理由をアレクさまが知っている様子なのに教えてもらえない事、更にはご自分は教えてもらえないのに何故かわたしがそれに関わっていそうな事を、訝しんでおられるのだ。
散々お嬢様を親友だと言っておきながら裏でディアナさまがアレクさまを誘惑しようとしていたなんてこと、お嬢様が知ったら酷く傷つかれるに違いないと、アレクさまとエドワードさまとわたしだけの秘密にしよう、ということになっているので、わたしにはなにも言えない。
「アリスに口止めまでして、わたくしだけ知らないなんて、いったい何故なの」
「ディアナ殿はヴィーによろしくと言っていたよ。叔父上のご都合なんだよ。それ以上は俺も知らないよ」
もう何度か繰り返されたやりとり。アレクさまももう少し説得力のあるお話を考えて下さったらいいのに、最初にそう言ってしまった以上、それで押し通すしかないと思われているみたいで。
「なにか、わたくしには言えない訳があるのね」
「だから、そうじゃないって」
「アレク、貴方は昔からわたくしの前では嘘が下手なの。貴方は嘘を吐くとき、いつもわたくしの右の眉を見るわ」
「そ、そりゃあ、ヴィーの右の眉が美し過ぎるからしかたないよ」
「ほらっやっぱり。嘘をついてない、とは言わないんだから!」
「うっ。な、なんてヴィーは賢いんだ」
あーあ……有能と名高い王太子殿下もお嬢様の前では威厳もなにもないのです。
「アレク、貴方が、わたくしを信じられないとか、わたくしが知ってはならない秘密だから、と仰るならば従いますわ。でも、アリスが知っていてわたくしが知らない、というのは、そういう事ではなくて、なにかわたくしが知ったら傷つくかも知れない、と心配して下さっているのではなくって?」
「うーん、さすがヴィー」
「褒めなくていいから! どういうことなの?」
お嬢様は可愛らしく頬を膨らませたけど、すぐに真面目な表情に戻って、
「わたくし、心配なの……。わたくしがおかしな夢を見たせいで、ディアナさまになにかあったのではないかと」
「夢?」
アレクさまはお嬢様の言葉に表情を引き締める。わたしがあの時、ディアナさまの香草のことをお嬢様の夢で知った、と口走ったので、後で説明を求められ、いまはアレクさまもあの夢の内容をご存知だ。でもお嬢様はアレクさまが知っているとは思わないので、はっと口を押えて、なんでもないの、と言葉を濁す。
ディアナさまの一件は無事に済んだものの、エドワードさまがしきりに気にかけておられたのは、最初の夢――お嬢様がアレクさまに婚約破棄と断罪を受けるという夢だ。ディアナさまの夢は未来視だった。だったら最初の夢もやっぱりそうかも知れない。ディアナさまの件より遥かにことは重大で恐ろしい内容だ。絶対にそんな未来を実現させてはならない。
エドワードさまはご両親に相談し、公爵殿下の助言の下、アレクさまに、未来視が夢のかたちであらわれる可能性がある事を説明なさった。だから今はもうアレクさまも、あの恐ろしい夢を笑い飛ばすお気持ちではない。でも、お嬢様を不安にさせないように、アレクさまはそんな事はおくびにも出さずに、
「ディアナ殿に悪い事が起きて王都から去られる夢でも見たのかい?」
と優しい声で尋ねられる。
「いいえ、そういう訳ではないのだけれど」
「だったら関係ないだろう? ヴィーが気にする必要はないよ」
「でも……わたくし、ディアナさまとアレクの夢を見たの。ねえ、アレク」
「なんだい、ヴィー?」
「ディアナさまと、赤ちゃんを作ったり、しないわよね?」
「はぐっ!」
あまりにも唐突かつ直接な問いに、アレクさまは思わず目を白黒させた。ま、まあ、お嬢様もついこの間までのわたしと同じく、赤ちゃんを作るにはあんなことをするんだなんてご存知ないから、『常識はずれな事を言っている』という自覚はあっても、恥ずかしい事を言っている、という気持ちはないみたい。
「なにが『はぐっ!』なの。それは勿論、結婚もしていないのに赤ちゃんなんて生まれる訳ないとわたくしだって思っているわ。でも……ディアナさまはもしかして、純粋な方だからそんな道理もご存知なくって、摂理に反した事を望まれて、それで何か不吉な事が起こったのではないかと、わたくし、案じて」
「……」
アレクさまは助けを求める視線を壁際に控えているわたしに送ってこられたけれど、お二人のこんな会話にわたしがいきなり入るなんて出来ない。しかたなくアレクさまは小さく咳ばらいをして、
「そ、そんな訳ないだろ。もちろん俺はヴィー以外の女性との子どもなんて望まないし。疲れてるんだよ、ヴィー。そんな夢と、ディアナ殿が田舎に帰った事は関係ない。第一、ディアナ殿が王都を離れた今、もうそれは起こらなかった未来なんだからさ。忘れてしまえよ」
「……」
けれど、アレクさまの慰めの言葉に、どうしてかお嬢様は怒ったような視線を返す。
「ねえ、アレク」
「な、なんだい」
「わたくしを気遣っての隠し事は、いやなの」
「だから何も隠してなんか」
「いいえ、アレクの仰ること、おかしいわ」
「な、なにもおかしくなんか」
何がおかしかったのだろう、とわたしも首を傾げた。お嬢様には何も不安に思って欲しくないし、済んだことは忘れて気にしないで欲しい、って何かおかしいかしら?
でも、お嬢様はきっぱりと仰った。
「『忘れてしまえ』? わたくし、夢の内容を詳しくアレクに話してもいないのに? いつものアレクなら聞く筈だわ、『どんな夢がヴィーをそんなに苦しめているのか』って!」
その通りだった。ああ、お嬢様はとても頭の良い方なのに、普段あまりにも純真でひとを疑う事をなさらないから、アレクさまもわたしも、お嬢様を誤魔化して安心させることなんて難しくないと、どこかで思っていたのかも知れない。
「あ、あの、お嬢様! わたくしですわ。わたくしがアレクさまに、お嬢様の悪夢をお話ししてしまったのです。でもアレクさまは、そんな事ある訳ないと笑ってらっしゃいました」
「そう、アリス、あなたが話したことくらい、わたくし判っていてよ。だってあなたとクリスにしか話していないものね。ああ、もちろんあなたに怒ってなんかいないわよ。わたくしを心配して、って事は判ってる。後の事、アレクに口止めされて何も言えなかったこともね。わたくしが知りたいのは、アレクがなんで、何も知らないなんて言い張って、忘れろなんて言うのか、っていうことよ!」
暫く、そのまま沈黙が場を支配した。
アレクさまはお嬢様を見つめて固まってたけれど、すぐに気持ちを切り替えられたようだった。
「うん。ごめんよ、ヴィー。きみに嘘だなんてどうかしてた、俺が悪かったよ。夢の事はアリスに聞いた。でも、ディアナ殿が、あの、子どもの話をする前に、アリスとエドが阻止してくれたから、何もないんだ。ディアナ殿は、その、子どもを諦めて田舎に帰ったんだよ……」
「やっぱりそういうことなのね。ディアナさまは大丈夫なの? 不吉な事はない?」
「何も起こらなかったんだから、不吉はないよ。大丈夫だって」
「……いまのアレクは、怪しくないから、信じることにする」
お嬢様は微笑んだ。アレクさまはほっとした様子で、お嬢様を軽く抱き締めて、もう一度、ごめんよ、と仰った。
「いいえ、わたくしこそ、心配して下さったのに、責めるような事を言って、ごめんなさい」
「謝る必要なんてないよ。本当に俺が悪かった! ヴィーを心配させまいとして、逆に心配かけるなんてさ」
「アレクのお気持ちは嬉しかったのよ。本当は黙って気づかないふりをしているべきだったのかも知れないわ。駄目ね、わたくしって」
あらあら、折角仲直り出来たというのに、お互いにご自分を責めていてはいけないわ。
「まあまあ、お話がまとまってようございました、今お茶をお入れしますね!」
「あ、そうだな。お茶を頂こう」
わたしのお声かけにアレクさまが頷いて、気を取り直されたようだったのでわたしも嬉しくなる。
「なんにも心配する事なんてなかったんですわ。お二方の絆がより強まったというだけですわね。これこそ、『雨降って血固まる』ですわね!」
「いや、それ固まらないし!」
「怖いし」
あれ? なにか間違っていたかしら?




