1-4 事実も小説より奇なり、だわ。
馬車のドアが開いて、誰かが降りてくる気配を感じて息をのむ。俯いたまま一度強く目を閉じる。自分のことであるはずなのに、こうなったらもうどうにでもなればいいと投げやりな気分になった。
「貴女が昨日わたしの部下を叱りつけたというここの管理人か?」
膝を折って頭を下げた私の頭上からその声は降ってきた。まるで極々細かい霧雨のような声だと思った。それくらい儚い印象と言えば良いのだろうか? 適度にハスキーな声にどこか中性的な色気を感じる。緊張で身体が強張るわりに余計なことを考えながら私は答えた。
「はい。先日は知らぬこととはいえ、大変に無礼な発言をしてしまい申し訳ございませんでした」
ほんのしばらくの間。その僅かな時間でさえも私にとっては数十分にも一時間にも感じられた。
「あぁ、そんなに畏まらなくても構わないよ。むしろ貴女からの伝言を訊いたときはスッキリしたくらいだ。だからその、顔を上げてくれない?」
もっと厳しいお叱りがあると思っていた私はこの言葉にだいぶ拍子抜けしてしまった。けれど、同時にそれが良かったのか緊張するどころかあっさりと顔を上げてしまう。上げてしまってから反省が足りないと言われたらどうしようかとも考えていたのだけれど、杞憂だった。
「部下に訊いたんだけど貴女はエマのお気に入りなんだって? ふふっ確かに報告通り気が強そうだ」
馬車から姿を現したのはやはり昨日のフリルベアーと、見るからに天上人といった儚げな容貌の青年だった。
後ろで一本に細く束ねたプラチナブロンドに赤みがかった瞳、スッと通った鼻筋に薄い唇。どこもかしこも神秘的で触れたら溶けてしまいそうだ。
身体の華奢さだけならボリュームの足りない女性と言っても過言ではない。青白く透き通るような肌は一種作り物めいていて怖ろしいくらいだ。私はしばしその美しさに見惚れた。
王子様が身につけているネイビーブルーのジャケットはほっそりしたシルエットを引き立たせて、下に着ているドレスシャツのフリルはその厚みの足りない身体を程良い見た目に近付けている。
白い細身のズボンもまぁ及第点だ。しかし肩についた金色のモールが気になって仕方ない。でもそれでも百歩譲って王子様はまだ許せる。
だがフリルベアー、お前は駄目だ!!!
昨日と同じ笑いを堪えているだけでシックスパックになってしまいそうな破壊力。その巨体でその格好は本当にもう止めて! 貴方は胸板充分に足りてるでしょうが! 何でなの、何でその衣装にしようと思ったの……どうして誰も止めてあげないの? 色々な思いを胸に口許に手を当てながら彼からソッと視線を外す。
「どのような報告だったのか……そのお言葉で分かりますわ。ですが本当に数々の無礼な発言、重ねて申し訳ございませんでした」
うぅ、視線を逸らしていても大柄な彼が見切れていて今にも吹き出してしまいそうだ。気にしてはいけないと思うのに、もう頭の中は彼のことで一杯だった。勿論そこにロマンチックな要素は皆無だが。
「いや、貴女の言うことは至極もっともだったし、何よりエマから貴女の話は訊いたことがあるから一度会ってみたかったんだ。エマの言っていた通りの人でわたしは好ましいと思ったよ」
王子様はどの状態の彼女から話を訊いたのだろうか。まさかとは思うけれど今朝の状態の彼女ではあるまいな――。
あの娘をヒロインに推す位だからこのゲームのシナリオは通常の海外ドラマや映画みたいなハッピーエンドが待っているとは限らなさそうだ。
だって第三王子って言ったら何かあったら王位が転がり込まないとも限らないポジションな訳で、ともすればこの世界の政治的な部分を間違いなく左右するでしょう? 一人の民としては先行きが不安でしかたない。それとも案外結婚したらまともになるタイプなのかしら?
そしていくら好意的な言葉で話しかけられようが不敬罪は不敬罪だ。この後どんな酷い展開が待っているかもしれないので、そんなことを考えながら気を紛らわせるしかないのが辛い。
「すみませんが管理人殿、エマを呼んできてもらえませんか?」
「え?」
「女性しかいない寮に王族とはいえ男子のわたしが入るのは憚られる。それにこれ以上エマに妙な噂がたってしまうとわたしも困る」
「――はぁ」
王子様からの言葉の内容に僅かな引っかかりを感じて、つい声に混じった不信感に気付いたのはフリルベアーだった。昨日瞬間湯沸かし器みたいになった私を警戒してのことだろう。
「誤解をしないでくれ。アーネスト様の今のお言葉は真剣に彼女を心配してのものだ」
「分かりました。それではまず馬車をそこから移動させて下さいませ。王族の御用達の馬車が寮の前に停まっていては、あまりに目立って折角の気遣いも台無しですわ」
暗に“毎回邪魔なんだよ”と匂わせつつフリルベアーに向き直る。が、それが失敗だった。正面から彼の全容を見てしまった私は思わず「ぶふっ」と吹き出してしまった。
そんな私を見たフリルベアーが眉根を寄せる。不服そうな表情のフリルベアーが何か言い出す前に、私は逃げるようにエメリンを呼びに寮へ引き返す。
王子様が会いに来ていることを報せるとエメリンは大喜びで部屋から飛び出し、一気に玄関先まで駆けだしていった。少女マンガとか映画の女の子って何でいちいち走るの? 待ってるって伝えたんだから歩いて行ったって同じでしょうに……。追いかける方の身にもなってほしいものだ。
これから下されるであろう判決に胸と胃を痛めながらヨロヨロと階段を降りていくと、玄関先で二人が手を取り合って……ない。
――ないな、うん、それは予想してなかった。
最初に私が思った感想は“これ、ゲーム内で動画とかスチルがあるの? 本当に?”だった。何せエメリンが王子様を抱き上げて、グルグル振り回しているところだったのだから。逆でしょう普通。あんまり男だ女だとは言いたくないけれどそれはどうなんだ王子様。
複雑な気持ちで辿り着いた玄関先で、あのフリルベアーが私と全く同じ感想を持っている表情で二人を見つめていた。当の二人は周りの目なんて気にしていないらしい。ウフフ、アハハととても楽しげにブン回して、ブン回されている。
楽しそうな空気に水を差したくはないのだけれど……困ったな。馬車よりも各段に目立つぞこの二人。折角忠告したように先に馬車を帰してくれたのにこれでは意味がない。どう注意しようかと悩んでいるとそんな私に気付いたフリルベアーが軽く会釈をしてきた。
私も会釈を返して彼に近寄る。勿論この現状の収拾方法を相談するためだ。でもなければ笑いの発作を引き起こしそうになってしまう相手にわざわざ近付いたりしない。
「すまない。アーネスト様は普段はもう少し周りに気を遣う方なのだが」
「いえ、私の方こそ昨日はすみませんでした。事情をよく知りもしないで貴方を怒鳴りつけたりして……みっともない姿をお見せしてしまったわ」
しばらく「いやいや」「いえいえ」と二人して不毛なやり取りをする。こういうとき大人というのは間怠っこしい。目の前の光景をさっさと収めたいと思うのに、どちらからそのきっかけを作り出せばいいのか分からず機会を伺いあっているのだが埒があかない。
仕方がないので今回は私から行くことにする。もう二度とこの人達と係わることもなさそうだし。
「貴方とはもうお話できる機会がないかもしれませんが、もしよろしければお名前を伺っても?」
そう切り出すと相手のフリルベアーが目を見張った。純粋に驚いたという表情にちょっと好感を抱く。見た目の威圧感と気難しそうな印象よりは素直で取っ付きやすそうな人だ。 でもあんまり驚きが長くないだろうか? それとも上手く笑えてないとか? 私がそう心配していたら。
「あぁ失礼、昨日の方と同一人物とは思えなくてな。わたしはアーネスト様の世話役……のようなものか、オーランド・クレイグという」
前言撤回とは言わないまでも、結構見た目通りかな。確かに昨日の今日で良い印象を持たれる訳がないので前置きの方はスルーした。
「そう、ではクレイグさん。あの方達をどうするかここで一緒に考えてくれません?」
「奇遇だな。俺、あ、いや、わたしも今まさにそう言おうと思っていたところだ」
「あら、お気になさらないで。“俺”で構いませんよ。私の方が身分も低いですし、その方が話しやすいでしょう?」
ふとグルグル回る二人の回転数を数えようと思って何となく口から出た言葉だったのに、意外なことに「そういうつもりはなかったんだが気を悪くさせてすまない」と謝られてしまった。ここでまた「いえいえ」「いやいや」とやる羽目になる。
しかしそろそろこの不毛なやり取りをせずとも事態の収拾に兆しが見えた。彼もそれが分かっているからこそこのやり取りを続けているに違いない。その証拠にさっきからその赤銅色の瞳が二人を捉えている。
たぶんこのとき私達は同じことを考えていた。そしてついに、二十七回転目にしてその時がやってくる。
「終わったな……」
「……終わりましたね」
エメリンと王子様が回転に酔って倒れ込む。よくも二十七回転も持ったものだとは思うけれど――実に残念な子達だ。それを二人で並んで見ていた私達は一度顔を見合わせると、どちらともなく互いに互いの世話を焼くべき対象に向かって歩き出したのだった。