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1-3   これって詐欺じゃないかしら?



 昨日の嵐から一夜。私は欠伸をかみ殺しながらノロノロとベッドから起き上がる。姿見の前で身支度を整えながら、ひょっとしなくてもこの仕事に就いてから一番の事件だったのではないだろうかと考え込む。


 両親が健在であればもっと上手く立ち回れたのかもしれないけれど、あの時は咄嗟に頭に血が上って冷静な判断が出来なかった。


「馬鹿ね、あんな場面適当に流してしまえば良かったのに。いい大人が何をやっているの」


 藍色のリボンでかっちりと髪を結い上げながら鏡の中の自分に向かって独り言を囁く。銀縁の丸眼鏡ごしにある険の強い榛色の瞳を見つめ返す。


 せめてこれでもう少しタレ目ならここまでキツイ顔立ちにはならなかっただろうに。最後にお仕着せに埃がついていないか、後れ毛がないかを確認し終えたら部屋のドア下に挟まれた新聞を持ってさっさと食堂に向かう。


 寮生達のいないうちに朝食を終えておくのがここの管理人の習わしだ。毎朝早くから働きだしてくれている食堂のおばさん達には感謝してもしきれない。


 仕事だと言われればそれまでだが、それにしたって起きてすぐに温かい食事にありつけるのは素晴らしいことだ。


 私は幼い頃からこちらの世界での両親にその有り難さを何度も説かれた。もっとも、単身者になって家を手放してこちらに移り住んだ時に初めて理解したのだが。


 歴史を感じさせる修道院のような重厚感のある食堂を覗くと、すでに働きだしていたおばさん達から朝の挨拶が飛んでくる。私もそれに返していつものようにベーコンエッグとトーストとコーヒーという簡単な朝食を受け取って、私の指定席である窓際の席に向かう。


 この国では紅茶が主流だけれど、前世の記憶の名残からか私はコーヒーの方が好みだ。


 コーヒーは男性の飲み物と考えられているこの国で私は変わり者の部類に入る。もちろん新聞を読みながらの食事も褒められた行為ではない。毎朝スカート丈を注意している私がここの寮生の子達にこんな姿を見られては示しがつかないだろう。


 トーストをかじりながら新聞をめくっていると、新聞の上に陰が落ちる。急に手元が暗くなったことに疑問を感じて顔を上げるとそこにはエメリンが立っていた。


 昨日の今日なので薄々何かしらの接触をはかってくるとは思っていたもののまさか朝駆けとは思わなかった。私は彼女の意外な行動力に少し驚く。とはいえ勇気はそこまでだったらしく、スカートの裾を握りしめたままその場に立ち尽くしている。


 やはり制服は洗い替えがないのか彼女は昨日の普段着姿だ。食事中に邪魔をされるのは好きじゃないけれど仕方がないので視線で前の席を勧める。


 エメリンは素直に私の前に腰掛ける。厨房内ではおばさん達がもうじき起き出してくる寮生のために忙しくしている。なのでこうして食堂内に座っているのは私と彼女だけだ。私は読んでいた新聞をたたんで彼女と向き合う。


 エメリンはそんな私の顔をチラチラと眺めてはいるのだが、どうも何をどう話し出せばいいのか会話の糸口を探しあぐねているようだ。待つか、こちらから切り出すか悩んでいるとようやく決心したらしい彼女が口を開く。


「あの、昨日はみっともない所をお見せしてしまって……」


「良いのよ。気にしていないわ」


「あ、えっと、そうですか……」


 会話終了――って、ちょっと待って。いくら何でももう少し作戦を練ってきて欲しい。愛され系ってこういう子なのかしら? だとしたら皆よっぽど生活に疲れているか面倒見が良いかなの? あいにくどちらでもない私には次の一手が思いつかない。


「エメリン、要件がそれだけなら失礼して良いかしら? それともまだ私に用事があるならそろそろ皆が起きてくる頃だから場所を移動しましょう」


 このどちらかは分からないが彼女は頷いて立ち上がる。やれやれ、朝食を食べ損ねてしまった。一人の寮生に肩入れするのは御法度だけれどしかたがない。人目に付く前に私は食堂のおばさん達に残してしまったことを詫びて彼女をつれて自室に戻ることにした。


 自室に連れ戻る間も彼女は終始俯き加減でついてくる。傍目には“校舎裏に来い”だ。自室に戻ってドアを閉める。これで完璧に二人きりだ。


「立ちっぱなしも何だわ。その椅子に座ってちょうだい」


「あ、はい、スミマセン」


「それでどうしたの? 昨日のことなら口止めしなくても誰にも言わないわ。心配しなくても噂話に興味はないの」


 考えられる先手を打つ。しかし――次の瞬間彼女が口にした本当の要件は私の思っていた遥か斜め上を行くものだった……。


「どうやったらマクスウェルさんみたいに女性らしく怒ることが出来るんでしょう?」


「は?」


「ですから昨日食堂であの男性相手に怒ったのを見たとき、なんて女性らしく怒ることが出来る方なんだろうって――わたし感動しちゃって!」


「はあ?」


「ほら、わたしって最近伯爵家令嬢とかになってしまったけれど生まれ自体は下町じゃないですか」


 確かに入寮する時にそういう話は訊いていたが、それと昨日の私の怒り方がどう関係するのだろうか?


 会話の合致点が見いだせないまま黙り込んだ私を見た彼女は、それを会話に集中していると誤認してさらに勢いづいた。こうなったらもはや私に出来ることは頷くだけである。


「だからいつもああいう目に遭うと、つい育った場所の癖で手が出てしまいそうになっちゃって困ってるんです。でも貴族の方達って華奢でしょう? もしもわたしが手を出したりしたら怪我させちゃいそうで怖くて……」


 そう興奮気味に話していた彼女の目から急に涙がこぼれた。えぇ……ここで泣くんだ? ちょっと分からない娘だな。“はっきり言って私は貴女が怖いです”とは言えるはずもない。


「それで昨日マクスウェルさんがわたしを庇いながら怒ってくれた時、あぁ、こうやって怒るのが女性らしいってことなんだぁ――って」


 涙を指先ですくっている彼女はとても儚げで可愛らしい。なのに口にする言葉はそこはかとなくバイオレンスだ。このゲームのシナリオはどうなっているんだろうか。今更だがちょっとやってみたくなってしまった。


「え、えぇと、それじゃあ昨日貴女が泣いていたのは?」


「最初はやり返せないのが悔しくて泣いてたんですけど、食堂で泣いたのは感動してたんです!」


 ――嫌だこの子……脳筋ってやつなのかしら? 乙女ゲームのヒロインが脳筋ってどうなのか。いや、斬新かもしれないけど……きっとこのゲームはあまり売れなかったに違いない。だがこうなってくると俄然気になることが一つ。


「貴女が仲良くしていた第三王子様はどんな子なのかしら?」


「アーネストは読書が好きで、物知りで、優しくて、女の子みたいに綺麗で、でもちょっと身体が弱くて――なんて言うか放っておけない感じの子です!」


 ……おぉぅ、何てことだ……だとしたら昨日王子様が彼女を送ってこられなかったのはもしかして――。


「だから昨日はわたしをここまで送るってきかなかったんですけど、気温差で熱を出しちゃって来られなかったんです」


 はい、不敬罪決定しました。ここで働けるのも今日が最後になるのか。こちらの世界のお父さん、お母さんごめんなさい。どうやらあなた方の娘はとても愚かなことをしてしまったようです……。


 ひっそりと自分の人生ゲームが詰んだことを感じた私は、こうなったら今日は一日職を失っても食べて行けそうな方法を考えようと思った。


「――そうなだったのね。だったら私は今日にもここを出て行かなくちゃならないかもしれないから準備をしないと。貴女ももう部屋に帰ってもらっても良いかしら?」


「えぇ何でですか!?」


「昨日、私が啖呵を切ってしまったのは王子様のお着きの方でしょう? きっと私が無礼な発言をしたことがお耳に入っているわ。ここの管理人の職を解かれてもおかしくないことを言ってしまったし――」


「そんな、あれは咄嗟のことでしたし、アーネストはそんなことで怒ったりする人じゃありませんよ?」


 何を暢気なことを言っているのだこの娘は。そりゃあ王子様のお気に入りで伯爵家令嬢でこのゲームのヒロインである貴女は大丈夫でしょうけど、こっちはそうもいかない訳で。


「とにかく、もう部屋に戻るか、それとも朝食を食べて学校に行く準備をするかなさい。まだ若いからあまり気にしていないかもしれないけれど、時間は有意義に使うものよ?」


 そう言って追い出す姿勢に入った私の手をエメリンがガッと掴んだ。何この子の握力! 痛い! どこにそんな力があるのかと思う綺麗な手が、私のガサついた手を握りつぶそうとしている。


「ちょ、離しなさい!」


「そんな、嫌ですぅ! ここからマクスウェルさんがいなくなっちゃったら、わたしきっと大変なことしちゃいます!」


「えぇ!?」


 何だそれは、脅しか? と思ったらそうではないらしい。何故ならエメリンは私以上にテンパっていた。


 二人で手を取り合ってワァワァと揉めていたらいつの間にか玄関に立っていなければならない時間になってしまう。最終日になるかもしれないのに何をやっているんだ私は……。


 慌ててエメリンの手を振り解いて愛用の定規を手にする。エメリンも私が逃げるのではなくいつもの仕事に向かうのだと分かるとあっさり解放してくれた。


 聞けば彼女の制服はまだ乾いていないので今日はどのみち休むつもりだったそうだ。そういうのは早く言え! 私と彼女が連れ立って部屋から出ると目立つので、エメリンには私が下でスカート丈をはかっている間に自室に戻ってもらうことにする。


「じゃあ私はもう行くけれど、くれぐれも人目に注意してちょうだいね?」


「はい! 了解しました!」


 元気よく返事をする彼女に“静かに!”というジェスチャーをして部屋を出た。いつもより少しだけ遅くなってしまったから何人かは短いスカートで出かけたかもしれないなと思っていたら――意外にも玄関先で彼女達はちゃんと私を待っていた。


 口では「早くしてよ!」「遅刻してしまうでしょう!」と文句を言ってくる彼女達だが、私の胸に今まで感じたことのない温かなものが広がる。


 しかしやっとこんな気持ちになったところで今日を限りに退職してしまうかもしれない身なのだ。手心は一切かけずにいつも通り彼女達を送り出す。振り返りざまに舌を見せる彼女達も今日で見納めかと思うと感慨深い。


 つけるかぎりのお淑やかな悪態をついて去っていく彼女達を見送りきった私の目に、見覚えのある不穏な馬車が映った。あぁ、まさか自分が断罪される側に回ろうとは……。


 見覚えのある御者が操る夜色の馬車が寮の門前に停められる。せめて散り際は美しく。腹を決めた私は、迎え撃つべく昨日はとれなかった淑女の礼をとって馬車から降りてくる人物を待った。



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